本人が望めば
※グロテスクな表現があります。全体的に暗い展開になります。苦手な方はご注意ください。
暗い展開はいったんこの話で終わりになります。
傷だらけのアイビスを前に、必死に頭の中を整理する。
アイビスは、昨日部屋にいたはずだ。
僕は途中で気を失ってしまったが…あとは寝るだけの状態だったはず。なのに何故、アイビスが傷だらけなんだ。それにヨーカは?どこに行った?
「ッ…ヨ、ヨーカ、は?どこ??」
どうやら僕は相当動揺しているらしい。声を出そうとするまで喉がカラカラで声が出ない状態だったことにも気が付かなかった。何とか喉を引き絞り、ヨーカはどこか問いかける声を上げるも、誰も答えてはくれない。
アイビスと同じ5才のルーンとリリカが震えながら抱き合っているのが見える。
僕にも両側から挟み込むように、クルカラとオープルが震えながら抱きついてきている。
「綺麗にして…あげましょう…」
シアノが上の年齢の子たち数人に声をかけてアイビスのワンピースを脱がせると、全身どこもかしこも血が滲んで傷だらけになった身体が露わになった。
それを見て、僕は込み上げるものを抑えることができなかった。
寝起きで胃の中が空っぽだったのでヨダレしか出てこなかったが、嘔吐感と涙が溢れて止まらない。
あまりにも…惨すぎる…なんでこんなこと…一体…誰が…
…わかっている。客だ。こんなことするのは客しかありえない。こんな…まだ5才の少女に…
あまりの気持ち悪さに目眩までしてきて、僕は気を失ってしまった。
………
……
…
やわらかい風が頬を撫でる。
少し湿った草木のいい匂いを感じながら目を覚ます。
まだ頭がぼーっとしている。ここは…??
首だけを動かし周りを見てみると、僕の両側にクルカラとオープルがいる。3人で大きなアッポの木の幹にもたれかかったまま眠っていたようだ。
周りはとても静かで、草木が風に揺れる音だけが聞こえてくる。
2人の体温が暖かいおかげで、まだ少し冷たい風が心地いい。
こんなに天気がいいのに、静かなのは珍しいな。なんだかすごく疲れている気がするし、このままもう一度寝てしまおうか。今日はとてもいいお昼寝日和だ。
目を瞑り、うとうとしながら意識を手放そうとした時、遠くから鳴き声が聞こえてきた。
…誰か泣いてる?誰だろう…なんで泣い…て…
「ッ!!!」
こんな場所でのんきに寝てる場合じゃない!!アイビスが!!それにヨーカも!!小屋に戻らなきゃ!!
急いで飛び起き、小屋の方へ駆け出す。
僕が急に抜けたせいでクルカラとオープルが頭をぶつけてしまったので「ごめん!!」と声をかけ、僕は小屋へ走った。
小屋に入るなり目に入ってきたのはシアノにしがみついて泣きじゃくるアイビスの姿。相変わらずヨーカの姿はない。
僕は小屋を飛び出し、世話人を探して食堂へ。そこにもいなかったので厨房へと駆け込み、そこで食器を片付けている世話人を発見した。
「ッ!! せわびと!!!」
「…セラ、か」
バツが悪そうな表情で振り向いた世話人は、今まで見た事がないほど疲れきった表情をしていた。
その表情を見ただけで、何となくわかってしまった。
みんなが、諦めたような表情をしていた理由が。
シアノが、仕方がないと繰り返していた理由が。
…世話人でもどうすることも出来ないような偉い人が、そうするように言ったんだ。
本当は世話人だってやりたくなかったんだろう。辛かったんだろう。それは世話人の表情を見れば、一目瞭然だった。
…心が痛い。
こんな変な場所で、逆らえば何をされるか分からないような偉い人達に命令されて、やりたくもないことを無理矢理やらされる。
僕達だけじゃない。世話人も同じだったんだ。
僕は怒鳴り込んできた時とは打って変わって、涙声になりながら、それでもこれだけは聞かなくちゃいけないと声を振り絞った。
「…ヨーカは…どこに、いったの?」
「…医者に連れて行った」
「…けが、したの?」
「…そうだ」
「…いつ、かえってくる?」
「…怪我が…」
怪我が。そこまで言って黙ってしまった世話人は少しの時間考えた後、こう続けた。
「怪我が治って、本人が望めば」
と。
………。
…望むわけが無い。
なぜヨーカだけを医者に連れていく。なぜ怪我だらけのアイビスは医者に連れていかない。
そんなの…アイビスと比べようもない程に…ヨーカが酷い状態だったからだろう。
連日、泣き叫んで嫌がる様な勉強の日々。
客の相手をして大怪我をして医者の元に。
こんな場所に戻りたいと思う人が何処にいるというんだ。
「…せわびとも…ほんとは、やりたくなかったの?」
世話人は、その問いには答えてくれなかった。
ただ握りこんで震える手だけが答えてくれていた。
1人とぼとぼと小屋へ戻る。
どうすればよかったんだろう。僕には何ができたんだろう。
小屋の前にはクルカラとオープルが並んで僕の帰りを待っていてくれた。
2人とも目いっぱいに涙をためて、僕を優しく抱きしめてくれる。
何も、できることなんて無かったんじゃないか。大人の世話人ですら従うしかないのに、6才の身体の僕に、何ができたっていうんだ。
