3-2『文芸部』
『文芸部……か。アレは今年度から出来た部活だな』
榊先生は、そんなふうに言っていた。
時刻は既に放課後だ。
早速文芸部を見に来た僕は、榊先生から言われた事を思い出していた。
闘争要請……つまりは異能力の潰し合いこそ最重要とされるこの学校に於いて、そもそも文化系の部活は人気がない。
運動部は、決まって体を鍛えるため、強くなれるだろうし、さらに言えば、強い二年生や三年生とも知り合いになれる……かもしれない。
僕は他学年とは一切の交流はないが……強い人物と繋がりがある、というのは今後有利に働くこともあるかもしれない。
まぁ、かもしれない、ってだけだけど。
「ここか……図書室」
文芸部の活動場所は、図書室と聞かされている。
この部活は一年生が部長をしていて、部員も部長を除けば誰も居ないという。つまり、先輩なんて誰もいないし、所属したって闘争要請にはなんのメリットもない。そういう部活だ。
だから選んだ。自由に過ごせそうだから。
「さて、面倒な人じゃなければいいが」
呟いて、僕は図書室の扉を開ける。
途端に鼻を突く、懐かしい本の香り。
図書室と視線を巡らせ、やがて、一人の少女と目が合った。
「え、えっと……」
少女は困惑を浮かべ、僕は入部届を掲げる。
「入部希望で来ました。ここ、文芸部でよろしかったですか」
こうして僕は、文芸部へと入部した。
☆☆☆
「あ、その……」
図書室にいたのは、小柄な少女だった。
どこか儚げで、触れれば折れてしまいそうな弱々しい少女。
少し色素の薄い髪の色は非現実的で、その雰囲気、この場所とも相まって、まるで妖精を前にしているような感覚を覚える。
いや、妖精なんて見たこともないんですけどね。
「初めまして。雨森です。どうもよろしく」
「……あっ、はい。私、星奈……です。……あの、雨森くん……ですよね? あの、その、A組と、戦っているの、見ました……。凄かったです」
あー、A組との闘争要請か。
あれはグラウンドで大々的にやったし、ここの生徒なら全員がみていたはずだ。彼女はA組でもC組でもない以上、B組の生徒なんだろうが、僕のことを知っていたっておかしくない。
「昔から武術を少しやってたんですが……まぁ、色々と疲れまして。高校では、ゆったり過ごすつもりです」
「そうなんですか……。雨森くんが来た時は、部活間違えたのかな……? なんて、心配になりましたけど……良かったです」
そう言って、星奈さんは嬉しそうに笑った。
――次の瞬間、僕は森の中にいた。
「な――」
子鳥のさえずり、木々が風に揺れる音。
母なる大地の温もりと、遥かなる空の美しさ。
まるで、来るべき場所へ帰ってきたような安心感。
を、僕は幻視してしまった。
……えっ、何か異能でも使いました?
驚いて彼女を凝視すると、そこには森に佇む女神……じゃなかった。図書館で女神みたいなほほ笑みを浮かべる星奈さん。
その姿を見て戦慄した。
さっきの、自然と溢れ出た、純粋無垢な優しい笑顔。
あの笑顔には一片の陰りもなく。
彼女はまるで赤子のように。
何も知らない子供のように。
度を超えた『純粋無垢』をばら撒いた。
それこそ幻覚を見てしまうほどに。
……自分でも、馬鹿なこと言ってんなー、とは自覚してるんだぞ。
その上で、戦慄してるんだ。
穢れを一切知らない、真っ白な美しさ。
それこそ、神聖さを帯びるほどの。
僕は確信した。
星奈さんは、僕とは正反対に位置する人物だと。
「く……眩しい」
「……? あっ、ブラインドしましょうか?」
とてとてーっ、と窓のほうへと駆けていく星奈さん。
彼女の一挙手一投足。
それが全て、純粋無垢の絨毯爆撃。
誰彼構わず無垢をばら撒く純白。
ぐっ、苦しい!
心の内の悪性が浄化されていく……!
