3-11『敗北の裏側』
少年は、狂っている。
平然と嘘を吐き。
他者を不要と叩き潰し。
屈強なエゴの下に、揺れることなく。
いつだって物事を平静に見つめる。
倉敷蛍は知っていた。
黒月奏は知っていた。
目の前を歩く男は、出会ったときから壊れていると。
わかっていた。
知ったつもりでいた。
されど、二人には読み違いがあった。
壊れている――だなんて。
そんな可愛らしい言葉で、雨森悠人は表しきれない。
この男は、もっと歪で。
醜悪な、言葉で表せぬような化け物だ。
「四季いろはを、夜宴に入れるぞ」
朝比奈が、新崎との最初の交渉に臨んだ当日。
雨森悠人が、新崎康仁に敗北した日の、数日前。
無表情の少年は、自分の借り受けた教室で、なんの感慨もなくそういった。
「…………はぁ? お前、何言ってんの?」
「四季いろはだ、と言ったんだ。次の夜宴メンバーはあの女にする」
雨森悠人の唐突な発言に、倉敷も、黒月も思考がついて行かない。
倉敷が『とうとう頭がイカれたか』と顔をゆがめる中、黒月は顎に手を当てて考え込む。
「四季いろは……ですか。雨森さんがそういうのであれば否定する余地はありませんが……申し訳ないです。正直なところ、弱いものいじめをして悦に入るだけの、利用価値もない女かと思っていました」
「お前もなかなかキツイこと言うな……。まぁ、私も似たような考えだけどよ。というか今さっき、四季いろはを殴ってたろ、お前? そんな相手の仲間になろうだなんておもうのか?」
二人の疑問も当然だった。
四季いろは、B組のクラスカースト最上位。
C組における朝比奈霞が新崎だとすれば、佐久間の立場にいるのは間違いなくあの女だ。つまり実質、あのクラスを牛耳っている存在と言ってもおかしくは無い。
そんな女が……プライドもあり狡猾さも持ちうるあの女が、間違っても『自分を殴った相手』に靡くとは思えない。
そもそも、何故あの女でなければならないのか。
二人の疑問に、雨森は頷き返す。
「まずひとつ、四季いろはを仲間に入れるメリット。それは、ヤツの持つ能力が主なところだ。決して戦闘系ではないが……僕の知り得る限り、あの系統の能力を持つ生徒は四季いろはを除いて他にはいない」
「……つーことは、既に他クラスの異能まで把握済みってことかよ」
「名前も顔も知りませんが……もう一人の協力者は、余程有能な方のようですね」
二人の言葉に、雨森は無表情で頷いた。
「四季いろはの異能は【嘘王の戯れ】。他者の言葉の真偽を理解し、こちらの言葉を相手に信じやすくする……という、純粋だが、非常に有能な力だ。どうやら、本人は【占い】という異能にして偽装しているようだがな」
彼の言葉に、二人は大きく目を見開いた。
三人が三人とも戦闘に特化している手前、その能力は喉から手が出るほどに欲しいものだった。
なにせ、その力があれば交渉において必ず優位に立てるのだから。
まだ本格的な始動はしていないとはいえ……夜宴という組織は、雨森悠人が仕切っている以上、必ず大きな影響力を持つようになる。
先を見据えれば、四季いろはの存在は非常に大きなものになる。
「なるほど……てめぇの真意は理解したぜ。だが、どうやって落とす? 人の嘘まで分かっちまうなら……かなーり難易度は高いと見えるぜ」
「あぁ。だから……四季いろはの勧誘に関しては、僕がやる」
彼の言葉に、「どーせ私がやることになるんだろ」と策略をめぐらせていた倉敷は、驚いたように目を丸くした。
「お前……正気かよ? まだ、私や黒月みたいな、直接関わりのねぇやつが行くのは理解ができるぜ? でもお前……殴った本人が勧誘にし来て、それを受けるバカがどこにいんだよ!」
「居ないだろうな。だから、作る他ない」
