13話 ライナスからの贈り物
サナが用意してくれた部屋で、エステルはドレスと下着の入った紙袋の中身を見て天井を仰いでいた。
(なんてこと……)
戻ってきたベルナールとライナスの対照的な表情、それに心の声を聞いて心配はしていたが、まさか二人がこんなものを買ってこようとは。
大きな紙袋の中のアフタヌーンドレスは素敵なデザインであった。エステルの髪色によく似合う、ヒヤシンスブルーの涼やかなものだ。肩から袖にかけては総レースのバルーンスリーブで、身につければエステルの白い腕が透けて見えるだろう。
一緒に紙袋に入っていた揃いの色のボンネットも、繊細なレースが施されている。
問題は小さな紙袋の中身──下着であった。こんなものをどこで買ってきたのだろうか、よくわからないところに穴が空き、上も下も真っ白で細やかなレースで作られたものだった。
「もしかしてこれ……半猫さん仕様の、尻尾の穴なのかしら」
袋の中にはこれ一着しか入っていないので、身につける他ない。自分で見ることすら恥ずかしく、すぐにアフタヌーンドレスで体を隠した。
「あっ、このドレス……どうやって着るのかしら……?」
ドレスの背面に紐がないのだ。初めて見る形のドレスに、エステルは首を捻る。仕方なくドアを少しだけ開けサナを呼ぶと、やって来たのはライナスだった。
「でっでっ殿下っ!」
『うにゃ?──何があった?』
「サナさんは?」
『にゃあにゃん──手が離せないようだ。どうした?』
ライナスの後方──台所の方でサナが家事でもしているのか、彼女がやってくる気配はなく。代わりにがちゃがちゃと様々な音が聞こえてくるだけであった。
「あの、このドレス……」
『にゃおん?──着たのか? 是非見せてくれ』
「ちょっと……!」
力強く扉が引かれ、エステルの肌がライナスの目の前に晒される。ドレスで体は隠していたものの、白い首筋から肩にかけてはライナスの目に吸い込まれてしまった。
「やだ……!」
『綺麗だ……! ああしかしこんなものを見てもよかったのだろうか! まずいぞ……胸が苦しい……!』
「それ以上は見ないで下さい!」
『うにゃん?──どうして?』
「どうしてって……」
混乱するライナスの本音と、誘うような魅惑的な建前に、エステルの体から力が抜けてしまう。なんとか堪えて必死に踏みとどまった。
「恥ずかしいではありませんか……!」
『みゃおん──夫婦になるというのに?』
「それでもっ……駄目です!」
エステルはライナスの胸を強く押す。びくともしない体から腕が伸びてきて、そっと抱きしめられてしまった。
「きゃっ……」
『にゃにゃ……うにゃん……』
「……!?」
エステルの耳に温かいものが触れた──ライナスの唇だ。驚いて顔を上げると、ライナスの唇が弧を描いていた。
『にゃおにゃー──そのドレス、裾を持ち上げて頭から被るのだと店主が言っていた』
「頭から?」
『みゃあん?──手伝おうか?』
「結構ですっ!」
ぷくっとエステルの頬が膨らむと、ライナスは嬉しそうに笑いながら部屋から出て行った。エステルは言われた通りドレスを頭から被ると、一瞬で着替えが終わってしまった。
「簡単なのね……!」
普段のドレスであれば背中の紐を締めて貰わねばならないが、このアフタヌーンドレスは着脱が簡単であった。どうやら、町民たちが着るために改良されたドレスのようだ。
着替えを済ませて部屋を出ると、皆の感嘆の声に出迎えられた。
『にゃんにゃん──流石は私が選んだだけあるな。よく似合っている』
「お嬢様、よくお似合いです」──『やっぱりお嬢様には青がよく似合いますね。僕も似合うけど!』
「ありがとう……ところで」
この下着は誰が選んだのか、聞こうと口を開いたがすぐに閉じた。リビングにいるのはこの二人だけではないのだから、おかしなことを聞くわけにもいかなかった。
◇
