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23:朝ごはん

アステルが目覚めたのは風呂場で寝落ちしてから丁度18時間後、つまり翌日の早朝だった。

 本棚で窓が覆われてしまったアステルの部屋は何時だって暗い。

 明かりをつけてやっと今の時刻が分かったが、アステルからはそれが朝であるか夜であるかは判別が出来なかった。


 風呂場で寝てしまったとアステルは思っていたが、ちゃんと寝間着まで着てベッドにたどり着いている。


 僕ってなんて偉いのだろう、と内心で胸を張ったアステルは、術後の高揚感とたっぷり寝たことでしゃっきりと動く脳みそにご機嫌だった。


 素足からサンダルに履き替えて、部屋の外に出る。

 青いランプが灯された階段を下りて、研究室を覗けばそこで治療していたはずの子供やデメコレアの姿は跡形もない。

 血の跡も全てきれいさっぱり拭い去られていた。


「あれ?」


 首を傾げたアステルは研究室の扉を閉め、さらに下へと向かった。


 着替えてベッドに入った記憶はないが、それは寝ぼけながらも自分が頑張ったのだと思っていた。


 しかし、部屋を掃除した記憶と動機はまるでない。

 アステルは自分のものぐさ加減をよく知っている。

 首をかしげながらロアの寝泊まりしているはずの部屋へと向かった。

 ノックは必要ない。

 だってこの塔の主はアステルなのだから。

 暴論を振りかざしながら入った物置の奥、開けたスペースではロアが寝ていた。

 窓から差し込む光は薄青で、少しずつ明るくなっている。


 アステルはようやく今が朝なのだと認識した。


 カウチベッドからはロアの足がはみ出している。部屋を見渡してみれば、物陰に立てかけられていたモップが湿っていた。

 傍に置かれていた麻袋の口を勝手に開けてみれば、ロアのものとアステルのものと思われる血濡れの服がまとめて詰め込まれている。


「…………」


 アステルは麻袋をポイと放り出すと、ロアが寝ているカウチベッドに身を潜り込ませた。

 狭くて暑いが、二度寝がしたくなったのだ。


 ほどなくして、ロアの腕の中で小さな寝起きが聞こえ始めたころ、彼はぱちりと目を開けた。

 本当は、アステルが部屋の前に来たときの気配で、彼はすっかり目を覚ましていた。


 見下ろせばアステルが狭いスペースで縮こまるようにして寝ている。

 落ちないように片手で抱き寄せながら、どうしたものかとロアはぼんやり考える。

 まだ少し早いが、すでに朝だ。

 腹は減っていたし、服の処分や事件の後処理もしてしまいたい。

 数秒ほど考えて、ロアは目を閉じた。


 朝日がこの顔に当たるまでの、ほんの短い時間を味わう事を己に許した。



***


 アステルが次に目を覚ました時、其処にロアは居なかった。

 朝日はすでに昼の光へと移り変わったころだろうか。

 肩までかけられた毛布と、タオルで作られた枕が頭の下にあった。

 ロアが普段使っている枕は、例の不良品だ。

 アステルが使えばたちまち妙な喚き声を上げる枕なので気を使ってくれたのかもしれない。


 二度寝のせいでけだるい目をこすりながら、アステルは三階へと向かった。

 なんだかこんがりとした、いい匂いがしていたからだ。


