1-8『容認できない』
物語は動き出す。
その日は、クラスが妙にざわついていた。
倉敷に付きまとわれた翌日。
やっと体から痛みも引いてきた頃。
早くもなく遅くもなく、中くらいの時間帯に登校した僕は、なんだかクラスの雰囲気が昨日と違うことに気がついた。
ははん、さては霧道が僕の机にでもイタズラしたな? はいはいイジメのテンプレですね分かります。
そんなことを思いながら机へと向かうが――
「……?」
何故か、普通の席がそこにはあった。
何も無いことに対して『何故か』って言葉を使ってる時点でおかしいのだが――
「……朝比奈さん?」
ふと、隣の席の朝比奈嬢に違和感を覚える。
なんというか、初日に僕の異能が笑われた時と似たような雰囲気。
簡潔に言うと怒りのオーラ。
それが彼女の身体中から立ち上っており――
「おはよぉーっす! ……って、なんだこりゃぁ!?」
霧道の巨大な怒声が響き渡った。
教室の後方へと視線を向ける。窓際最後列、霧道の席の前に数人の人だかりができていて、それらをかき分け自分の机を見た霧道の顔がみるみるうちに驚きと怒りに歪んでゆく。
「……一体何が」
そこまで口にして、霧道の視線が僕を捉える。
その瞳には大きな怒りが滲み出しており、様子のおかしい彼からの敵意に思わず身構える。
「雨森……っ! てめぇか、テメェしか居ねぇよなこんなことするやつはよォ! 俺に殴られて俺の事恨んでるお前くらいしか、こんなことするような奴はいねぇだろうがよ!」
「……何をいきなり」
激昂する霧道の方へと歩いてゆくと、自然と彼の席が視界に映り――思わず目を見開く。
『バカ霧道!』
『死ね暴力野郎!』
『チャラ男なのかヤンキーなのかハッキリしろ!』
『あんましカッコよくないって分かってる?』
『不細工なのにカッコつけてるバカwww』
『純粋にうるさい、勉強の邪魔。消えろ霧道』
彼の机に無数に刻み込まれていたのは罵倒の数々。
一文一文が全て異なる字体で机へと刻み込まれており、マジックペンで書いたものならいざ知らず、机に彫刻刀みたいなので掘られてる暴言の方は……多分机を取りかえない限りは消えないだろう。
「……なんだこれ」
「しらばっくれてんじゃねぇぞ! テメェ以外に俺の事恨んでるやつがこのクラスにいるわけねぇだろうが!」
霧道の大きな怒声が響き渡る。
あまりの大きさにほかのクラスから野次馬達が集まってきて、クラスメイトの中には顔を顰めて耳を塞ぐものまで居る。
彼ら彼女らの表情には霧道に対する嫌悪感が滲んでる。
クラスメイトの犯行なのは間違いなさそうだ。
……だが、一体誰がやったのか。
そう、顎に手を当てて考え込み――次の瞬間、顔面へと拳がめり込んだ。
強烈な衝撃と共に、後方へと勢いよく吹き飛ばされる。
「……痛っ」
机を巻き込んで数メートル後方まで吹き飛ばされる。
ポタリ、と何か制服に落ちて視線を下げると……鼻血かな、制服に数滴の血が滴っているのが映り込む。
「ちょ、き、霧道! さすがにやりすぎだって!」
「さすがに証拠もなしに殴るのは……!」
霧道の取り巻き二人が騒いでいる。
どうやらまた僕は殴られたらしい。
「うるせぇ! コイツ以外にこんな執拗なことやる陰険ヤロー、このクラスにいるわけねぇんだよ! それともなにか、テメェらがやったとでも言うのか? えェ!?」
「そ、それは……」
「ち、違うけど……」
おいおいもうちょっと粘れよ。
僕だって無罪なんだぜ、それなのに殴られてるんだ。そろそろイラッときちゃうよ心の中だけ。
鼻血を拭って立ち上がると、僕のそばに倉敷が寄ってくる。
「だ、大丈夫、雨森くん……!」
「……まぁ、なんとかな」
せっかく傷が治ったって日にこれである。
なんだか気分が憂鬱になるが……所詮はそれだけ。
なにか復讐してやろうって気にもならないし、そもそも復讐する必要性も感じない。
必要がないんだ。だって――
「――朝から元気がいいな、霧道走」
響いた声に、霧道の肩が大きく跳ねる。
見れば教室の入口には榊先生の姿があり、彼女の瞳はいつになく鋭い。
「『第五項、生徒及び教師に対する暴力行為を禁ずる。これを破った生徒は被害者による容認がない限り、暴力の度合いに応じて罰金、或いは退学、いずれかの処置を受けねばならない』――相応の覚悟は出来ているのだろうな?」
簡潔に言うと、殴られた側が許さない限り罰金あるぜ。しかも度合いによってめっちゃ罰金するから払えなかったら退学だぜ、って感じだろうか。
