2-9『正義を潰す策』
――その男は悪辣だった。
悪質を元に暴力を育て。
傲慢の上に慢心を重ね。
されど一度の敗北もなく。
純然たる強者として、此処に立つ。
口調も言動も、全ては計算の上。
何もかもを壊したくて。
狂気的なまでの破壊衝動を胸に、彼は嗤う。
いつしかその狂気は、正義の光すら喰らうだろう。
翌日。
朝比奈から情報が知らされた。
時刻はホームルームの十五分前。
時間をどこまでも遵守する榊先生が、この時間帯、クラス内にいると言うのも珍しい。それだけ彼女も、今回の件を大きく見ているのだろう。
その中で、今回の件について語られた。
闘争要請、その概要について。
ルールは簡単だ。
六対六の、なんでもありの潰し合い。
相手が気絶、降参をした場合のみ勝敗が決まる。
試合形式は勝ち抜き戦。
勝った者は、そのまま次の生徒とも対戦し、勝てるところまで勝ち続ける。
そのため、たった一人で相手の六人を蹴散らすことだって、やろうと思えばできるわけだ。現実的に可能か不可能かは別としてな。
でもって、その『勝利報酬』について。
朝比奈が語った瞬間、クラスに静寂が舞い降りた。
倉敷を見れば、どこか悔しそうに唇を噛んでいた。
……まぁ、こうなるだろうとは思ってたさ。
倉敷がどんなに有能でも……たとえ僕がその場にいたとしても。
きっと朝比奈嬢は曲がらなかった。決断を変えなかった。
そんな確信がある。
「嘘だろ……600万って!」
「そ、そんな金額……」
「払えたとしても、そんなことしたら……」
いくら朝比奈にカリスマがあったとしても、所詮は他人だ。
現実的な金額を前に、生徒たちの中から不安が溢れ出す。
されど、それらの声を前に朝比奈嬢は動じなかった。
その姿に、徐々にざわめきが消えていく。
やがて、静寂に包まれたクラスの中で、朝比奈嬢は口を開いた。
「まず最初に……ごめんなさい。私の独断で、みんなを危険にあわせてしまった……。謝って済むような話ではないけれど、謝罪だけはさせて下さい」
そう言って、彼女は深々と頭を下げた。
騒いでいたクラスメイトたちも、彼女の姿に唖然とした様子だ。
一向に顔をあげない彼女を見たクラスメイトは、一人、また一人と朝比奈嬢へと声を返す。『大丈夫』『気にしないでよ』『朝比奈さんなら任せられるよ』だの。
僕は『自分の運命を他人に預ける』なんて信じられないが、そういう流れを簡単に作ってしまえる『天然記念物』だからこそ、僕も自信を持って彼女を推せる。
「それと同時に、皆には安心して欲しいの。貴方達が危険を背負う必要は一切無い。これは、私が提案したこと。……私が、責任をもって彼を倒すわ」
朝比奈嬢の瞳には、強い覚悟が映っていた。
誰が見てもひと目でわかる、強烈な意思。
えも言えぬ説得力を前に、クラスメイトたちは喉を鳴らす。
誰が最初に言ったか『さすが』って言葉。
それを皮切りに、朝比奈嬢への期待の言葉が溢れだしてゆく。
確かに、朝比奈霞は強いだろう。
この学校を見渡しても、彼女に勝る能力者はそう居ない。
そう確信できるほどの身体、知力、精神力、そして『異能』の強力さ。
戦って、朝比奈霞が熱原永志に負けることは無い。
そんなことは最初から理解出来てる。
けれど、相手が『真正面から戦う』とは、限らない。
熱原は性格が悪く。
狡賢く、陰湿で、勝利に貪欲だ。
「熱原君の性格上、必ず最初に出てくるでしょう。圧倒的な力の差を見せつけるために。自分一人で私たち全員を倒すつもりでしょう。だから、私が先鋒として戦い、彼を倒す。……A組は彼に脅されているだけ。なら、それだけで勝敗は決するでしょう」
