1-4『戦おうか』
――その後。
なんだかもう自己紹介していられるような空気じゃなくなったこともあり、僕らはその空気のままホームルームの時間を迎え、初授業へと突入した。
一時限目は数学の授業。
この学園は全ての授業を担任が受け持つシステムだ。
今も榊先生が難しい公式について話してる。
僕はシャーペンを片手に黒板を見つめていたが……。
「…………」
さっきから背中に突き刺さってくる視線が、すごく鬱陶しい。
ようは隣の朝比奈に酷い言われようをしたけれど、なんだか本人には言い返せる気がしないし、とりあえず雨森に八つ当たりしよう。というやつだ。
まあ、不幸中の幸い、視線の数は少ない。
僕は気にしないことにして黒板へと意識を向ける。
……だが。
「…………ちらっ」
今度は隣からの視線が鬱陶しかった。
先ほどから『授業について行けてるかしら? 大丈夫かしら?』みたいな雰囲気を帯びたチラ見がとてもしつこい。
僕はぎろりと視線を返し、『あの、こっち見ないでくれます?』とアイコンタクトを贈るが、なぜかその時に限ってこっちを見てない朝比奈嬢。おいコラこっち見ろ。
「……随分と余裕そうだな。雨森」
「……!」
目の前から聞こえてきた声に驚き、そちらを見上げる。
するとそこには冷笑を浮かべる榊先生の姿があり、全く笑ってないその目を見て体が竦み上がる。
「……私の授業で上の空とは良い度胸だ。P21、問三の問題を答えて見せろ。もちろん授業をまともに聞いていれば答えられる問題だがな」
その言葉に。
さっきまでP12やってませんでしたっけ?
という疑問は心の中にしまった。
21ページを開き、最難関大学過去問抜粋という文字が見えて眩暈がした。
ちんぷんかんぷん、ってこういう時に使うんだな。
「……すいません、分かりません」
端的に答え、どうせまた笑われるんだろうなとため息を漏らす。
が、いつまで経ってもクラスメイトたちから失笑が溢れ出してくることはなく、不思議に思って隣を見れば――なんとまあ、美しいくらいにピシッと挙手した朝比奈嬢が。
その姿に男子たちからはため息が零れ落ち、女子たちは嫉妬すら忘れて見惚れている。
で、何してんだろコイツ。
内心で首をかしげていると、件の朝比奈嬢が口を開く。
「答えは『3√5+8√7』でしょうか」
「……正解だが、何故貴様が答える。朝比奈」
「困っているクラスメイトを支えるのは当然では?」
鋭い視線を以て榊先生へと言葉を返す朝比奈嬢。
ヒューカッコイイ! そしてできればそのまま僕のことを無視してくれないかなぁ!
僕のアイコンタクトに対し、何を勘違いしたか彼女は小さく微笑み返す。
いや、微笑みはいいから見ないでくれ。
クラスメイト達の嫉妬が怖いから。
そんな僕らのやり取りを見ていた榊先生は、大きなため息を漏らす。
――と、タイミングよく授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「……まあいい。次回以降気を付けることだな、雨森。以上で一時限目の授業を終了する。次は体育だ。各々更衣室にてジャージに着替え、グラウンドに集合すること」
かくして挨拶もなく授業は終了。
なんだか初日からめっちゃ目立ってることにため息が出て止まないが、すぐに気持ちを切り替え、先ほど与えられたジャージを片手に移動を始める。
というのも、その理由は端的明快――
『第九項、授業の開始時刻を守ること。始業のチャイムが鳴った時点で授業を受ける準備が整っていなかったものは、原則として100,000円の罰金、或いは退学、いずれかの処置を受けねばならない』
――そんな校則があると同時に。
嫉妬心に駆られて席を立ちあがった男子生徒たちから、今すぐにでも逃げ出したい気持ちも無きにしも非ずだった。
☆☆☆
授業開始三分前。
あの後更衣室へと直行し、すぐさまジャージへと着替えた僕は、ちょいと時間を潰してから集合場所であるグラウンドへと足を運んだ。
するとそこには既に僕以外のクラスメイト達が全員集まっており、一人の生徒を囲んでちょっとしたお祭り騒ぎの様相を呈していた。
「ねえねえ! 朝比奈さんってどこ中出身なの?」
「朝比奈の言葉、なんかこう、胸に突き刺さったぜ!」
「それに『雷神の加護』って、なんか名前からして強そうだもんね!」
「雷を操るんでしょ? なんかチートって感じだよねー! 羨ましいな!」
そう、囲まれているのは件の朝比奈嬢であった。
彼女は困ったように周囲を囲む女子生徒たち(ちなみに一名ほど霧道という名の男子が混じっていた)へと視線を巡らせていたが、すぐに困ったようにため息を漏らす。
「……本当のことを言ったまでよ。それに、この異能を手に入れたのだって所詮は運。たまたま私がツイていただけ、って話でしょう」
「それでも朝比奈さんならあれでしょ! なんかこう、それも必然って感じ?」
「そうそう、朝比奈さんだからこそ、って感じだよ!」
その光景に僕は……少し安心した。