「おう、おきたか」


 扉の音に、ロアは振り返りもせず言った。

 キッチンで何かをくつくつと煮込んでいる。

 片手ではフライパンを取り出して火にかけ始めていた。


「うん」

「もうすぐできっから、食器だしといてくれ」

「んー……」


 めんどくさいなぁ、と思いつつアステルは大人しく食器棚から銀製のカトラリーを取り出す。

 ついでに水を入れるマグとプレートも用意した。

 鮮やかな空色の皿は昔から使っていたアステル専用の皿で、ロアは最近仲間入りをした武骨な黒い角皿を使っていた。


「あと、パン。そこにある奴食うだけ切って。俺のはあんたの二倍でいい」

「んー……」


 ダイニングテーブルの上、キッチンパラソルの下にあった固いパンをパン切りナイフでぎこぎこと切り落とす。

 切り口からは小麦のいい香りがした。

 背後のキッチンからはじゅうじゅうと、卵とベーコンの焼ける香りが漂ってきた。


「……何作ってるの……?」

「野菜のスープ。それと熊肉ベーコンエッグ」

「熊……?」

「最近多いんだと。肉屋の店主に勧められた」

「ふぅん」


 秋になると、縄張り争いに負けて食う物に困った熊が下りてくる。

 今年は特に多いらしい。


「北の方のリンゴの産地、あるだろ」

「エプレ地方のあたり……?」

「ああ。リンゴをたらふく盗んだ熊だから甘くてうまいって、店主が言ってたぜ」

「甘い物を食べるとお肉も甘くなるんだね……」

「熊に限らず、生物は食ったもんでできてっからな」


 湯気を立てる鍋から、二杯分のスープをよそったロアはそれをアステルにダイニングテーブルまで運ぶように指示をした。

 彼はその間にベーコンエッグを皿に盛りつけた。


「……なんか豪華だね、今日」

「たまにはいいだろ」


 すました顔のロアと、未だ眠たげなアステルが席に着く。

 二人だけの朝食だ。

 ロアが簡素な祈りをする間に、アステルはナイフとフォークに手を伸ばしている。


「……食前の祈りはしねぇんだな」

「僕は不可知論者だから」


 ベーコンエッグをナイフで割り、ぷつりと溢れた卵の黄身をちぎったパンで掬って口に運びながらアステルは答えた。

 上品に食べているはずなのに、いつの間にか口の周りが卵の黄味でべとべとになっている。


「なんだそりゃ」

「神の存在は誰も証明できていない。よって祈るには値しないってこと。文献はいくらでもあるけどね」


 もぐもぐとパンを食べ進めながら、アステルは興味なさげに言葉を続ける。


「付け加えるなら、文献に出てくる神の奇跡に再現性はなく、証言もまちまちだ。神という存在のあやふやさをさらに強化しているとも言える」

「再現性の問題かよ」

「錬金術は条件をそろえれば赤子も天才も、誰がやっても同じ結果が出せるから錬金術なんだ。神の不確実性に頼る学問ではないよ」

「………」

「恵は神からの贈り物、なんていうけどね。パンはパン屋が作り、そのパンの原料は小麦で、農家が作る。実りを左右する天候は神が操るものではなく、自然現象の一環だと僕は仮説を立てている。実証はまだだけど。今食べているベーコンだって、熊、猟師、肉屋、ロアがいたからここに在るんだ。神様は僕にベーコンも世界の真理も与えてはくれないよ」


