3-10『決死の十分間』
拳、拳、拳。
幾度となく繰り出される暴力。
防ぐ度、躱す度。
積み重なる衝撃に、痛みに。
雨森悠人は苦笑する。
あぁ、くそ。
なんて面倒くさいヤツ。
その能力は、一言で表せば【怪力】だった。
それも、並大抵の力じゃない。
大地を砕き、森を素手で薙ぎ倒す。
そんな、現実に実用化しちゃいけない類の暴力だ。
「ほぅら!」
実に楽しげな声と共に、ガードをすり抜けて拳が入る。
腹に衝撃がつきぬけて、さらなる鮮血が吹き上がる。
そして、周囲から悲鳴が巻き上がる。
「あ、雨森……く、ん……っ!」
掠れたような、星奈さんの声が聞こえた。
彼女の方へと視線を向けようとするが……新崎が倒れる僕の前髪を掴み、無理やりに自分の方へと視線を向けた。
彼は笑っていた。
楽しそうに、嬉しそうに。
満面の狂気を浮かべていた。
「口ほどにもねぇな!」
実に、爽やかな一声だった。
「いやー! あれだけ啖呵切ってたんだから、よっぽど強いのかと思ってたけど……くそざこにも程があるでしょ! 何その弱さ! もしかして、そんなざこ加減で、僕のことをとやかく言っていたのかなー!」
こいつ……いい笑顔ですごい悪意を吐いてくるな。
そして何気に『熱原以下』って言ったことを根に持っているっぽい。僕は小さく息を吐くと、ヤツの腕を握り締める。
「悪い、興味なくて聞いてなかった」
僕は、右腕に思い切り力を込める。
全力全開、全霊をもって力を込めた右腕は、いとも簡単に新崎の右腕を粉砕する。
骨が折れるには凶悪すぎる破壊音。
きっと、折れたのではなく砕けたのだろう。初めて、新崎の顔に痛みが浮かんだ。
「ぎ……っ! こ、この……くたばり損ないにしか見えないんだけど、なーんで、そんなに力が残ってるのかなぁ!? なに、もしかしてパワー系の能力者だったりするのかな!」
「……悪い、な。これが、素の身体能力、だ」
僕は立ち上がると同時に走り出す。
内臓破裂、体の骨は砕けてるし、痛みもキツイ。
けど、熱原と戦った時の方が重傷だった。
僕は一気に新崎との距離を詰めると、掌底で奴の顎をかちあげる。
踏ん張りが利かずにあまり威力は出なかったが、新崎は僅かに体勢を崩し、たたらを踏んだ。
それだけ時間があれば、十分だった。
「――吹っ飛べ」
体勢を崩した新崎へ。
無数の拳を、ぶちかます。
一秒間で、およそ五発。
あくまでも『人間の範疇』でギリギリ収まるか収まらないか、程度の連打。
両の拳に、肉を殴り付ける鈍い感覚。
新崎は悲鳴もなく吹き飛んでゆくと、勢いそのまま壁をぶち破り、C組へと吹き飛んでゆく。
「ひぇー、いった〜い」
しかし、C組の方から返ってきたのは、全くこたえていなさそうな軽い声。
僕はC組との壁を超えると、新崎の体は教卓のすぐ隣にころがっていた。
まるで実家でくつろぐように。
あくびをかいて、寝転がっていた。
砕いたはずのその腕は。
既に、完治しているように見えた。
「……化け物か」
「その言葉さー、そのまま返すよ?」
彼は、ひょいと飛び上がる。
立ち上がった、その直後。
つま先が床についた瞬間。
一気に僕へと駆け出した。
「ハァッ!」
物凄い笑顔で。
僕へと拳を叩きつける。
それに対して咄嗟に拳で相対するが……なんつー威力! あの時の熱原よりも強いんじゃないかこれ!
「ぐっ」
「まだまだぁ!」
そして、連打連打。
無数の拳が放たれる。
それに対して同じく連打で相対するが、速度も威力も、今の僕よりさらに強い。
徐々に、されど確かに。
僕の方が押されてゆく。
拳が、次第に僕の身体を抉る。
この威力、この手数。
さすがに全ては捌ききれない。
「ほらほらァ!」
彼の拳が顔面に刺さる。
と同時に後方へと飛んだためダメージはゼロだが、周囲からは悲鳴が上がる。
「あ、雨森くん!?」
朝比奈の声が聞こえる。
体勢を整えて着地し、立ち上がる。
前方を見れば、新崎は不思議そうに首を傾げていた。
「……? あれっ、変な感じー」
「体調でも悪いのか、帰っていいぞ」
というか、帰ってくれない?