なんだか僕関係で彼女まで孤立してしまうんじゃなかろうかと不安だったから、こうしてクラスメイト達と仲良くやっててよかったと思う。
これで、朝比奈が僕を構わなくなったら文句なしだな。
と、なるべく彼女の目につかないように気配を消していると、校舎の方から歩いてきた榊先生と偶然にも目が合った。
しかし彼女は薄く笑うだけでこちらの方に近づいてくることはなく、朝比奈嬢を中心として集まっている生徒たちの方へと向かってゆく。
「さて、全員集まっているようだな」
彼女の声が響き――次の瞬間、始業のチャイムが鳴り響く。
校則によって痛手を受けた手前、さすがに二度連続で失態を犯す生徒はいなかったようだ。
授業開始を予感して生徒達の集まっている方へと歩き出すと、……レーダーでも搭載しているのだろうか。途端にこちらを振り向いた朝比奈嬢が小さく手を振ってくる。
可愛らしい限りだが、そのせいで生徒達から嫌な目で見られるから遠慮して欲しい。あえて気づかなかったように振舞って列に加わると、同時に榊先生が口を開く。
「さて、というわけで説明を始めるが――」
「おい、ちょっと待てよ榊」
しかし、途中で彼女の言葉に口を挟む者が一人。
声の方へと視線を向ければ、怒ったようにこちらを睨んでいる霧道の姿があり、その光景に誰もが困惑してしまう。
それは僕や朝比奈嬢、どころか榊先生も例外ではなく、先生は困惑を隠すことなく問いかける。
「……どういうつもりだ、霧道」
「あ? どういうこともなにもねぇよ。昨日、勧誘しに来た部活の先輩から聞いたぜ。この学校で体育の授業は、基本的に異能ありきでの戦闘訓練だってな。しかも初回は特別に生徒達での模擬戦闘を行わせるってな」
その言葉には素直に驚く。
こんな馬鹿丸出しの男がこの学校における体育の授業を警戒して……いたかどうかは別として、先輩に聞くというある意味最も効率的な手段で情報を入手していたとは。
「……その通りだな。この学園において、学業、部活動と並んで重要視されるのが、他でもない『武力』そのものだ。故に体育の授業では生徒達の異能を伸ばし、場合によっては身体能力の向上にも力を入れることを目的としている。そして、その初回にランダムで二人の生徒に戦闘を行わせる、というのも正解だ」
「だったらよ、俺とアイツに戦わせろや、榊よォ」
かくして霧道が指さしたのは、他でもない僕だった。
それには思わず正気を疑う。
頭でも沸いたんだろうか?
周囲の生徒達も同じように困惑しているらしく、倉敷が驚いたように口を開く。
「ちょ、ちょっと霧道くん!? なんで雨森くんを――」
「決まってんだろうが! そいつがさっき、朝比奈のことを無視しやがったからだ!」
対して返ってきた言葉に、僕はギクッとして、生徒達は首を傾げた。
朝比奈は首をかしげており、困惑を隠そうともしない。
「……何を、言っているのかしら。私がさっき、彼に手を振ったことを言っているのだとすれば、単純に彼が気づかなかった、と言うだけでしょう」
「そ、そうだよね……?」
「うん、そう見えたけど……」
朝比奈譲の言葉に肯定の言葉が聞こえてくる。
これでも嘘と演技が得意なんだ。
朝比奈嬢たちの反応を見るに、さっきの『振り』がバレたというのはなさそうだ。
なら、どうしてそんなことを言い出したんだと首をかしげて……。
「……あぁ、なるほど」
すぐに理解が及んだ。及んでしまった。
見れば霧道の顔は喜色に歪んでおり、反吐が出そうな程に忌々しく思えた。
「その態度! 腹立つんだよお前よォ! 弱ぇくせに朝比奈に話しかけられて、挨拶までされてそれを無視たァ、てめぇみてぇな雑魚に朝比奈が挨拶してること自体分不相応だと知りやがれ!」
多分、これは『嫉妬』と『見栄』だ。
僕みたいなのがクラス一の美少女『朝比奈霞』に話しかけられてて腹が立つ。
だからこそそれを阻止したい。
そしてあわよくば、その雑魚を打ちのめして自分の強さをアピールしたい。
弱きを挫いて強く在りたい。
……ま、考えられるとしたらそんな所か。
「ちょ、ちょっと待ちなさい霧道君! 私は自分の意思で彼と仲良くなりたいと――」
「言われんでもわかってるさ朝比奈! コイツみたいな雑魚がいるから優しいお前は時間を食っちまうんだろ? ならコイツが居なくなればいい。それだけの話だろうがよォ!」
半分くらいは同感だが、残る半分は反吐しか出ない。
もう、ボコる気満々だよあいつ。
やめてくれないかな……。あれだけ自信満々ってことは異能も強いんだろうし。
そうなると、僕は一方的に嬲られるだけだ。
霧道のセリフに、さしものクラスメイト達でさえ僕へと同情の視線を送る。
同情するなら囮をくれ。
金なんかいらないから、もう誰でもいいから代わりにここに立ってくれ。
代わりにあの男の相手してやってくれ頼むから。
そう思わんでもなかったが、この際だちょうどいい。
僕は大きく息を吐くと、始めて自ら口を開いた。
「……うん。いいよ、戦おうか」