5-10『新崎康仁③』
それは狂気の原点。
彼は強く優しく。
いつだって弱き者の味方だった。
市呉両名。
新崎康仁の、中学最初のクラスメイト。
1つ前の席になった、なんのことは無い最初の友達。
「新崎くんは……すごいよね。もう、クラスの中心人物だもん」
新崎は、クラスの中心人物だった。
裕福で頭脳明晰、運動神経も抜群で、なんでも出来て、社交的で、何より優しい。非の打ち所が見当たらないほどのカリスマ性が、学校が始まって一週間足らずで彼をその地位へと押し上げていた。
「なーに、大したことは無いさー」
新崎康仁は、いつもの笑顔でそう返す。
万人を安心させるような優しい笑顔。
絵に描きたくなるような完璧な笑顔。
清々しく、不快の一切感じられない笑顔。
それを前に、市呉は眩しそうに笑った。
「大したこと……あるよ。僕とは大違い」
「違ったとしても、優れてるとは限らないんだぜー」
「違うよ。新崎くんは、僕よりずっと優れてる」
市呉両名は、貧乏だった。
幼くして父親を亡くし、母親との二人暮らし。
年齢を誤魔化してアルバイトを行い、母親もパートの仕事を幾つも重ねて生計を立てている。加えて父親が残した借金の影響で身の回りのものを買い揃えるだけの金も足りていない。慢性的な貧乏の典型だった。
市呉は、どこか悲しそうに新崎を見ていた。
「でも、僕もちょっと、救われてるんだ。新崎くんが友達になってくれてたから。新崎くんと話してる時だけ、心が軽くなった気がする。……いつもありがと。新崎くん」
「……やめてよねー? 照れちゃうよ。いやほんとに」
新崎は照れたように笑う。
それは新崎の本心だったし、市呉の本心だった。
二人は互いに、心の底から話し合える相手だった。
正反対に位置するからこそ、一緒にいて居心地のいい相手だった。
まだ、出会って数日であれど、二人は親友同士という言葉に、非常に近しい位置にいた。
「おーい、新崎! サッカー行こうぜ!」
「ん? あー、おっけー。今行くよー。市呉も行く?」
「あはは、僕は遠慮しとくよ。アルバイトに体力残しとかなきゃ」
市呉はそう言って苦笑う。
その姿に新崎は一瞬だけ不満を浮かべながらも、無理を言うのは良くないか、と納得し、市呉の元をあとにする。
「んじゃ、ちょっと行ってくるねー」
そう言って歩き出す新崎を。
市呉は、複雑そうな表情で見送った。
「うん、行ってらっしゃい」
☆☆☆
「…………はぁ?」
翌日、市呉両名は転校していた。
それは、新崎康仁にとって青天の霹靂だった。
あまりにも唐突で……急だった。何も知らされていなかった。
その日、先生から『理由も語られず』に転校したと告げられて、新崎は困惑した。焦って、困って、気がつけば駆け出していた。
「し、市呉!」
彼の家の場所は、担任教師から聞き出した。
初めて見た市呉の家は、あまりにも酷い有様だった。
壁に穴が開き、天井から水が滴り、室内に落ちている。
扉は鍵が壊れて機能を成さず、その家の前で、市呉の母親と思しき女性が泣いていた。
「市呉……お、お前……」
その隣に立ち尽くす市呉両名。
その表情から……この家は、最初からこのような状況ではなかったのだろうと想像がついた。
ならば、何故、どうして。
疑問に次ぐ疑問。
なぜ、こんな状況になっている?