さすがにこれ以上はしんどいんだけど。
……って、こんなこと言っても帰ってくれるとは思ってもいないけど。
僕はぐるぐると肩を回す。
少しだけ。
制限していた力を、解放する。
全身が僅かに熱を発する。
新崎はなにか察したのか、その眉がぴくりと動いたが、それだけだった。
「帰らないよー。お前を殺すまでは」
「……あぁ、そう。それならそれで」
僕は大きく息を吸う。
全身へと空気を巡らせる。
一気に、瞬間的に。
全ての筋繊維を爆発させる勢いで。
僕は、駆ける。
「全力で、時間稼ぎに努めさせてもらう」
新崎の視界から、姿を消す。
さっきまでとは別種の速度に、新崎は大きく目を見開いたが。
その時既に。
僕は彼の背後に在った。
「――ッ!?」
焦る新崎を前に。
両腕を使って、奴の首を絞める。
いわゆる裸絞め、ってやつだ。
「うわぉ、もしかして有名な柔道選手?」
「黙って落ちろ、新崎康仁」
言って、僕は両腕へと力を込める。
新崎康仁……身体能力は『今』の僕と互角。
殴り合えば分かる。この威力にこの速度、間違いなく倉敷と同系統、同等の能力と考えるべきだ。
「だが、さすがはB組の覇王」
「あ? 随分余裕あり気じゃん」
いや、いうほど僕に余裕はないよ。
僕は自分で強いという自負はあるけど。
その中でも体力にはあまり自信がないんだ。
まともな身体能力で戦う僕と。
異能で身体能力をサポートする新崎と。
素の身体能力は僕のほうが遥かに上でも、実際に戦ってどちらの体力が長く続くか。
……正直自信はない。
「脳への酸素供給を断ち切る。悪いが……十分経つ前に眠ってもらう」
いくら強くとも。
いくら異能が高位でも。
それでも彼は人間だ。脳への酸素供給さえ閉ざしてしまえば、その時点で彼の行動は停止する。一瞬で意識を刈り取れる。
時計へと視線を向ける。
既に、開始から六分以上が経過している。
純粋な戦闘による『引き伸ばし』はこれが限界だった。
これ以上本気でやると【殺し】の可能性が入ってくる。
どっちが死ぬにせよ、それはまずい。
こっから先は、絡め手、寝技、絞め技、全部使って時間を稼ぐ。
「……っ、……!」
新崎は、僕の両腕へと手をかける。
僕はさらに力を込めて彼の抵抗へと返してやると、新崎は、なにか諦めたように息を漏らした。
もしや降参か? そんなことを思った……次の瞬間。
ぶわりと、彼の【筋肉】が肥大化した。
「――神帝の加護、50%」
響いた声と、そして、動き始めた僕の両腕。
その光景には、さしもの僕も驚いた。
「う、そだろ……?」
「それはこっちのセリフだよー。だって、この能力を50%まで引き上げて……ようやく素の身体能力に勝つことが出来たんだ。雨森ー、お前、ホントに人間?」
その言葉、そのまま返してやりたかった。
これでも、一般人相手には使えないほど力を込めてるんだ。
それが……どうして、何故、さらに先があるんだ。
「おっ、不意発見!」
「ゥ……ァ、ッ」
僅かな隙を狙われ、肘打ちが脇腹に入る。
あまりの衝撃に力が緩む。その一瞬を狙って新崎は拘束から解放されると、花のように満開の笑顔を浮かべてきた。
「ねぇ、どんな気持ちかな、雨森? 全然通用しない、って」
「ば、化け物、か……」
こいつは予定外。
新崎の能力を最大限、高く見積ったつもりでいたが、さらにその先があったか。
……今の絞め技で勝てればよかったんだが。
想像した中でも一番面倒なことになったな。
僕は大きく息を吐く。
そして、聞き覚えのある声が響いた。
「ま、待って! 新崎くん! それ以上は……雨森くんが死んじゃうよ!」
そう、我らが委員長、倉敷である。
彼女の悲痛な声を、新崎は一瞥する。
……そう、一瞥しただけだった。
彼は変わらず僕の方へと歩を進め、楽しげに笑うばかり。
「なーに言ってんだろうね? 雨森。殺すって最初に言ったはずだよ?」
「――させると、思ったか?」
これまた、聞き覚えのある声だった。
僕らの間へと黒い球体が飛来し、新崎は驚いたように後退した。
彼は視線をC組の方向へと……いや、正確には黒月奏へと向けると、不機嫌そうな笑顔を見せた。
「えっ、なにー? 邪魔する気? それってルール違反じゃないの? ぶっ殺すよ? 黒月奏」
「やれるものならやってみろ。……それに、明確にルールを明記しなかったのは貴様だ、新崎康仁。貴様の告げた中に【他者が介入してはならない】という言葉はなかった。……つまり、俺たちが雨森を守ろうと、なにか咎められる訳でもない」
……さすが黒月、よく話を聞いている。
僕が彼の立場なら、きっと同じようなことを言っているだろう。
そんなことを思って内心笑うと、僕の前へと影が差した。
驚き見上げれば、そこには星奈さんの姿があった。
「あ、雨森くん……! こ、これでも、私は文芸部の部長なのです! なので、守られるよりも……大前提として、部員を守る義務があります!」
「……星奈さん」
僕を背に庇う星奈さんを見て、なんだか無性に感動した。
やばい、どうしよう。この背中を見れただけで頑張った甲斐がある気がする。もう、試合に負けても勝負には勝った気がしてならないね。
そうこう考えていると、僕や星奈さんの前へと、倉敷や黒月が姿を見せた。
まるで、僕や星奈さんには手は出させないと。
そう言わんばかりの仲間たちの行動に、さしもの僕も目頭が熱くなるね!
