4-4『開幕』
「たいいっく、さいだーーーーーー!」
声がでかいことでおなじみ。
錦町は叫んだ。……非常にうるさかった。
誰もが顔をしかめて耳を押さえる中、佐久間が錦町の頭をスリッパで叩いた。
今日は、体育祭当日。
グラウンドを囲うように九つのブルーシートが敷き詰められている。
その上にはそれぞれ、1年C組~3年A組まで、九つのクラスが分かれて集まっており、スリッパをはきなおした佐久間は、大げさに頭を押さえる錦町を一瞥した。
「声がうるせえ。……が、今日ばっかりは許してやるよ、錦町。……なんてったって、あの熱原と新崎の両方いっぺんにぶっ飛ばせる日なんだからな……!」
佐久間は、びっくりするくらいの悪役顔を浮かべた。
だが、彼が燃えている理由もわかる。
熱原永志には煮え湯を飲まされた。
新崎康仁にはクラスを好き勝手に荒らされた。
佐久間は情に厚く、仲間思いのいい奴だ。
熱原には佐久間自身と、僕がボコられ。
新崎には僕がボコられた。
……あれっ、なんか僕、ボコられすぎじゃね?
とは思うものの、口には出さないでおこう。
そんなこんなで、彼が怒ってないはずがない。
むしろ、よく今まで持ちこたえたものである。
「佐久間ー、燃えてんなぁー。まあ、俺も俺で、結構やる気入ってんだけどね!」
「お前は女にモテたいだけだろ」
「おっ、俺をなんだと思ってるんだー!」
かっこよさげに拳を鳴らした烏丸。
だが、心の底が透けて見えたのか、チャラ男撃沈。
彼は心外だと言わんばかりに叫んでいたが、見た目がチャラすぎるので誰も相手にしていない。……錦町という不動のいじられキャラが居りながら、時に、クラスカースト第二位でさえいじられキャラへ落ちるのか……! く、クラスカースト最上位ッ、なんて恐ろしい場所なんだ!
「で、お前ら、自分の出る競技、ちゃんと練習してきたんだろうな?」
佐久間がみんなへと問うた。
僕を除いた全員が頷いた。
――選英高校、体育祭。
全十種目から行われる、丸一日かけた大掛かりなイベントだ。
種目の中にはそれぞれ、リレー、玉入れ、障害物競走など、ベタな競技も多々……じゃないね、少々あって、残る大半は『ちょっと頭おかしいんじゃないの?』って感じのイカレた競技で構成されている。
そして、そのうち一つ。
その競技を見た瞬間、クラスメイトの全員がこっちを見ました。
……そりゃね、断りたかったですよ。
でも、しょうがないじゃない。だって多数決制だったんですもの。
「一競技、一位になれば、300万ポイントだ。つまり、全員で分けても一人頭10万ポイント。全種目で優勝した日なんかには、全員が100万ゲットの超チャンスだ」
佐久間の言葉にクラスが沸く。
各競技、一位が300万、二位が200万、三位が100万、それ以降はポイント無しとなっている。
つまり、三年生まで含めた中で、上位三クラスの中に入らなければ一ポイントももらえないのだ。
もちろん、十競技、十回はチャンスもあるが、ポイントに多くて困ることはない。できる限り入賞し続けたいというのが全クラスの総意だろう。
ちらりと周囲を見れば、各クラスやる気なのが見て取れる。
その中でも異質なのは……1年A組だろう。
熱原永志が先頭に立ち、ほかの生徒は全員等しく顔をうつむかせている。
やる気の欠片も見当たらない……というか、恐怖しか見当たらない。
ちらりと朝比奈嬢を見れば、A組の様子に顔をしかめている。
「あのクラスは……変わらないのね」
ああ、変わらないさ、あのクラスは。
個人的に、この体育祭あたりで仕掛けてくるんじゃないかとソワソワ……もとい、様々な対策をとっていたんだが、あまり意味はなかったな。
どうやら、今はC組とB組の対立を見て楽しんでいるらしい。
となると、B組との決着がつけばいよいよ危ないということになるが……まあ、その時はその時だろう。新崎との戦いを経て、朝比奈嬢が想像を超えて成長してくれればいいんだが。
そんなことを考えていると――ふと、女神の足音が聞こえてきた。
「あ、雨森くん……」
振り返ると、緊張した面持ちの女神が佇んでいた。
まるで湖のほとりに君臨した妖精のようで。
まるで全てを優しく抱擁する母なる大地のよう。
言葉にすることで彼女の存在を形にしてしまうのが勿体ないことこの上なし。
ということで、僕から言える言葉は一つ。
体育着姿の星奈さんは、いつにも増して可愛かったです。
「どうしましょう……すごく、緊張しています」
「運命だな、僕もなんだ」
奇遇という言葉は、あえて使わなかった。
僕も体育着姿の星奈さんを前にして緊張しています。
そんな内情を察したか、火芥子さんが僕の肩に手を回してくる。こらっ、女の子が男子にベタベタするのやめなさい! 勘違いするでしょう!
