夜会
夜会への招待状。
ここ一年は足しげく夜会に通っていたわたしだが、この招待状は特別だ。
国中の大貴族が集う夜会で、主に伯爵位以上の貴族が招かれる。
わたしも参加しないわけにはいかない。
婚約者がいないからエスコートしてくれる相手もいないけれど、父が不参加を許すわけもない。
もしかしたらリディオがエスコートしてくれるかも……?
彼にも婚約者はいるが、あまり親密ではないようだし。
「ねえ、ロゼーヌ。今度の夜会だけどドレスは新しく用意できるかしら」
「そうですね……年に一度の大規模な夜会ですし、ご主人様も用意してくださるでしょう」
「そうね。お父様に相談してみるわ」
あまり経済的な余裕はないけれど、夜会に合わせてドレスを買うくらいなら。
わたしは赤いドレスを用意してもらおうと思っていた。
これまで着ていたドレスは金と青を基調としたもので、トリスタンを想起させるカラーだった。
でも、今は……リディオを想起させるような赤色がいい。
少なくとも次の夜会にはそのドレスで参加する。
***
普段はドレスを買い与えるのを渋るお父様だが、さすがに今回の夜会に向けてドレスは買ってくれた。
赤い色は派手であまり好みではないけれど。
少なくともトリスタンを思い出すような色よりは良い。
会場は国の中心に位置する王城。
この地は王国ではなく公国なので、王城ではなく大公城……と言った方が適切だろうか。
夜会の会場に入る。
位の低い者から入るため、わたしはかなり早い段階での入場となった。
誰にもエスコートされずに入場するのを多くの人に見られず、少しだけ安堵する。
それでも先客の貴族たちには変な目で見られたけれど。
「あら……あのご令嬢って」
「アイニコルグ辺境伯令息に婚約破棄された……」
「おひとりで恥ずかしくないのかしら?」
心中でため息をつく。
一年以上も前の話なのに、わたしを見てヒソヒソと会話する令嬢たち。
それほどまでに今のわたしは恥ずかしい立場だということだ。
早く婚約者を見つけないと……。
「あら、あのご令嬢もおひとりさま?」
「あぁ……あの方はずっとおひとりですよ。昔からね」
「何のために夜会に来ているのか……少し気味が悪いですわね」
その令嬢たちの会話に耳を傾けていると、注目の的がわたしから別人に移ったようだ。
わたしに続いて入ってきた令嬢……たしか同じ伯爵令嬢だったはず。
彼女も婚約者がいないのか……話しかけてみようかな?
「あ、あの……」
わたしの声が聞こえなかったのだろうか。
彼女は無言で歩き続け、壁のそばではなく柱の陰に立った。
もう一度大きめの声で呼んでみる。
「あの!」
「……なんですか? マリーズ嬢、わたしに話しかけてもいいことはありませんよ」
「すみません、イシリア嬢。少しお話ししたいと思って……あはは……」
セフィマ伯爵令嬢イシリア様。
昔から顔を合わせてはいるものの、会話をしたことはほとんどない。
彼女も婚約者がおらず、夜会には露骨な義務感を出して出席している。
夜会が始まってから挨拶だけして、いつの間にか消えているのがイシリア嬢だ。
「イシリア嬢はいつも早々にお帰りになっていますわよね? 婚約者などを探すおつもりはないのですか?」
「恋愛にあまり興味はないので。貴族との恋愛はしないつもりです」
か、変わった人だなぁ……と思う。
でも、そういう自由な生き方は羨ましい。
地位に縛られてばかりのわたしとは違う。
イシリア嬢はわたしに視線を向けて、頭からつま先までじっと見た。
「ドレス……いつもの色ではありませんね」
「え? 年に一回くらいしか会っていないのに……わかるのですか? 前までの色はトリスタンを想起させるような、青と金の色でした。……でも今は婚約破棄されたので」
「あぁ……なるほど。あの男も本当に馬鹿ですよね。『マリーズは私を愛していないから婚約破棄した』なんて語っていましたが、傍目に見てもあなたがトリスタンを愛していることは明白でした。彼の言葉に悪意はないのでしょうが、鈍感で馬鹿すぎて目を覆いたくなります」
ずいぶんな言い様だ。
でも……彼女の意見には同意したい。
トリスタンは昔からそうだった。
「そうですよ。あの人、昔からずっと鈍感で……頭に鳥が乗っていても気づかなかったり。普段は冷静で落ち着いているトリスタンですけど、彼が気づいていないところを指摘すると慌てて顔を赤らめたり……そういう人なんですよ、彼は。それから不器用な言葉でお礼を言ってくれたり……」
「…………」
ああ、なんで思い出しているんだろう。
もう彼との思い出なんて思い出したくないのに。
「あら、すみません。こんな話をしても仕方ないですよね。もう婚約者ではない殿方の話をしても不躾なだけですわ」
「マリーズ嬢……わたしはトリスタンと同じ学校に通っているのですが、彼の婚約者になった平民は……」
イシリア嬢が何かを言いかけたときだった。
次々と入場してくる貴族たちの中に、待ち侘びた彼の姿が見えた。
リディオだ……!
「イシリア嬢、お邪魔をして申し訳ありません。知人が来たので、そろそろ失礼いたしますわ」
「あ、ちょっと……」
ドレスの裾を持って早足に。
今すぐにリディオと言葉を交わしたかった。
この広大な会場の中、手を差し伸べてくれるのは彼だけな気がして。
人ごみをかき分け、わたしはリディオに語りかけた。
「リディオ様!」
「……あ、あぁ……マリーズ嬢か。どうも……」
「え……」
軽く会釈して、リディオはわたしに背を向けて歩いていく。
彼に腕を組んでいるのは……婚約者のアレッシア嬢だ。
何かを話しながら、リディオとアレッシア嬢はどんどん離れていく。
なんだか……そっけない。
いつもの彼ならもっと積極的に接してくれるのに。
それに婚約者とも仲が悪そうに見えない。
夜会だから仲睦まじそうな様子を演じているのだろうか?
あの調子だと、わたしをエスコートしてくれるのは難しいかもしれない。
「どうしよう……」
夜会中ずっと孤独なんて。
今まで参加していた夜会は小規模だったから耐えられたが、今回ばかりは心の負荷が重い。
意外な事態に狼狽えていると……あの人が入ってきた。
わたしの元婚約者、トリスタンが。