1-3『目を悪くする』
「……と、さて。こちらの自己紹介も済んだわけだし、そろそろ君たちにも自己紹介してもらうとしようか。若干一名まだ来ていないようだが……ま、そこは気にする必要はなさそうだな」
女教師――榊先生の声が響く。
視線を感じてそちらへ視線を向けると、ドアの方を見た彼女とばっちり目が合った。
いったいいつから気が付いていたんだろう……。正直このまま回れ右したいけど、本当に帰ったら校則違反……罰金が怖い。
僕はいやいや扉を開き、クラスの中へと足を踏み出す。
「……雨森悠人。一学年でたった四名しかいなかった、今回の校則違反を免れた者……の一人だったか。運よく校則違反を免れたと思えば、最悪のタイミングで運悪く登場する機会を逃してしまう。……貴様は運がいいのか悪いのかよくわからんな」
「……自分もそう思います」
いきなり『校則違反を免れた』と暴露され、訝し気な視線がクラス中から集まってくる。
それに気づかないふりをしたまま、黒板に貼ってあった座席表通り着席する。
座席はシンプルに出席番号順のようだ。
『あ』から始まる名字『あまもり』の僕を先頭として男子が窓際に縦に並び、その隣に女子生徒たちが縦に座席を並べている。
ということで、今回は窓際一番前という、授業中の先生からは比較的死角になりやすい位置に陣取ることができたのだが……背中に突き刺さる無数の視線がちょいと痛い。
いや、そんな『おまえ分かってて教えなかったんじゃないのか』みたいな視線送られましても。
そもそも教えるにしたって連絡先知らないし。
……まあ、知っててもわざわざいう必要もないけれど。
「ということで、全員がそろったところで自己紹介だ。一名ずつ、それぞれの名前と授かった『異能』、他に言いたいことがあれば言ってくれればいい。ちなみに異能を正直に明かす必要は一切ない。あえて本当より強い能力を告げることで自身の印象を強くするのも一手だろう。……まあ、嘘が後でバレた時、その人物の信頼は地に堕ちるがな」
その言葉に対する生徒たちの反応は様々だった。
あえて強い能力――のくだりでニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべていた霧道も、後の信頼が地に堕ちるのくだりで顔を真っ青にしていたし、さっきの倉敷とかいう委員長っ子はうむむと難しそうに顔を顰めている。
と、そんな中、隣の席に座っている一人の少女が目に付いた。
腰まで伸びる艶のある黒髪に、真一文字に閉ざした瞼は彼女から一切の感情を読み取らせない。
こんな状況でも微動だにせずそこに在る『異様さ』はこのクラスでも少々目立ちすぎていた。
有無を言わせず、そちらへ目が行ってしまう。
そして思い出す、校則違反を免れた者が、僕を含めて四人いるということを。
「それでは出席番号順に、雨森。貴様からだ」
その言葉に、再び僕へと無数の視線が集いだす。
半分くらいは先と変わらぬ鋭い視線。
初日から随分と嫌われたものだと内心苦笑し、立ち上がる。
これだけ悪い意味で目立った以上、既に平穏なボッチ生活とはおさらばだ。
いくら突飛でユーモア溢れる自己紹介をしたとしても、好感度マイナススタートの時点で詰んでいる。というか、そんなユーモアなことを考えられる頭もないし。
ということで。
僕は思考を放棄すると、シンプルに言った。
「雨森です。異能は【目を悪くする】。どうぞよろしく」
着席した僕の背後で、クラスの空気が凍り付く。
僕の異能は【目を悪くする】。
効果は名前の通りだ。
触れた相手の視力を三秒間だけ悪くすることができる。
使い道は無い。
日常生活を送る上でもまず使わない。
異能バトルなんてもってのほか。
他の異能のことは知らないけれど、たぶん、最弱だと思う。
