1-5『同じニオイ』
結果から言おう。大敗だ。
フルボッコであった。
――あの後。
別に僕も拒否しなかったせいで特になんの問題もなく僕と霧道の夢の戦いが始まった。
が、夢は夢、現実は現実だ。
霧道の異能は【瞬間加速】らしい。
その力はその名の通り、瞬間的に体のあらゆる部位を加速させ、場合によっては体全体に力を使うことで高速移動することも出来るという能力だ。
試合開始後、僕は秒と経たず倒れていて。
分かったことと言えば、倒れた僕に馬乗りになって顔面をぼこぼこ殴ってくる霧道の性格の悪さと、助けに入ってくれたのが他でもない朝比奈嬢であるということ。
ま、そのせいで霧道はまた不機嫌になっていたが……さすがにこれだけ殴れば暫くは懲りるだろう。
「痛っ……」
ズキンッ、と頬が傷んで氷嚢を顔に当てる。
……僕は元来、平凡とか平穏とか、そういうのが好きだ。
一人でゆったりと平和な時を過ごしていると、なんだか無性に幸せになれる。だから、束縛されるとか、そういうのはあまり好きじゃない。
だからこそ、この学園に来てすぐに後悔した。
今は他でもない榊先生から『それだけやられたんだ。今日一日は授業を休んでいいから療養しろ』との言葉を頂いているから問題ないが、普通なら常に校則に縛られ、授業に参加していない時点で罰金確定だ。
まるで、校則の奴隷。
それが……なんて言うかな。
端的に言うと、どうしようもなく嫌なのだ。
「それに……」
呟き、現状を思い出す。
始業のチャイムなんてもう三つくらい無視してるし、そもそも授業にでてない時点でほかの校則にだって引っかかっていそうなものである。
それが、教師の一言ですべて無視されている。
これは言外に『校則よりも教師の言葉が優先される』と言っているようなものであり、生徒心得にあった『教師こそ絶対』という言葉の証明でもある。
つまり、教師が『罰金』と言えば罰金。
仮に『退学』と言われれば、退学なのだ。
「――荒れそうだね、雨森くん」
保健室に響いた声に、ゆっくりと顔を上げる。
目の前には本来、ここに居るべきでは無い一人の少女が立っていた。
「……えっと、倉敷、さん」
「うん! 名前覚えてくれてたみたいで嬉しいよ、雨森くん」
そこに居たのは、倉敷さんだった。
元気を象徴するようなオレンジに近い髪色を、ポニーテールに纏めている。
くりくりとした瞳は真っ直ぐ僕を見つめていて。
口の端から窺えるちいさな八重歯が彼女の活発さに拍車をかけていたが――けれど、その表情は優れない。
「その、ごめんね雨森くん。たぶん、霧道くんは朝比奈さんのことが……その、好き、なんだと思うんだ。だから――」
「分かってる。お気に入りが目をかけた男がいて、そいつが気に入らないってだけだろう」
だからといって殴るのは頭おかしいけれど。
まぁ、こっちから勝負を受諾したんだ。あまり公に不満や文句は言わないよ。
そう内心で呟き、彼女を見つめ返す。
倉敷……たしか、下の名前は『蛍』だったろうか。
正直彼女の名前なんてどうだっていいが。
問題は今、この瞬間に彼女が目の前にいる事実だろう。
チラリと時計を一瞥する。今は間違いなく授業中だ。
僕は手早くスマートフォンを操作し、校則の一文を彼女の前へと突きつける。
「『第十項、授業中は原則として教室外へ出ることは許されていない。一切の許可無く、自らの意思で教室の外へと出たものは罰則として100,000円の罰金、或いは退学、いずれかの処置を受けねばならない』。……一体ここに何の用だ?」
突きつけたのは懐疑心。
されど彼女の余裕は微塵も揺るがず、えへへと悪戯っ子のような笑みを浮かべて頭をかいた。
「トイレに行ってくる、っていって抜け出してきちゃった。さすがに先生も女子にその場で漏らせー、だなんて言えっこないもんね」
「……それもそうか」
