2-8『交渉』
熱原が去った。
『まぁ、今日の放課後までなら待ってやらんこともねぇさ』
などと言い残し、僕らのクラスを後にした。
残ったのは、重苦しいまでの空気と、怒りの感情だけ。
その中で、朝比奈霞は謝罪した。
「……ごめんなさい。私の考えが、及ばなかった」
「そ、そんなことは無いよっ!」
彼女の言葉に、咄嗟に倉敷が反応した。
「あんなの……分かるわけないよ。おかしいもん。私たちが気に入らないからって……間鍋くんを襲うだなんて! おかしいのは熱原くんだよ、霞ちゃんは悪くないもん!」
プンスカ怒る倉敷委員長。
きっと、その裏では憎悪の炎が燃えたぎっていることだろう。
倉敷の言葉にクラスメイトたちが首肯する。
朝比奈嬢は不安げに……何故だろう、僕の方を見てきたため、何となく視線を逸らした。僕は関係ありません。
「だが……これじゃあ受けるしかねぇじゃねぇか、クソッタレ」
「或いは、襲っている事実を【証拠】として実証する、というのもある」
佐久間の言葉に、榊先生が口を挟んだ。
彼女にしてはかなーり協力的な方だろう。余程熱原が気に入らないと見た。
彼女は不機嫌そうに腕を組むと、人差し指で腕を叩いた。
「熱原が現在、ああして『優位』に立てているのは、ひとえに『暴力沙汰に証拠が無いから』に尽きる。本来、あの男がやっていることは校則違反甚だしい。証拠さえあれば、この私が手ずから退学処分を叩きつけてやる」
「だけどー、それって危なくなーい?」
倉敷のお友達、ギャルの子が声を上げる。
「証拠をとるってことは、また誰かが襲われないといけない、ってことでしょ? アイツ、女子でも平気で手を上げそうだから怖いんだけど……」
「分かっているわ。……榊先生、せっかくの申し出ですが、誰かを囮に使うような真似はしたくありません」
朝比奈嬢の言葉を受けて、倉敷がちらりとこっちを見た。
『お前なら、その囮ってのも、無傷で出来るんじゃないのか?』
そんな感情が透けて見えて、僕は無視を決め込むことにした。
無理だっつーの、明らかに霧道より格上じゃん、勝てるわけねーっつの。
窓の外へと視線を向ける。
やがて、朝比奈嬢は結論を出した。
「……私が、熱原くんを倒します」
それは、最も簡単で。
考え得る最低な解決方法だった。
☆☆☆
純粋な力押し。
加護の能力による力技。
「つまらん流れになってきたな」
放課後、朝比奈と熱原は話し合いをすることになった。
内容は……まぁ、明日の朝にでもわかるんだろうな。
今日のところは解散となった。……まぁ、クラスの中心人物、倉敷や佐久間、烏丸あたりは朝比奈嬢に同行したらしいが、僕は行かなかった。だって興味もさほど無いから。
僕は自分のクラスで椅子に座って、窓の外を見つめていた。
「……やはり、ここに居たか、雨森」
ふと、背後から声がした。
振り返ると……珍しいな、榊先生が立っている。
「……どうしたんですか? 榊先生」
「なに、熱原の件……お前の動向について知りたくてな」
僕の動向……?
