1-6『立派な夢だ』
作品タイトルとあらすじとキーワードの時点でネタバレですが。
第一章は雨森君が本性を出すまでのプロローグです。
――翌日。
未だに体は痛むが、残念ながら授業を休む許可は榊先生からは下されていない。
昨日とは異なりかなり遅刻ギリギリの時間帯。足を引きずるようにして教室にまで足を運ぶと、同時に無数の視線が体に突き刺さる。
それはほとんどが同情のソレであったが、うち数名からは同情なんて生温いもんじゃない、侮蔑にも似た感情が送り付けられてきた。
「ぷっ! おいおい見ろよ、負け犬様のご登場だ」
そんなことを言ってきたのはもちろん安定の霧道。
どころか昨日の勝負がクラスカーストを変動させたか、彼の近くには同じ穴のムジナって感じのチャラ男が数名集っていた。
見た目はどこの学校にでもいそうなチャラ男グループ。されどそのリーダーが稀に見るほどの自信家な上に、そいつら全員が【目を悪くする】ってよりも強い異能を持っていそうだから困りものだ。
「あっ、雨森くんおはようっ!」
「……ああ、倉敷さん」
霧道たちをガン無視して席に向かうと、その途中で倉敷さんが挨拶をしてくる。
まぁ、彼女はクラスの委員長的な存在でもあり、元気いっぱいなムードメーカーだ。僕みたいなモブいじめられっ子に挨拶しても『あの子優しいんだなぁ』で済むというものだが――
「あら、雨森くんおはよう」
――こっちは、こっちだけは不味かった。
挨拶してきたのはたった一日でクラスの中心になりつつある我らが朝比奈嬢だった。ここで無視すれば昨日の二の舞になるのは目に見えてるし、だからといって挨拶しても……うん、いい顔はしないでしょうね。
「……おはよう」
不承不承ながら、まだマシな選択肢である『挨拶する』を選択する。
ギロリと霧道から鋭い視線を感じたが、まだ辛うじて許せる範囲だったのか、何とか事なきを得る。
席に着くまでに何故ここまでヒヤッヒヤしないといけないのか。
僕は内心で盛大なため息をつきながら、やっと自分の席にたどり着いた。
あとはもう、平穏目指してまっしぐら。
誰にも絡まず、誰にも触れず。
ただそこにあるのが当たり前の空気と化す。
そう、僕は雲だ。ふんわり空に流れるただの雲。
暗示しながら徐々に気配を薄くし始める。やがて隣の朝比奈嬢も、霧道だって気にすることの無いクラスの置物的な存在に成り下がるだろう。
そう、内心小さく笑んで――
「――雨森くん。お昼空いているかしら」
――いきなり、僕の計画は頓挫した。
☆☆☆
朝比奈霞による直々のお呼び。
それを断るなんて出来るはずがなく、お昼時間、彼女と食堂にまでやってきた。
食堂はかなり混雑しており、ササッと食券を買った僕らは料理を受け取り、そのまま端っこの方に空いていた席へと向かう。
「いただきます」
「……いただきます」
いただきます、だなんて律儀に言ったのは久しぶりだった。
目の前の朝比奈嬢は、黙って目の前の料理へと箸を伸ばす。
会話らしい会話が教室を出る時の『行きましょうか、雨森くん』以外に一切ないのだが……何の用だろうか、こんな僕に。
「――雨森くん、大丈夫かしら。体の方は」
「……まぁ、なんとかおかげさまで」
しばらく経って、彼女はやっと口を開く。
少し考えてそう返すと、彼女は「そう」と小さく返して再び黙りこくってしまう。
「……その、学校には、慣れたかしら」
「まだ教室とグラウンドとトイレと保健室しか行ってないけどな。あと食堂か」
またもやしばらく経って彼女が絞り出したのはそんな言葉。
先程からあんまり意味のなさそうな他愛ない会話。
……もしかしてこの人、僕に大して用事とかないのだろうか。
そう考え、もう帰ろうかなっと席を立とうと椅子を引く。
――途端、目を見張るような速度で朝比奈嬢が僕の腕を握りしめる。
……えっ、速っ。
霧道には悪いが、たぶん、彼女のほうがずっと速い。
背中に冷たい汗が伝う中、朝比奈嬢は語りだす。
「そ、その、べ、別に用事が無いわけじゃないの。ただ、その、こういうのは初めてだから、なんて言っていいものか分からなくて……」
「……こういうの?」
問いかけて、すぐに察する。
おそらく、霧道についてのことだろう。
小学校、中学校と見てきたが、ああいう本当の意味でイカれたやつはそうそういない。
いくら悪ぶってる奴がいたとして、そいつらが集まって恐ろしい集団とかを作り上げていたとしても、所詮は烏合の衆止まり。