「さて、新崎。そろそろ、残り二分を切ったようだぞ」
「……はーあ、なにそれ、冷めるんだけど。仲良くみんなでごっこ遊び? なんなの、友情ごっこがそんなにお好き? 誰かのために誰かが動いて、それに感謝して咽び泣くつもり? ……くっそも笑えないね!」
されど、新崎は止まらない。
あまりの威圧感、強者としての風格。
本当にこの男は……一人でC組を敵に回せるだけの力があるのかもしれない。
だけど、学校そのものを敵に回せるだけの力はない。
新崎は拳を構える。黒月は一切動かない。
彼は振り上げられた拳を前に、たった一言口にした。
「――ちなみにこれは、闘争要請には含まれない」
その言葉を受け、新崎の拳がピタリと止まった。
それは、黒月の眼前数センチの場所であった。
「……いま、なんて言ったのかな?」
「らしくないな。雨森に挑発されたか、どうやら冷静な状態ではないらしい」
黒月からの相談はない。
これは恐らく、彼の独断によるものだろう。
だからこそ目に見える形であらわになる、彼の知略。
「あくまでも俺たちは、勝手にこの闘争を妨害しているだけに過ぎない。つまり、俺たち、C組は闘争要請の中には含まれていない」
「……つまり、ここで暴力を振るえば、校則違反は免れない……って話かな?」
校則違反は、この学園において最も恐れるべきもの。
並大抵の相手ならば……いや、例え熱原レベルのドイカレ野郎だったとしても、賢い相手ならばこれで黙る。黙って下がる。だけど。
「くだらないなぁ。そんな理由で僕を止めたの?」
新崎の拳が、情け容赦なく黒月へと叩き込まれた。
あまりの一撃に黒月は勢いよく吹き飛ばされる。
咄嗟に後ろへ飛んだようだが……それにしたってあまりある威力。黒月の体は廊下の方まで吹っ飛んでゆき、瓦礫に埋もれた体はピクリとも動かない。
「なんで、僕が誰かに縛られないといけないんだよ」
彼のスマホが震える。おそらく、巨額の罰金が記されたはずだ。
それでも新崎康仁は止まらない。
彼は賢く、それ以上に気狂いしている。
だから、罰金、退学程度じゃ脅しにもなりはしない。
それを……きっと、黒月も理解していた。
だからこその、【最善】だった。
「……? なんだよこれ……面倒くさいなぁ!」
皆が唖然と黒月を見つめる中、新崎の苛立った声が響く。
新崎の身体中には無数の鎖が巻きついており、あれだけの怪力を見事に封じきっている。これだけの強度を持った鎖……誰の能力かと聞かれれば、きっと黒月に他なるまい。
「……ッ、C組の先生! ちょっと! こいつら……黒月も含めて、闘争要請には含まれちゃいないんでしょう! これって校則違反じゃ――」
「……ふむ。なるほど、こういうことか。予め、黒月の奴から【危害を加えられた際に発動する防衛魔法】というものを聞かされていてな。黒月の言い分を信じるなれば……それは正当防衛ということになるな」
「ちっ……これだから学園側は役に立たないね!」
榊先生はもちろんC組側だろうし。
B組の担任はおもいっきりB組の敵だろうし。
新崎は強いが、学園側に味方が居ない。
それは、彼の持つ数少ない弱点だろう。
黒月は、そこを突いた。
新崎はさらに力を込め、黒月の鎖へと対抗している。
黒月の力が【万能さ】に長けている分、純粋な力較べでは新崎の方が上を行くはず。嫌な音を立てて鎖が軋み、弾けてゆき、その度に新崎は僕の方へと歩みを進める。
「あーもう、やになってくるね! 残り……一分くらい? もう……仕方ないね、雨森。本気で潰すから、遺言は死んだ後にでも残してね!」
やがて、全ての鎖が弾け飛ぶ。
黒月の【魔王の加護】でさえ、抑えられたのは数秒がいい所。
規格外すぎるだろ、なんなんだこの男は。
内心で頬をひきつらせる僕の前に、もう一つの人影が差した。
「悪いけれど、全力で阻止させてもらうわ、新崎康仁」
