私たちは婚約者候補ではありません
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「ダリア・チューン!貴様を婚約者候補から外し、同じ婚約者候補であるカレン・リリック公爵令嬢との婚約をここで宣言する!」
王立学院の卒業パーティ。絢爛な会場の中、友人たちと何気なく言葉を交わしていた時のことである。
「……あの、」
「同じ婚約者候補であるカレンに嫉妬し苛めるその姿勢……いくら王妃候補の教育でカレンに劣り、家柄でも下とはいえ、それを妬むなど言語道断!この清廉なるカレンを少しでも見習えればよかったのにな!」
突き付けられた婚約破棄は予想通りだった。それでも、避けられなかったか、と私は小さく息をついた。ヘンドリック殿下の傍らには、公爵令嬢であるカレン様がいらっしゃる。金髪碧眼という王家の伝統の色を持った殿下と、シルバーブロンドに紫の瞳のカレン様はとても『お似合い』だった。暗い茶色の髪と瞳というこの国にありふれた私よりも、よっぽど。しかしそんなことを考えている暇はない。ひっそりと拳を握った私は、殿下に向き直る。
「お言葉ですが、殿下」
「なんだ、ダリア・チューン。言い訳があるなら聞くぞ。しかし貴様のような野蛮との婚約はありえな……」
「私とカレン様は婚約者候補ではありません」
「……は?」
「れっきとした、婚約者です」
いつの間にか、パーティの喧騒は止んでいた。王子様然とした白いスーツを身にまとった殿下。カレン様は赤い薔薇が花開いたような美しいドレスを着ていて、私の青い水流のようなマーメイドドレスとは対照的である。まるで劇の役者だ。
──思えば、私とカレン様はずっと正反対だった。
・
「貴女本当にヘンドリック殿下と結婚したいの?」
「なっ、なんですか急に。紅茶吹きそうなんですけど」
「あらごめんなさい」
私とカレン様は彼女の家の庭園で定期的な茶会をしていた。それは同じ人の婚約者であるという立場ゆえのものだったが、正反対のはずなのに不思議と気が合い、気が付けば親友のような間柄になっていたのだ。
「だって、直近のダンスの練習の時は機械みたいな動きをしていたじゃない。貴女の運動神経であんなことになるかしら」
「それは……」
脳裏に思い浮かぶのは、厳しい王妃教育の合間に殿下に吐かれた数々の暴言だ。「貴様のような脳筋女」やら「カレンに比べて劣る」やら。脳筋は間違っていないし、カレン様に比べて令嬢らしくないのも認めるが。
私とカレン様、そしてヘンドリック殿下との婚約は、何もかもが足りない殿下をお支えするために結ばれたものだった。知と社交のカレン・リリック公爵令嬢、そして武と戦略の私、ダリア・チューン辺境伯令嬢。辺境伯家は非常に重要な家柄であるが伝統のある公爵家との関係を考え、カレン様が第一妃、私が第二妃になるというプランだ。
「貴族の結婚に愛は必要ですか?」
「要らないわ」
「そうでしょう、だから別にいいんですよ。しかもカレン様と同じ進路だし」
「あら、嬉しいわ」
そう、私はヘンドリック殿下に愛情というものを一切感じていなかった。ついでに第二妃という立場にも興味はない。正直なところ、実家である辺境伯家で騎士のまねごとをしている時間が一番幸せだった。しかし、それでも。
「政略結婚は必須。それが分かっているからこそ高位貴族というものでしょう」
「それが分かっていない相手との結婚が本当に上手く行くと?」
「……カレン様」
「メイドも護衛もいないわ」
暗にヘンドリック殿下を能無しというその言葉を咎めようとしたが、内心共感してしまう自分がいた。第一妃と第二妃という名義はあるものの露骨にカレン様ばかりを贔屓する殿下は、何を勘違いしたのか最近は自分がどちらかを選ぶ権利があるようにふるまっている節がある。どちらかが王妃になるのではなく、二人が支えるという婚約なのは最初から確定しているのに。
「そういうカレン様は殿下と結婚したいんですか?」
「そうね、したいわ」
「え!?本気ですか!?」
「貴女も大概失礼ね」