作る、と。
そう言った雨森の表情を見て……倉敷はゾッと寒気を感じた。
その瞳はいつになく冷たい光を灯していて。
ともすれば、その姿は悪魔よりも恐ろしかった。
「聞き及ぶに……恐らく、新崎は手を抜いた状態の僕よりも、さらに強い。あの男なら、遠からず……必ず僕へと直接対決の舞台を用意するだろう。その時点で、四季いろはをこちら側に引き込んでおきたい」
「雨森さん、一体何をするつもりで――」
黒月の言葉に、されど雨森は無表情で返すばかり。
そして、二人は察した。
――彼は間違いなく、【悪】を為そうとしているのだと。
それがどれほどの規模なのかは分からない。
想像すらできない。
それでも、目を背けたくなるほど残酷で。
背筋が冷たくなるほど凄惨で。
誰もが指をさし、悪と断ずるような、良くないことをしでかすつもりだ。
「雨森、てめぇは――」
倉敷が何とか絞り出した言葉に。
彼は、僅かに口角をつり上げた。
「いつも通りの敗北に向けて、少し、準備をしてくる」
きっと彼は、確たる未来を見据えている。
それはまるで、未来予知のような正確さで的中するのだろう。
倉敷は、何となく、そう思った。
☆☆☆
「……ったく、ほんっとにイライラするわね……!」
金曜日の夕方。
誰もいなくなった教室で、四季いろはは荒れていた。
彼女の鼻には大きな絆創膏が貼られており、彼女はズキズキとした痛みに顔を顰め、窓の外へと視線を向ける。
――四季いろはは、賢かった。
いや、慎重と言った方がいいかもしれない。
新崎という規格外により一斉に一整されたB組において。
それでも膝を屈することなく、虎視眈々と在り続けた。
それはひとえに、新崎康仁へ一切の信頼を寄せていないから。
新崎康仁は控えめに言っても怪物だが。
それ以上が現れるかもしれない。
新崎康仁が負けるかもしれない。
そしてそうなった時、全てを新崎に依存しているB組は崩壊する。
そうなってしまえばお終いだ。
この学園生活が終わってしまう。
異能もあり、金もあり、友もいる。
幸せな今が終わってしまう。
それだけは、絶対に嫌だ。
嫌だからこそ、新崎康仁には依存しない。
(まあ、新崎も、私が屈してないってのは分かってるでしょうけど)
それでも四季いろはを見逃し続けている理由は……ひとえに、四季いろはが新崎康仁の邪魔をしていないという一点に依るものだろう。
あの男の行動理念はただ1つ。
自分の理想とする【秩序】を作る。狂い果てた正義の名下に。
そのために邪魔な存在は潰す。
だけど、間違っていない存在には寛大なのが、新崎康仁という男だ。
「……もう、帰ろうかしら」
四季は不機嫌だった。
雨森悠人とかいう男に殴られたから。
憎悪に燃えて、殺意すら覚えて。
友人たちと普段通り接することが出来るか分からなかったから。
だから、今日と、明日、明後日の土日の三日間で、なんとか正常に戻さねばならない。冷静にならねばならない。
彼女は席を立つと、大きく息を吐いて黒板の方へと視線を向ける。
さて、帰ろう。
心の中で呟いて。
そして、彼女の肩を、誰かが叩いた。
「………………はっ?」
そして、彼女の視界が黒く染まった。
視界が全て失われた。
暗くなったのではない、何も見えなくなったのだ。
一寸先も見えない暗闇だ。
まるで、目が悪くなったように。
「な、なに!? な、なんなのよこれ……!」
四季いろはは、恐怖を感じて思わず叫ぶ。
すると声が反響して、すぐに返って来るのが分かった。
おそらく、小さな屋内なのだろう。
だとしても、どうして?
さっきまでは、教室に居たはずなのに。
「も、もしかして、瞬間移動……!?」
そんな能力……この学園において有り得るのか?
