01:錬金術師と傭兵の日常
ドガン!!と上階で派手な爆発音が響く。
キッチンでふつふつと煮える野菜のスープを眺めていた男――ロアはため息を吐いた。
またこの塔の主がやらかした。
塔の主の名はアステル。天才、鬼才、悪魔、外道、社会不適合者、爆発フリーク、そんな称号をほしいままにする錬金術師。
「またかよ!!」
声を荒げながらも、ロアは落ち着いた様子でキッチンにある大きな金属製の戸棚を開いた。
その戸棚はアステルの「研究成果」の一つで、内部がいつでも冬のような冷気を留めている。
食品や生物を長く保存出来る優れもの。
要するに、氷の要らない氷室だ。
氷室の中には大量の小瓶が詰まっている。
一番手前、緑色の液体が入った瓶を二本手に取ったロアは、上階の研究室へと大急ぎで向かった。
研究室の扉は吹き飛んでおり、慌ててのぞき込んだ室内には片腕を吹っ飛ばしてぐったりと倒れている人物――アステルがいる。
床に散らばった紺青の長髪、日の光を浴びたことが無いような真っ白な肌は文字通り血の気を失って青ざめている。
だが、意識は辛うじて残っているようで、薄らと開いた瞳がロアを見上げていた。
右腕は肘から先がなく、壁に飛び散った血痕と肉片がそれだろう、と考えながら彼は今にも意識を飛ばしそうなアステルの頬を軽くたたく。
「おい、寝るな」
そして持ってきた小瓶の中身をゆっくりとアステルの口に流し込んだ。
小瓶の中身はアステル特性のハイポーションだ。
それは、一般流通しているものよりも遥かに高性能な再生能力や回復力を秘めている。
世間に公開されたならば、ちょっとやそっとでは済まない騒ぎが起きかねない逸品だ。
アステルの喉がかすかに動き、液体をすべて嚥下したことを確認すると、ロアはもう一本のハイポーションを吹き飛ばされた腕の方にも慎重にかけ始めた。
ぐちゅ、みし、ぴき、と不快な音を立てながら骨、神経、筋肉、皮膚、とじわじわと肉体が再生していく。
それを確認した彼は安堵のため息を吐いた。
飲ませたポーションが効いてきたのだろう。落ちかけていたアステルの瞼がゆっくりと持ち上がる。
満月を閉じ込めたような金の瞳が、ロアの緑の瞳にぱち、と写り込んだ。
ごくり、とアステルの喉が動く。
「死ぬかと思った」
開口一番がこれである。
「死にかけてんだよ馬鹿!!」
のんきなコメントに反射的に怒鳴り返したロアは、アステルをギリギリとにらみつけるが本人はどこ吹く風だ。
「何が悪かったのかな…再生速度を上げるために空蜥蜴のしっぽを入れたのがまずかったのか、それとも気温か?手順に間違いはなかったはずだけどなあ……」
アステルはぶつぶつと独り言をつぶやきながら再生した腕を持ち上げたり握ったりして動作を確かめている。
起き上がったアステルが手を二回打ち鳴らすと、部屋の出入り口や部屋の隙間から使い魔がわらわらと出てくる。
人の頭サイズの四角い箱のような胴体に、節足動物を思わせる手足のようなパーツ。
手際よく吹っ飛んだ研究室の片づけや整備を始めた使い魔を横目に、アステルはすでに新品の鍋を取り出していた。
「あ、そうだ。君が僕に使ったポーションのロットは?」
「知るか馬鹿」
「ちゃんと確認してよ。治験の機会は貴重なんだ」
「……お前の尻ぬぐいに振り回されてるこっちの身にもなれや……」
ビキ、と無表情は変わらぬまま、ロアのこめかみに青筋が走る。そ
んなロアには目もくれず、浮足立った様子でアステルは新しい鍋を準備している。
その横では宙に浮いたノートに羽ペンが何かをがりがりと書きつけていた。
大方、先ほどの爆発で吹っ飛んだ実験や自身の飲んだポーションの効果を記録しているのだろう。
「僕は頼んでない。君が勝手にやっているんだろ?」
ロアの方を一瞥もせずに言い放つアステルの言葉に、バギャ、とロアが握りしめていたハイポーションの空瓶が割れた。
「……フーーー」
こいつマジで殴っていいかな、と思った。
殴ったら俺がまた治療するのか……と考えてロアは拳をおろした。
割れた小瓶にはLot 89の文字。
もう一方の小瓶にはLot 110とある。
「……89と110。飲ませたのが89、かけたのは110だ」
「……」
もはや返事すらない。
舌打ちをした彼は荒々しい足取りで研究室を出た。
廊下ではキッチン担当の使い魔が三体ほど右往左往しており、ロアの姿を認識すると猫のように足元によってくる。
先ほどアステルの部屋にいたのは胴体が四角だったが、こっちの胴体は球状で蜘蛛を思わせる見た目をしていた。
それらを蹴とばさぬようにして階段を下りると、階下のキッチンでは煮込んでいた野菜スープが吹きこぼれて大惨事を引き起こしている。
じろ、と使い魔を見下ろすと本当に蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
フーーーーーーと静かに息を吐いたロアはカッと目を見開いた。
「クソったれがーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!」
塔全体に響き渡るような大声に驚いたのか、外の鳥たちがバサバサと一斉に飛び立ち、ぎゃあぎゃあと喧しい鳴き声も残していった。
多分幾ばくかの糞も。
叫んでひとまずの鬱憤を発散させたロアは、火から鍋をおろすと黙々と掃除を始める。
「………何やってんだろうな、俺は……」
虚ろな目でつぶやくが、応える声は無く、作業の手はよどみない。
恐る恐るといった様子で戻ってきた使い魔たちに逐一指示を飛ばしながらロアはぼんやりと部屋を見回す。
研究室の真下に位置するここは、アステルの発明品に囲まれたキッチン兼リビングスペースだ。
氷室のような便利な道具ならともかく、それ以外の発明品は触ると皮膚が熔けたり食われたりすることも珍しくない。
そのため、ロアが安心して動けるスペースはそれほど広くなかった。
そうこうしているうちに、紫のスライム状の何かが石壁の隙間にうぞうぞともぐりこむのが視界の端に見えた。
あれは何だったか、以前アステルに見せられたろくでもない発明品に似たようなものがあった気がする。
デロデロくんかずるずるくんか、あるいはピカピカくんだったかもしれない。
捕まえるべきだろうな、と思ったが、もうめんどくさいので放置することにした。
もう一度ロアは大きなため息を吐く。
なぜ自分はこんな所に居るのか。
なぜこんな家政婦の真似をしているのか。
理由を考えようとして―――、結局考えるのを止めた。
明確な理由を自覚した瞬間、心が折れそうだと思ったからだ。
ロアのため息に答えてくれる者は誰もいない。
疲労感の籠ったため息は、スープの湯気に紛れて霧散していった。
これは、そんな二人のちぐはぐでぐちゃぐちゃの、どうしようもない日常の物語だ。