確かに榊先生は少々頭のネジが足りてらっしゃる。
彼女からはどことなく『楽観主義』というか『享楽主義』というか……。言ってしまえば、今を真面目に生きていないような感覚すら覚える。
しかし彼女はそれ以前に一人の人間、女である。
それが女子生徒に『トイレ? そんなものと授業のどちらが大事だ。もしもトイレだというのであれば好きにしろ。まぁ、その場合はもちろん校則違反とさせてもらうがな』とかは言わな………言いそうだなぁ、あの人なら。まだ出会って数時間だけど、なんとなく顔色一つ変えずに言ってしまいそうだ。
「で、トイレ行くっていって保健室にまで来ちゃったんだ。結構ぼこぼこやられてたし、雨森くん大丈夫かな、ってさ」
「……おかげさまで」
呟き、彼女から視線を逸らす。
「……むう、私には興味ないかな、雨森くん」
「別に、そういう訳じゃない」
興味が無いなんてありえない。
むしろ、僕はこの少女に対してかなりの興味を抱いている。
おそらく朝比奈嬢なんかとは比べ物にならないほどに、だ。
なにせ、この女からは僕と同じニオイがする。
ああ、別に物理的な意味でのセクハラじゃないよ。
ただ、同類の匂いがしただけだ。
「それじゃあ、先生に聞いてみようか。倉敷蛍の退出を許可したかどうか」
その言葉に、されど少女は揺るがない。
驚かず、困らず、怒らず。
彼女は百点満点の笑顔を浮かべていたが……不思議だな。僕はその笑顔に、一切の人らしい感情を読み取れなかった。
「嫌だなー、何疑ってるのか知らないけど、さすがの私も100,000円払ってまで君に会いに来たりしないよ。自意識過剰っていうんだよ、それ」
「……そうかもな」
そうだな、もし榊先生が首を横に振ったとしたら、お前はトイレに行くのに10万払ったということなのだろう。
僕に接触してきたのはそのついで。
あくまでも、そういうことにしておこう。
今は、まだ。
「それじゃあ、そろそろ帰るね? 次の授業始まっちゃいそうだし」
彼女がそう言って踵を返すと同時に、校舎内へと授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。
チャイムをBGMに歩き出した倉敷蛍。
されど彼女は扉を開ける直前で立ちどまり、振り返ると、僕へと一枚のメモ用紙を放ってくる。
「……これは?」
胸元へと落ちてきたメモ用紙を受け止め問う。
すると彼女は可愛らしくウィンクをこぼし、唇に人差し指をあてて笑ってみせる。
「私の電話番号とメールアドレスだよっ。LAINのアカウント知ってる人はたくさんいるけど、電話番号を教えたのなんてこの学校じゃ雨森くんが初めてなんだから、しっかり登録しておいてね? 私、連絡待ってるからー!」
言いながら、彼女はパタパタと上履きを鳴らして保健室の外へと駆け出してゆく。
開けっ放しにされた向こう側へと足音が遠のいていくのを感じながら、僕は思わずため息を漏らす。
「……どうでもいいが、扉、閉めてってくれよ」
かくして僕はベッドから立ち上がり、保健室の扉を閉ざす。
その際、確認した廊下には既に彼女の姿は見えず、僕は彼女の第一声を思い出し、小さく呟く。
「ああ、荒れそうなんだよ倉敷蛍」
きっと、嵐はもうすぐやってくる。
大きな『希望』を中心に、巨大な台風がやってくる。
クラスどころか学校中を巻き込むような、巨大な奴が。
けれど台風ってのは自然と消えちゃうのが当たり前。
それを……少なくとも三年間、消えずに支えていくには――まぁ、その希望を裏付けるだけの『闇』が必要だ。
「……さて、寝るか」
僕は保健室の中へと舞い戻る。
案外、彼女へ連絡を取る日は近いのかもしれない。
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