7-3『怪物』
紅の後に続いて、10分足らず。
辿り着いた先は、校舎裏だった。
ふむ、告白にはなかなかどうしていいムードじゃないか?
願わくば、紅が僕に敵意を向けないでくれたり、校舎裏で他の生徒が待ち受けていたりしなかったら良かったんだが……。
「……さて、ついたわよ雨森。悪かったわね御足労頂いて」
「顔と言葉が合ってないな。もしかして僕と知り合いだったか? 記憶にないが」
僕、そんなに嫌われることしましたっけ?
そう言うと、紅の額に青筋が浮かぶ。
しかし彼女は大きく深呼吸をして心を落ち着かせたようだ。
再び僕を捉えた瞳には、冷静の色が浮かんでいる。
……なるほどね、A組の長を名乗らせるだけはある。
それなりに優秀みたいだな。
「残念ながら、知り合いじゃないわね。ただ、ウチのお嬢様から、嫌ってくらいにアンタの話は聞かされててね。どーも他人の気がしないのよ」
「新手の告白か? 悪いが間に合っている。帰らせてもらおうか」
ここにいるのは、紅、邁進、ロバートに米田。
キャンプ場に乗り込んできたメンバーそのものだ。
この場にあの女が居ないのは、今回の件に関わるつもりがないからか。
……少なくとも、それさえ分かれば及第点だ。
僕はその場を離れようと歩き出して――。
「おゥ、よそ見とハ余裕ですネ」
背後から、後頭部へと拳が叩き込まれた。
彼我の距離は、推定でも7メートルはあったはず。
それを、声の主は一息で駆け抜けた。
拳で殴られたとは思えぬ衝撃と轟音。
常であれば、まず間違いなく一撃で失神。
というより、初手で死ぬ可能性すらある一撃。
その拳には隠せぬ『怒り』が滲んでいて、僕はこっそりため息をした。
声からして、ロバート・ベッキオかな。
めちゃくちゃ速いじゃん、なにそれ身体能力?
やばいなー。堂島先輩程じゃなくても驚嘆に値する。
ただ、拳を向ける先が悪かった。
「慢心するカラ、こう、な……る……?」
言ってる途中で、ロバートは目を見開いた。
僕はノーガード。
拳は後頭部へと直撃した。
だけど僕の体は、1ミリも動いていなかった。
「――ッ!?」
ロバートは、何かを感じて咄嗟に後方へと飛ぶ。
彼が背後から居なくなったのを感じて、ゆっくり振り返る。
先程まで余裕ぶっかましていた四人は、今じゃ化け物を見るような目で僕を見ていた。
「知らないのか? 慢心とは、余裕だからするものだ」
「こ、コイツ……ッ!」
紅が悔しそうに歯を食いしばる。
慢心して負ける、なんてのはおかしい話で。
慢心とは、どんな手を使われようと、どんな状況、どんな悪条件に陥ろうと、それでも勝てると確信出来て、初めてするものだ。
僕は、こいつらに負ける未来が想定できない。
たとえ異能を奪われても、勝てると思う。
だってこいつら、新崎ほど脅威じゃないから。
「お前らは、弱いな」
「な、にを――ッ!」
新崎は僕に、たった一人で向かってきたぞ。
まぁ、最終的には僕の足元にも及ばなかった訳だが、それでも、最後まで他者へ頼ろうとしなかった。……むしろ、他者を守ろうと動いたほどだ。強者とはああいう男のことを言う。
だけど、コイツらは違う。そう思う。
「橘に、煽られたか?」
僕の言葉に、目に見えて彼女らは反応した。
その姿を見て、僕は察した。
僕は大きく息を吐くと、指を鳴らす。
次の瞬間、僕の体を霧が包み、白髪の少女へと姿を変える。
「貴方たちは、あの方には勝てませんよ。あの方は特別ですから」
「……!? た、橘!? な、なんで――」
「変身能力ですよ、小森茜から聞きませんでしたか?」
と、アイツがいかにも言いそうなセリフを吐いて、姿を戻す。
元の姿へと戻った僕へ、邁進とかいう女が歯を食いしばる。
