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26:その名はおもち

 翌朝、窓から差し込む朝日のまぶしさで目を覚ましたロアが真っ先にしたことは犬もどきの様子を確認する事だった。

 ロアが夜中に目を覚まさなかったという事は、動きがなかったという事だが、念のため。


 思った通り、最後に確認した時から犬もどきは少しも動いていなかった。

 ブランケットにくるまって丸まったままだ。近寄ってみても呼吸は無く、起こせば昨日の二の舞だ。犬もどきに意識を向けたまま、ロアは朝の日課である柔軟を始めた。朝一の体はやはり硬い。

 丁寧に体をほぐし、伸ばした後は走り込みと素振り。犬もどきを放っておくわけにもいかないので、大ぶりのタオルで犬もどきをくるんで荷物のように背負って日課をこなすことにした。

 犬もどきはそれはもうギャンギャンと喚いてうるさかったが、幸か不幸か塔の周りに住人は居ない。身体強化を使わず、塔の周囲の森をペースを変えながら走り込む。

 森の中は足場が悪いこともあってトレーニングの環境としては悪くない。剣と重たいブーツのまま犬もどきを抱えて汗を流した後は素振り。普段使いのロングソードを手に利き手、両手、客手、とあらゆる持ち方で実践を想定した動きをなぞっていく。


 それが終われば最後はブーツに仕込んだ隠しナイフでの戦闘訓練。どんな体制でも引き抜いて振りぬけるよう、黙々と訓練を続けた。

 すべての日課が終わったころ、犬もどきを拘束していたタオルは噛み跡でぼろぼろになっていた。そしてひたすら喚き続けていた犬もどきはぐったりしていた。これにも疲労という概念があったらしい。


 塔に戻ってからは水を被って汗を流す。ロアは潔癖ではないが、体を清潔に保てるのならばそうしたい。そもそも戦場ですら清潔を保つ努力をしなければそのまま死ぬことだって珍しくないのだから。


「起きたか」

「……ろあだ」


 風呂場からキッチンにのそのそと戻ったロアは、水を飲みに来たアステルと鉢合わせた。

 存在には気づいていたが、アステルが起きるのはもう少し後だと思っていたため、着替えをリビングに置いたままだった。つまり、ロアは全裸だった。


 未だ寝ぼけた目をしているアステルはロアの頭からつま先までをぼんやりと眺めた後、むき出しになっているそこをじっと見てぼそりと言った。


「それさ、ズボンの中にどうやって片付けてるの?」

「片付けるって言うなよ。気合だ気合」

「みんなそんな大きさ?」

「平均よかでかい方だな」

「へぇ」

「あんまじろじろ見んじゃねぇ」


 そう言ってため息をついたロアは寝癖が飛び出ているアステルの髪を雑な手つきで乱すように撫でつけると、服を取りにリビングへと向かった。

 ついでにタオルで拘束したままの犬もどきも片手にぶら下げる。


 ロアに対する抵抗を諦めていた犬もどきはアステルの姿を確認した瞬間、水を得た魚のように元気を取り戻してきゅんきゅんと今まで聞いたことのない鳴き声を出した。何というか、全力で可愛い子ぶっている声だ。


「あ!おもち!! え、ねぇロア!! なんで縛ってるの!! おもち返してよ!!」

「お…もち……?」

「ねぇちょっと、ロア!! ロアってば!!」

「あー……、これ、危険はないんだな?」

「返してってば!!」

「わかったわかった、返すから。危険はないかどうか教えろ」

「無いって!!」

「はぁ……。ほれ」


 犬もどき、改めアステル曰くおもち、とかいう謎生物もどきを背伸びして何とかロアの手からそれを取り戻そうとしているアステルの手に戻してやる。何かあっても対処できるように構えていたが、ロアに対して暴れ散らかしていたあの姿はどこへやら。


