7-4『流す噂』
いつだって。
勝利の条件は一つだけじゃない。
「あら悠人、大丈夫だったの?」
既にC組の一部と化している四季いろは。
なんでこいつ、いつもC組にいるんだろうか?
気がついたら僕の席に座ってるんだけど、どういうこと?
「あ、雨森くん! 大丈夫だったかしら?」
「あぁ、大丈夫だったよ四季。心配してくれてありがとう」
「……あら? 私は朝比奈よ? 雨森くん」
四季と似たような言葉で出迎えてくれた朝比奈嬢を、スルー。
もはや恒例行事ですね。
僕は四季の座る僕の席まで移動すると、彼女は自然に僕の椅子から退けた。
そして、僕が座ると同時に僕の膝の上へと座った。
そんな様子を見て、頬をひきつらせる朝比奈嬢と、不満そうな星奈さん。後者のみ可愛い。
「おお、雨森! お前……どうだったんだ? なんかされたのか?」
「……あぁ、少し、な」
烏丸の言葉に、僕は深刻そうに頷いた。
クラスには多くの生徒が残っている。
それだけ僕のことを心配してくれていたんだろうか? だとしたら嬉しい……だなんて思いませんとも。大方、なんか帰れる雰囲気じゃなかったから仕方なく残ってるだけだよね。現実は残酷だ。
というわけで、残ってくれた申し訳なさからも、ちょっと面白い話をしよう。
「実は……紅に、告白されたんだ」
「「「ファッ!?」」」
朝比奈嬢、星奈さん、四季が吹き出した。
あ、それだけじゃないな。真備も吹き出してる。
「ど、どどどど、どういう――」
「あ、アンタ! へ、返事は!? 当然断ったんでしょうね!?」
壊れたラジオみたいになった朝比奈嬢と、詰め寄ってくる真備。
そんな二人を一瞥し、僕は語り始める。
「……実はな、紅は、A組で逆ハーレム、ってやつを構成してるらしいんだ」
「逆ハーレム? とっても怖気のする言葉ね。悠人だけいればいいじゃない」
「お前はちょっと黙ってろ」
「あら、悠人がそう言うのなら黙るわね」
そんな言葉とともに黙った四季を他所に、僕は虚偽100%で言葉を重ねる。
「……僕のついて行った先で目撃したのは、紅の椅子に成り果てたロバートと、紅に鞭を打たれて恍惚な表情をうかべる米田。あと、そんな光景を見て興奮している邁進だった。……思い出しただけで寒気がする」
「うわぁ…………」
倉敷が思わずと言ったふうに声を上げた。
ドン引き。
その感情が伝播してゆく。
既に、クラスは『A組やべぇ』1色。
よかったー、今まで公に嘘つかなくて。
こういうデタラメな話は、今までの積み重ねが直接信用に繋がるからな。
雨森悠人は真面目な人間である、と。
この半年近くを通してクラスへと馴染ませてきたからこそ、通用するほら話。
そんな中で、僕は更なる悪意を拡散する。
「紅は告白の後、短く『混ざってよ』と言った。……少なくとも、僕にはあの中に混ざることはできない。生理的に、受け付けなかったんだ」
「ちょ――!? 逆ハーレムっていうか、それって……ッ! と、とんでもねぇな!」
「あぁ、そうなんだよ烏丸。ヤバいやつなんだよ、あの女は」
烏丸の叫び声、僕の肯定。
男子は『女子っておっかねぇ』と身をふるせて。
女子は『え、女子も食い物に……?』と身をふるわせた。
凄まじいな、マジカルビッチ紅。
嘘っぱち100%でこんなにも引かれるなんて。
もしかしてビッチの才能あるんじゃないか?
「無論、僕は断った。……そうしたら、椅子のロバートと、マゾの米田が激昂して襲いかかってきてな……」
「……厄介さであればB組の比では無さそうだな。大丈夫だったのか雨森。その、色々な意味で」
黒月、戦慄!