「はっはーん。星奈さん、やめたげなよ。雨森はただでさえ星奈さんが大好きなんだからー。体操服姿なんて見せたら脳死ものだよー」
「その通りだ」
「……へっ? じょ、冗談です、よね……? は、ははは……」
もはや告白!
僕の決死の肯定を、彼女は真っ赤な顔をして受け止めた。
いや、これは受け止めてもらってないのかしら? 僕の淡い恋心は彼女の元まで届かなかった様子である。無念。
星奈さんは赤く染まった顔を両手で扇いでおり、チラチラと僕の方へと視線を向けてくる。恥じらってる姿もまたあはれ。
「うーん……雨森、もうちょい表情出していこーよ。せっかくの告白が冗談にも見えちゃうよ」
「それは困るな」
火芥子さんとそんなことを話していると、星奈さんがくすりと笑った。また冗談に聞こえたのだろうか? ……まぁ、星奈さんの緊張を解せたのなら告白したかいもあるというもの。
「ありがとうございます。おかげで、少し緊張が止まりました」
「どーいたしましてー。まぁ、星奈さんもあんまり緊張しないで頑張ろ。雨森なんて、クラス全員から優勝間違いなしと期待されちゃってんだから」
そんな風には火芥子さんが笑って、星奈さんもつられて笑う。
そんな二人からさりげなく距離を取ると、たまたま背後に黒月の姿があった。……いや、もしかしたら黒月が狙ってこの位置に居たのかもしれない。計ったようなタイミングで彼から念話が飛んでくる。
(雨森さん。ついに体育祭ですが……良かったんですか? 僕や倉敷さんは、自警団としては最善を尽くしてきました。ですが、夜宴は一切動いていない)
(……あぁ、察してなかったか? 僕は、新崎に関しては朝比奈霞に全てを任せたんだ)
黒月。お前や倉敷なら察してるかと思ったが?
そう返すと、彼はその答えを想定していたかのように、あっさりと言葉を返してくる。
(はい。……ですが、いいんでしょうか? 新崎康仁は、強いですよ。もしも、熱原の時に続いて、二連敗までしてしまったら、きっと、朝比奈さんは――)
心が折れるか?
なぁ黒月、それがどうした?
僕は視線を背後へ向ける。
僕の目を見た黒月が、震えたのが分かった。
(誰がいつ、朝比奈霞に全てを託すといった?)
僕の期待に添えなければ……まして、心が折れるようであれば、その時は鞍替えるだけだ。
そこに執着も情けも介入する余地はない。
ただ、事務的に朝比奈霞を使い捨てる。
それだけの話だ。
(……その時は黒月、お前に朝比奈霞の代わりを頼もうか?)
(そ、れは――)
出来ないとは言わせない。
だって、お前は僕が見込んだ男だ。
万が一つにも出来ないとほざくのであれば、お前もまた僕の期待を裏切ることになる。そして、その時。僕の内情を、夜宴の実態を知っているお前は確実に【排除】しなければならなくなる。
つまり、分かるだろ?
(……っ、さすが。僕らは貴方が一番怖い)
(そうか。褒め言葉としてもらっておこう)
排除が、退学どころじゃ済まないと、きっと彼は理解している。
だけどその言葉に、僕はなんの感慨も抱かない。
だって、恐怖なんて何の役にも立たない感情だから。
『さぁーて! 会場も盛り上がって参りました! それでは、そろそろ恒例の、開会式! 行ってみましょーか!』
どこからか、元気のいい声が響いた。
どうやら、開会の時間のようだ。
グラウンドの中心から大きな爆発音がひびき、クラッカーの中身が大量に周囲へとばら撒かれる。
かくして、第三回、体育祭の幕が上がる。
まだ見ぬ二年、三年生と。
僕らを潰そうとするB組、新崎康仁。
客観に走るA組と、そして、僕らC組。
僕ら全員が参列する体育祭は、これが最初で最後。
来年は三年生も居なければ、きっと状況だって大きく変わっているはずだ。
だから今は、思う存分今年の体育祭を楽しもうと思う。
僕は小さく息を吐く。
「さて、お手並み拝見といこうか」
それは、誰に向けた言葉でもない。
けれど黒月の表情は、いつになく緊張に染まっていた。
狂人は今日も平穏に棲む。
されどその眼差しは鋭く。
どこまでも己が利を追い求め続ける。
たったひとつの目的のため。
誰が相応しいのか。
そして誰が、自分の敵なのか。
今日も凡夫の皮を被って。
狂人は、第三者として傍観する。
 