 アステルはなんてことないようにつづける。

 口の周りをベーコンの脂と卵で汚している幼児のような姿とは似ても似つかない言葉が飛び出してきた。


「外ではそれ、言うなよ」

「師匠にも言われたなぁ、それ」

「……言ってねぇだろうな」

「こんなことで火あぶりは嫌だからね」

「……、錬金術師ってのはお前みたいな考えのやつばかりなのか?」


 ロアがどこか呆れたように呟く。

 ロアとて神を心底信じているわけではないが、価値観の基盤として存在している。

 それをこともなげにひっくり返すアステルの理屈は恐ろしくもあり、どこか不思議と惹かれるものもあった。


「さあ?親しい錬金術師は師匠だけだったし。あ、でも神の存在を錬金術で証明しようとしてた人はいたかな。興味深かったからよく覚えているよ」


 ニコニコ笑ったアステルは続けて言った。


「人にそれが証明できるならさ。それって本当に神様って言えるのか気になってるんだよね。人智を超えた存在を神様っていうんでしょ」

「……俺以外にその話はするなよ。絶対だぞ」

「なんで?」

「お前がこの熊みてぇにならないため」


 ベーコンをじい、とみたアステルは燻されてされてロアに食べられたくはないかもなぁ、とつぶやいてスープに目を落とした。


 スプーンで前後にスープを揺らしながら、アステルはそれをひと匙一匙食べ進めていく。


「研究室に居た子たちはどうなってるの?」


 唐突に切り替わった話題にロアは驚かなかった。アステルとの会話はいつもこうだ。


「デメコレア含め、全員グレイハウンドの医務室に移動した」

「なんで?もうしばらく様子を見たかったんだけど」

「経過は医術師と魔導士が見てる。急変したらこっちに連絡が来る」

「えー」

「あいつらを公的に保護・処分するには表のルートでの処理が要るんだよ。騎士団に引き渡す前に経歴を綺麗にしておく必要が有る」


 違法行為満載のアステルの処置を表沙汰にするわけにはいかない。

 ロアの部下達はそういった案件や極秘情報の扱いに長けている。

 それを漏らした時の末路も。

 だが、それをアステルに伝える必要は、無い。


「でもデメキン君にポーションの事とかさ、治療の事とかそういうの証言されると困るんだけど。あの子たちは本来治らないはずの子だよ」

「デメコレアはどの道絞首台行だ。だれも取り調べなんてしねぇよ。そもそも必要な証言は治療前にさんざん聞いて書面に仕上げているからな」


 肩をすくめたロアは落ち着いた様子で水を飲んだ。

 六人分の治療の練習台にされたデメコレアの体は、アステルの腕もあって幸か不幸か完璧に健康体のまま戻されてしまった。

 余計な事を騎士団で言われても困るため、其処はロアの方で勝手に処理をさせてもらうことにした。


 デメコレアは自らの始末をつけるために毒を煽り、生き延びはしたものの廃人になったと騎士団には報告する予定だ。

 そして悪人の末路まで気にするような人間は、どこにもいない。


「じゃあいっか」

「騎士団としても、子どもの誘拐を貧乏人の戯言として無視してたからな。犯人含め、不始末の証拠はさっさと隠したいだろうぜ」

「人間の社会って大変だね」

「お前も社会の一部だ。馴染む努力をしろよ」


 ため息を吐いたロアは淡々と事後処理の説明を続けていく。


「マティアスは数日様子をみて問題なけりゃリディアのとこに戻す。それ以外のガキも状態が安定してから騎士団に預けて家に帰るか、孤児院に突っ込むか、だな」

「ふーん」

「治療はウチの医術師と魔導士が済ませたことにするぞ。文句ねぇな」


 文句があったところでロアは無視するつもりでいたが、アステルは大人しく頷いた。

 アステルにとっては治療の過程がすべてで、社会的な結果は些事なのだろう。


「いいけど。出来るの?」

「実験結果を改竄して、こっちでも治せる規模にグレードダウンした。まぁ、ここまでやらなくても誰も気にしねぇだろうが、綻びは少ねぇほうがいい」

「ふーん。ありがとね」

「おう。…………ッ!?……!?!?」


 アステルの口から飛び出してきた感謝の言葉に、ロアは当然のように返事をして、そしてひどく狼狽した。

 まさかそんな言葉がアステルから出てくるとは思わなかったのだ。


 無言でアステルの額に手を伸ばしたロアは、アステルに熱がないかどうかを慌てて確認しなくてはならなかった。


 短時間とはいえ、昨日濡れたまま風呂場で寝たせいで風邪をひいたのかもしれない。


「なに?」

「……平熱だな」

「そうだけど……?」


 やや体温の低いアステルの温度はいつも通りだ。顔も赤くないし、脈も正常。

 アステルの額や首筋に当てていた手を戻した彼はまじまじとその顔を見た。


 彼の奇妙な行動に首を傾げつつ、食事を終えたアステルは伸びをして立ち上がった。

 アステルにしては珍しく、皿のすべてが空になっていた。



「昨日の記録をまとめなくちゃね。今日は楽しくなるぞぅ!!」


 跳ねるような足取りでダイニングを後にしたアステルの姿は至っていつも通りで、ロアはしばし呆然としていた。


 食卓に残されている空の皿を二度見したロアは、キッチンパラソルに手を伸ばすと、厚めにパンを一枚切り取った。


 アステルが残す前提の食事は、いつも少し少ない。


 空になった食器を洗い場に戻すついでに、スープのお代わりを盛りつけた。


 ロアは淡々と食事の続きをしていたが、その口には彼も自覚していないほどの小さなほほえみがあった。


某ソシャゲの終章読み終わって放心してました。

仲間はいますか?

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