彼の頬を冷や汗が伝い落ち、真剣な目で僕を見据える。
「なんとかな。……邁進が発狂し始めたところで……僕は、見るに耐えなくなって逃げ出したんだ。そこから先は、分からないし考えたくもない」
クラス内から悲鳴が上がる。
ちなみに黄色い悲鳴ではなかった。
どっちかって言うと、紫色の悲鳴だった。
「いや、そういうのは人それぞれだと思うけど」
「ちょっと待てよ!? 俺らまで狙われるってことか!?」
「そこまで行くと、奴らに醜美の感覚があるかどうかも怪しいな」
「マジカルビッチ紅、椅子のロバート、マゾの米田、恍惚メイドの邁進!」
「やべぇ……みんなに知らせないと! A組は危険だ!」
「お、俺は別に襲われてもいいかな……」
「や、やめとけよ! 変な病気になるぞお前!」
C組の諸君は青白い顔をして恐怖を語り合う。
若干数名、なんか変なことも言っていたけど、それはそれ。
時に恐怖は、現実より非現実な方が勝る。
人間よりも幽霊が。
生々しさよりもオカルトが。
人の心を大きく揺さぶることがある。
今回でいえばそういうことだ。
……ま、ちょっと違うかもしれないけど。
ただの捏造。されど情報。
真偽は不明だけど。
A組を信じるか、半年近くクラスに貢献してきた僕を信じるか。
……結果なんて、火を見るより明らかだ。
「四季。お前からもB組の方に注意喚起を頼む。色々と危ないからな」
「わかったわ! 悠人がそう言うのならそうするわね!」
そう言って、四季は早速駆けてゆく。
よし、これでB組にも噂が蔓延する。
なにせ、四季はB組のカリスマギャル。
彼女に任せておけば、おそらく噂の蔓延まで秒読みと言ったところだろう。
そして、他学年に関しては……。
視線を移動させると、苦々しい表情を浮かべた倉敷と目が合った。
『まさか私にその下らねぇ噂を流せと?』
という感情が透けて見えた。
ので、僕はアイコンタクトで肯定する。
彼女の苦々しさが一層に深まったが、この空気の中、なんともし難い『それっぽさ』だったため、誰も気にしてはいない様子だ。
その様子を一瞥し、僕は窓の外へと視線を向ける。
「あ、雨森くん! 私からも皆に注意喚起しておくわね!」
「頼んだ」
「……あ、あら? もしかして名前を覚えてくれたのかしら。それとも名前を聞くことも面倒くさくなってきたのかしら。なんとなく後者な気がして聞くのが躊躇われるわね」
朝比奈嬢がなんか言ってた。
だけど無視して、僕は大きく息を吐く。
さて、これでどんな反応をしてくるか……。
まぁ、あのA組のことだ。
情報収集能力に優れていれば……それだけ早く反応が返ってくるはずだ。
たとえば、そう。
明日の朝にでも――な。
☆☆☆
「雨森ぃいいいいいいッッッ!!!」
怒声が響いた。
時刻は翌日の朝。
ホームルームが始まる前。
だいたい二十分くらい前だろうか。
教室の前の扉が勢いよく開かれて、悪鬼羅刹が如き紅少女が攻め込んできた。
「お前! 良くもまぁふざけたデマを流してくれやがったわね!? そのせいでどれだけ恥ずかしい目に遭ったか……! ぶっ殺してやる!!」
「……本当のことだろう。逆切れはよしてくれ」
僕がそう声を返すと、悪鬼羅刹は襲いかかってきた。
それを後方にいたロバートが羽交い締めにし、なんとか押しとどめている。
「く、紅ガール! ここは落ち着きたマエ! 確かに腹立つ事には同意ダケド、校則を忘れたらダメだ!」
「そうだぞ紅、あの野郎、憎々しいことにソレ狙いだろうしな」
ロバートに米田まで。