 きゅうん、と黒い瞳を艶めかせ、小さな口から垂れる小さな舌でアステルの顔をぺろぺろと舐めている。


「んぶ、べ、ちょ、顔は、かおはさけ、ぶぇ」

「何やってんだお前は」


 おもちを遠ざければいいのに、顔を舐められていることに意識が持っていかれて手を動けずにいるアステルの手から、犬をつまみ上げる。

 項をロアに掴まれてぶら下がるおもちはちょこまかと手足を動かしてもがいている。


「た……、たすかった……」

「顔がダメなら胸で抱えろ」

「……わかってるもん」

「そうだなー」


 あきれ顔のまま胸の方におもちを下ろしてやればアステルはほっとした表情でそれを抱きしめた。ぬいぐるみを抱える幼子のようだ。おもちも大人しく胸に抱かれて安心したように喉を鳴らしている。


「で、そりゃなんだ。犬……じゃねぇよな。俺は世話なんてしねぇぞ」

「ふふん。これはね、僕の最高傑作の使い魔だよ」

「……へぇ」

「今までの子たちもある程度の自律思考はあったのだけどね。この子は特別。犬の特性と忠誠心、そして自ら学習し続ける思考機能!! 食事も排泄も要らないし、嗅覚と聴覚は人の200倍!! どんな音も匂いもかぎ分けるスペシャル使い魔のおもちさ!!」

「なんかすげぇのはよくわかった」

「なんかすごいんじゃない!! 超すごいの!! こんなのできるの僕だけだからね!! この思考モジュールもこだわりがあって従来の思考モデルから0と1を利用した反応を重ねて重ねて組み合わせることでより繊細かつ適切な反応を返せるようになっていてしっぽにそれが反応として現れるようになっていてほらみて今薔薇が咲いたでしょこれねすごく喜んでて誰でもおもちが何を考えてるのか一目見て分かるようになっていて」


 早口でまくし立てるように言うアステルに、最早慣れてしまったロアははいはいと適当にあしらいながら朝食の準備を始めた。こだわりを兎に角聞いてほしいのか、アステルはロアに張り付くようにしてついてくる。


「外装はみてこれふわふわでしょ銀牙狼の毛皮がちょっとあったからそれを培養してふやして人工の毛皮をつくってねこれがまたうまくいってね」


 時折聞き捨てならない技術が混じっているが、ロアはそれを全て聞き流すことにした。昨晩作ったスープをぐつぐつ温め直しながら横目でアステルに視線を流す。アステルは自分の発明品の話に興奮して頬が紅潮していた。


 昨晩ベッドに押し込んだ時はズボンをはいていたはずだが、改めて見てみればシャツ一枚を羽織っただけで下は何も履いていない。


 いつもこうだ。アステルはとにかく体に何かがまとわりつくのが気に食わないのか、大体寝ている間にズボンも何もかも脱いでしまう。シャツの隙間からちらちらと見えるなだらかな稜線から目をそらしたロアはため息を吐いた。


「あとで聞いてやるから服を着てこい」

「服は着てるじゃないか。それでね、耳もかわいいでしょ。これね耳毛をねカスミソウにしたのが僕のこだわりでね」


 ロアの言葉にきょとんと瞬きしたアステルが不思議そうに問う。そちらから目をそらしながら、ロアは言い聞かせるようにもう一度口を開いた。


「下着を着てズボンを履いてちゃんとシャツのボタンをしめろ」

「やだ!!」

「このクソガキが」


 舌打ちと共に出た罵倒を意にも介さず、アステルはべらべらと喋り続ける。スープを盛る椀を取りに食器棚の方へ向かえばついてきて、食事をダイニングの机に運びに行けばちょこまかとカルガモの雛のようについてくる。


 食卓に着いてからもアステルのおもち語りは止まらない。ロアが食事を終えてもなお、アステルの器のスープは一滴も減っていない。ちなみに、五日間絶食不摂生をしていた疑惑のあるアステルの器に入ったスープは全て汁で具は入っていない。


