2-16『幕間』
1年C組に、黒月奏の大ブームが来ていた。
「黒月くん! 勉強教えてー!」
「あっ、おい! 黒月は俺と戦闘訓練やるんだよ!」
「おいおい、黒月と戦って練習になるわけないだろー。お前らも、黒月が迷惑してんぞ、散った散ったー」
黒月の席を中心にぞろぞろと集まっているクラスメイトたち。
どころか、教室の外にも多くの生徒が黒月をみている。
今年度最初の闘争要請は、C組の勝利で幕を閉じた。
熱原が敗北した直後、A組の生徒は全員がその場で棄権した。
それはひとえに、A組は負けても問題が無いから、だろう。
なにせ、A組が負うデメリットは『熱原が今後、暴力や危害を振るえない』ということだけだ。
クラスメイトたちは「あの熱原を封じれたんだ。C組の大勝利だろう!」とテンションが上がっているみたいだが……うーん。黒幕が別に居るって知ったらどうなるんだろう?
まぁ、熱原に殴られてた女が黒幕です、なんて、倉敷でさえ信じないだろうけど。
「……ったく、騒がしい奴らだぜ。ちったあ苦労人のことを鑑みて、静かにして欲しいもんだ。めっちゃ傷に響くんだよ……」
「それな」
そんでもって、僕は何故か佐久間と仲良くなっていた。
熱原にボコられた者同士、なにか感じるものがあったんだろう。
佐久間は僕の前の席……烏丸の席へと腰を下ろし、呆れたようにそう言った。
「けど、黒月の人気も頷ける。あれは強かった」
「お前もよっぽどだけど思うけどな。……まぁ、最後の最後で黒月の野郎に全部持ってかれたみたいだけどな」
佐久間の言う通り、僕の集めた注目は、最後の最後で黒月に全部もっていかれた。
それもそうだろう、長身、イケメン、チート能力。
この三つが備わっている黒月に、僕が勝てる要素なんて何も無い。
結果として、『雨森悠人はけっこう強い』という事実だけ残し、それ以外は特に何も変わっていない。
まぁ、狙い通りなんですけどね。
そんなことを考えていると、佐久間は真剣な眼差しを向けてくる。
「けど……お前も気ぃつけろよ。枷を嵌めたとはいえ、熱原はアレで終わるようなタマでもねぇだろ。それに、俺がアイツの立場なら、黒月よりもてめぇにカッチン来てるはず。……狙われるとしたら、雨森。お前だ」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」
確かに……佐久間と熱原の仲の悪さには同族嫌悪もあるだろうしな。
片や、口は悪いけど兄貴肌のイケメン、
片や、口も性格も悪い悪質野郎。
こうして言葉にすれば大違いだが、似ている部分も多少はある。佐久間だからこそ分かることもあるんだろうな。しらんけど。
「まぁ、分かった。……少なくとも、逃げに徹して撒けない相手じゃないからな。その時は佐久間にでも助けを求めるとするさ」
「止めろよ馬鹿野郎。俺と熱原は相性最悪、てめぇが加勢するとしても勝てる可能性はゼロってもんだ」
そういいながら、佐久間は席から立ち上がる。
彼は松葉杖をつきながら、自分の席へと戻っていく。
時間を見れば、既にホームルーム五分前。
体も万全じゃないみたいだし、早めに戻って療養してくれ。僕も強がってはいるが、あんまり軽傷でもないんでな。
僕は窓の外へと視線を向けると……ふと、佐久間から声がかかる。
「けどまぁ……ピンチの時は頼れよ。友達だろ雨森」
少し驚き、佐久間を見る。
彼は僕を一瞥して再び歩き出す。
クラスは黒月ムード一色に染っていたが、佐久間が一人になった途端、彼の取り巻きは佐久間の元へと向かってゆく。
負けても、膝を屈しても、怪我をしても。
どんなになっても決して消えない眩い光。
クラスカーストの頂点、佐久間純也。
……なぜ彼が、ここまで高みに座っているのか。
今まで、あまりよく分かっていなかったけど……今の一言で理解がついた。
佐久間純也は、単純に、いいやつなのだ。
ぶっきらぼうで、口が悪くて、でも、誰より仲間を大切にしている。
そんな彼だからこそ、仲間が集まる、人望が集まる。
彼を中心として、クラスが回る。
「……こういう在り方も、あるのか」
僕は、前方へと視線を向ける。
そこには、席に座り、顔を俯かせる一人の少女が居た。
いつも、シャキリと伸びている背筋は丸まっている。
敗北より、数日。
彼女は何を考え、何を思うのか。
僕は息を吐くと、窓の外へと視線を向ける。
少しは僕も、気にかけるべきなのかもしれないな。
☆☆☆
その週末。
僕は、ショッピングモールへ出向いていた。
実を言うと、僕は霧道を嵌めた時に電器店へ出向いて以来、ほとんど買い物をしていなかった。
