おヘソのあたりまで
「今からセラの髪を洗うから、クルカラとオープルは見ていてね。次にセラに私の髪を洗ってもらって、その次は2人で洗いあいっこしてもらうわ」
なるほど、この機会に2人にも髪の洗い方を覚えてもらおうということらしい。泥を揉みこんで撫でるだけだし、2回も見ればある程度できるもんね。
僕はいつもの様に泥の入った桶に頭を突っ込み、泥を頭に揉みこんでもらう。
…ああぁあぁぁぁ…
「…きもちぃぃ…」
僕の頭上で説明やらクスクス笑い声やらが聞こえてくるが、そんな事いっさい気にならないほどに気持ちいい。
あたたかい泥が頭にまとわりついてきて、まるで頭だけサウナに入ったかのようにぽっかぽかだ。
「はい、じゃあ身体を起こしてー…セラ?聞いてる?…起こすわよー??」
まったり蕩けきっていると、ふいにゆっくりと身体を起こされる。
「…ふぇ…??」
「ふふふっ…かわいい…セラ、ふぇじゃないわよ?はい、ぽんぽんぽん…うん、とっても綺麗になったわ。次は私の番ね…セラ?聞いてる?」
うー…夢見心地でとってもいい気分だったのに…
しかし洗ってもらったのだから、洗い返してあげなければ。僕は軽く目をこすって目を覚ますと、ジュリと場所を交代して髪を洗っていく。
泥を混ぜ混ぜ…頭にペタペタ…もーみもみ…
「…あぁ…とっても上手…ふぅ…やっぱりセラがやってくれるのが1番気持ちいいわ…」
随分と嬉しいことを言ってくれる。まぁ、年季がね。違うからね。ふふん。
さらさら〜と髪と地肌に残らないように丁寧に手ぐしで梳いて、ぽふぽふぽふ…
「はい、おしまいー」
「ん…もう終わっちゃったぁ…ざんねん…」
気持ちはわかるよ…気持ちいいもんね…
「セラも…ざんねん…」
「…せらぁ」
「…じゅりぃ」
僕達はひしと抱きしめ合い、終わってしまった寂しさを共有しあう。
この世の極楽が確かにここにあったのだ。
例えひと時のまやかしだったとしても、心を癒し、身体の芯まで暖めてくれる極楽が…
「つぎ、クルカラのばん!!」
「え、ずるい!わたしもやってほしい…」
感傷にひたっている僕達の仲を無粋な大声が引き裂く。
…君たちは本当に空気を読まないね…お兄ちゃんため息がでちゃうよ。
…39歳はお兄ちゃんじゃない?…身体は小さいんだから気にしない気にしない…
「ふふっ。2人とも、やり方はちゃんと見てたかしら。そろそろクルカラの身体も冷えてしまうし、先にオープルがクルカラの髪を洗ってあげて?」
「やったぁ!!」
「うー…はーい…」
「じゃあオープルは泥を混ぜてね。いーい?桶の周りに泥を落とさないように、丁寧にね。底の方から掬って…」
「うん…?…ッ!?…??…???」
オープルがお湯に手を出し入れして頭を捻っている。掌を不思議そうに見てるけど…
「オープル、どうしたの?」
「えっと…泥…あるのに…なくなっちゃう??」
桶を優しくかき混ぜる所までは順調だったが、泥を掬い取ろうとしてお湯から手を引き上げると手に何も残っていないので少し混乱しているようだ。この泥は水溶き片栗粉みたいにおかしな手触りだから、慣れないうちは不思議でいっぱいになるだろうな。
コツはお湯の中で少し握り固めてから持ち上げることなんだけど…おっ、上手に泥を取れたみたいだ。
「きゃー!!べたべたー!!あったかくって変なかんじするー!!」
「あっ、クルカラ暴れちゃダメよ!?泥を零したら世話人にとっても怒られるんだから!!」
「えっ!?…あ、あばれないようにする…」
「べたべた…なのに、さらさら…おもしろい…」
改めてジュリに説明されながら、丁寧に楽しそうにクルカラの髪を洗っていくオープル。暴れないようにしながらも楽しそうな嬌声をあげるクルカラ。
2人とも賑やかで大変結構である。
そんな光景を尻目に、僕は改めて大きな桶にまだそれなりに残っているお湯を眺めていた。
光を反射する水面。ゆらゆらと揺らめく白い湯気。
「…おゆ、はいりたい」
ふと無意識に口からポツリと言葉が漏れ出る。
さっきまでは久しぶりにお湯で全身を洗ってもらって心底満足していたはずなのに。
寝転がればどうにか浸かれそうなくらいには水かさのあるお湯を目の前にして、先程まで感じていた満足感はどこかへと消え去り、お湯に浸かりたいという願望がふつふつと湧き上がってくる。
ここにはお湯に浸かるという文化はないのかもしれない。
そんな場所で突然お湯に浸かりだしたら、おかしな奴だと思われてしまうだろうか。まぁおかしな奴だと思われるくらいならまだいい。だけど…記憶喪失になっていなかったとバレる可能性もある。
ましてや日本人は無類の風呂好きだ。
海外ではそもそもお湯に浸かるという文化が無いところが多い。そんな中で日本に観光に来た外国人が訪れる場所といえば、間違いなく銭湯、もしくは温泉だろう。フーロ!オーンセーン!!なんて答えている外国人のインタビュー映像は何度も見た記憶がある。
うーん…確実にバレる気がする…でも…お湯に浸かりたい…お風呂に入りたい…せっかく身体も綺麗に洗った後なんだ。目の前にお湯があるのに入らないという選択肢は無いはずだ。でもでも、これは僕が記憶を失っていないかどうか炙り出すための罠かもしれなくて…それは考えすぎか?でもでも可能性はあるわけで…お湯…お風呂…ううぅ…
頭が沸騰するかと思うほど悩みに悩んで、僕は自分の心に従うことにした。
記憶があるのがバレる??
知るか!!
僕はお湯に浸かりたいんだ!!!
寒い冬の日には風呂に入る!!猿でもやってる事だ!!何も問題は無い!!僕はお湯に浸かるぞ!!
…猿は温泉に浸かっているのか?…くそっ…許すまじ…いや、今はもう考えるのはやめだ!オーユ!!オフーロ!!!
僕はムクっと立ち上がり、足元に転がっていた手桶をサッと拾い上げて大きな桶から少しお湯を掬って肩からかける。
熱い!とまではいかないが、まだまだ充分温かいお湯だ。むしろ久しぶりのお風呂なので、のぼせないくらいの丁度いい温度とも言える。
僕は脇目も振らずスっと大きな桶の中に侵入し、音も立てずに座り込んだ。
お湯のカサは僕のおヘソのあたりまでしかない。
それでも下腹部と足全体を包み込むお湯の温かさに一瞬で蕩かされてしまった僕は、身体をへなへなと脱力させながら仰向けになるようにお尻を滑らせて寝転ぶような体勢で首から下をお湯の中に沈めた。
…あああああぁぁぁ…最高だぁ…
視界には青い空と白い雲。もくもくと上がる白い湯気が風に踊り、僕の心と身体は温かいお湯の中にとろけていく。
ここに来てから、これほどまでに身体が小さくてよかったと思ったことは無い。もしこれが大人の身体だったなら、膝を曲げて身体も丸めて窮屈な思いをしながらも、それでも身体のあっちこっちがお湯の外にはみ出てしまっていたことだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、全身が浸かれるお風呂は最高だということだ。
…これはやばい…気持ちよすぎて寝てしまいそうだ…




