4-2『始動』
「雨森くんには、自警団の指南役をお願いしたいの!」
「お断りします」
とりあえず断った。
朝のホームルーム前。
いつものように下駄箱付近で待ち構えていた朝比奈嬢の開口一番だった。
僕は叫んだ彼女の隣をスルーすると、最近ではめっきり僕の無視にも慣れてきた彼女は、特にダメージも……あるみたいね。眉のあたりがピクピクしてるもん。頑張れ朝比奈さん、僕は一切手は抜かないが。
「雨森くん? 私も……最初は勘違いしてしまっていたけれど、雨森くんは、この学園においてもかなり強い方だと考えているわ。特に、能力無しの近接戦においては雨森くんが負ける未来が想定できない」
「あっ、今日占い最下位だ。なになに、悪質なストーカーに付きまとわれる、と。これは気をつけないとなー」
「は、話を、聞いていただけ、ない、でしょうか……」
苦しそうに胸を押さえる朝比奈嬢。
僕はため息と共にスマホから顔を上げると、無表情を彼女へ向ける。
「話なら聞いている。けど、聞いた上で断っている。熱原の時や、新崎の時は特別だった。僕に直接被害が及ぶ。だから戦ったし……あれだけの怪我をしても後悔はない。けれど、自警団とやらは話が別だ」
自警団ってのは、こっちから事件に絡みに行くんだろ?
それは嫌だよ、事件がやって来て、仕方なく対処するなら別にいい。対処するのもしないのも【自由】なのだから。対して、自由はなく、事件があれば必ず対処しなければいけないなんて、僕からすれば考えられない。
「それに、一番の理由。お前を信頼も信用もしていない。そんな女の下で働くつもりは毛頭ない。最低限、信頼されるだけの実績、なにかあったか?」
「……っ! そ、それは……」
無い。
今の彼女には、無いのだ。
能力はあれど、カリスマはあれど、魅力はあれど、実績がない。
この先いくらでも手に入れることは出来るんだろうが……今、この時点においてそんなものはどこにもない。
「……たしかに、黒月くんからも言われているわ。今はまだ、興味本位で入団してくれる人もいるけれど、実績がいつまでも無いままだと、必ず人は消えていく、って」
「さすが、天才は言うことが違う」
「……ええ、彼には、いつも助けられてばかりよ」
嬉しそうに笑った彼女の言葉には、信頼が色濃く見えた。
あれま、これってもしかして……朝比奈嬢と黒月のラブロマンスでも始まるんじゃなかろうか? だとしたら僕は全力で応援するよ。僕は星奈さん一筋なんでね。
「……ええ、雨森くんの言う通り、順序が逆だったわね。私はまだ、あなたの信頼を勝ち取れていない。……こんな状況で、自分の希望ばかりが通ると思っていたのが間違いだった」
吹っ切れたように、朝比奈嬢は笑顔を見せた。
彼女はたたたっとかけていくと、しばらく行ってから僕を振り返る。
「なので、雨森くん! 待っていてちょうだい! 私が完全無欠に完璧に、文句の付けようのない実績と功績と信頼を積み重ねて、あなたを改めて勧誘しに行くその日まで!」
「だから、断ると言っているんだが」
「それでも、私は貴方に隣に立ってもらいたい」
……なんだか、面倒な女になったな、こいつ。
ちょっと前まではなにか言えば直ぐに心が折れる脆弱だったのに。
それがいつの間にか、こんなにふてぶてしくなりやがって。
良い意味で、とても厄介に成り果てた。
僕は大きく息を吐く。
そして、彼女の真正面から見つめ返した。
「何故?」
「……そうね。私が困っている時、雨森くん、アドバイスしてくれて……助けてくれたでしょう? 私は助ける存在であって、助けられる存在ではない。にも関わらず、貴方は私に、道を示してくれた。……だから、かしら」
熱原に敗北し、かなり堪えていた時の話だろうか。
あの時は、ただの気まぐれで彼女へとアドバイスを送った。
だけど……あの状況の朝比奈に、倉敷が何も言わなかったわけが無い。
彼女から何か言われてなお、そういう感想を抱いているのだとしたら……おい倉敷、どうやらお前の【薄っぺらさ】を直感してるみたいだぞ。無自覚みたいだけどな。
「あの言葉に、どれだけ救われたか」
彼女は言った。
どこか恥ずかしそうに、頬を赤らめながら。
「貴方が隣にいれば、きっと私は誰にも負けない。貴方と二人で戦えば、負ける気がしない。だって、貴方は私を助けてくれるし、私は貴方を助けるのだから」
詭弁だな。
そう思った。
けれど、口に出さないくらいの配慮はできる。
「けれど……そうね。貴方の信頼を勝ち取るためにも、そんな甘えたことは言えないのでしょうね。……だから、ここに朝比奈霞は宣言するわ」
彼女は、覚悟の炎を瞳に灯す。
これはきっと、嵐の幕開け。
僕が望んで止まなかった。
学園が崩壊する、最初の一歩。
「私はもう、誰にも負けない」
思わず惚れてしまいそうなほど、カッコイイ覚悟だった。
☆☆☆
しかしながら、僕の推しは変わらない。
「雨森くん、この本も、おすすめです」
「はい、全部読ませて頂きます」
そう、我らが女神、星奈さんである。
過去にも未来にも、きっと彼女を超える女神はいなかったろう。
現に、星奈さんがC組に来てから受け取ったラブレターの数、優に12通。
中には他学年からの手紙もあったらしいが、いまのところ、星奈さんは全ての告白を律儀に断って回っているらしい。
えっ、その理由?