最弱だと思って、言った。
前を見れば、教卓に立つ榊先生は腹を抱えて笑ってる。
なんつー教師だ。辞めちまえ。
とは思うものの黙っておく。
……というか、教師ですものね。最初から僕の能力知ってたんだろうな。
それなのに最初に自己紹介させるだなんて性格悪いなぁ。
僕の視線の先で笑いこけてる榊先生。
ここに来て初めて人間らしい笑みを見せた彼女は僕に対して問いかける。
「く、くく……っ、お、おい雨森、その効果はいかほどなんだ?」
「……三秒間だけ、ほんのり視界がぼやけます」
なんとも性格の悪い質問である。
それに答えてしまう僕も馬鹿なんだろうが、ここで見栄を張って後で期待されても困る。ここは気持ち自分の能力を下げて伝えるくらいがちょうどいい。
ま、僕の能力に下げるところなんて無いわけだけど。
かくして、クラスに正直さで信頼を得ようという愚直作戦だったが。
「――っぷ、はははははははははは! なんだそりゃあ!」
――結果としては大失敗。
霧道の爆笑が轟き、クラス中が笑いの渦に包まれた。
クラス中へと視線を巡らせると、男子も女子も、みんなが口をそろえて笑っており、霧道のように大口開けて笑う者から、困惑ぶら下げ遠慮気味に笑う者まで幅広くいるが、そいつら全員が『笑ってる』ってことには変わりない。
想定はしていたが……気分は悪いなぁ。
冷静にクラスを見渡していると、その中で数名、何の反応も示さない――というか、真逆の反応を示している者が数人いた。
が、その中でも最も顕著だったのが、僕の隣人だった。
先ほどまで閉ざされていた瞼が薄く開き、透き通るような緑色の碧眼が露わとなる。
日本人離れしたその瞳には色濃く『怒り』の感情が浮かんでおり、おいおいどうする気だこの女、と考えるが早いか――
「――随分と性格が悪いのね、このクラスは」
凛――と、声が響いた。
笑いの渦を一蹴するかのような、鋭く、そして冷たい声色。
体の芯に直接突き刺さってくるようなその重みに周囲から一切の音が抜け落ちる。
どこか冷たい静寂の中、その少女は一切のためらいなく立ち上がる。
「説教を垂れるつもりはないわ。けれど、私は今笑った者すべてを軽蔑する。正直は美徳であって蔑まれるものではない。それが私の持論だし、何があっても曲げるつもりもない」
それは、敵意たっぷりの鋭い言の葉の刃。
されど今回、その刃を振るったのは――圧倒的な『美』だった。
どこか冷たく、それでいて溢れんばかりの情熱を孕んだ美少女。
それも、巷のアイドルなんかとは明らかに一線を画す、絶対的な『美』をぶら下げた一人の少女だ。
その熱は、美しさは、彼女の正論に一層の拍車をかける。
「私の名前は朝比奈霞。異能は【雷神の加護】、雷を召喚、使役し、完全に支配する能力。ちなみに先ほど先生の言った校則違反を免れた四人の内一人でもある」
その言葉に驚愕がクラス中へと伝播する。
かくいう僕だってびっくりした。え、何その異能強すぎない?
なんとなく『校則知ってた一人かな?』とは思っていたが、まさかそこまで強力な異能を保有しているとは全く思っていなかった。
ふと、彼女の視線が僕へと向かう。
驚きに彼女を見上げる僕へ、右手で大きく髪を払った彼女は一言。
「夢は『正義の味方』。弱きを助け巨悪を滅する。そんなヒーローになる予定よ! これから三年間、よろしく頼むわ、雨森くん!」
かくして彼女は、僕へと笑う。
氷のような冷たさと、少年のような情熱を併せ持つ異様な存在。
そして、おそらくは学年トップクラスの異能保持者。
対して僕は……なんなんだろうね、道端のごみかな?
この接触が、この後どのような未来を描くのか。
そんなことは分からないけれど、とにもかくにも。
「……うっわ」
何だか面倒臭くなってきたなと。
内心で、一人呟いた。