「こんな人類、存在するのか」
生まれてこのかた、他人と会話したことないんじゃないのかな、この子。
真面目にそう思えるくらい、彼女は社会や人間の汚さとは無縁だった。
もうね、相対してるだけで浄化されそうですよ。心が、じゃないよ? もう体全身が消滅しそう。
汚さ、悪性の塊みたいな僕からしたら、彼女は唯一とも思える天敵に思えた。
一人小さく息を吐くと、彼女はブラインドを閉めて帰ってくる。
「それでは、雨森くんが入部してくれましたので、部長の私と、副部長の雨森くんと、部員の数が二人になりました」
彼女はとっても嬉しそうに笑っている。
あまりの眩さにもはや昇天寸前である。
倉敷とか朝比奈嬢とか、最近はイロモノ枠としか接してこなかったから、それも相まって心と体に大ダメージ。危うく惚れてしまいそうまである。
「部活の内容は……そうですね。考えたこともありませんでしたが、好きな時に来て、好きな本を読む。それだけです。雨森くんは、本は好きですか?」
「まぁ、結構好きだと思いますよ」
そう答えると、不安そうに問いかけた星奈さんの表情が、パアァ! と晴れていくのが分かった。
守りたい、その笑顔。
僕はあまりの善性に、胸を押えてたたらを踏んだ。
「そ、そうですか! よ、よかったぁ……。わ、私……昔からあまり友達が居なくて、いつか、友達と一緒に、本のお話をするのが、夢だったんです……」
安心したように、心の底から嬉しそうに笑う星奈さん。
その表情はどこまでも優しくて……僕は、彼女へと向き直る。
ここまで話して理解した、彼女は【悪】とは正反対にいる人物だ。
唯一の天敵とは言ったものの。
彼女は未来永劫、本当の意味での『敵』にはなり得ないだろう。
それほどまでの善性と。
……言っちゃ悪いが、簡単に騙されそうな程の純粋さ。
簡単に言ってしまえば、赤ん坊みたいな人だ。
どこまでも真っ白な、美しい地図。
その地図は何色にも染まることはなく、きっとこの先も白いままだろう。
明らかに、僕が初めて出会った人種。
見たことも、どころか考えたこともなかった人物。
久しく揺らぐことのなかった僕の想定を、簡単に飛び越えてきた存在。
僕は心の中で笑みを浮かべる。
彼女は女神のような笑顔を浮かべ、僕へと右手を差し出した。
「なので、これからよろしくお願いしますっ、雨森くん!」
ふと、僕は『期待』を覚えていることを自覚した。
未知との遭遇なんて、久方ぶりだから。
だからこそ、僕はこの少女に期待した。
彼女は、僕にどんな光景を見せてくれるのだろうか、と。
「――ああ、よろしくお願いします。星奈部長」
そう言って、星奈さんと僕は握手を交わす。
――思ったよりも、楽しい部活動になりそうだ。
☆☆☆
「雨森くん? 昨日は……どうしたのかしら? 美術部に入部届を出したのだけれど、黒月くんしか見えなかったの」
「まず、誰だお前」
「朝比奈霞と申します」
翌日。
星奈さんに癒され、いい気分のまま迎えたホームルーム。
それが終わった瞬間、文字通り、瞬くような速度で朝比奈霞が姿を現した。
その背後には黒月の姿まであり、不満タラタラな表情をしている。
「朝比奈霞……? 知らん名だな。お前は誰だ?」
「1年C組、女子生徒出席番号1番、あなたの同級生、あなたのクラスメイトにして、最初、席が隣であった者よ」
「……? 覚えてないな」
「ぐっ……」
とことん『知らぬ存ぜぬ』を貫き通す。
朝比奈嬢は胸を押えてたたらを踏むと、それを見た黒月が僕の前へと進み出てくる。おや、まさか……僕に歯向かうつもりかこいつ。
「俺は……まぁ、どうだっていいのだが? ほんと、俺は雨森のことは気にしていないのだがな? ただ、朝比奈が雨森雨森と小煩くてな。どうやら、ともに美術部へ入る約束をしたらしいのだが?」
(雨森さん! 酷いっすよ! 僕と一緒に美術部入るって約束したじゃないですか! 舞い上がっちゃって、まんまと騙されましたけど……これ、どう考えても僕と朝比奈さんをくっつける気満々じゃないですか!)