新崎は、考える。考え続ける。
……いいや、本当は最初から分かっていた。
この家を見て、二人の反応を見るより先に。
彼の転校を聞いた時点で、天才新崎は、可能性として考えていた。
「――康仁。こんな所で何をしている」
背後から、今、最も聞きたくなかった声がした。
驚きに背後を振り返る。
そこには黒塗りの高級車が止まっており、その中から新崎康仁の父親が姿を現した。……いいや、それだけじゃない。
「父さん……か、母さんまで!」
そこには、優しかった母親の姿まであった。
彼女はいつもと変わらぬ優しい笑顔を浮かべていた。
この時ばかりは、その笑顔が気味悪く思えた。
「康仁、なにをしているの?」
「な、何をって……二人こそなんでここにいるんだよ!」
「なんでって……それは――」
新崎康仁は叫んだ。
そうじゃないだろう。
僕の考える最悪じゃないはずだ。
心の底からそう祈って。
「康仁に相応しくないお友達を、排除してただけよ」
母親の言葉に、彼は膝から崩れ落ちそうになった。
辛うじて耐えられたのは、絶望よりも気持ちの悪さが勝ったから。
脱力よりも吐き気が勝ったから。
親なんかじゃない。
こいつらは、魑魅魍魎だ、化け物だ。
人間の皮を被った怪物だ。
新崎康仁は、その一瞬でそこまで理解してしまった。
「ふ、ふざけるな、ふざけんなよ! 何してんだよ! 市呉は、市呉は僕の大切な友達だぞ! それを……親の都合で勝手に決めつけてんじゃねぇよ!」
「親の都合? 子の分際で何をほざく」
父親の厳格な声が、今だけは苦しかった。
その根底に感じていた優しさは、偽物だった。
感じていただけで、本当は存在していなかったのだ。
「子は、親の道具だ。今まで貴様にどれだけの投資をしたと思っている。どれだけのレールを敷いてやったと思っている。お前が今、何一つ不自由なく生きていけるのは誰のおかげだ? 俺だ。俺のおかげだ。康仁よ」
「……ッ、おま、えは……ッ!」
気がつけば、新崎康仁は父親の胸ぐらを掴んでいた。
歯を思い切り食いしばり、拳を限界まで握りしめる。
怒りと憎しみと、どうしようもない悲しみだけがそこにはあった。
「なんで……なんで! なんでそんなこと……」
「康仁。私、言ったわよね。優しい人間になりなさい、と。誰にも平等に優しさを配る人間になりなさいと。……その言葉、少し訂正させてもらうわね」
母親は、新崎康仁を前に言葉を重ねる。
「優しさを与えるのは人間に限りなさい。人間とも思えない下民に優しさを配るのはやめなさい。それは、新崎の家名に泥を塗る行為なのだから」
雨が、降り始めた。
その雨は彼らを濡らす。
もはや、涙なのか雨なのかも分からない。
ただ、新崎康仁は心の底から叫んだ。
「ふざけるな」と。
「何様だよ、お前ら! ふざけんなよ! 市呉は人間じゃないとでも言いたいのか!? コイツは僕の友達だ! 誰がなんと言おうと――」
「あら、そう? てっきり、ただの使いっ走りかと思っていたわ」
白々しく、母親は首を傾げた。
その言葉に新崎康仁の沸点は限界を迎えて。
「だって康仁。あなた笑ってるじゃない」
その一言に、怒りという怒りがすべて冷めた気がした。
驚き、自分の顔へと手を当てる。
足元の水たまりに映ったのは、満面の笑みを浮かべる自分の顔。
それには絶望さえ覚えた。
「な、んで……! し、市呉……!」
「……新崎、くん」
振り返った市呉は、絶望を浮かべていた。
他でもない新崎の表情を見て、絶望していた。
「笑って、るね。いつもみたいに」
「違っ、違う! 違う違う! これは、これは……」
叫ぶ新崎の肩に、母親が手を乗せた。
「いい子ね、康仁。いつも笑顔を絶やさない。私の教えをしっかりと守ってくれてありがとう。私の自慢の息子。愛してるわ」
その言葉は、新崎康仁の心を抉った。
不快感という明確な形を以て、彼の心を侵食した。
彼は咄嗟に母親の手を払う。
されどもう、手遅れが過ぎた。
「新崎、くん。……もういいよ。もう、いいんだ」
「し、市呉! で、でも……!」
「もういいって言ってるだろ!!」
それは、初めて聞いた親友の怒りだった。
親友だった者の、叫び声だった。
「もういいよ! 放っておいてくれ! やっぱり僕は君とは違った、君は僕とは違ったんだ! こんな……こんなこと、あんまりだ!」
「……っ、……!」
言いたくても、言葉が出てこない。
笑顔から、表情が変わらない。
あれっ、悲しい表情って、どうやって浮かべるんだっけ?