そして先日、ミニマリストの権化みたいな自室を眺めて、ふと思ったのだ。
「そうだ、家具を買おう」
というわけで、やって来ましたショッピングモール。
倉敷と来て以来になるが……あまり変わらないな。
どこのクラスとも知らない生徒たちが、私服に身を包んで、楽しくワイワイと過ごしている。
敷地面積に対して、あまり生徒数は多くないと思っていたが……従業員たちもこのショッピングモールを使っているんだろう。かなりの混雑っぷりだ。
あまりの人の数に、酔いにも似た気分を受ける。
早速だが、少し休憩しようと道の端へと移動する。
青い建物の壁に背を預け、腕を組む。
さて……どこから家具を探したもんか。
案内板を見つけようにも、そこまで辿り着くこと自体、かなりの難題だ。この人混みを掻き分けて行けってか? 僕みたいなぼっちに? 無理おっしゃい。
「どうしたものか……」
一人、空を見上げて呟いた。
そして……聞き覚えのある声が耳に届いた。
「……雨森、くん?」
その声は、いつになく弱っていた。
僕は、声の方へと視線を向ける。
そこには、私服に身を包んだ一人の少女が立っている。
黒髪はボサボサで、正義の化身たる面影はどこにもない。
けれど、見間違うはずもなかった。
「……朝比奈、さん」
そこに居たのは、正義の味方、朝比奈霞だった。
☆☆☆
近くの喫茶店。
年配のマスターがコーヒーカップを拭いている。
窓の外から喧騒が聞こえてくる中、僕らは窓際の席に座っていた。
そして……ものすごーく、気まずかった。
えっ、何これ……えっ?
家具買いに来ただけなのに、なんで朝比奈嬢と出会っちゃってんの?
どういうバッドタイミングだよ。しかもわざわざ面倒くさそうな時期に……。内心で色々なことを考えていると、彼女はポツリと呟いた。のだが。
「……やっと、名前、覚えてくれたのね」
お、重いっ!
なんという重さ! 重力が3倍になったかと思ったわ!
「……まぁ、な。最近になって、やっと名前と顔が一致したよ。倉敷さんが、お前のことを覚えろ、と煩くてな」
「……そう、蛍さんには、感謝しなくてはならないわね」
そう言って、朝比奈嬢は少し微笑んだ。
しかし、その笑顔は儚くて、今にも壊れてしまいそう。
というか、彼女の姿を見ても一目瞭然だ。
正義の味方、正しいことの体現者。それが……なんだこのザマは。髪はボサボサ、私服はヨレヨレ、声にハリはなく、目の下にクマもある。
……うん、ほんと、誰だお前? ほんとに朝比奈霞ですか?
「……だいぶ、敗北は堪えたようだな」
しばし考えても、それ以上の言葉は出てこなかった。
彼女は、僕の言葉に目を剥いた。
しかし返事はなく、僕はさらに言葉を重ねる。
「何故、勝てると思ったんだ?」
「…………それ、は」
理由なんて、最初から分かっている。
けど、僕は責めているんじゃない。
だから、ガツガツ行くのはちょっと違う。
壊れないように、崩れないように、細心の注意を払って問いかけた。
「……私、は。正義の味方に憧れた。正義は、絶対に負けないと……言うでしょう? だから、私は負ける訳には行かない。絶対に、負ける訳には……いかなかったの」
ポツリポツリと、朝比奈霞は語り出す。
正義は負けない。……まぁ、正論だな。
最終的に、悪が負けない道理はない。
悪を貫く以上、必ずどこかで敗北が訪れる。
だけど同時に……正義が無敗たる道理もない。
「……でも負けた。なぁ、朝比奈さん。アンタが知っていた……アンタが憧れた正義の味方と、あの時のアンタの違いはなんだ?」
朝比奈霞は、どこを間違えたのか。
彼女は徹頭徹尾、正義の味方だった。
それでも負けた。なら、どこかに綻びがあったはずだ。
彼女は再び俯いて、拳を握る。
……まだ、彼女の口から直接答えを聞くのは早かったか。
僕は心の中でため息を漏らすと、持論を彼女へ語り出す。
「……僕が思うに、正義の味方に最も必要な素質は、責任感だ」
「……責、任?」
「あぁ、責任。覚悟でも強さでも賢さでもない」
彼女の瞳が、僕を捉える。
正義の味方に必要な素質。
正直、責任感なんて二の次だと、心の底では思っている。
だけど、今、彼女に伝える言葉は本音じゃダメだ。もっと分かりやすく、もっと糧になるような言葉じゃないといけない。
だから僕は嘘を吐く。
「正義の味方には、責任が付き纏う。人を助けて当然なんだ。助けられなければ責められる。追い詰められる。……今回はクラスに救われたな。今のクラスに、朝比奈さん。アンタを嫌ってる人間は居ない。僕を除いてな」
「……辛辣ね」
彼女は苦笑したが、言うところはしっかりと言わなきゃな!