「アステル」

「つまりだね、この……、なんだい。今いいところなんだ」

「まず飯」

「お腹空いてない。それでね、嗅覚の向上には像の鼻の構造を参考にしたんだ。でもあの長さの鼻はこの子には不格好だろう?だから外に出すのではなく中に伸ばす方向で調整をしたらとてもうまくいっ」

「アステル、飯だ」

「うぎゅ」


 アステルの顎を右手で鷲掴み、顔を引き寄せたロアはその金色の瞳を覗き込みながら静かに問いかけた。


「アステル。フォアグラってどうやって作るか知っているか?」

「ふぇ?」

「フォアグラってのはガチョウの肝臓かなんかの事なんだが、知ってたか?俺は昔、なんかフォアグラっつー生き物がいると思ってたんだが。まぁ、その話は本題じゃねぇ」


 空いた左手でアステルの喉をなぞって、ロアは本題を口にした。


「餌のやり方がえげつないんだよな。フォアグラ作りってのは。こうやってな、ガチョウを捕まえて無理矢理胃の中に餌を流し込むんだとよ。腹いっぱいになってもそれを繰り返して肝臓に脂肪をたっぷり溜め込むらしい」

「ふぇ……」


 口元を掴んでいるため、アステルの返事はくぐもって不明瞭だ。


「ガチョウみたいに俺にスープを流し込まれるか、自分で大人しくスープを飲むか。今すぐ選べ。俺は本気だぞ」

「にょ……にょむ……」


 ロアが手を離すと、アステルはわざとらしくゲホゲホと咳き込んで見せた。それが演技だと分かるのは口で「げほっ、げほー」と言っているためだ。


「フォアグラになるか?」

「自分で飲むよう!!」

「それがいい。ゆっくり飲めよ」


 ふん、と唇を尖らせたアステルは胸に抱いたおもちを床に下ろすとスプーンを手に取った。そして一匙一匙、液体だけのスープを食べ進めていく。


 ゆっくり食べればいいとは思うが、液体だけのスープでもスプーンを使って食べるのはどこか優雅で貴族的だ。効率を重視するアステルなら直接皿に口をつけて飲み干してもおかしくないと思うのだが、食事の場でそういったアステルの粗野な振る舞いは見たことがなかった。


 無事にアステルがスープを食べ終えたころには、食欲が刺激されたようで、追加でお代わりをしていた。煮崩れるまで煮込んだ野菜ならば腹にかかる負担も少なかろう、とお代わりのスープをよそってやる。食べ終えたころには血の気が引いていた顔に、薄らと赤みがさしている。


 食事を終えてから再び始まったアステルの終わる事のない話に適当な相槌を打ちながらロアは風呂場へと向かった。

 アステルは何の疑問も抱かずについてくる。その後ろをおもちがとことことついてくるので本当にカルガモの親にでもなった気分だった。ロアは油断しきったアステルから一枚だけ、申し訳程度に着ていたシャツを剥ぎ取って風呂場へと突っ込んだ。


「え?」

「また風呂さぼってただろ、臭いでわかる」


 泡を食って風呂場に入ろうとするおもちの鼻先でぴしゃりとドアを閉めたロアはアステルと一緒に風呂場に入ると、給湯器のレバーのスイッチを入れた。

 作り出された湯が盥にたまり、湯気が広がっていく。脱衣所ではおもちが狂ったように吠えたてていた。


「毎日風呂に入れるなんて幸せだろうが。なんで入らねぇんだよ」

「お風呂より研究の方が面白いもん」

「はぁ……」


 アステルにはどうにも羞恥心という物がない。こうやって問答無用で服を剥ぎ取ってアステルを手ずから洗っているロアが言うのもなんだが、もう少し警戒心とか羞恥心とかを持った方がいいと思う。

 体質なのか、体毛が殆ど生えていない体は白く、つるりとなめらかで、何一つ隠してはくれない。

 視線を盥に固定したロアはアステルの髪を湯で湿らせながら、大きなため息を吐いた。


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