勉強もダメ、運動もダメ、性格もダメ、婚約の意義を理解していない。正直王家の一人息子という前提が無ければとうに後継者から外されているだろう。彼の妹にはメルティ・フィルエ王女殿下がいて、殿下より遥かに優秀だ。国王夫妻や今は亡き先王陛下、そして王太后陛下も全員尽く優秀でむしろなぜこの優秀な一族からヘンドリック殿下のような突然変異が生まれたのかという疑問はあるが、それはさておき。女王という前例もなくはないが、極力争いを避けるための長子継承は過去に起こった数多くの争乱から王国法の原則だった。
「いや、だってヘンドリック殿下と結婚したい理由ってあります?」
「顔よ」
「あー、顔……」
そう、すべてにおいて劣る傲慢王子は、一国を傾けるレベルで顔が美しい。元来美しいものと結婚することが多いから高位貴族には美形が多いが、王家の血が混じった者しか持つことのない色彩を持った彼は、ひときわ目立っていた。
「いや、それでも顔って……」
「私ね、美しいものが大好きなの」
庭園に咲いた薔薇をうっとりと見つめるカレン様は、自分自身も非常に美しい。そんな彼女の美しいもの好きは、彼女の部屋の調度品や社交の時の服装からよく伝わった。武を重んじる辺境伯家で育った私とは大違いである。
「だから、殿下との結婚は悪くない──いいえ、むしろ素晴らしいと思っていたのよ。後世にあの遺伝子を残す上で、その相手が美しさを追求している私か、素の美しさが際立っている貴女との二択ならばその子供たちを育てることもまた美しいと」
「え、あ、ありがとうございます……?」
いくら周りに誰もいないとはいえあんまりに明け透けなことを言い始めたカレン様の言葉に、咄嗟に私への誉め言葉への対応しか出来なかった。そう、この方は高位貴族らしい振る舞いを身に付けつつも、誰にでも優しい。美しいものを個人的に愛でているだけで。
「だけど、殿下に信じられない申し出をされて……」
「信じられない申し出?」
「……ダリアを婚約者候補から外してカレンだけを愛すると」
「それは……」
私たちが二人そろっての王太子という立場だ。片方を排せばバランスは一気に悪化するだろう。近頃の勘違いは気になってはいたが、まさかそこまでになっていたとは。
「だからね、それを逆手に取ろうと思って」
「……はい?」
・
「れっきとした、婚約者って……」
唖然とする殿下を目の前にしてもう取り繕えずに嘆息する。王家、公爵家、辺境伯家の全員が把握していることを、この人は何ら理解していないのだ。
「はい。カレン様は第一妃、私は第二妃となり殿下をお支えする予定でした」
「し、しかしメルティは二人の婚約者候補から一人を選んでいた……!」
「それはメルティ様と年の近い二人のご子息のうちどちらかにメルティ様が嫁ぐ。そしてもう片方のかたが大使として隣国に渡り、ゆくゆくは隣国の皇女様とご結婚なさるというご予定でした。幼いころから長い時間をかけ三人で切磋琢磨をし、適性を見極め、実際に婚約をしなかったレイリーズ侯爵子息は先日隣国に渡りました」
「……てっきりメルティが選ばずに国外追放したのかと……」
あまりの愚かさに隣にいるカレン様の目が泳いでいる。もう少しだからどうにか頑張って欲しい。そんな私たち以外にも、周囲の貴族子息令嬢たちがざわついていた。確かに頭が悪いとまことしやかに噂されていたが、ここまでなのか、と。王家の恥が広まることを恐れた学院は、特別授業と称してほかの生徒から徹底的に隔離していたのだ。
「……あら」
扉が開く。誰かが操作したわけでもないのに、自然とシャンデリアの光が集まるような女性──王妃殿下、王太后陛下に次いで、この国で三番目に尊い女性が、そこに立っていた。
「私がそんなことをすると思っていたのですか、殿下」
この劇を終着へと導く最後の役者は、メルティ殿下だった。結婚式以外では王族にしか許されない白いドレスを纏って歩く姿は本当にお美しい。
「いや、その……」
「そもそも私だけならまだしも、自分の婚約の意義さえ理解していないなんて」
「それ、は……」
「まあ、それはそうとして。陛下から言伝をお預かりしました」
「こと、づて?」
「ヘンドリック・フィルエとカレン・リリックの正式な婚姻、そしてダリア・チューンとの婚約の破棄を認める。この破棄はヘンドリック・フィルエ有責によるものとし、その行為は王位継承者として不適格」