「……橘様が、ああ言っていた理由がわかりました。この男は異常です。変身した瞬間、気配も声色も、風格も何もかもが変化した。それは、異能による能力ではない。純粋な、この男本来の技術です」
「……は、ははっ。やべぇな。最初から変身体で来られたら、マジでわかんねぇんじゃないの? ちなみに俺は区別つく自信無いわ」
ほぉーん、よく見てるね。
僕もあんなやつの真似事したくないんだが、出来るものは出来る。
だいたい1度見れば、大まかな雰囲気は真似られる。
特に橘みたいな『よく知るヤツ』は、ほぼ100%コピー出来ると言ってもいい。
僕を見て歯噛みした紅へ。
色々と察したロバートが、お手上げとばかりに諸手を上げた。
「やァ、クレナイ。今まで、タチバナガールに言われて異能を鍛えてきた。正直、この学年において、私たちホド異能を使いこなしている生徒はいない。熟練度なら、朝比奈ガールをも優に超えている」
「そんな私たちを、この男は超えている」
異能の強さとか、そういう話じゃない。
異能のプロ、橘月姫が真心込めて育てた四人。
故に、彼女らは信じられないほどに異能を使いこなしている。
凄いね。この短時間でここまで高められたら大したもんだ。
そうは思っても、口には出さない。
余裕な無表情ぶっかまして、両手はポケット。
これだけで、随分と相手に与える印象は違うだろうから。
「……認めないわ。認めないわよ、雨森悠人。たとえ、アンタがあの女の同類だとしても、私たち全員を相手して、一人で戦えるような力はない」
「あー、そうかもな。明らかに強そうだ。特に男子二人」
ロバート・ベッキオ。
そして、米田半兵衛。
この二人は別格だ。
おそらくは黒月と同格。
下手をすれば、単体で朝比奈嬢とも戦えるかもしれない。
ま、勝てるとまでは言わないけど。
そんなのが、四人一気に襲ってきたら。
そう考えると。困ると思う。
「あぁ、そうだな。指の1本くらいは折られるかもな」
僕は、ポケットから右手を取り出す。
人差し指をピンと伸ばして、口の前へと持ってくる。
まるで内緒話をするように。
小さな、それでいて確かな言葉で彼らへ告げた。
「もしもそう思わないのなら、好きにかかってくるといい」
そう言った、次の瞬間。
彼ら彼女らの纏う空気が一変した。
先程までの『様子見』の状態から一転。
明らかに『ここで潰す』という戦闘態勢へ移行したみたいだ。
邁進が背中へと両手を伸ばし。
ロバートがボクサーのように構え。
米田が前傾姿勢で地面に手を着き。
紅は、鋭い瞳で僕を睨んだ。
「アンタ、ちょっと調子に乗り過ぎたわね」
背筋が、チリリと傷んだ。
……うーん。
新崎より弱い、は言い過ぎだったかな。
確かに1対1であの男に勝つのは難しいかもしれない。
が、多分こいつら、5回戦えば最低1回は勝つ。
そういう類の強さは持ってる。そんな感じだ。
「へえ、思ったよりは」
「後悔したかしら? もう遅いわよ、アンタは仏の顔を踏み過ぎた」
それは罰当たりなことをするやつも居たもんだ。
僕は余裕を崩さず立っていると、額に青筋をうかべた紅達が、僕を潰すべく一直線に向かってきた。
それを前に、僕はただ、目を閉じて――。
「――貴様ら、ここで何をしている」
ふと、聞きなれた女の声がした。
その声に全員の動きが止まる。
視線は僕の背後へと向かい、彼女たちは目を見開いた。
僕は振り返る。
そこには、1年C組榊先生が立っていた。
「な……なんで先公が!」
「質問に答えろ、1年A組紅、ウチの雨森に何をしている?」
彼女の言葉に、紅は目を見開いた。
僕に1番迫っていたのはロバートの右拳。
榊先生の登場により止まってしまったが、あと1秒遅ければ僕の顔面を撃ち抜いていただろう。あー、恐ろし。
「ッ、ロバートッ!」
「……アァ、なーに、雨森君に蝿がトまっていたものでネ。親切心から取ってあげようとしただけさ。安心したまえ榊ティーチャー」