そこに立っていたのは、我らが朝比奈霞であった。
見ていたところ、どうやら黒月におもくそ引き止められていたらしいが、彼も無意味に朝比奈嬢を留めていた訳じゃない。
僕が限界ギリギリまで時間を稼ぎ、黒月が体を張って、それでも届かないであろう【わずか数十秒】を稼ぐため、朝比奈嬢を温存していた。
……おそらく、倉敷あたりの入れ知恵もあるんだろうが……有能な仲間を持ったもんだ。
「来るなら来なさい。ただし――同じ正義の味方を自称するならば分かるでしょう? 私もまた、校則違反に縛られるような人間じゃない」
既に、残り時間は一分を切っている。
新崎が規格外だと言うならば、彼女も彼女で十二分に規格外。
今までの誰もが『頑なに戦おうとしなかった』傑物。
言葉を弄し、煙に巻き、万策尽くして戦闘を回避した。
霧道は最後の最期まで朝比奈には手を上げようとしなかった。
熱原は、挑発の限りを尽くして朝比奈との戦闘を回避した。
そしてそれは、新崎も同じこと。
おそらく、新崎とまともに戦えるのは彼女くらいなものだろう。
「……朝比奈、霞!」
「あら、どうしたのかしら新崎くん。思う存分、雨森くんを襲ってくれて構わないわよ。だって、私が、命を賭しても守るから」
朝比奈嬢の覚悟を前に、さしもの新崎でさえ足を止める。
彼は笑顔のまま彼女を見つめているが、決して楽観的な雰囲気ではなく。
まるで猛獣が睨み合っているような感覚を覚える。
時計へと視線を向ければ、既に規定の時刻まで十秒足らず。
新崎が『本気』とやらを出せば、瀕死の僕を殺すには十分すぎる時間。
されど、新崎が出した答えは、想定とは反対のものだった。
「やーめた! なんか冷めちゃったよ、つまんねー!」
彼は爽やかな笑顔で毒を吐き。
そして、僕らのスマホが鳴動した。
《闘争要請終了のお知らせ》
闘争要請に勝利しました!
雨森悠人VS新崎康仁
雨森悠人の勝利により、星奈蕾はこの時間より1年C組へと編入になります。
スマホにはそんな文字が浮かんでいる。
新崎は僕を見下ろすと、嘲るように口を開いた。
「雨森ー。お前、弱すぎ。ちょっとは戦えるみたいだけどさ、もう大体分かっちゃったよ。お前は僕の脅威足りえない。……むしろありがとう! お前のおかげで……より大きな脅威に気づけた」
既に、新崎の興味は僕から移り変わっていた。
おそらく、今の彼が興味を抱いている先は――朝比奈霞と、黒月奏。
「朝比奈さーん、これで終わったと思わないでね?」
「もちろんよ。今日、この時点から……あなたは私の敵へ成り果てた」
そう言って朝比奈嬢は、新崎へと背を向ける。
彼女は座り込む僕の前へとかがみ込むと、優しく微笑む。
その笑顔は天使のようで……何かを覚悟した人間のようで。
その目の奥には、燃えたぎる炎が見えていた。
「私はもう、出し惜しみは一切しないわ」
それは、朝比奈霞という、化け物の目覚め。
この学園を巻き込む、巨大な嵐の覚醒。
視界の端で、倉敷が『予定通り』と笑うのが見えて。
僕は、まぶたを閉ざして意識を落とす。
その直前で。
B組の四季いろはが、僕を見ていたのが視界に映った。
いつもどおりの敗北。
予定通りの、思う通りの敗北。
多少の読み違いはあったにせよ。
当初の予定通り、望む形で敗北できた。
少年は満足して、瞼を閉ざす。
意識はやがて、闇へと沈む。
その刹那。
彼は思い出す。
新崎康仁と戦うにあたって。
自身が行ってきた裏工作を。
新崎自体、気づくこともない。
されど決定的な暗躍を。
次回『敗北の裏側』
第3章は、これより本番。
狂人、雨森悠人。
他者を蹴落とし、踏みにじり。
その人生を潰してまで、最終的な勝利を目指す。
そのために。
少年は、一人の少女に目をつけた。
※少しだけ時は遡り、時系列的には『3-8 手紙』にてラブレターを受け取る前の話になります。