そう考えている自分に気が付き、新崎は絶望する。
もう彼は、笑顔以外の全ての表情を忘れていたから。
「もう二度と……僕らの前に現れないでくれ。新崎康仁……」
かくして、市呉両名は母親を連れて家の中へと戻ってゆく。
きっと、遠からず二人は遠く離れた場所へと行くのだろう。
二度と、会うことも無いのだろう。
新崎は、離れていく市呉の背へと手を伸ばす。
だけど、家の扉は強く閉ざされ、もう、姿も見えなくなってしまった。
「……康仁。帰りましょう? 濡れると風邪をひくわよ」
母親の優しさが、不快以外のなんでもなかった。
新崎康仁の中で、何かが壊れた。
それは、誰もが従うカリスマ性か。
親友との信頼関係か。
両親との今までの思い出か。
あるいは、心か。
何かが壊れて、新崎康仁は笑った。
清々しいくらいの満面の笑顔を。
影一つない最高の笑顔を浮かべて、両親を振り返った。
「あぁ、そうだね。父さん、母さん」
その日、華族・新崎家は滅んだ。
父親は殴殺され、母親は斬殺された。
犯人は不明、犯行理由も不明。
残されたのは息子の新崎康仁ただ一人。
多くの同情が寄せられる中。
骨となった家族の死体を見下ろして。
少年は、それでも笑顔を絶やさない。
そういう風に、学んできたから。
「あぁ、この世は悪ばかり」
この世界には悪が満ちている。
自分の両親でさえそうだったのだ。
この世にはどれだけの悪が満ちているのか、想像もつきやしない。
だから、せめて、自分だけは……。
「自分だけは、正しく在らないと。理不尽な悪に……正義の面を被った悪に害された。そういう人達の――正義の味方で在らないといけない」
そうして、新崎康仁は今に至った。
社会から爪弾きにされた。
彼は、そういうもの達の味方になった。
だが一つだけ、理解しておかねばならないことがある。
それは新崎康仁が、とうに狂い果てているということ。
親友を失い、自分の今に絶望し、両親を手にかけて。
それでもなお、母親の言葉だけは忘れない。
【常に笑顔たれ】
今日も彼は、笑顔で立ち上がる。
満面の狂気を浮かべて、壊れた正義を執行する。
☆☆☆
【B組の生き残りが0名となりました。勝者、1年C組となります。強制転移まで、今しばらくお待ちください】
スマホに表示された文章を見て、朝比奈は安堵の息を吐いた。
新崎が倒れたことにより、C組の勝利は確定した。
振り返れば、新崎が胸に着けていた機器は赤く点滅している。
彼は気を失ったように倒れているが、今に強制転移が始まるだろう。
加えて、敗者は他者へと危害を加える一切を禁じられる。
つまり、新崎康仁による脅威も、今日、この日が最後となるわけだ。
「……雨森くんを、探さないと」
朝比奈は大きく息を吐くと、新崎から視線を逸らして歩き出す。
新崎は殺したと言っていたが、冷静になって考えれば、殺したという証拠はどこにもない。きっと大丈夫、雨森は生きている。
朝比奈はそう考えて歩き出し。
ズサリと、背後で何かが立ち上がる音がした。
「――ッ!?」
咄嗟に距離をとって振り返る。
そこには、アラームを鳴らしながら立ち上がる新崎康仁の姿があった。
「な……なぜ、アラームはなっているはずよ! 新崎くん、貴方は負けた! なら、もう立ち上がっても意味が――」
「………………」
新崎康仁は、朝比奈霞を見据えた。
その瞳を受けて、その瞳を見て。
朝比奈は、未だかつて無い寒気に襲われた。
「……! い、いや、貴方は……ッ」
新崎は、脱力したように立っている。
それは、まるで死体のようだ。
既に動かなくなった遺体をゾンビのように操っている。
そう言われた方がよっぽど信じられる。
朝比奈は、思わずゴクリと喉を鳴らした。
膝が震える。それは武者震いでは、なかった。
それは、恐怖だった。
「――貴方は、新崎くんじゃないわね?」
その一言が、決定的になった。
新崎康仁だったものの、姿が歪む。
まるで新崎の皮を被っていたように、ぐにゃりとその姿が歪んで――次の瞬間には、全く別の男がその場には立っていた。
その姿に、朝比奈霞は打ち震えた。
『堂島先輩が入ってくる前、新崎の怒鳴り声で目が覚めて……その時に、黒いローブを羽織った人物が目に入った』
ふと、雨森の言葉を思い出す。
その男は、烏の濡れ羽色のローブを纏っている。
全身から溢れ出す威圧感は他の比ではなく。
その恐怖は、留まることを知らない。
「おめでとう、朝比奈霞。君の勝利だ」
それは、全く聞き覚えのない声だった。
朝比奈霞は、新崎と戦っていた時よりも警戒を強めた。
全身全霊、全神経を費やして。
なお、届かなかった。
バチリと、黒い稲妻が走り抜けた。
それは、朝比奈霞と同系統の能力。
そして、上位互換に位置する力だった。
「そして、君の敗北だ」
背後から声がした。
朝比奈は限界まで目を見開いて振り返り。
再び、黒い雷が目の前で弾けた。
あらゆる疑念も。
あらゆる矛盾も。
蓋を開ければ――全てが彼の、掌の上。
さあ、閉幕だ。
次回【黒翼は雷と嗤う】
最後に笑ってた奴が、勝者だ。




