3-9『対峙』
「やっほー、雨森悠人! 僕と殺しあおうよ!」
放課後。
さて、文芸部へといきますか!
そんな気分で席を立とうとしたところ。
……なんというか、そんな声が聞こえてきた。
「……ん?」
クラス中が静寂に包まれ、僕は困惑に包まれた。
教室の前方入口へと視線を向ける。
そこには……どういう訳か、星奈さんを引き連れた新崎が立っていた。……どうしよう。僕達、実は付き合ってるんです! なんて言われたら発狂する自信があります。
彼はキョロキョロと僕を探して視線を巡らせる。
ちらりと目があった気がしたが、彼は見事に僕の視線をスルーした。そんでもって、何故か朝比奈嬢の方へと歩いていく。
「あっさひーなさーん! 雨森ってどこにいるのかな? 影が薄すぎてぜーんぜん居場所わかんなーい!」
「こ、この男……。よくもこのクラスに来れたわね……」
そういえば朝比奈嬢、この前、B組に行って追い出されたんだっけ?
うーむ。新崎には『ちょっと時間を置く』って概念がないのだろうか? 思い立ったが吉日にも程がある気がする。僕と初めて話したのなんて今朝だぞ、今朝。
そしておい新崎、なんだその安い挑発は。
なんだったら暇だし、受けて立とうじゃないか。
「まぁね! ……あ! いたいた、雨森悠人! ねぇ、今日の授業中、ずっと考えてたんだけどさ! やっぱりお前を潰すことにしたんだ! だって、ものすごーく気に入らなかったから!」
「……サイコパス」
「なんかいった?」
小さく呟くと、新崎は一気に距離を詰めてきた。
彼の背後には小さく震える星奈さんの姿がある。
今すぐにでも抱きしめて安心させてやりたい所だが、公衆の面前ですしね。僕は理性を留めて新崎を見上げると、たった一言こう告げた。
「お前のことが嫌いだから、嫌だ」
僕の言葉に、C組が騒然とした……気がした。
相手はB組のクラスカースト最上位。
そんな奴相手に言うようなセリフじゃないだろう。
そんなことを考えていると、やっぱり新崎は笑うのだ。
「すっごい、奇遇だねー! 僕も君のことが大嫌いなんだー。なんて言うのかな? 君、絶対僕の思いどおりにならないしょ? つまり、僕の考える最高最大の正義、秩序には不必要極まりないってワケ」
「……おいおいおい、何言ってんだよさっきから! ウチの雨森が何したってんだよ!」
近くにいた烏丸が、焦ったように声を上げる。
その瞳には理解不能だけが映っていた。
それもそうだ、新崎康仁には、独自の見解がある。
正義の味方にしたって、彼の言う秩序にしたって。
普通じゃ考えられない『情け容赦ない犠牲の選定』を前提として考えられている事だ。正義のために悪が必要で、秩序のために序列が必要で、富裕層のための貧困層が必要で……。端的に言ってしまえば、クラスの大半がストレスを抱えないよう、クラスの底辺……星奈蕾を徹底的に嬲り、虐める。
つまり、クソッタレってことだな!