最強の異能力者の一端である、朝比奈霞、新崎康仁でさえ、そこまでの速度は出せない。あくまでも速いだけ、力が強いだけ。瞬間移動のような圧倒的な力は持ってはいない。
「で、でも、どうして――」
「ほう、自分がどんな立場にあるか、理解出来ぬ様子だ」
四季の声に、見知らぬ声が返ってきた。
瞬間、視界の中に人影が見えてくる。
驚いて注視すれば、その人影は男子生徒のものだった。
いつの間にか、真っ暗な闇は無くなっていた。
けれど、依然として薄暗いことには変わりない。
恐らくは……体育館の倉庫内だろう。
暗くて、埃臭くて、居るだけで気が滅入ってくるような小さな倉庫。
その倉庫内に、四季いろはと、その男子生徒は立っていた。
「だ、誰なの!? ど、どういうつもりで――」
「俺か? 俺は……まぁ、なんだっていいさ。これを見れば分かるだろ」
「ね、ネクタイ……その色……に、二年生!?」
薄暗い室内においても、彼のネクタイが自分と違う色なのは確認できた。
校則において【他学年のネクタイを着用、偽装することの禁止】とある。
となると、目の前の男子生徒は二年生で間違いはないだろう。
「で、でも、なんで! 私は二年生と関わりなんて……」
「無いな。だからこそ、俺たちを恨んでくれていいぜ。お前は何も悪くない。ただ、B組が傍迷惑なだけなんだから」
「……? 俺、たち……ッ!?」
四季いろはが首を傾げると、暗がりの中から多くの生徒が姿を現す。
いずれもが二年生の生徒たちだ。
彼ら彼女らは殺意や警戒を瞳に宿して四季いろはを囲んでいる。
それは、一学生である四季にとっては絶望が過ぎる光景だった。
「な……ど、どうして! どうしてですか! 私は何もしていない、私は悪くない! なんでこんなことを……ぐふっ!?」
「うるせぇな、ちょっと黙れよ」
男子生徒の拳が、四季の腹を撃ち抜いた。
あまりの威力に、彼女は地面へと崩れ落ち、胃の中身をぶちまける。
汚い吐瀉物が体育倉庫を汚し、男子生徒は蹲る四季の頭を踏みつけた。
「安心しろよ。誰も女には困ってねぇ。というか、てめーみたいなガキくせぇ女、誰も興味も抱かねぇ。だから、てめぇは犯さず、ただ殴られ、利用されるだけの【人質】ってのになってもらう」
「ぐ、ぅ、っ……な、んで、どうして!」
四季いろはは叫んだ。
目の前の絶望をなんとかしようと。
痛みを、悲しみを、不安を恐怖を、かき消そうと。
これは間違いだ、これは夢だ。
そんな感情を言葉に乗せて、叫びを上げて。
「新崎康仁。あの男は危険すぎる」
その言葉を聞いた瞬間、四季の中で何かが悲鳴をあげた。
「…………はぁ?」
「俺たちの学年には、能力鑑定、って能力者が居てな。お前たちを順々に品定めして行ったんだが……その中でも、あの男は別格だった。朝比奈霞とやらもなかなかだったが、あの男はさらにその上を行く。……遠くないうちに、あの男は一年を締めるだろう。そうなった時……四季いろは。てめぇの能力は邪魔でしかねぇんだよ」
突きつけられた言葉、その事実。
それを理解ができないわけじゃない。
純粋に、理解したくなかった。
だって、理解してしまえば。
もう、どうしようもないと悟ってしまうだろうから。
「……ッ、う、嘘よ、嘘よ! そんなこと!」
「うるせぇな、囀るなってんのが分からねぇのか?」
男子生徒の蹴りが、四季の顔面を捉える。
雨森に殴られた鼻が悲鳴をあげて、真っ赤な鮮血が吹き上がる。
彼女の体は大きく吹き飛ばされ、木製の柱へ背中を強く叩きつける。
「が、はぁ……!」
「ねぇねぇ、このガキ、もう面倒だから殺しちゃわなーい?」
近くにいた一人の女子生徒が声を上げる。
その言葉に、痛みと恐怖と絶望で、四季はどうにかなってしまいそうだった。
「今のうちに写真撮っちゃってさー。そんでもって殺しちゃうのよ。新崎とかいう一年生にはその写真送って、人質、ってことにすればいいでしょう?」
「ひ、ひぃ!?」
「ほーら、監禁してるだけでも面倒でしょ?」
女子生徒の上靴が、四季の顔面を蹴りつける。
決して強いわけではなかったが、傷をえぐられたような痛みが走り、四季は地面をのたうち回る。
「私の能力は【激痛再来】……かつて感じた痛みを再現する能力。どうやら、最近になってかなりの痛みを負ってたみたいね。あー、かわいそ。今、楽にしてあげるからねぇー」
「おい、勝手に動くな。誰も殺せと言っていない」
女子生徒が懐からナイフを取り出して。
それを、暗闇の中から誰かが制した。
それは、明らかに大人の声だった。
「……! せ、先生! この学校の先生ですか!? お、お願いします! なんでも、何でもしますから助けてください! そ、そうだ! 校則違反! これって校則違反じゃないんですか!」
四季は、その声に希望を見いだした。
この学生たちは、ダメだ。
新崎康仁という脅威に心が折れている。
真正面から戦わず、絡め手や人質などを取る事でしか戦おうとしていない。いくら言葉を弄しても意味が無い。
それは、【嘘王の戯れ】でも明らかだった。
(こいつら……ほとんど嘘は言ってない! 殺す気だった! 私を殺す気でナイフを持ってた! 止められてなかったら殺されてた!)
