34.養女
「ユーリア。学院入学の手続きに関して、長が本人も確認したいか聞いてほしい、と」
「行きます」
基本的には保護者が対応すれば問題ないそうだが、実子でないわたしが長任せにして不安に思わないかという心遣いだろう。感謝して、お兄様の後に着いて長の元に向かった。
執務室の扉を叩き、中にはいる。仕事をしていたようで、長が顔を上げた。
「ユーリア。君の入学に必要な書類は、イカルガと共に買いに行ったじゃろう?」
「はい」
「ほれ、これが学院入学の許可が降りた書類じゃ。目を通しておくといい」
長に手渡された書類に目を通す。学院の入学許可について書いてある。お兄様たちのように空を駆けられる。そう思うと嬉しくて、手が震えてきた。紙が小刻みに揺れるのを止められず、前にいた長が心配そうに覗き込んでくる。
「どうした?」
視界がぼやける。手にポタポタと涙が落ちる。書類が濡れてしまう、と慌てて机の上に置き、目を拭った。こんなことで泣くなんて、と思うものの、涙は止められない。生家では絶望的だった学院進学。それが手に届くところにある。なんてことだろう。
「……嬉しくて。ごめんなさい」
いつの間にか横にいたお兄様に頭をわしわしと撫でられる。
「イカルガ! ……仕方ない。泣き止むまでじゃ」
長が一瞬声を荒げた。わたしとお兄様が揃って首を傾げたせいか、長は頭を抱えてしまった。なぜだ。
「……イカルガ。幼いとはいえ、ユーリアは女子じゃ。頭を触れるなんて……」
「……長も幼い頃、私の頭を撫でてくださいました。それと同様です。問題ないのでは?」
きりっとした顔をしてお兄様がそう言い切ったので、長が助けを求めるような目でこちらを見てきた。
「ユーリア……」
「わたし、両親からの愛を受け取ってこなかったので、お兄様に撫でてもらえて嬉しいです」
「其方もか!」
持っていた書類を机に叩きつけ、長が頭を抱えて動かなくなった。何がいけないんだろう。幼子を可愛がることなど普通のことだと思いながらお兄様を見たら、お兄様も不思議そうな顔をして首を傾げていた。
「……よくわからないですけど、長が気にしすぎなんじゃないですか?」
「そんなわけあるか!」
顔を勢いよく上げ、そう突っ込んだ長は、咳き込みながらまた頭を抱えた。突然大きな声を出し過ぎたらしい。高齢なのに無理するから……。そう思っていると、長に睨みつけられた。
「ユーリア。今、失礼なことを考えたじゃろ?」
「え?」
「……そんなユーリアに儂から忠告してやる! 学院入学で喜んでおるが、学院を卒業して優秀な忍びになることこそが、其方の真の目標じゃ!」
「は、はい!」
「その道は険しいぞ?」
「……頑張ります!」
わたしの返答に笑みを浮かべた長は、ベルを鳴らして人を呼んだ。
「其方は貴族としての振る舞いが足りなさ過ぎておる。高位の忍びの家の者として相応しくなるように、儂が教育係を準備した。さっさと学んでくるのじゃ!」
「ありがとうございます!」
ばあやに多少習っていたけど、高位の家のことはわからなかったから、ありがたい。きっとばあやも喜ぶだろう。そう思いながら、長の執務室を後にした。
「はじめまして。ユーリア。あなたの養母ですわ」
長の奥方様がわたしの部屋に訪ねてきた時は目が飛び出るかと思った。普通、家の中といえどもそこまで歩き回ったりしないはず。なぜそんなお方がわたしの部屋に? しかも、気配も足音も一切しなかった。一瞬で気を取り直したばあやがすぐに奥方様を招くスペースを作った。そしてすぐに案内した。
布擦れの音すら美しい。服から香る香の香りも素晴らしい。そして、姿勢の正しい美しい所作の女性が入ってきた。明るい茶色の髪に目元のほくろが色気を漂わせている。目元はぱっちりとして幼さを感じる。美しさと妖艶さ、愛らしさも兼ね備えていて……長と同年代とは思えない。幼女趣味の噂はこの美しい奥方様のせいでは? そう思いながら見惚れていると、奥方様がくすりと笑った。
「なかなかご挨拶をいただけないのですもの。わたくしから伺いましたわ」
奥方様の言葉に慌ててばあやを振り返ると、ばあやも顔色を悪くして手に持っていた木箱を落としている。女人が家移りするという稀有なケースで、ばあやもお作法がわからなかったらしい。
「申し訳ございません。奥方様。高位の女人の部屋を訪れるのは失礼かと思い……」
わたしの返答に視線だけ動かした奥方様が小さくため息を落とし、言った。
「何のための文かしら?」
ハッとした様子のばあやと、首を傾げる私を見て、課題はそこからね、と小さく呟いた奥方様が、わたしに視線を合わせて言った。
「ユーリア。貴女、文の重要性を理解していて?」
「えーと、文が書けないと結婚が遠のくことは知っています。しかし、忍びとして働く予定のわたしには関係ないかと」
「……関係あるわ。結婚しなくとも、貴族の子女のふりをする忍務があるかもしれないし、そもそも女人同士の交流でも文は使うものよ」
そう言われて首を傾げる。
「出歩くことはなくとも、文から香る香の香り。御跡の美しさ。引用される文学の知識。全て必要不可欠な知識よ。ユーリアがここから学ぶべきこと。すべて繋がっているわ」
そう言われて、わたしは理解した。その様子を見た奥方様が美しい笑みを浮かべて、わたしに言った。
「では、わたくしに挨拶の文を送ってくださいな。練習としてちょうどいいでしょう?」
練習……? いきなり本番、しかも当人目の前という高難度の間違えではなく!? そう思いながら、奥方様の圧に負けたわたしはばあやに文箱を準備するように言った。




