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交渉

ネシウス伯爵家へ向かう道中。

私……トリスタン・アイニコルグは馬車に揺られながら手記を読み返していた。

不幸にも命を落として、マリーズに婚約破棄した直後の日へと戻り……悲嘆したものだ。

なぜ婚約破棄の前に戻ってくれなかったのか、と。


過去に戻ってすぐに私は手記を書いた。

今後の未来で起こり得る事象を記録しておくために。

すべて書き記せたわけではないが、記憶を頼りに大まかな流れは残せたはずだ。


ふと向かいの席から声が飛んだ。


「まーたそれを読んでいるのか、トリスタン?」


「あぁ……緊張を紛らわすために、何かしていないと落ち着かなくてな。レオンも緊張しているだろうに、すまないな」


「べつに俺は緊張してないぜ? お前の従者としてべっこり任せとけ!」


「従者か……ああ、そうだな。今はそういうことにしておかねば」


彼は学友のレオン・アルミルブ。

商家の息子で気の知れた仲間だ。

今回は俺の従者という建前で、ネシウス伯爵に面会するにあたって護衛をしてもらっている。

筋肉質で大柄なレオンは、そばにいるだけで安心感がある。

もっとも他人に守ってもらうほど私も弱い人間ではないが。


今回は事前に面会希望の使者を出している。

前回のように門前払いされることはないと信じたい。


「ネシウス伯爵かぁ……これは俺の商会での噂なんだが、あんまり財政が回ってないらしいな。だから裏切ろうとしたんだろうか?」


「そうだな。一年前を皮切りにアイニコルグ家からの出資も止めてしまった。唐突に資金援助を打ち切ったものだから、ネシウス伯爵はさぞお怒りだろう。手土産に高級地酒のひとつでも持ってきたが……これで怒りを鎮めてもらえるだろうか」


「ははっ、そう心配すんなって! 大物らしく、ドカッと構えとけよ」


交渉の場において過度な緊張は禁物。

今回は交渉というよりは、マリーズを我が家で預かる経緯を説明しなければならないのだが。


さて、どう話したものか。


 ***


ネシウス伯爵家に到着。

今回は衛兵のロッコに阻まれることもなく、無事に中に入ることができた。

レオンは従者らしく後ろで腕を組んで立っている。

普段は饒舌なのに、こういう場面になると寡黙なものだ。


「……ようこそおいでくださった、トリスタン卿。お待ちしておりました」


オルバン・ネシウス伯爵は入り口で私を出迎えた。

言葉とは裏腹に、表情には歓待の意が籠っていない。


「お久しぶりです、ネシウス伯爵。事が事だけに顔を合わせづらいなか、面会の場を設けてくださり感謝申し上げます」


「いえ、それぞれの事情があるでしょうからな。ともかく中へどうぞ。ゆっくりと腰を落ち着けて話をしましょう」



応接間に通される。

ソファにはネシウス伯爵夫人も座っていた。

私は挨拶を済ませ、夫妻に向かい合う形で社交辞令から入る。


「一年前のことですね。私がマリーズ嬢に途方もない無礼を働いたのは。あの日は夫妻に相談もせず、私のみの判断で婚約を白紙に戻してしまい申し訳ありませんでした」


「ふむ……たしかに娘も不憫なものですな? せめて事前に話を通していただければよろしかったのですがね」


「猛省しております。私の未熟さゆえの失態です」


己を省み、そして頭を上げない。

こちらが不利な交渉の場では、これを徹底する。


しかし私が償う相手はネシウス伯爵ではなくマリーズだ。

どちらかといえばネシウス伯爵はマリーズを縛る枷。

扱い方には気をつけねばならない。


「さて……そろそろ本題に入りましょうか。トリスタン卿の使者からは『マリーズに関する相談』とのことでしたが……娘が夜会から帰ってきていないのです。何かご存知で?」


「はい。マリーズ嬢は今、アイニコルグ伯家に滞在しております。これには根が深い話がありまして、決して誘拐などではありませんのでご安心を」


「根が深い話、ですか。いったいどういうことですかな?」


ここからは慎重に論を展開しなくては。

最大限に考慮するべきはネシウス伯爵の利。

彼は利を損ねられることに憤る。

そう、娘よりも利益を取る御仁なのだから。


「マリーズ嬢はローティス伯爵令息に騙されていたようなのです。ローティス伯爵令息はマリーズ嬢から金銭を騙し取るためだけに、彼女に接近したようで。真実を知ったマリーズ嬢は傷心し、このままでは父に怒られると塞ぎ込んでしまいました。あのままでは精神状態が危ないと判断し、我が家にて預かる判断をした次第です」


私の言葉を受けてネシウス伯爵は首をひねった。


「ローティス伯爵令息が利益を目当てにマリーズに近づいたと。……それの何が問題なのですかな?」


「……何が問題か、と。どういう意味でしょうか?」


これはまた想定外の返答だ。

私は心中で頭を抱えた。


「貴族間の愛は誠実なものであろうが、打算的なものであろうが構いませんぞ。とかく娘とローティス伯爵令息が結ばれ、新たに婚約を結んでくれればよいのです」


「ローティス伯爵令息には婚約者がいることをご存知で?」


「ええ、アレッシア嬢ですな? 別にマリーズが側室でも構わんのです。傷物となったアレは、もはや正式な婚約など望めないでしょう。側室にでもなって子を成してくれれば、娘の役目はそれで終わりですからな」


「…………」


さすがに言葉を失った。

この御仁は……マリーズを何だと思っている?

打算的な人間だとは知っていたが、これではまるで……


「まるで道具ではないですか……マリーズの気持ちは考えないのですか」


そのとき、これまで静観していた伯爵夫人が口を開いた。


「マリーズの気持ちを考えていないのは、トリスタン卿ではなくて? もしも娘の気持ちを考えていたのなら、勝手に婚約破棄などしないでしょう」


「妻の言うとおりだ。卿にとやかく言われる筋合いはありませんな。もはやマリーズとの婚約者でもなく、何の関係もない者には。ともかく無闇な口出しや干渉はせず、娘を返していただきたい。これ以上娘を拘束するおつもりならば……大公閣下に訴えさせていただきますぞ」


旗色が悪いな。

相手の価値観を読み違えていたか。

これは私の負け、だな。


しかし諦めはしない。

マリーズを守ることが最優先だ。

すぐに次の一手を打つ。


「……承知しました。マリーズ嬢と話をし、帰宅の是非を問います」


「話は終わりですかな。それではお見送りしましょう」


「ありがとうございます……あぁ、それと。つまらないものですが、こちらの地酒を」


「ほう、これは帝国の銘酒ですな……! ありがたく受け取っておきましょう」


私と同じく酒好きのネシウス伯爵に地酒を手渡し、去り際に機嫌を取っておく。

そういうことなら……私にも考えがある。

どちらにせよ、ネシウス伯爵家の企みには気づいているのだから。


私はネシウス伯爵に見送られ、煩悶とした気持ちで屋敷を去った。

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