その後ろには邁進の姿もあったが、明らかにプッツン来てる顔をしてたので視線を逸らす。
紅と邁進はブッツン来てて。
ロバートと米田が、まだ辛うじて耐えているような状態か。
やっぱりこういう『性』の関わる噂は、女性の方が我慢利かないみたいだな。
こういう煽りは初めてやったけど、勉強になるなぁ。
「……だが、すまない。あの噂についてはこちらの失言だった。いかに本当のこととはいえ……その、他者の性癖を公言するのはやり過ぎだった。申し訳ない」
そう言うと、4人の額に青筋が浮かんだ。
隣の席からミシミシと音がしてみれば、小森さんが机に指をくい込ませながら、憎悪に満ちた視線を向けてきていた。
あれま。
なんとも可愛らしい殺意だこと。
しかし……本当に申し訳ないことをした。
謝っても多分許してくれないと思うが、一応謝らせて欲しいんだ。
僕は慈悲深い気持ちを抱えて、誠心誠意頭を下げた。
「だから……そんな茶番はしないでくれ。分かってるんだ。全て僕が悪かった。色々と考えてきたんだろうが……その」
僕は、言いづらそうに言葉を詰まらせた。
その反応がさらに彼女らをイラつかせる。
まぁ、言いたいことは伝わるだろう。
『お前らの言動が【茶番】に映るように噂は蔓延させといた』
『だから、もう諦めろよ』
『それ以上は恥の上塗りにしか見えないぜ』
と、そういう事だ。
顔を上げると、紅の握りしめた拳から、ぽたぽたと鮮血が零れていた。
「……絶対に、お前だけは許さない」
紅の言葉。
それはきっとA組の総意だろう。
僕のたった一つの嘘が、A組の全員を貶めた。それで傷つく人も居るだろうし、ショックを受ける人も居たと思う。
だが、僕はそれらを真正面から受け止めて。
それでも、変わらぬ無表情を貫こう。
だからなんだ、と。
友も、恋人も、日常も。
この先の人生だって。
何もかも、文字通りに【終焉】する。
雨森悠人に敵対するということは、そういうことだ。
「そうか。公言して悪かったな。どうすれば許してくれるだろうか?」
「許さない。お前がたとえ死んだとしても、お前だけは許さない。絶対に」
不穏な言葉に、今まで発言を控えていた朝比奈も席を立ち、僕の前へと立ちはだかる。
「死、と。そう言ったわね紅さん。その言葉の意味、本当に分かっているかしら」
「分かった上で言ってんのよ。私達は、雨森悠人が気に食わない」
紅は鋭い視線を僕へと向けていた。
それを前に、僕はなんの感慨も受けない。
僕の表情を見て紅は舌打ちを漏らし、そして、隣の小森さんが拳を握りしめた。
「……いいわ。話すだけ無駄って分かったし。なにより、安易に接触を謀った私たちのミスでもあるしね。ただ、覚えておけよ、雨森悠人」
紅は、そう言ってクラスを後にする。
されど、教室のドアを通る、その直前に。
僕へとありったけの殺意を込めて、口を開いた。
「お前は潰す。何があろうとも絶対に」
そうかい。
それは楽しみにしておくよ。
雨森悠人が潰されるだなんて、その字面からして面白そうだ。
彼女らA組にとって、勝利するとは殴り勝つこと。
狂暴極まりなく、危険この上ない、勝利の大前提。
されど、その前提に、少年は反吐を吐き捨てる。
暴力が最適ならば、確かにそれもいいだろう。
されど、勝利とは本来、そういうモノではない。
ただ、効率よく、無駄なく、邪魔な相手を排除する。
少なくとも、雨森悠人にとっての勝利は、そういうモノだ。
ただ、一つ勘違いしてはいけないのは。
雨森悠人の最大の武器もまた、その【暴力】だということだ。




