15話 初めての外交2
エステルから手渡されたリストを見て、まず口を開いたのはラスター王国のマーシャル商務長官だった。
「なるほど……魚以外は今までと変わらない、と」
「ええ。この現状であれこれ変えることは得策ではないかと」
『これを期に関税も変えてやろうかと思ったが……この王太子では話にならないな』
今まで全く口を開いていないこの男──エステルを愛人にしてやろうと目論むのは、ルルベ・シューン王国サルサ商務長官。
(この人……まさかこの場で関税のことまで持ち出す気?)
ライナスとの作戦会議では関税の話にまでは至らなかった。この場でその話を出されるのは、こちらとしても望んでいない展開だ。
「ご意見がなければ、このままお願いしたいのですが」
「ここに来ていない他国の意見はどうなっています?」
「書状を送っておりまして、返事待ちといったところです」
ふむ、と大臣たちが唸る。満場一致で即決するかと思っていたが、エステルが思うよりも簡単な話ではなかった。
(何がそんなに不満なのかしら……)
顔を上げてちらりと皆の顔を見ると、どうやらハルヴェルゲンの貿易大臣や国王が出てこないこと、全ての対応を代理の代理であり通事のエステルがしていることに皆納得がいってないらしい。
(わたくし、出しゃばりすぎてしまったみたいね……でも結局我が国の貿易大臣が出てきたところで、わたくしが通事として喋ることには変わりないのよ?)
それでもやはりこんな娘に、と大臣たちは思うのであろう。そういうことならば、隣に座るライナスから言葉を頂けば納得をするかもしれない。
(でも殿下に目配せして……伝わるかしら)
ちらりとライナスを見上げれば、彼は心得たと言わんばかりに直ぐさま口を開いた。
エステルは驚き、目を見開いてライナスの言葉を待った。
『うにゃ──通事の妻にばかり話をさせてしまって、皆様には失礼をしました。何かご意見は?』
「通事の妻にばかり話をさせてしまって、皆様には失礼をしました。何かご意見は?──と」
皆が特にはないと言った様子で首を振る中、スッと手を上げたのはサルサ商務長官だった。
「関税についてお話しても?」
『にゃう──ええ』
「ええ──と」
初めて口を開き、サルサ商務長官は心の声のまま発言を続ける。
「いい機会ですし、是非我が国にかけられている関税率を見直して頂きたい」
『みゃん──いい機会、とは?』
ライナスが探るようにサルサ商務長官を見つめた。
「いい機会とは──と」
「せっかく殿下にお会いできたのです。お若い殿下の意見を取り入れて、外交に新しい風を取り込んでみたいとは思いませぬか?」──『あの堅物な貿易大臣や国王ではなく、若造のお前が相手をしてくれる内に我が国が有利となるようにする絶好の機会だということだ!』
(なんてこと……)
サルサ商務長官の頭の中はピンク色、腹の中は真っ黒であった。なんとかこれをライナスに伝える手立てはないだろうかとエステルがやきもきしていると、ライナスが見下すように顎を吊り上げてサルサ商務長官を睨んだ。
『無礼だな。欲が透けて見える』
「殿下っ……!」
『エステル、今のは伝えなくて良い。ここからはきちんと建前を話す』
「エステル様、ライナス殿下はなんと?」
一人慌てるエステルを尻目に、サルサ商務長官はライナスを睨み返した。
『にゃう──私のような若造が、己の意見のみで関税率を変えたりはしない。関税率を変えたいのであれば、正しい手順を踏み正式に申し込んで頂きたい』
「ええっと……私のような若造が、己の意見のみで関税率を変えたりはしません。関税率を変えたいのでんあれば、正しい手順を踏み正式に申し込んで頂きたい──とのことです」
「……そうですか、残念だ」
話は終わりだろうと、明るい調子でサルサ商務長官は応接室から出て行こうとするが、扉の前でぴたりと足を止めた。
「ああそうだ、今夜の晩餐会……楽しみにしておりますよ」
立ち去る背中を見つめ、間を取りなすようにマーシャル商務長官が明るい声を上げたが、部屋の空気は重々しいままであった。
◇
「うにゃあぁぁぁ……」
「はいはいもういいですから」
『しゃぁっ!──くそぉっ……あの男許さない!』
晩餐会は無事……ではないが、なんとか終了した。
ライナスの機嫌が悪いのには、理由があった。終始エステルにくっついて離れようとしなかった、あのサルサ商務長官のせいだ。
酒を飲み、赤ら顔になった長官はまずエステルの尻に手を伸ばした。飛び上がりぎこちない笑みを浮かべたエステルにライナスがいち早く気が付いた。
それからというものライナスはエステルの傍を離れなくなった。料理を取りに行くときもエステルの真横に立ち、他者が滑り込む隙間すら与えなかったのだ。
サルサ商務長官は手は出してこなくなったが、いやらしい目でエステルを見つめ続けた。マニ帝国のクレソン外務大臣と共謀して、誰とは言わないが女の話ばかりを皆に聞こえる声量で話すのだ。
それがエステルのことを指していることは明らかであった。場が場なだけに、誰も彼等の暴走を止めることが出来ず、ライナスも暫くは大人しくしていた……が、途中で堪忍袋の緒が切れたのか、エステルの腕を掴んで『妻が疲れているようですので、失礼します』と言って晩餐会から退席していたのだ。
『うにゃぁぁぁっ──本当に気に食わない男だ』
「外交に私情は厳禁ですよ」
『にゃお……みゃぁん──わかっている、すまない』
今夜はアルトの町に宿泊だ。会議をした会館の直ぐ側にある宿泊施設に、参加者が皆宿泊している。
エステルはトランクから荷物を取り出すと、ライナスに頭を下げた。
「それよりも殿下、先程はまだ正式に妻でもないのに、妻と名乗ってしまい……申し訳ありませんでした」
『にゃんにゃあ──謝ることはない。あの場で妻と名乗らなければもっと舐めた態度を取られていただろうから……機転を利かしてもらってよかった』
「そのようなことは」
『それに、近い内に妻になってくれるのだからいいさ』
心の声で誘惑されるのを聞き流してはいるが、エステルの心中は穏やかではない。話を変えようと咳を一つ払った。
「殿下、長い一日でしたが……本日はお疲れ様でした」
『にゃにゃん──エステルこそ。君がいなければどうなっていたか。感謝している』
ライナスの手がエステルの頭に伸びる。優しく撫でられるので、つい心地よくて目を細めてしまう。
少しずつ熱を持つ頬を隠したくて、エステルは話を切り替えた。
「あの、本当に先に入ってもいいのですか?」
『にゃあん──構わない。疲れただろう? ゆっくり休んでくれ』
確かに疲れていた。馬車に揺られて凡そ五時間。尻や腰は痛く重かった。途中休憩はしたが大して休めず、気持ち的にも疲れていることは明白だった。
『にっ──あっ、エステル待って!』
「どうしました?」
『にゃお──この風呂……まさか』
ライナスが慌てて浴場に駆け込む。後についていくと、エステルは広々とした浴場に歓喜の声を上げた。
「まあ! 広くて素敵なお風呂ですわね!」
『うにゃ……』
「殿下? どうしました?」
『にゃお──この浴場……窓があるぞ。それもこんなにたくさん』
「え?」
窓は天井に触れそうなほど高い位置にある。窓の形に切り取られた夜空が幻想的だ。
「綺麗な星空がよく見えて素敵ですわね」
『にゃおおお──そうじゃない! 覗かれでもしたらどうするんだ!』