「なっ……!?」
「よって、ヘンドリック・フィルエから王位継承権を剥奪、リリック公爵家に婿入りするものとする」
ヘンドリック殿下──いえ、ヘンドリック様はその場に崩れ落ちた。正直嫌いな人だったが、人の将来が壊れる瞬間というのは見ていて気持ちのいいものではない。私はそっと目を逸らす。しかし、カレン様は違った。うっとりと頬を赤く染め、ああ、お美しい、と呟く。綺麗に整えられた金髪が乱れ、額に汗が滲むその姿を、照明は照らしていた。こんな状況でも様になるのだから、つくづく顔だけは完璧だ。
「……そん、な」
「ヘンドリックさま」
カレン様はにっこりと笑った。
「わたくしが、ずっとお支えいたしますわ」
「カ、レン、」
絶望に染まっていたヘンドリック様の顔がほんの僅かに明るくなった。カレン様は言葉を続ける。
「だって私、ヘンドリック様の美しいお顔が大好きなんですもの」
「か、お……?」
下手したら陛下からの言伝を聞いた時よりも酷く絶望した顔をした後、ヘンドリック様は頭を抱えた。啜り泣く声が響き渡る。その背中を、カレン様はそっと撫でた。彼女の表情は慈愛に満ちていて、かつ深い慕情が見てとれる。まるで一対の神のように美しい二人の寄り添う姿は、卒業パーティで行われた『劇場』のフィナーレとなったのだ。
・
「顔が好き、って」
「はい?」
「そんなに素晴らしいことなのでしょうか」
「あら、今更」
「だって」
あの卒業パーティから一ヶ月後。いつもの公爵邸の庭園で、私はカレン様、そして今回はメルティ王太女殿下とお話をしていた。
「ええ、本当に素晴らしいわ。私、あの方といると天にも昇る心地ですの」
「……あの、私の兄の話ですけど、性格は」
「性格?瑣末なことね」
「ええ……」
メルティ殿下も少し引いているようだった。私は茶菓子を食べ進める。カレン様の美しいもの好きは、正直価値観の問題で理解することは難しいのだ。
「でも、助かりました。兄は王に向いてないですから、正直」
「ええ、パーティから数日はずっと絶望したような顔をしていましたが、『もう勉強しなくていいのか』なんてこの前は言っていましたわ」
卒業パーティの『演劇』は、ほぼカレン様主導によるものだ。私がカレン様に嫉妬しているかもしれない、というようなことを匂わせて直情型のヘンドリック様を焚き付ける。メルティ殿下含む王家の方も全面協力だった。ヘンドリック様の不出来を卒業パーティという場で知らしめることで、長子継承という原則を破るに値する出来事が起きていることを示す。そして、同時にヘンドリック様の反省を促す、と。
卒業パーティ後、メルティ殿下に王位継承権が移ることが発表された。ヘンドリック様とカレン様はすぐに籍を入れ、リリック公爵家の持ち物である別邸で夫婦としての生活を始めたらしい。そして、私はといえば、領地に帰ってもっぱら鍛錬である。もう結婚は諦めて女騎士として領地に寄与しようか、なんて考え始めた。元々兄が継ぐ予定の領地だ。婚約破棄のひと騒動もあり、もう何をしてもいいと半分諦められている節がある。
「……別に、ヘンドリック様のことが嫌いだったわけじゃないんですよ」
なんとなくバツが悪くて口を開く。色々と足りない方ではあったが、優秀な妹がいる中で王を継がなければいけないという状況は同情すべきものだろう。とはいえ私に対する扱いはまあ、あまり思い出したくはない。
「……みんな、幸せになれればいいなとは思ってます」
大好きな顔と結婚するカレン様も、王という重圧から解放されたヘンドリック様も、新たにそれを背負うことになったメルティ殿下も。願わくば、私も。
「そうね」
「ここだけの話、ダリア様もカレン様も私たち後輩の中では大人気でしたのよ。ダリア様にもきっと素敵な未来が待っていますわ」
「あら、そうなの?嬉しいわ」
穏やかな茶会の時間は過ぎていく。あるべきところに収まった私たちの未来がより良いものになることを願うばかりだった。
──数年後、私が最高の伴侶と出会い挙げた結婚式に二人が出席したのは、もはや言うまでもないだろう。
日間短編ランクインありがとうございます!!!!!