25:ロアと犬もどき
ダイニングを元通りに戻した彼はずっと丸まって寝たままの犬もどきに音を立てずに近づいた。
ロアの接近に気が付かない犬もどきはピクリとも動かない。
生物的な呼吸の動きすら感じられないそれを訝しんだ彼はそっと鼻先に手を近づけた。
思った通り、呼吸をしていない。
「おい!! 犬!!」
叫んだ瞬間、犬もどきは目を開くと反射的に目の前にあるロアの手に噛みつこうとした。
「…チッ、そういう事かよ。クソ、起こしちまった」
本当に生物ではなく、生物を模した何かのようだ。
アステルの発明品はこれだから困る。
加えて、理由は分からぬがロアはこの犬もどきに嫌われているようだった。
非常にあたりが強い。
身を起こしたロアはギャンギャンと吠えたてる犬もどきにソファから取り上げた青いブランケットを掛けると、そのまま風呂場へと足を向けた。
後ろでは毛布に襲われた犬もどきがジタバタともがいていた。
シャツはトレーニングの時に脱いでいた。
汗を吸ったズボンもまとめて脱いで、洗濯物の籠にまとめて放り込む。
ロアはこの塔の住人ではないが、どうせ洗うのはロアだ。
デメコレアの事件以降もアステルの生活が破綻していることには変わりないので、こうやって数日に一度は顔を出して家事をしていた。
自分のものとアステルのものを分けて洗うのが面倒なので、最近では洗濯を持ち帰ったり、あるいは自分のものをここに持ち込んだりとすっかり二拠点生活にも慣れてしまっていた。
給湯器のレバーを引いて湯を作る。
盥に溜めた湯を適当に何度か頭からかぶり、汗を流した。
手に取った石鹸を体と髪にこすりつける。
泡立ちの良いそれは、元々はアステルの風呂事情を見かねて買ったものだが、やはり質がいい。
ハーブの様な上品な香りがして、使うたびにこの匂いを自分が纏うのはいかがなものかと思っているが、そのためだけに石鹸をもう一つ用意するのも面倒くさくて結局同じものを使い続けていた。
泡を湯で洗い落とし、脱衣所で全身の水分をぬぐっていたロアはぼそりとつぶやいた。
「あーーー、風呂入りてぇ……」
ロアの趣味は風呂だった。給湯器が一般にも浸透したことで広がった湯屋の文化はミネルヴァ王国に根付いて長い。
手軽な金額でたっぷりの湯に体を浸して足を延ばせる湯屋通いは、ロアの数少ない趣味と言えた。
ついでに風呂上りに飲む冷えたエールは格別だ。 アステルに犬の詳細を確かめたら絶対に湯屋で休もうとロアは決意した。
リビングに戻ったロアは、上階へと続く扉の前で青いブランケットの塊があるのを見つけた。
のぞき込めば寄せ集めたブランケットに鼻先をうずめて眠っている犬もどきが居た。
そんな機能があるかどうかは知らないが、アステルの匂いに安心しているのかもしれない。
ベッドに叩き込んだアステルは丸一日は起きないだろう。
机の上にあったパンを適当に切り出してフライパンで焼き目をつける。
アステルのためにと作ったスープはしばらく出番がないだろう。
温め直して大きな器いっぱいに注ぐ。
あの小さな口でも食べられるようにと小さく刻んだ具材はどうにも物足りない。
ロアの好みは具材がゴロゴロした濃い味付けのものだ。
食事の匂いにつられてくるかと思ったが、犬もどきに動きは無い。
食事の機能もない可能性がある。
手早く食器を片付けたロアはガシガシと歯を磨く。
歯に限らず、体は傭兵の生命線だ。
丁寧に磨き上げた歯に虫歯や磨き残しがないかを鏡でじっくりと確認した。
アステルの塔には高級品である鏡が当然のように置いてある。
アステル本人が使っているのを見たことは無いのだが。
寝支度を整えた後は日課である柔軟をしていく。今日は暇にあかせて長時間トレーニングをおこなったので、念入りに行っていく。
足の裏、腹、背中、腕、と順に解す。
団長という地位についていても現場仕事は減らないし、減らすつもりもない。
立場が変化しようともロアはこの習慣をずっと続けていた。
柔軟を終えたロアは、塔での滞在に使っている部屋から自分用の枕とブランケットを持ってくるとリビングのソファに身を投げ出した。
ふと考え直して、ソファを犬もどきを監視できる向きに動かしてロアはもう一度そこに身を横たえ、しっかりと目を閉じた。