好きな人がいるから……とか言われた日には発狂する自信があります。いっそのこと自殺でもしてしまおうか。
閑話休題。
場所は図書室。
敷地内に様々な施設があるということもあり、わざわざ放課後に図書室まで来て本を読んでいるなんて物好きは文芸部以外に存在しない。
というわけで、好き放題、好きな音量で話せる僕達は、図書室でちょっとした運動をやっていた。
「あ、雨森く……じゃなかった、師匠! これでいいかなっ?」
「あー、もうちょい腕下げて。……あぁ、いいんじゃないか?」
汗だくの井篠を一瞥し、僕は本へと視線を戻した。
彼は一生懸命になって虚空へと正拳突きを放っており、その様子を火芥子さんたちが興味深そうに見つめている。
――一体何をしているのか?
そう聞かれれば、井篠を鍛えているのだと答えよう。
少し前に、井篠から【技を教えて欲しい】と言われたのを覚えているだろうか。
僕はすっかり忘れていたのだが、井篠ってば僕が頷いたことを本気にして、今の今までずっと覚えていたらしい。
僕も『3年間じゃ基礎もできない』と公言していることもあり、退院以降、あまり【弟子入り希望】みたいな人は来ていなかったのだが……彼だけは別だった。
『能力を鍛えるって言っても……鍛えられないほど怪我人が出ないことが一番だしっ。なにより、頑張って無駄になることは無いんだよ、雨森くん!』
とのことでした。
というわけで、僕は井篠へと近接格闘の技術を伝授していた。
まぁ……出席番号、1番と2番のよしみだしな。出来ることは限られるだろうが、本人が望む限りは付き合おう。
「いやー、井篠氏が修行回に入るとは……」
「あぁ、無理に筋肉をつけることはないぞ、井篠。貴様は三次元において唯一、二次元に近しいものを持つ存在なのだから」
「い、言い方がっ、なんだか変な感じするよっ、間鍋、くん!」
正拳突きを放ちながら、井篠は息を荒らげている。
やがて体力の尽きた井篠はその場に膝から崩れ落ち、肩を上下に揺らしている。
「はぁっ、はあっ……はぁっ。あ、雨森くん……、う、たがう、訳じゃないけど……本当に、強くなれるのかな……?」
「ん? まぁ……どうだろうな。最初に言った通り、三年間じゃ基礎を完成させることも出来ないと思う。黒月のような天才は別だろうがな」
やめるのなら今のうちだぞ、と遠回しに告げる。
彼は悔しそうに歯を食いしばったが、すぐに頭を振って立ち上がろうとする。
「そ、それでも……雨森くんがカッコイイと思ったんだっ。僕、頑張ってみるよ、ちょっとでも近づけるのなら!」
「……井篠。ねぇねぇ、雨森? ちょっと、お手本見せてあげなよー」
「……お手本?」
いきなり何を言い出すんだ、火芥子さん。
僕は今、星奈さんからの本を読んでいるんだぞ? それを……わざわざ本を読むのを中断してまでなんでそんなことをしなきゃいけな――
「あっ、わ、私も……ちょっと、見てみたいです。戦ってる時の雨森くんは、なんだか……とってもカッコよかったので」
「よし、やるか」
ヘイヘイヘイ、本なんて読んでる場合じゃないよ!
