7-6『正義と災厄』
出会いはいつだって唐突に。
正義の味方は、巨悪と再会する。
倉敷蛍は、天を仰いだ。
雨森悠人と朝比奈霞の対談から、間もなく。
倉敷は、朝比奈に同行する形でA組の内部事情を探るべく動いていた。
作戦としては簡単なもの。
朝比奈のストーキング能力をフル動員し、古典的な方法で『盗み聞く』という、シンプルにして王道な方法だった。
(正々堂々向かってかねぇあたり、朝比奈もA組の危険性には気ぃついてんだと思うが……なぁ、おい)
作戦自体に、倉敷はなんの文句もなかった。
朝比奈霞のストーキング能力は、あの雨森悠人をして鬱陶しいと感じるほど。それを疑うつもりはなかった。
ただ、なんというべきか。
鬱陶しいというのは、その尾行がバレている時にのみ生じる感情。
いくら能力に秀でていても。
雨森悠人と同格の相手には通じない。
「あら、貴女は……たしか」
A組を探るべく動き出して。
それは、間もなくのこと。
二人の前に、一人の少女が姿を見せた。
それは、アルビノの少女。
雪のように白い髪と肌。
そして鮮血のように赤い瞳。
前に見た時は、熱原永志の暴力に晒され、その体には少なくない傷が残っていた。
だが、それが嘘だと倉敷蛍は聞いていた。
そこに居たのは、以前のような……演技の姿ではない。
正真正銘の怪物。
雨森悠人が唯一危険視する存在。
「……橘月姫」
倉敷が呟いた言葉に。
その少女は、にっこりと笑った。
☆☆☆
「少しお話をしませんか?」
開口一番が、そんな言葉だった。
朝比奈と倉敷はその少女に連れられ、校舎に隣接するビオトープへとやってきていた。
「申し訳ありません。私はあまり陽の光に強くないもので。木々の影から失礼します」
橘月姫は、木の影になる場所で立っていた。
それを前に、朝比奈霞は視線を一度も逸らしはせず、むしろその集中力はますます上がっていくように思えた。
まるで、獲物を前にした肉食獣。
……否、その逆か。
「――貴女ね? A組を裏で支配してるのは」
その言葉に、倉敷は少なからず驚いた。
倉敷も、黒月も、四季でさえ。
橘月姫が黒幕であると、雨森悠人から教わらなければ考えることもしなかった。
それほどまでの擬態。
擬態のプロである倉敷をして、一切の淀みなく違和感もないと断言出来る。
まさに完璧過ぎる、弱者のフリ。
それを、朝比奈霞は見破った。
かつては同じ少女を前に動揺した。
何も出来ずに棄権した。
倒すべき敵ではなく、守るべき弱者だと判断した。
それが今では、なんの躊躇もなく、その少女を『敵』と断じていた。
(……雨森、てめぇが朝比奈を気にかけてる理由、今ハッキリわかったぜ)
それは、成長と呼ぶことすら躊躇われた。
まるで、進化の如き急成長。
……思えばそうだ。
幾度も折れて、その度に立ち上がる。
それはまるで、物語の主人公。
立ち上がる度に心も体も強くなる。
折れても立ち上がり、いずれ立派な大樹となる。
雨森悠人が選んだ、最強の矛。
それを前に、橘の眉が僅かに反応した。
「困りましたね……。いきなりそんなことを言われては」
「困らせるようなことは何も言ってないはずよ。安心なさい、私は既に確信してる」
その目に一切の揺らぎはない。
ただ、絶対的な自信を胸に、正義の体現を張り続けている。
その在り方を、倉敷は頼もしいと思うと同時に……少しだけ、恐ろしいと思った。
「確信。……何故と聞いてもよろしいでしょうか」
「理由なんているかしら。以前は何も思わなかったけれど、今は強烈に怪しいと思ってる。それが全てよ」
「……はぁ。まるで、野生の獣ですね」
橘月姫はため息を漏らす。
されど、その顔に呆れの感情はなく。
ただ、嬉しそうな笑顔が張り付いていた。
「ですが、否定はしませんよ。天才ほどバカに出来ないものはありませんから」
「……なら、先程の質問についても肯定してくれるのかしら?」
朝比奈は問う。
されど橘は直接的に答えることはなく。
ただ、のんびりとビオトープを眺めていた。
