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トリスタンの心

帰りの馬車……と言っていいのだろうか。

夜会からの帰路。

わたしは実家のネシウス伯爵家ではなく、トリスタンの実家であるアイニコルグ辺境伯の屋敷に向かっていた。


向かいの席にはトリスタン、隣にはロゼーヌが座っている。


「お嬢様……私は反対ですよ。今からでもネシウス伯爵家に帰るべきです」


「ロゼーヌの憂慮はもっともだと思うわ。けれど、今のわたしにとっては実家に帰ることの方が怖いの」


「お嬢様がそう仰せならば……」


ロゼーヌは渋々といった様子で従ってくれた。

トリスタンとまともに会話をしていない彼女にとって、彼がどう変わったのかは未知数だ。

だからロゼーヌの中では、トリスタンは『自分の主人を婚約破棄し、浮気して逃げた男』という解釈で止まっている。


「安心してくれ、ロゼーヌ。ネシウス伯爵には私から話を通す。もちろん君が従者としての活動場所をアイニコルグ伯家に移せるよう、取り計らうつもりだ」


「……ありがとうございます」


ロゼーヌとしては感謝するべきか迷っているのだろう。

わたしとトリスタンが婚約者だったころは、従者とトリスタンの関係性も良好だった。

今後もトリスタンと関係を続けていくかはわからない。

しかし、交流を続けていくのなら従者との関係性を改善させるのもわたしの役目だろう。


「「…………」」


沈黙が続く。

きまずい。


わたしが何とか話さないと……!

でも、わたしだってトリスタンを前にするといまだに緊張するのだ。

何を話せばいいのか。


「ね、ねえ。トリスタンは心を入れ替えたのよね?」


「あ、あぁ……そうだ。もう二度と不貞な真似はしないと誓った」


「何がきっかけで心変わりしたの? やはり平民に利用されたこと?」


名前も覚えていないけれど、トリスタンを篭絡した平民の女性。

彼女は貴族学校への入学費だけを支度してもらい、トリスタンを見捨てて高位貴族に取り入ったという。

辺境伯令息の彼よりも高位となると……侯爵・公爵の令息あたりだろうか。


「利用された……私はそう思っていない。単に私が悪意に気づかず、詐欺に遭ったというだけだ。しかし私は被害者ではなく加害者。君を傷つけてしまった加害者なのだ。もちろん最初のころはニコレットに裏切られ、平民をひどく憎んだよ。しかし彼女は学園の和を乱したことで退学になったし、それが心変わりした要因だとは言いきれない」


「では何が貴方を反省させたの?」


「……言葉で説明するのは難しいな。それに荒唐無稽な話すぎて、説明しても信じてもらえる気がしない」


「わたしは貴方が変わったということを信じなければならない。そのためなら、要因となった荒唐無稽な話も信じなければならないと思うけれど」


「そうか……もっともな言い分だな」


トリスタンはためらいがちに息を吐いた。

彼は懐から一枚の手帳を取り出し、わたしに手渡した。

黒い装丁の手帳で、かなり厚めの物だ。


「いつも肌身離さず持ち歩いている手記だ。よければ読んでみてくれ」


言われるがまま、わたしは手帳の頁をめくった。

最初の頁には……今から一年前の日付が書かれている。

当たり障りのない……普通の、日記?


「そのまま頁をめくってもらえばわかる。具体的には……青い栞が挟まれている頁以降を読んでみてくれ」


「青い栞ね」


最初の頁には赤い栞が挟まっていた。

普通、栞というのは開いた頁を記録するために挟むものだと思うけれど。


青い栞を見つけた。

日付は……うん、来月?

見間違いかと思ったけれど、何度見直しても来月だ。


わたしは困惑しながらも次々と頁を進める。

日付はどんどん未来へ進んでいく。

来年、再来年、さらに翌年……日付はおよそ四年後にまで進んでいた。

付随して起こる出来事も記してある。


「未来のことが書かれてる……」


「マリーズにとっての婚約破棄は一年前のことだろう。だが、私にとっては……五年前の出来事なのだ」


「……?」


意味がわからない。

トリスタンはわたしの目を見つめて、ゆっくりと説明する。


「今から五年後、私はとある出来事で命を落とすことになる。だが奇跡的な出来事が起こり……私は五年前の、婚約破棄をした直後の日に戻ったのだ。一度命を落とし、二度目の生を始めて戻ってきた。前世の記憶を頼りに記したのが、その手記だ」


思わず絶句した。

隣のロゼーヌも言葉を失っている。

わたしたちの反応を見て、トリスタンは苦笑を浮かべる。


「どうだ、信じられないだろう?」


彼は肩をすくめて尋ねた。

たしかにあり得ないような話だ。

でも。


「――いいえ、信じるわ」


わたしの言葉に、トリスタンは目を丸くした。


「だって、未来の出来事がちゃんと記されているもの。来月は……嵐が来るのね? それで、その翌月は西方の民が攻めてくる……」


「まさか信じているのか? 私が適当に書いたかもしれないだろう?」


「信じてほしいと言ったのは貴方じゃない。それに妄想を巡らせて未来の出来事を捏造するほど、貴方が想像力豊かな人間ではないと知っているわ」


「ふっ……はは、そうか! たしかに私は合理主義で、想像の翼を広げられない人間だ。やはりマリーズは私のことをよく知っているのだな」


トリスタンのその性質は決して欠点ではない。

貴族として領地経営に必要な合理性、判断力を兼ね備えている。

だが、そんな彼だからこそ根拠のない嘘偽りを記すことは難しいだろう。


「私はその手記に綴った五年間、大きな喪失と悲嘆に暮れていた。そんな中で私を支えてくれたのが……君、マリーズだ」


「わたしが……?」


「ああ。一度はマリーズを心なく捨てたのに、君は私を助けて寄り添ってくれた。そうして交流を再び重ねるうちに……気づいたんだ。君は心から私を愛してくれていたと」


どうして未来のわたしはトリスタンに寄り添ったのだろう?

本来ならトリスタンが怖くてたまらないはずだし、リディオに利用されていたはずだし……未来の自分のことなんて予想がつかないけれど。


「でも、未来のわたしと今のわたしは違う。わたしはまだ……貴方への愛を取り戻せそうにはないわ」


「わかっている。マリーズに再びの愛を強要するつもりはない。ただ私は……君に報い、君を幸せにしたい。ただそれだけだ」


ここまで真摯な言葉をぶつけられることは新鮮だ。

だけど、あの経験が尾を引いてしまう。

リディオに甘言をそそのかされ、篭絡されかけたことを。


わたしはまだ……震えているのだ。


「マリーズにロゼーヌ。いま私が話したことについては口外しないでもらいたい。三人だけの秘密ということにしておいてくれ」


迷いの中、わたしは静かにうなずいた。

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