なんてったって女神様のご希望だからな! 全身全霊ですんばらしいお手本を見せてやるってばさ!
僕はやる気全開で立ち上がると、火芥子さんが引きつったような笑みを浮かべていた。
「私も似たようなこと言ったんだけどな……」
「ふむ、やっぱり雨森氏は星奈氏リスペクトなのですね」
そんな会話が聞こえてくる中、僕は井篠の方へと歩き出す。
「まず井篠。体の構造的に……物理的に、人が出せる【威力】っていうのは限られる。そして、その【物理的】な限界を取っ払うのがこの学園における【異能力】だ。前提として、生身で異能に勝とうと思わないことを頭に置いておけ」
「ん? でも雨森、熱原とか、新崎とか、アイツらとまともに戦ってなかったっけ?」
火芥子さんの疑問が飛んでくるが、その答えは簡単だ。
「たしかにな。威力だけなら熱原と同等までは引き出せるし、一瞬だけでいいなら、新崎の一撃も相殺できる。……だけどそれは、向こうの肉体操作性能が悪すぎるってだけだ」
「……にくたいそうさせいのう?」
井篠が話について来れずに困惑している。
……難しい言葉を使いすぎたかな。
簡単に言ってしまえば、どれだけ自分の力を引き出せているか、だ。
僕は井篠へよく見るように告げて、虚空へと正拳突きを放つ。
その一撃はふわりと風を伴って、二メートル近く離れた井篠の前髪を巻上げた。
「ふわ……」
「うっわ、凄いじゃないですか雨森氏! マンガですよマンガ! もはやそういう世界の身体能力ですよ!」
驚く井篠と、興奮する天道さん。
二人に苦笑しながら、僕はもう一度拳を構える。
「まぁ、今のが悪い例。今のは純粋な腕力だけで薙ぎ払っただけだ。筋力さえつけばなんの技術も必要としない」
「……雨森ってさ、思ってたよりヤバいやつだよね」
「あぁ、三次元の中ではダントツだと思うぞ」
間鍋くんたちの話もスルーする。
出入口の外へと意識を向ける。
気配は……無いな。誰もいないみたいだ。
僕は拳を構えたまま出入口の扉へ視線を向ける。
「で、これが井篠に教える技術。簡単に言えば【全身の筋肉の連結】だ。足から太もも、腰、肩、腕と、流れるように力を伝え……どころか、それぞれの箇所で力を乗算して、拳を放つ」
これは、僕もマスターするのに時間がかかった。
完全に独学で我流だが、力のイメージを頭に浮かべるのが難しいんだよな。そして、今どこにどのような向きで力が流れているかの把握が難しい。
だけど、1度理解してしまえば、それ以降、拳の威力は圧倒的にはねあがる。
「例えば、こんなふうに」
僕は、拳を放つ。
それは先程までとは一線を画す一撃だった。
近くで見ていた井篠が腰を抜かし、遠く離れた図書館の出入口が弾かれるように開け放たれた。
「う、嘘……? えっ? ま、まさか、風圧で扉ぶち開けたとか、そんなファンタジックなこと言わないよね……?」
「その、まさか」
火芥子さんにそう返して、井篠へ視線を戻す。
まぁ、三年間で僕の域まで達しろなんて無茶は言わない。
だけど、僕が本気で技術を伝授するんだ。
最低でも……素手でボクサーを瞬殺できる。
そういうレベルまでは持っていくつもりだ。
井篠は驚いたように、それでいて感動したように目を見開いていて。
僕は、そんな彼へとたった一言問いかけた。
「かなりの地獄になるぞ?」
「うん! 頑張るよ!」
即答を受け、僕は脳内に彼の育成プランをたちあげる。
さて、少しでも使える人材になってくれればいいんだが。
「闘える回復職……万国共通、チートの体現者ですね!」
天道さんが、よく分からないことを叫ぶ。
けれど……よく考えたらその通りだ。
殴っても殴っても自分で回復してしまう近接主体。
しかも強い。
……もしかして、井篠もそうなってしまうのだろうか?
そう考えると、薄ら寒いものが背中に走って。
僕は、内心で期待を膨らませずには居られなかった。
皆様の嫌な予感が的中しましたね。