夫婦に礼を言い、四人は青い旗の家を後にする。馬車で揺られながらしばしの間作戦会議を行うこととなった。
『にゃんにゃにゃ──半猫化から猫化……変化が顕著で恐ろしいな』
「ええ。王都でここまで大勢が猫化してしまえば、一体どうなるか……」
『みゃあみゃん──王都に戻った時には手遅れ、だなんてことは……』
「殿下、悪い方へ考えてはいけませんわ」
ライナスの表情は暗い。自分も猫化が進行してあのような姿になってしまうかもしれないという恐怖と隣り合わせなのだ、無理もない。
「何か猫化の進行を止める手立てはないのでしょうか」
『にゃん──父は毬を見て急におかしくなった。この町の人々は、魚の匂いを嗅ぎすぎては駄目だと言っていたな』
国王が猫のように毬を追って怪我をした姿は記憶に新しい。あの姿を見てからというもの、ライナスの顔に影が差す回数が増えたのだ。
「もしかして……なのですが」
『にゃ──ん?』
「本物の猫の好むものに触れると、猫化が進行する……のでは?」
『にゃ──なるほど、一理ある』
「ならば猫の好むものを遠ざければ……猫化の進行は遅くなる?」
新たな可能性に、ライナスの表示が少し明るくなった。
『にゃん──断言はできないがな』
「猫って何を好むのでしょうか?」
この国に来て初めて猫を見たエステルの知識は無に等しかった。図鑑には何と書いてあっただろうか。
『にゃうぅ──実は僕も詳しくはないのだ』
そう言ったライナスは、腰を浮かせてエステルの隣に滑り込む。
「……殿下?」
『にゃんにゃぁ──せっかく二人きりなのだから、近くにいたいんだ』
ミュラーに着くまでの馬車とは違い、現在エステルの乗る馬車にはライナスだけが乗っている。作戦会議だという名目で護衛二人を別の馬車に追いやったライナスは口元を緩ませた。
『にゃにゃ──エステルに好きになってもらえるよう努力をしないと、な』
「あ……」
町で見せていた表情とは打って変わって、柔らかな顔つきとなったライナスは、エステルの手にそっと触れた。
『にゃお──ところで……ドレスと下着は気に入ってくれた?』
いたずらっ子のような顔になったライナスを見て、エステルの頬は熱を持った。両手で頬を覆って何とか冷やそうとするが、片手は掴まったままで叶わなかった。
「ドレスは……はい、とても。でもその、し、下着はっ……」
『にゃあにゃ──新妻にぴったりだっただろう?』
「……?」
『にゃにゃ?──エステル?』
「えっと」
ライナスの言葉の意味が理解できず、エステルは眉根を寄せる。
それを見たライナスは眉を跳ね上げ、視線を上へやりながら少しだけ考えると、最後には嬉しそうにエステルの髪を撫でた。
『にゃあ──なるほど』
「殿下?」
『にゃにゃ──エステル、その下着……必ず初夜に身に着けてくれ。約束だ』
「しょっ……初夜!?」
結婚を認められた夫婦が初めて迎える夜のことだ。昨夜共に眠ったのは婚前であったし、ライナスに懇願されてのことであったので、彼の中では数に入らないらしい。
『みゃお──この仕事が終わって無事帰国できたら……よろしく頼む』
「ひぇ……でも、貴族院がなんというか……」
『うにゃ──必ずエステルを王太子妃に相応しいと認めさせてみせるさ。現にこの度の働きは素晴らしかったからな』
「簡単な通事をして、戦っただけですよ?」
『にゃにゃ──君にしか出来ないことだっただろう?』
そういわれるとそうなのだが、エステル本人はそれほどの働きをした自覚がなかった。困っている人々を見て、体が勝手に動いただけなのだから。
『にゃ──僕も、君の戦いぶりには惚れ込んでしまったし』
「あっ!」
先程は耳だった。しかし今回は頬骨の上にライナスの唇が触れた。
『にゃんみゃ──少しずつ近づくから、覚悟して?』
唇の前でスッと立てられた人差し指はライナスの下唇の上を滑る。間から見える白い歯を見たエステルの胸はキュッと掴まれた心地になった。