唯一の嘘は、新崎康仁が最大の敵だと言ったこと。
おそらくは、新崎以上の何者かの存在を見つけたのだろう。
その対応はどうしたのか? その存在は危険じゃなかったのかもしれないし、既に、他の生徒たちが向かっているのかもしれない。
ただ問題は、今、目の前に危険が迫っているということ。
「先生! 先生――」
「おい、そのガキを黙らせろ」
彼女は必死になって声を上げるが。
暗闇の中からは、聞きたくもない返事が返ってきた。
すぐさま身体中へと激痛が走り、男子生徒の右足が四季の腹部を蹴りあげる。
「げ、は……っ、げほっ、ごがっ……」
「……これだから頭の悪い子供は。教師がなんの利益もなく、こんな狂った学校で働いているとでも思っているのか?」
「な、に……を!」
朦朧とする意識の中で、四季は問う。
対して返ってきたのは、最悪の答えだった。
「【何でもひとつ、好きな能力を得られる】」
その言葉に、四季いろはは絶句した。
「な……!」
「この学園は、敷地内において全てが完結している。暮らす分に不十分は一切ない。加えて、学園より給料として多額の金額と、学園長より、各々が【加護】の力を授かっている。……力も権力も金もある。そんな楽園にも落とし穴があってな。退学を一定数出してしまえば、その能力が奪われてしまうのだ」
男の声は、不安に揺れていた。
「我が生徒たちは、控えめに言っても優れている。だが……新崎康仁。あの男は格が違う。アレを見逃す訳には行かない。まして、あの男に貴様のような能力者がついているとなれば……無論、片方を消す他あるまいよ」
「……! ……っ、っ!」
恐怖に、四季の体が震える。
この教師も、ダメだ。
いや、この感じだと、学園の教師陣全てが腐敗している。
力を与え、権力を与え、金を与え。
その上で、それらの与奪権は学園長が持っている。
なれば、教師陣はどんな手を使ってでも生徒たちの味方をするだろう。
なにせ、自分を構成する社会的要素のほぼ全てを人質として取られているのだから。
「お前については、新崎康仁へと伝えておこう。助けたければ、能力を弱体化させた上でここへと来るように……とな。生徒たち全員で迎え打てば、勝てぬということはあるまい」
そして、と。
暗闇の中から、男性教諭は楽しく笑った。
「お前は新崎康仁が助けに来るまで、暗闇の中で殴られ蹴られ嬲られ抉られ刺され焼かれ穿たれ叩かれイカれて狂い果てるまで、人質として絶望の限りを味わってもらう」
「ひ、ぃ……っ」
既に、四季からは悲鳴も出ない。
絶望に膝が震える。痛みのあまり目眩がする。
現実は決して変わらず。
そしてきっと、助けも来ない。
だって相手は、新崎康仁なのだから。
「さぁ、四季いろは。お前は何ヶ月持つだろう?」
その言葉が、悪夢の始まりだった。
暗闇の中、暴力と恐怖と絶望と。
嘘を見抜く彼女は、まだ知らない。
嘘すら塗りつぶす狂気があることを。
次回【前日譚】
この作品の中で。
最も狂った話になります。