実声と念話が同時に飛んでくる。
そんな黒月へ、僕は思いっきり睨み返す。
(ひぃっ!?)
途端、念話で悲鳴が聞こえた。
彼は途端に無表情になると、何も言わず退散。
そのまま席に座り、まるで石のように動かなくなった。
瞬殺であった。
「く、黒月くん……!? あ、雨森くん対策がこんなにもあっさり……! やはり、一筋縄ではいかないようね!」
「一筋縄ところか、一万本あっても無理だと思うが」
僕の声を受け、朝比奈嬢はたじろいだ。
「僕は、邪魔されることなく自由に生きたいんだ。どこの誰とも知らない馬の骨に本当の部活を教えるほどヤワじゃな――」
「おーい雨森ー! 部活何にしたんだ?」
「卓球部だけど、どうした烏丸」
「教えてるじゃないの!?」
たまたま偶然、通りかかった烏丸から声がかかり。
特に迷いもなく答えた僕へ、朝比奈嬢は吠えた。
全く状況の読めていない烏丸は困惑。僕も困惑を浮かべてしまった。
「……何をいきなり」
「い、いま、部活を教えないとか言ってたじゃない! そ、それを、烏丸くんにはあっさりと!」
「まぁな。烏丸はチャラいが信用のおける男だ。対するお前は信用とは最もかけ離れたよく分からない謎の女。そもそも、さっきから僕と話しているお前は誰なんだ?」
「なぁ雨森? 俺ってそんなにチャラく見える?」
ええ、チャラさで言えば霧道クラスだよお前は。
そう返しながらも、朝比奈嬢へと視線を戻す。
彼女は度重なる口撃によりダメージを負っていたが、何とか吐血を堪え、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「ふ、ふふふ、ふふふふ! 卓球部! この際、全く名前を覚えられてない現状は良しとしましょう! どころか、顔も認識されなくなったことも、後で泣くとしてスルーしましょう! 今重要なのは、雨森くん! あなたの部活が明らかになったということよ!」
朝比奈霞は叫んでいた。
彼女は勝利を確信し、僕へと指を向ける。
対する僕は敗北を確信し、顔を背けて――。
「ん? 俺って卓球部だけど、雨森なんて来てないぞ!」
錦町の大声に、朝比奈霞は固まった。
話を聞いていた烏丸は腹を抱えて爆笑している。
朝比奈嬢は笑顔のまま硬直しており、全く空気の読めてない錦町は不思議そうに首を傾げている。
「なんだ? ……もしかして! 俺のいない間に雨森入ったのか!? おお、よろしくな雨森! 一緒に甲子園めざそうぜ!」
「おう、錦町。卓球に甲子園なんてあるのか? あと、僕は卓球部じゃないから安心してくれ」
「そうか! 分かった!」
彼はそう言うと、にっしっしー! と笑いながら佐久間の方へ向かった。馬鹿丸出しである。
佐久間は『うるせェのが来やがった』みたいな顔をしていたが、そいつを仲間に引き入れたお前の責任だ。頑張れ佐久間。
「ひっ、ひひひ! あ、朝比奈さん、どんだけ雨森に嫌われてるんだよ……。錦町がいなかったら、今頃……ひはははは! ぷっ、ぶふっ! い、いや悪い! 笑うつもりは無いんだけど……」
「安心しろ烏丸。この女は既に一度騙されて、全く違う部活に入ってる」
「ぶっは!」
烏丸が我慢出来ずに吹き出した。
朝比奈嬢はプルプルと震えだし、拳をにぎりしめる。
その瞳は思いっきり潤んでいて、僕の姿をキッと睨んだ。
「わ、私……絶対に負けないんだから!」
そう言って、朝比奈嬢は駆け出した。
……言っちゃ悪いが、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。