すすり泣く2人を抱きしめ返しながら、僕はこれからどうしたらいいのかと途方に暮れた。
こんな事がこれからも続くんだろうか。
そもそも僕は今回の事を何も知らない。ヨーカに近付かないようにされ、知らなくていいと何も教えて貰えなかった。
情報が欲しい。じゃないと何もできない。そのためには…
未だすすり泣いている2人には申し訳ないが、僕よりは事情を知っているこの2人にまずは話を聞く必要があるだろう。
憂鬱な気持ちを押しのけ、できるだけ優しい声で2人に問いかける。
「クルカラ、オープル。なにがあったか、しってる?」
2人は顔を上げると、お互いに顔を合わせ困った顔をしてしまう。2人とも何か知っているようだが、言っていいものか悩んでいるみたいだ。
ここは僕が今知っていることも話した方がいいかもしれない。
「ヨーカ、いしゃにつれてったって、せわびといってた」
「…いしゃ?」
「おいしゃさま?」
どうやら2人はヨーカがどこに行ったのか知らなかったらしい。
「うん。けが、いっぱいしちゃったから。けがなおって、ヨーカがかえってきたい、っていったら、もどってくるっていってた」
「そうなんだ…」
「…もどってくるのかな…」
クルカラは単純に驚いているだけだが、オープルはとても不安そうだ。
でも、僕もオープルとは同意見だ。酷い目にあった場所に戻ってきたいなんて思うはずがない。
「ふたりは、なにかしってる?」
改めて聞いてみる。怪我が治ったら戻ってくるかもと聞いて2人の顔色も少し良くなったし、今なら何か話してくれるかもしれない。
「…セラはもう、だいじょうぶだから…」
そう言ってクルカラは再び抱きついてくるが、なんで大丈夫だと言えるのだろう。
「なんで、だいじょぶなの?」
「…こわいおきゃくさま、もう来ないから」
怖いお客様?もう来ない?
「こわいのはおしまい。だからもうだいじょうぶなの」
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ…」
大丈夫と繰り返しながら、再び泣きながら抱きついてきてしまった2人に困惑する。
…でも。2人も相当怖かっただろうし、今までずっと不安だったはずだ。
みんなが何故僕にだけ秘密にしていたのかは謎だが、僕が世話人に飛びかかったり暴れたりすると思われた可能性は高い。
…実際昨日は暴れて絞め落とされたし…はぁ。
ともかく原因が分かってよかった。そして、もう怖い客は来ないということも。
今回の事は余程イレギュラーな事態だったのだろう。いつ話があったのかわからないが、事前にみんな知っていたみたいだし、今後似た様な事があるとしても…何ができるかわからないが、どうにかするしかないのだ。
脱出は、まだできる状況じゃない。
根本的に情報が足らないし、今回は新しく5才の子たちが増えてしまった。まずは彼女たちが脱出した時に枷にならないよう、沢山運動させて身体を鍛えなくちゃいけない。
アイビスは活発そうだったからまだ大丈夫かもしれないが、ルーンとリリカは華奢すぎる。あれじゃ満足に走り回ることすらできなさそうだ。
そして同時に、情報も集めなくちゃいけない。
ここにいる少女たちや、今回連れて来られた少女たちもあちこちにある孤児院から連れて来られているらしいが、いくらなんでもこんなに大勢、それも将来絶対に美人になるであろう美少女が孤児院にほいほいいるわけが無い。
今小鹿亭にいる少女たちにはここ1年のうちにみんなどんな孤児院にいたのか聞き取り済みだが、ルーンやリリカ、アイビスにも聞いてみよう。
ここで目覚めてから最初の頃は言葉もわからず会話もままならなかったが、今なら以前より詳しく、より正確な情報を得られるに違いない。
ひとまずこれからやるべき事は決まったものの、僕に抱きついて泣いているこの2人のことや、扉の先から僅かに聞こえてくるすすり泣く声を前に、まずはみんなの気持ちが落ち着くまでしばらく行動しない方がいいだろうなというのも分かる。
できればみんなを早く助けたいものの、行き当たりばったりで脱出しようとして失敗…なんて事になったら目も当てられない。警戒されて逃亡の難易度が上がってしまったら困るのだ。
情報が欲しい。その上で考える時間も必要だ。だからこそ早く色々聞きに行きたいが、みんなが落ち着くのを待つのが先…
落ち着かない心を少しでも誤魔化そうと空を見上げる。
…そういえばお腹減ったな…気を失ったせいで朝ごはんを食べ損ねてしまった。
やりたい事、やらなきゃいけない事は沢山ある。
だけどすぐには何も出来なくて。
逸る気持ちを前にヤキモキとしてしまうのだった。
クルカラとオープルは『医者に連れていかれる』というセリフが怖いものだと認識していません。それはセラがモーラス様の被害にあった後に医者に連れて行かれず、ジュリ達みんなが必死に看病して、元気になったセラと過ごせているから。
他の子達はみんな5才の頃に一緒に来た内の1人が『医者に連れていかれ』帰って来ない経験をしているので、『医者に連れていかれる』という事に恐怖を感じています。