僕は小さく咳払いをすると、話の続きを始める。
「だから、正義の味方、ヒーローは責任感を持たなければならない」
絶対に負けてはいけない、という責任感。
そういう意味では、朝比奈霞はヒーローの素質を持っている。
正義の味方に足るだけの条件を満たしている。
けれど、まだまだ『足りなさ過ぎる』。
「朝比奈霞。アンタは絶対に負けちゃいけないんだ。崩れちゃいけない、折れちゃいけない。真っ直ぐに立っていないと誰もついてこない。それが正義の味方で、ヒーローになるということだ。……相手が狡猾な手を使ってきた。相手が裏技を使ってきた。相手が奇天烈な行動に出た。それでも勝たねばならない。……理解できるな?」
彼女は頷く。
僕は彼女の瞳を見据える。
対する彼女の瞳も僕を見つめていたが、その瞳に、かつて見えた自信はどこにもない。在るのは大きな不安だけだ。
……僕に、その不安を払拭することは出来ない。
いや、やろうと思えば出来るんだけど、その時は、彼女を洗脳しないといけない。有無を言わさぬ傀儡まで落とさねばならない。
それは、何となく嫌だ。
彼女には、自力で僕の隣までたどり着いてもらいたい。
酸いも苦いも噛み分けて、成長してもらいたい。
だから、助けない。
僕はただ、道を示すだけだ。
「だから朝比奈さん。考えろ。あらゆる可能性を」
それ以外に、正義の味方を続けていく道はありえない。
「相手がどんな手を使うか、その結果どうなるか。……どんなに小さい可能性でも構わない。全てを考え、理解すること。そしてその解決策を考えておくこと。そうすれば【想定外】なんてことは起こり得ない。正義の味方に、敗北なんてありえない」
負ける訳にはいかない。
だから、負けないためにどんな努力も厭わない。
それはひとえに、責任感の高さ故だろう。
なぁ、朝比奈霞。
アンタは責任感を持ち、闘争要請へと臨んでいた。
けど、責任感の意味を履き違えているんじゃないか?
僕らが朝比奈霞に求めているのは、他者の命をその身に背負い、先頭きって突っ走ることじゃない。
――絶対に期待を裏切らないことだけだ。
「……そうすれば、私は、負けない、のかしら?」
「断言する。責任感を正しく持て。期待に100%応えて見せろ。……いや、それ以上を実現し続けろ。目の前のことからひとつずつ、地道に、確実にこなしていけばいい。そうすれば、いつかアンタは負けない人間になっている」
僕は考える。
そこまで成長した朝比奈霞なら、僕を倒せるだろうか?
強い責任感を持ち、あらゆる可能性を追求する正義の味方。
正しいことの体現者。
彼女ならば、僕を打倒することが出来るだろうか?
そう考えて……直ぐにやめた。
それは、その時になってから考えるべきだろうから。
彼女は難しそうに顔をゆがめている。
簡単そうに言っても、これは酷く難しい事だ。
人の身には、無理難題にも等しいだろう。
でも、やれ。やるしか正義の味方になる道はない。
もとより、幻想の中の職業だ。
なら、朝比奈霞。アンタもそれに相応しい努力をしてみせろ。
「それとも何か、あんたの憧れはその程度だったのか」
「……ッ!」
僕は椅子から立ち上がる。
朝比奈嬢はぎりりと歯を食いしばるが、返事は出来ない。
返事もできない程に、悔しさに苛まれているだろうから。
僕はマスターへと金を支払って店を出る。
その際に見えた、彼女の横顔は。
「……いい顔、出来るじゃないか」
恐ろしいくらい、覚悟が透けて見えていた。
誰より才に恵まれ。
誰より力に恵まれた。
されど少女は勝利を知らず。
悪意に侵され。
敗北に蹲り。
それでも、また立ち上がる。
彼女が目指すは、幻想の職業。
そんなものがないって分かってる。
子供の夢だって分かってる。
けど、子供の夢に憧れたんだ。
誰もを救うみんなのヒーロー。
笑顔を守り、正義を尽くし。
平穏を守るヒーローに、憧れた。
その夢だけは、諦められない。
たとえ負けようと、挫けようと、折れようと。
諦めるなんて選択肢は、最初から無い。
「……ありがとう、雨森くん」
少女は、久方ぶりに笑うのだ。
正義の味方になるためになら。
この命だって、惜しくはない。
そしていつか。
貴方に認められるようになってみせる。
そんな感謝とも執着とも恋心ともつかぬ情念は。
静かに、されど確かに彼女の内で燃え上がる。