別に他の誰がやられていようと気にしないが、星奈さんだけは嫌だ。
なぜって? はっ、野暮なこと聞くんじゃないよ。
「テメェ……新崎だな? B組が雨森に不満を覚えるのは頷けるが……何様だよ? そもそも、雨森がテメェの提案を受ける必要性が見当たらねぇ」
「あー、昨日、教室の前を通りすがって、なんかカッコつけて変なこと言って行った人達だー! ごめんねー、ちょっと、君たちには興味の欠片も抱けないから、何か話したいなら気が向いた時におねがーい!」
何たる不遜、ぶん殴ってやりたくなるね。
現に佐久間はプルプルと拳を握って震えており、そんな彼を一瞥、鼻で笑った新崎は、改めて僕を見下ろした。
「でねでね! 雨森ってば、絶対僕の話を聞こうとしないでしょ? だから考えたんだ。お前に話を聞かせるなら、どうすればいいのか。でも、その答えってとっても簡単だと気付いたんだ! だって、お前の大切なものを引き合いに出してしまえばいいんだから!」
そう言って、彼は星奈さんの腕を掴んだ。
彼女は痛みに眉根を寄せて……次の瞬間、僕は新崎の腕を掴んでいた。
「離せ」
「やだねー! あと、あんまり力込めないでくれるー? まったくー、どんな馬鹿力してるんだよー。骨から変な音が鳴ってるんだけど?」
「――離せと言ったぞ、新崎康仁」
力を込める。
さすがに骨が限界だったか、新崎はあっさりと手を離したため、僕もまた奴の腕から手を離す。誰が好き好んで野郎の腕なんか掴むかっての。
「ひー、怖い怖い。んでね、雨森。お前に闘争要請を申し込もうと思うんだよね! 報酬は……そうだね! 星奈蕾をB組からC組へ移動させる、ってのはどーお?」
「……!? な、そ、そんなのアリなのかよ!?」
近くにいた烏丸が、驚いたように声を上げた。
思わず視線を教壇の方へと向ける。
そこには……完全に空気と化していたが、まだ榊先生が残ってた。
「ん? 別に大丈夫なんじゃないか? クラスの変更に関しては校則において【3年間は原則としてクラスを変更できない】とあるが、闘争要請は校則を超えて適用される絶対法則だ。B組が良いというのであれば問題はあるまい。……C組も、ちょうど霧道が抜けて、生徒数が奇数だったしな」
なるほどー、なんでもありなんですね、闘争要請。
にしても……星奈さんのクラス替え、ですか。
なんだろう、無性にやる気が湧いてくる。
星奈さんが移動してくるってことは、つまり、必然的に体育のペアが僕に決定するってことだろう? なにそれ至福? どんな天国ですか。
よりにもよってその条件を出してくるとは……新崎康仁、なんて恐ろしい男なんだ! ……だけど。
「――たしかに、それは願ったり叶ったりの条件だけど……その内容によるな。あまりにも勝利条件が難しいのであれば――」
「――10分間、死ななければ君の勝ち。これでどうかな?」
重ねて告げられた彼の言葉に、さしもの僕も驚いた。
……なんだろう、その緩すぎる条件は。
確かに、10分間というのは短いようで結構長い。
それだけあれば人を殺すことだって難しくはない。
だが、相手は動き回り、必死に殺されまいと抵抗するわけだ。
よっぽど実力が離れてない限り、その短時間で相手を殺すなんて無理難題。
……新崎は、そんなことも分からないような愚鈍なのか。
あるいは、僕を10分間で殺せるだけの自信が、異能があるというのか。
「他に、言うことは?」
「まだなにか望むっていうの? そうだね、今後、星奈には一切の手は出さないと誓おうか。そういうことを言って欲しかったんでしょー?」
大正解。
僕は席から立ち上がろうとすると、それを見た朝比奈嬢が声を荒らげた。
「あ、雨森君! あまりにも危険すぎるわ! それに、星奈さんを助けるというのであれば、私も――」
「邪魔だよ朝比奈さーん。言ったでしょ? 僕は何かにかこつけて雨森の糞をぶん殴りたいんだよー。理由なんてどうだっていい、闘争要請を申し込むのに、僕から君たちに望む勝利報酬は【無し】でいい。ただ、その十分間、人を殺しても許される状況が欲しいんだ……!」
新崎は、笑顔を崩しはしなかった。
快楽に揺れた声色で、喜色に歪んだ瞳を浮かべ。
表情を一切変えることなく言い切った。
まるで異常児。これだから狂人の類は嫌になる。
「……ッ、あ、貴方は……雨森くんの能力を知っていて――」
「知らないよー? でも、有名じゃないってことは、あんまり強くないんでしょ? それも、戦闘じゃほとんど役に立たない系の能力。だけどさ……その分、純粋な肉弾戦なら得意らしいじゃん。見てたよ、熱原と戦ってた時のこと」
