1-2『校則を守れ』
――翌日。
おろしたての制服に袖を通し、つい昨日も通った通学路を辿って、今日から世話になる校舎へと足を運ぶ。
朝食は食堂で頂いた。
初期費用として500,000円も貰っているのだ。罰金も回避できたし、しばらくは余裕をもって暮らしていけるだろう。
周囲には、ちらほらと校舎へと向かっている生徒達の姿が窺えた。
それらの生徒達に怒りや焦りなんかの感情は見えず、もしかして所持金減ったことにも気づいていないのかと首を傾げ――直ぐに納得した。
「あぁ、二、三年生か」
男子ならばネクタイ、女子ならばリボンの色は学年ごとに分かれている。
周囲の生徒は『緑色』だったり『青色』だったりする。
対して自分のネクタイの色は『赤色』だ。
道理で何一つ焦ってないわけだと納得すると、僕もまたそれらの生徒達の流れに従い、校舎の中へと足を進める。
――しかし、すぐに新たな異変に気付いた。
「ん?」
昨日も利用した玄関へと到着するが、一年生の姿だけが見えない。
C組の下駄箱を見ると……上履きは自分のを除いて全て外靴へと置き換わっている。
もしかして、もう全員登校してるのか?
別に遅刻はしてないはずだけど……。
一応スマートフォンで時間を確認すると、登校するには早めな『7:57』との時刻が記されている。
「……何が起きた?」
もしかしてなんかそういう校則でもあっただろうか。
基本的に始業一時間前行動しなきゃ即退学とか。
一通り見たけれど全部覚えてるわけじゃないから不安になってくる。
何だか嫌な予感を覚えるが、もうここまで来たらどうなったって同じだろう。
僕は別段急ぐことも無く、のそのそと自分の教室へと移動を始める。
――そして、校内に怒声が響き渡ったのは、その数分後のことだった。
☆☆☆
「ふっ……ざけんなよオイ!」
響いたのは、荒々しくも刺々しい、男子生徒の怒声だった。
その声が聞こえてきた『1年C組』。
……嘘だろ、僕のクラスじゃん。
初登校前にして帰りたくなったのは初めての体験だ。
教室の前に着いた僕は、ドアの隙間から様子を覗き見る。
然してそこには、惨状が広がっていた。
机と椅子を蹴り飛ばし、女教師へと詰め寄る男子生徒。
その男子生徒を止めながらも、教師へと困惑の視線を向ける女子生徒。
威圧感たっぷりに腕を組み、じっと教師を睨む男子生徒。
我関せずとばかりに瞼を閉ざし、背筋をピンと伸ばして席に着く女子生徒。
それら負の視線を一身に浴びながら、薄笑いを止めぬ教師。
――うーん、学級崩壊かな?
帰ってもいいだろうか。
「こうなるだろうとは思っていたよ」
ふと響いたのは教師の声。
「お前たちは必ず『抗議』しに来ると察していたからこそ、私もこうしてクラスへ来る時間を早めたわけだが――」
「はァ? なにが校則を破っただ! 八時に寝てなかったからって、そんなもんで所持金十万も減らされてたまるかってんだよ! さっさと俺らから奪った金返せよオイ!」
淡々と告げる女教師に、男子生徒が怒鳴り返す。
今にも女教師へ殴り掛からんばかりの勢いに咄嗟に彼を一人の女生徒が押しとどめ、どこか困ったように教師へ向けて口を開く。
「せ、先生……、実のところ、皆が霧道くんとおんなじ意見です。さすがに八時に電気を消してなかったからって、十万円の罰金はやりすぎ……なんじゃないでしょうか? その、校則をきちんと読んでなかった私たちも悪いとは思いますけど……」
その言葉に、黙っていた生徒たちの八割が大きく頷く。
ポニーテールにまとめられた明るい茶髪に、口から覗く活発そうな犬歯。
スポーツ少女といった外見とは裏腹に物腰の柔らかい、いかにも学級委員長っぽいセリフだったが――しかし。
「倉敷蛍……か、分かっているじゃないか。校則を読まなかった貴様らが悪い、と」
その言葉に、クラス中が凍り付いたような感覚があった。
一気に空気が重くなる。
そして僕も、真面目に帰ろうかなと考え始める。
……いや無理よ。
この空気の中、教室の扉ガラガラ開ける勇気はないよ。
やめてよね、勝手に学級崩壊するの。
どうせ崩壊するなら、せめて僕が教室に入ってから崩れてほしかった。
そんなことを考える僕をよそに、教室の空気は重いまま。
実際に空気が重量を持っていたら、この場の全員が押し潰されて死んでいた。
そう思えるほどの圧迫感に小さく吐息を漏らし――次の瞬間、霧道と呼ばれた先の男子生徒が声を上げる。
「ふざけんなって言ってんだろうが! なにが校則だよ! さっきから言ってるけど、んなもん聞いたこともねえっての! 聞いてもいないのにいきなりそんなこと言われたって――」
「聞いていない? おかしいな、学園長自ら言っていただろう?」
被せるように女教師の声が響き、学園長の言葉を思い出す。
……あの男は、明確にその校則について触れてはいなかった。
が、それでも確実に、その『片鱗』には触れていたんじゃないかと思う。
というのも、学園長が最後に告げたあの言葉――。
『校則を守ってより良い学園生活を謳歌してくれたまえ』
それは、さながら学園長『らしい』常套句のようにも聞こえる。
が、その意味をそのまんま、ダイレクトに受け取るとどうなるか。
そう考えて、思わず口元を強張らせる。
「――なあ、言ったろう? 校則を守れ、とな」
その言葉に、霧道青年が言葉を詰まらせる。
きっとその言葉は彼の記憶にも残っていたのだろう。
それもそうだ、あれだけ生徒心得で嫌な予感を漂わせておいて、そこからの学園長自らによる『甘言』だ。あれだけの甘味、嫌な予感を抱いていた生徒は特に忘れられない。
だからこそ、何一つ反論できない。
極まった理詰めに感情論は通じない。
思わず黙ってしまった霧道に女教師は薄く笑うと、改めてクラス中へと視線を巡らす。
その刹那、一つだけ残った空席に小さく目を見開いたように見えたが、すぐに薄笑いを顔に張り付けて声を上げる。
「さて、というわけで出だしは最悪。スタートダッシュに見事失敗してみせた愚か者どもよ。今日から貴様らのクラスを受け持つことになった。名前を榊零という」
かくして、僕を不在としたまま学園生活の幕は切って落とされる。
一体どのタイミングで、どんな面ひっさげて出て行ったらいいものか、少々僕にはハードルの高い問題だけれど、それでもとりあえず。
「……学級崩壊しなきゃいいけど」
僕は小さく、呟いた。
次話、本日19時予定です。