「な、なんだよそれ、知らねぇよそんなもん!」
「知らないも何も、貴様が校則を破ったことには変わりない。知らなかったのは貴様が校則を軽視していた故の出来事だと処理されるだろう。そして証拠もなしの一方的な暴力……最低でも20万は見ておけよ、霧道」
淡々と榊先生は告げてゆく。
おやおや霧道、大ピンチ。
個人的には『下の名前、はしる、って言うんだなこいつ』ってのが大きいんだが、どうやら状況は霧道の似合わない下の名前に感想を抱いてる場合ではないらしい。
「お、おい雨森! よくわかんねぇがてめぇが許せばその罰金ってのもねぇんだろ! おいコラ許すっていいやがれ! テメェはこういう所でしか役に立たねぇんだから、せめてクラスに貢献しろよこのダボ!」
わぉ、なんつー暴言。
僕は『許すわけねーだろダボォ!!』と叫びたかった。
けれど、そんなこと言ったら喧嘩になるしなぁ。
僕は榊先生を見る。
……最低20万、か。
彼女の言葉を思い出し、少し考え。
結果として、内心と正反対の言葉を贈った。
「……ああ、今回はなかったことにする」
僕の言葉に、クラス中が唖然とする。
制裁する気満々だった榊先生も驚いている。
朝比奈嬢なんてもう、驚きすぎてアホみたいな顔してた。
ただ、馬鹿丸出しで喜んでるのは霧道一人。
「ハッ、そう来なくっちゃな! おい雨森! テメェ俺の机にあんなことしやがって、後で覚えとけよオラ!」
かくして霧道は自分の席へと戻ってゆく。
落書きされた机は彼の取り巻きAの机と交換され、不幸にも取り巻きAはこれからの授業、あのイジメの体現みたいな机を使って受けることになるのだろう。ドンマイ同情はしないけど。
「……おい、雨森悠人。貴様、自己紹介を聞いた時から正気ではないと思っていたが……本当に何を考えている? 馬鹿か、馬鹿なのかお前は」
「……酷い言われようですね。否定はしませんが」
いつの間にか近くへと寄ってきた榊先生が倉敷の反対側から僕の体を支えてくれる。
ただ望むことが可能なら、もうちょい僕のこといたわって欲しい。馬鹿とか連呼しないで欲しい。事実だから心に深く突き刺さる。
「あんなのは20万毟り取り、残り10万ぽっちに追い込んでから、あの手この手で焦らせ弱っていく様を眺めているのがいいんだろうが」
「性格最悪じゃないですか」
榊先生のイカレたセリフにツッコミひとつ。
僕は大きく息を吐いた。
「……にしても、霧道いじめられてるんですかね」
二人に体を支えられながら、呟く。
もちろん二人の耳には届いただろうし、声の大きさミスったせいかクラスメイトの耳にも届いただろう。不幸中の幸い、取り巻き達に怒鳴り散らしている霧道には聞こえなかったみたいだが、それでもその言葉には誰も返事は寄越さない。
ただ、今の一言でまず間違いなくみんなの心に疑念が生まれた。
霧道走が、クラスの誰かに疎まれている。
それは各々の心の中に暗い炎として燻り続け、いつの日か霧道が再び問題を起こしたその時、彼に対する負の感情へと昇華する。
ま、現時点をもってクラスに多大な騒音を撒き散らしている霧道だ、もしかしたら既に彼に対して『嫌だな』と思い始めた生徒だっているかもしれない。
「ま、どうだっていいですけど」
一人呟き、振り返る。
霧道走。このクラス一の問題児。
ことある事に僕に絡み、朝比奈霞に執着し、他を顧みない自己中心的な言動を繰り返す馬鹿。
そこまで考え――僕は笑う。
「……っ」
隣から、榊先生が息を呑むのが分かった。
今、僕はきちんと笑えているだろうか。
ま、そんなことなんてわかり切ってるし、別に興味もないからどうでもいいのだけれど、とりあえず霧道。
――お前、ちょっと限度が過ぎたな。
朝比奈嬢に思いを寄せるだけなら良かった。
最初の一回、授業で僕のこと殴って全て収めてくれるなら、それでもまだ良かったんだ。
だけど、全く身に覚えのない原因から第三者へと暴力を振るうようなことは――正直、容認できない。
なぁ、霧道。
なんで今、僕はお前を許したと思う?
答えはとてもシンプル。
20万ぽっちじゃ退学まで足りないから。
今も彼は怒鳴り声をまき散らす。
別に悪いとも思わないけど。
……霧道、僕はお前を潰すことにした。
ただ、僕は榊先生よりずっと『優しい』からさ。
20万だなんて残酷なことは言わないよ。
もっと寄こせと嗤うだけさ。
抵抗するのは認めるよ。
ただ、お前が好き勝手やるように。
僕もまた、勝手にお前を終わらせる。
言ってしまえば、それだけの話だ。
霧道、学校辞めるってよ。