そう言って、新崎は窓の外へと視線を向ける。
「雨森……雨森か。その名前は聞いたことがないけれど、もしかして、どこぞの道では有名な学生だったのかもしれないね。それほどまでの身体能力……だけれど、あくまでも所詮は【人知の及ぶ範囲内】さ。少し速いだけの……誰だっけ? 霧道とやらにも勝てやしない」
なんという盛大な読み間違い。
全然かすりもしてないんですが。まぁ、一部じゃ有名だったのは認めるが、苗字も少し変えてるし……なにより、有名だったのは僕の兄と妹だしなぁ。僕の正体までは届かないだろう。
僕は無言で立ち上がると、彼の前へと立ちはだかる。
「それで? いつ始める」
「ちょ、あ、雨森……正気かよ!?」
烏丸が、僕の言葉に待ったをかける。
「お、お前が強いのは、ここにいる全員が認めてるさ! 現に、能力無しの殴り合いでお前に勝てるやつなんて、多分このクラスには居ないと思う! けど、これは能力戦、【異能戦】なんだよ! お前の力じゃ……とても――」
「ありがとう烏丸、心配してくれて」
チャラくとも、烏丸は良い奴だ。
感謝を送ると共に、僕は『大丈夫』と言葉を返す。
「たったの、十分。その間持ちこたえられれば……星奈さんを助け出せる。そう考えると、命の危険なんて安いものだ」
「あ、雨森くん……」
震えていた星奈さんが、何とか言葉を絞り出す。
このまま言わせておけば、戦わなくていい、逃げて欲しい、新崎とは戦うな……やら、なんやらと言ってくるんだろう。
伊達に文芸部の副部長はやってないんでな。星奈さんの言いそうなことなんて分かってしまう。けれど同時に理解もしてる。星奈さんは引っ込み思案で、自分より誰かの方が大切で、天然で、純心で、可愛くて。
だからこそ、誰かが無理に助け出さないと、一生救われない。
「星奈さん、なにか言おうとしてるなら、無駄だと先に言っておく。いい加減、体育の時にペアが居ないのは飽き飽きなんでな。僕は、その為だけに【闘争要請を受諾する】」
「よかったあ、それじゃあ、今始めよう!」
言葉を発した瞬間、僕のスマホが大きく震えた。
それは、闘争要請の開始の合図だった。
勝利条件は、十分間だけ生き残ること。
報酬は、星奈さんのC組移動。
敗北によるデメリットはなく。
ただ、戦闘中は命の危険がつきまとう。
「さーて、雨森? 遺言は残さなくて大丈夫?」
「あぁ、問題ない」
スマホの画面にカウントダウンが現れる。
まさかこの場でいきなり……とは驚いたが、よく考えたら榊先生(審判役)もいる訳だし、特に開始できない理由はない。
僕は大きく息を吐くと、ヘラヘラと笑う新崎を見据える。
威圧感なんて感じない。
闘争要請が起きる実感なんて湧かない。
現に、クラスメイトたちも困惑を浮かべて、止めるべきか止めないべきかと悩んでいるようだ。
そんな光景を見渡して、新崎は最高の笑顔でこう言った。
「上手く出来るといいなぁ、人殺し!」
カウントダウンが、ゼロの数字を指し示す。
瞬間、目の前から新崎康仁の姿が消えうせた。
それはもう、常人の目で追うことも叶わない。
消えて、次の瞬間。
気がついた時。
彼の拳は、僕の腹を撃ち抜いていた。
「ぐ、がぁ……!?」
内臓が、破裂したんじゃないか?
真っ赤な鮮血が口から溢れる。
勢い余った衝撃により吹き飛ばされ、教室の壁すらぶち抜き、B組の教室内へと突っ込んでゆく。
な、なんつう威力だよ……。これなら、まだ、ダンプカーに跳ねられた方がまだマシだっての。
周囲を見渡せば、驚いたように僕を見ているB組の面々。
その中には四季いろはの姿があり、彼女は信じられないものを見たとばかりに僕を見つめている。
「これは……もしかして想定以上か」
僕は腹を押さえて立ち上がる。
見つめる先で、新崎は教室に開いた巨大な穴を潜り抜けていた。
「あと、9分と43秒――今、42秒になったかな」
おいおい誰だよ、10分余裕とか言ってたヤツ。
僕は久方ぶりの『死の予感』に震えながら、新崎を見上げる。
「さぁーて、雨森! 殺される覚悟、出来てるよね!」
もちろん、そんな覚悟は出来てなかった。
雨森『これだから狂人の類は嫌になる』
……お前が言うか?
次回『決死の十分間』
雨森悠人の読み違い。
新崎康仁の、掛け値なしの強さ。
公衆の面前という名の強制弱体化。
そして、十分という制限時間。
第三章の唯一とも言えるバトルシーンです。