「支配……でしたか。そう言い表すには、少々ウチの子達は自由が過ぎる気がしますが」
ソレは、どこまでも穏やかに見えた。
静かな横顔、優しい微笑み。
されど、彼女が二人へと顔を向けた瞬間。
「そうは、思いませんか?」
二人の背筋に、強烈な寒気が走り抜けた。
「「――ッッ!」」
反応は、瞬く間の出来事。
朝比奈は全身へと雷を纏い、倉敷は異能を行使して身体能力を底上げした。
二人の体はその瞬間、考えるよりも先に動いていた。
――にも関わらず。
気がつけば目の前から、少女は姿を消していて。
二人の肩へと、後方から手が回された。
「畏れずとも良いのですよ?」
その言葉に、二人は一切の反応をしなかった。
いいや、出来なかったと言うべきか。
八咫烏と対峙した朝比奈でさえ。
雨森悠人をよく知る倉敷でさえ。
目にも追えなかった。
知覚すら出来なかった。
その事実が雄弁に語っていた。
この少女には、2人がかりでも傷一つ付けられやしない、と。
「私は貴女方を喰おうという訳では無いのです。ただ、少し気になっただけ。私の愛しきお人のお気に入り。愛し人の好みが気になるのは、乙女の嗜みでしょう」
「……あ、あなたは、一体……!」
朝比奈は絞り出すように声を零し。
それを受けて、少女はクスリと微笑んだ。
「朝比奈霞。私はあなたの天性を尊重します。あなたはとても優れている。その強さを私は微笑ましく思います」
「…………」
その手が肩を離れる。
瞬間、二人は弾かれるように距離を取り、それを見た少女は驚いたように目を丸くする。
「おや。元気が良くて何よりですが、警戒なんてしなくても大丈夫ですよ。敵対する意思はありません。少なくとも……今日のところは」
「……今日のところは……ですって」
朝比奈の表情が険しくなる。
その光景を横目に見ながら、倉敷は背筋に伝う膨大な汗に気がついていた。
……その少女の言う通り。
警戒する意味など無いのだろう。
相手がその気になれば、きっと、知覚することも出来ずに殺される。
二人揃って殺される。
次の瞬間には死んでいるかもしれない。
息をしていないかもしれない。
底すら見えない実力差。
それを想像するだけで……強烈な死の予感が全身を飲み込んでゆく。
それはまるで、大蛇に睨まれた蛙のよう。
(あの野郎……ちゃんと伝えとけよクソッタレ! ここまでやべぇとは聞いてねぇ!)
そんな彼女の内心すら見透かすように。
その少女は笑っていた。
とても優しげな笑顔で。
故に、恐ろしくて堪らない貌で。
二人に対して、優しく告げた。
「A組は現在、私の手を離れています」
事実上の、無関係であると。
まるで言い訳をする幼子のような顔で、されど酷く冷静に言い放つ。
「……何を言っているか、分かりかねるわ」
「今ではない。今では無いのです、朝比奈霞。倉敷蛍。今のあなた方の敵は――私を除いたA組全員なのだから」
そして、少女は2人から視線を逸らす。
もう、用は済んだと言わんばかりに。
踵を返し、校舎へと歩き出す。
「理解しろとは言いません。ただ、忠告です。A組は強く、そして狡猾ですよ。むしろ、私が介入しない程……その凶暴性は剥き出しになる」
「――ッ!? ま、まさか!」
嫌な予感が迸る。
朝比奈は大きく目を見開き、そして、橘月姫は微笑み言った。
「そしてあの子たちは、私ほど我慢強くは無いのです」
校舎から、窓ガラスの割れる音がした。
それを聞いた瞬間、二人は弾かれるように走り出していた。
その一歩目に迷いはなく。
それを見て、少女は嬉しそうに笑うのだ。
「もしも無事でしたら、よろしく言っておいてください。橘月姫がよろしく、と」
その言葉を理解できなかった朝比奈と。
理解してしまったが故、言葉を返せなかった倉敷蛍。
信じられない。
ありえない。
だが、この存在を前にすれば。
どんな不可能も可能に見えるから、タチが悪い。
(あ、雨森……てめぇ、まさか!)
雨森悠人が敗北する。
ありえぬ事だと知っていながら。
倉敷蛍の脳裏には、嫌な予感がへばりついていた。