見苦しい言い訳だなぁ。
榊先生はその様子を見て深いため息を吐くと、顎を使って彼女らを散らす。
「ならば、そういうことにしておこう。だが次はない。次は退学処分を覚悟しておけ。私は絶対だ、1年A組」
「……ッ、行くわよ皆!」
紅はそう言って、三人を連れて立ち去っていく。
「――命拾いしたわね」
ふと、僕の隣を通る際に、紅は吐き捨てた。
僕は特に言葉を返すことも無く、歩き去っていく背中を振り返り、榊先生へと視線を向けた。
すると……彼女は先程までと一転、楽しそうな笑顔を浮かべている。
「……どうだ、雨森。最高のタイミングだったろう?」
「…………ええ、そうですね」
長い沈黙の後、そう答える。
しかし彼女は楽しそうに笑うばかり。
彼女は校舎の窓へと視線を向けた。
そこには嬉々として僕らの姿を【隠し撮り】している四季の姿がある。
「なるほど。橘月姫と貴様の敵対関係、その下につく者の不満感、そして苛立ちを煽り、自分を殴らせる。その証拠を撮ることで、あの4人をさっさと脱落させるつもりだったか」
彼女は楽しそうに、僕を見下ろす。
「日常を過ごしているようで、その実、お前はいつだって攻勢だ。お前の外面に騙されたが最後、気づけばすべて終わっている……。お前の敵が可哀そうでならないよ」
「……さて、偶然じゃないですか? なぁ、四季」
「はい! 私は悠人のストーカーなだけなので!」
ほらね。僕は関係ない。
たまたま偶然、橘から話を聞いていた。
たまたま偶然、四季を呼んでいた。
たまたま偶然、四季に『隠れて僕を撮るように』言っていた。
たまたま偶然、紅が僕に絡んできた。
たまたま偶然、彼らが襲いかかってきた。
全て偶然さ。
いいや、ここまで続けば奇跡かな。
「全く……どこまで読んでいるのだか。まぁいい。あの4人が居るからこそ、橘月姫は動いていない。つまり、あの4人が生き生きとしている限りは、貴様の同郷が襲ってくる心配はないわけだ。……言いたいことは分かるな?」
「さて。なんのことでしょう?」
「……1年A組の担任は、洗脳された疑惑がある」
去りかけた僕は、彼女の言葉に立ち止まる。
「……正直、異常だ。教師陣も全員が警戒している。そんなクラスが、よりにもよって私のクラスの、よりにもよってお前を敵対視して、襲いかかってこようとしている」
「……つまり、不安ってことですか?」
「あぁ、負けるぞ、下手をすれば」
下手をすれば、ねぇ。
随分と控えめに言うじゃないか。
橘が本気で襲ってきたら、負ける可能性の方が高い。
というか、今の朝比奈じゃ相手にもならない。
確実に負ける。
まぁ、それも――。
「お前が今のままなら、の話だがな」
ふと榊先生を見れば、ニヤリと笑っていた。
「お前が動けば、勝てる戦いだ。そして、あの4人には存分に『起爆剤』になってもらう。私のC組は、まだまだ頼りないのでな。だから、程よい敵に退場してもらっては困るわけだ」
「……嫌な性格してるよ」
この女は、僕らの現状をゲームとでも思っているのだろうか?
だとしたら……まぁ、僕が言えたことではないんだけど。
随分とまぁ、人間が終わってらっしゃる。
「お前に言われたくないさ、雨森悠人」
そう言って、榊先生は腕を組む。
「少なくとも、私はこういう意見であの四人の退学を見送った。……だがお前のことだ。私が止めようがなんだろうが……潰す時は潰すのだろう? 霧道と同様に」
……なるほどなぁ、やっぱりバレてたか。
霧道退学の件に触れられて、僕は頬をかく。
そんな様子を見て満足気な榊先生。
かくして彼女は、自信満々にこう言った。
「安心して、本気を出せ。今回は私が揉み消してやる」
頼もしい限りだ。
どうやら今回は、学園の【絶対】――またの名を『教師』が手を貸してくれるらしい。