違う、違うんだよ、朝比奈霞。
僕が熱原なら、その思考さえも読んでいる。
正義の味方、朝比奈霞はそう考える。
そこまで読んで、完全な作戦を立案する。
「…………」
榊先生から視線を感じるが、肩を軽くすくめて受け流す。
もう、賽は投げられたんですよ、榊先生。
後戻りは出来ない。
始まったものは戻らない。
……朝比奈にとっても、今回の勝負はいい勉強になるだろう。
だって、この『闘争要請』は。
――目も当てられない敗北から、幕が上がるだろうから。
「私は、悪には決して屈しない」
☆☆☆
翌日。
闘争要請、初日。
グラウンドへ集まった1年A組と、C組の面々。
校舎を見れば、多くの生徒がこちらの様子を見下ろしている。
今年度に入って最初の『闘争要請』。
しかも、クラス対抗という超大型の戦闘だ。
これで、目立たないという方がおかしい。
「へぇーえ、逃げずにやってきたか、偉いじゃねぇか」
「その言葉、そのままお返しするわ」
朝比奈嬢の瞳は、既に怒りボルテージMAXだった。
というのも、熱原は姿を現した当初から、一人の女子生徒の髪を掴み、引きずって歩いていたからだ。
珍しい白髪の、アルビノの少女だろうか?
小柄で、体が弱そうな一人の少女。
彼女は頬を腫らし、涙をうかべ、髪を掴まれ、歩かされている。
その光景には、普段から冷静沈着な烏丸でさえ怒りを見せた。
……正義の化身たる朝比奈嬢の怒りは、僕の想定すら超えるだろう。
「おうおう、カッカすんなよ、朝比奈霞。俺ァ、許されてこういうことをやってんだ。聞いてみっか? コイツはたとえ殴られたって『大丈夫です』って答えるからなァ! ケヒッ!」
暴力を振るわれたとして。
被害者が『許す』と言ってしまえば校則違反にはならない。
霧道と僕のやり取りで、そこら辺の仕組みはC組の全員が理解している。故にこそ、怒りを覚えた。憤怒に拳を握りしめた。
「……もう、いいでしょう。早く始めましょう。熱原永志。貴方とは、もう、話す価値も見いだせない。正義の名のもとに、貴方を倒す」
「へぇ……んじゃあ、サッサと始めましョーか! ほら、出せよ、『出場生徒の登録票』をよォ」
熱原は、そう言って中央へと躍り出る。
A組、C組は互いに、事前に『出場する生徒の名前と順番』を記した紙を用意し、当日、相手方へと公開する手筈になっている。
つまり、現時点では相手の出場生徒も、その順番も分からない。
それは向こうも同じことで、そのルールによるハンデは一切ない。
――ように、思えた。
朝比奈嬢もまた、用紙を片手に中央へと向かう。
熱原は感情を読ませない、薄ら笑いを浮かべている。
審判員は公正を期すため、生徒会の生徒が受け持ってくれたらしい。
その女子生徒は無表情を浮かべたまま、両者へと視線を向ける。
「それでは、両者、登録生徒の発表を」
かくして、朝比奈と熱原は開帳する。
上空へと、今回の対戦表が浮かび上がった。
然してそれは……僕の想像通りのモノだった。
……とある部分を覗いて、だが。
【1年C組】 【1年A組】
①朝比奈霞 VS 橘月姫
②佐久間純也 VS 熱原永志
③雨森悠人 VS ロバート・ベッキオ
④黒月奏 VS 邁進花蓮
⑤烏丸冬至 VS 米田半兵衛
⑥楽市楽座 VS 紅秋葉
「な……!」
朝比奈嬢から驚きの声が上がる。
……が、ちょっとまて。
えっ? なんか……見覚えある名前が入ってるんですが?
あれっ、もしかして見間違いかな?