告白した訳でもなし、気に入ったってだけの少女が他人に挨拶しただけでぶん殴ろうとしたり、そういうぶっとんだ思考の持ち主は世界広しとはいえそうそう存在したりしない。しかもなんの後ろ盾も味方もいない状態で、だ。
本格的に霧道の頭のイカレ具合を心配するレベルである。
「……いくら鈍感でも分かるわ。霧道君は、きっと私が貴方に目を掛けているのが鬱陶しいのよね。そして多分、それは私が貴方に話しかけなければ全て解決することだと思うの」
「……理解が早くて助かる。それじゃ」
再びその場を去ろうと椅子を引く。
が、されど朝比奈嬢の右手はがっしりと僕の腕を握りしめており、思わずため息を漏らして席に座り直す。
「今、言っていただろう。霧道はお前のことが好きで、お前が話しかけている僕のことが気に入らない。その不満が結果として暴力としてそれが僕の身を襲っている。現状はそれだけ、至極簡単なことだろう」
「……簡単、なわけないでしょう」
絞り出すような彼女の言葉。
それは、思わず聞き入る姿勢になってしまうほどには、興味深いものだった。
「……私は、正義の味方になりたいのよ。別になにか過去にあったとかじゃなく、単純に、子供の頃に憧れた。だから目指してる。あの、困っている人の元に駆けつけ、笑顔で助けてくれるようなヒーローに」
「……立派な夢だな」
「そう、ありがとう」
顔色一つ変えずに感謝を告げる朝比奈嬢。
しかし、今回に関していえばそんな夢など関係ない。
なにせ他でもない朝比奈本人が原因の一端を担ってるのだ。なら、朝比奈がその原因になることをしなければそれで全てが解決する。それだけの話なのだから。
……だが、話の流れから、そう簡単には行かないのだろう。
「……私は、問題に蓋をしたいわけじゃない。問題を解決したいのよ、雨森君。貴方に触れないことで問題を先送りにしたい訳じゃない。私と、貴方と、霧道君と、三人とで話し合い、妥協できる場所を探って……出来ることなら、クラスメイトとして仲良くしたい」
「……ご立派な夢だな」
先ほどと何ら変わらぬその答え。
されど、その言葉に含ませた意味合いは大きく異なる。
「あの暴れ馬を理論で押し留めるのは別にいい。が、それもお前の言う『問題を先送りにする』って話だろう、朝比奈さん。不満だけが溜まるだけで何一つ解決になってない」
解決っていうのは、原因を排除することだ。
今回でいえば、朝比奈嬢本人か、或いは霧道をこの学園から追い出すこと。
有り体にいえば退学処分だ。
不幸中の幸い、この学園には腐るほど退学処分と直結している校則がある。それらを使って霧道を退学処分にできないほど、朝比奈嬢は頭が悪くない。
「それとも何か、僕に学校を辞めろと?」
「そ、そんなことは言ってないわ!」
朝比奈嬢の声が響き、周囲から注目が集まる。
それらの視線に彼女の体が一層に縮こまるが、けれどその瞳にやどった意志は揺るがない。
「私も、貴方も、霧道君も、誰一人として学園を辞めることなく、全ての問題を解決させる。それが私の、ヒーローとしての第一歩。その問題解決の糸口を見つけるまでは、霧道君からは私が守るから安心してちょうだい」
その言葉を聞いて、僕は椅子から立ち上がる。
今回は、引き留められることは無い。
僕は何一つ答えることなく彼女に背を向け歩き出すと、一人小さく呟いた。
「……危うい、か」
話して分かった、朝比奈霞は酷く脆い。
正義感に突き動かされている。それが悪いとは決して言わない。彼女には正義を為すだけのカリスマと力があるのだから。
けれど、それだけじゃダメなんだ。
正義は悪には勝つけれど、頭のぶっとんだ巨悪に対しちゃ無力と化す。
人質を取られ、それを取り返せるだけの情報もない状態で、ただ格上だけで構成された者達に囲まれ、さらに脅されなんてした日にはそれで詰む。現実は空想ほど甘くなんてないのだから。
だからこそ、正義だけで行き着く場所は限られている。
「台風は、いずれ潰える」
立派な夢だけで現実は動いているわけじゃない。
目には目を、歯には歯を、異能には異能を。
巨悪には、それ以上の巨悪――【闇】を以て相対す。
かの偉人、ゲーテは言った。
――光の多いところには、強い影がある。
その言葉を思い出し。
……自分が手に持ったトレーを見て、一人呟く。
「……これ、どうしたもんかな」
……定食、まだ半分くらいしか食べてないんだよなぁ。
その後の雨森君。
定食を残すのも嫌なので、朝比奈と離れた席に座り直して残りの定食を食べました。
その姿を見た朝比奈が「き、嫌われてる……?」と頬を引き攣らせたそうですが、それはまた別の話。