僕の目でも腐ったのかな。
なんか、雨森悠人、って見えるんですが、これは幻覚ですか? いや、むしろそうであってください、お願いします。
「……何故だ」
「説明しましょう!」
僕の小さな呟きを、偶然にも隣にいた天道さんが拾ってしまう。
「此度の我らが連盟は天に愛されたとしか思えぬ強靭さを秘めていると言ってもいいでしょう! ですが、天は仰りました!『強い女子は居るけど、熱原相手に女の子けしかけるのって、なんか怖いよね』と!」
「なるほど、余り枠か」
つまり『クラスには強い人たちめっちゃいるけど、女の子を熱原の前に出すのは危険だよね』って話だろう。ちなみに朝比奈嬢は別枠である。
にしても……僕以外のメンバー、全員が『王』以上の能力者なんだよな。
うーん。天道さんがふざけて『異様に運がいいから強いかも!』とか言っちゃったせいで、『余ったし、とりあえず雨森でいっか』みたいな感じになったのかもな。半分聞き流してたから知らねぇや!
はっはっはー……鬱になってきた。
一人どんよりとしていると、朝比奈嬢の叫び声が響いた。
「こ、れは……どういうことなの! 熱原永志!」
「どうもこうもねぇだろうよォ? これが現実さ!」
彼の言葉を受け、改めて対戦表を見る。
うーん。ロバート・ベッキオですか。僕の対戦相手だけガチな気がするのは気の所為ですか? まぁ、勝ち抜き戦だし、朝比奈嬢が全員倒してくれるかもしれないけれど。
「……まぁ、無理か」
小さく呟き、朝比奈嬢を見つめる。
熱原は背後のクラスメイトたちへとアイコンタクトを取る。
すると、先程まで髪の毛を掴まれていたアルビノの少女が、他生徒の肩を借りながら中央の方へと向かってくる。
まぁ、この流れからすりゃ、彼女が誰かはすぐに分かる。
「ま、さか……! 橘月姫さん、は――」
「アァ、コイツだよ。朝比奈霞。お前の相手は、この女だ」
熱原は、勝利を確信したように笑みを浮かべていた。
僕の考えていた、最悪の可能性。
朝比奈嬢は確かに強い。
だが、それ以前に正義の味方だ。良くも悪くも、な。
だから、悪には異様なまでに強くとも……同じ正義には、弱き者には強くなれない。どこまで行っても、彼女にとっては『守る対象』だから。
朝比奈嬢は、拳を握りしめ、歯を食いしばる。
今になって気がついたようだ。嵌められた、とな。
「最初、てめぇらのクラスに行った瞬間から気づいていたさ。てめぇは霧道を殺った奴とは別人だ。なんせ、てめぇは非情になりきれねぇ。俺みたいな『悪』が目の前にいるってのに、正義の庇護者を盾にすりゃあ、あら不思議。かーんたんに無効化できちまうんだ」
そう言って、熱原は後方へと下がっていく。
残ったのは、満身創痍のアルビノ少女……橘と、朝比奈嬢。
朝比奈は大きく目を見開き、拳を握りしめている。
その拳からは血が滴っている。
憎悪よりも、悔しさがその顔には映り込んでいた。
「これは……まずいんじゃ」
倉敷の声が響き、僕は目を閉じた。
朝比奈嬢の説明からするに、熱原はよほど『自分の手で潰す』という部分を強調していたんだろう。それも、この上なく上手に、だ。
だからこそ、朝比奈嬢はまんまと信じた。
信じるに値しない、悪の言葉を信じてしまった。
1年C組に動揺が走る。
既に、熱原永志は勝利を確信していた。
「言っとくが、俺の駒は決して降参したりしねぇから」
それは、チェックメイトだったのだろう。
朝比奈嬢は愕然と目を見開き、熱原を見据えている。
彼は頬を弓のように吊り上げて、嘲笑と共にこう告げた。
「朝比奈霞、てめぇは正義を殴れねぇ」
それは、正義の味方の最大の弱点だった。
朝比奈さん、よく一発で『月姫』なんて読めましたね。
つきひ、と読みます。
ちなみにゲームは絶対いつか買おうと思ってます。