いやいや、何もしない、で決定してるよ。
考えるまでもなく、それ以外の選択肢がありませんよ。
そう言おうとしたけれど、彼女は鋭い瞳で僕を見据えた。
「……私の前で、無能を装うのは無理と心得ろ」
無能を装う……ねぇ。
冷たい空気が漂い始める中、彼女は口を開いた。
「貴様の【能力】を知っている。貴様の【境遇】を知っている。貴様の【実家】も知っている。貴様のことは調べ尽くしてある。……なにせ、この学園、始まって以来のビッグネームだからな。なぁ、アマモリ・ユウト」
「……やっぱり、アンタは嫌いだ」
本音を叩き付けるが、榊の笑みは深まるばかり。
「まぁ、そう言うな。私は期待しているんだ。そして同時に心も踊っている。なにせ……お前ほどの人間に、まだ、他の教師陣は誰一人として気付いていないのだからな。お前の行動一つで、今の校風が尽く覆されかねない」
この学園に入るに際して、情報統制と隠蔽工作は万全を期した。
僕のことは、きっと学園長でさえ知らないだろう。
それを……この人は、どっからそんな情報を仕入れてきたんだか。
おおよそ、僕の【能力】を見て興味を抱き、調べてみた……って感じだとは思うけれど、まさかバレるとは思わなかったな……。
「……で、熱原について、でしたっけ?」
「露骨に話題を逸らしたな……。まぁいい。貴様も想像はついているだろうが、熱原永志という男は、今の1年C組には重すぎる」
彼女の言葉は、きっと正しい。
熱原は、今のC組が対するには強すぎる。
強いと言うよりは……狡猾が過ぎるのだ。
今のC組は朝比奈霞を中心としたワンマンチーム。
彼女が頷けば全員がそちらへ向かい、彼女が首を横に振れば、正しいことでさえ間違いになる。……少し大袈裟だが、大雑把に言ってしまえばそんな状態だ。
そして、その中心となる朝比奈嬢にとって、今の熱原は難敵過ぎる。
彼女が惑わされ、追い詰められれば、自然とクラスも追い詰められる。
結論として、C組が熱原を倒すのは難しい。
榊の言った『重すぎる』とは、そういう意味なのだろう。
「大丈夫なんじゃないですか? なにも、朝比奈さんだけが頼りになるわけじゃない。倉敷さんも、佐久間も、烏丸も居る。あれだけ集まればきっと……」
「……大丈夫、等と本気で思っているのか?」
榊は、呆れたような視線を向けてくる。
だけど……僕の答えは変わりはしないよ。
「大丈夫。僕は皆を信じてますから」
薄っぺらい綺麗事を口にして、榊を見据える。
彼女はどこか失望したような目で僕を見ていた。
されど、その瞳には同じくらい『期待』も含まれていて。
「……まぁ、言いたくないのならば言わないでいいさ。……いずれにしても、貴様が動かねばC組は潰れるぞ、雨森悠人」
彼女はそう言って、教室を後にする。
時計を見れば……かなりいい時間だ。
僕は椅子に座り直して、息を吐く。
「さて、そろそろ交渉も終わった頃か」
榊に言ったこと、嘘はない。
僕は信じているのだ。
――今の彼らに、熱原をどうこうできるだけの力はない。
間違いなく、不利な条件を飲まされた上、帰ってくるだろう。
一応倉敷もついて行ったみたいだが……この局面に至った今、どうすることも出来ないだろう。
あとは任せると電話では言ったがな。
多分、今回に関してお前の出番は一切ないよ、倉敷蛍。
朝比奈霞は……正義の味方は。
正義を振りかざした時が1番強いんだ。
たとえどんな相手であろうと。
敵と定めたのなら、もう曲がらない。
曲がらないから、曲がれないから。
簡単な小石に躓いて、みんな死ぬんだ。
正義の味方とはそういう生き様を言うのだと、僕はとうの昔から知っている。
僕は窓から、空を見上げる。
「……今回も、後始末は僕の仕事になりそうだな」
全く……嫌になるくらい榊の言った通りだよ。
☆☆☆
「面倒くせぇ事は無しで行こうぜ、潰し合おうや」
1年A組のクラス内にて。
熱原は、開口一番にそう告げた。
A組の生徒は、放課後にも関わらず全員が居残り、席に座して俯いている。なんとも異常な光景だ、と1年C組の代表四名は考えた。
「朝比奈……だったか? オマケについてきてんのは、脳内お花畑の糞委員長に、脳筋の後釜野郎、あとその金魚の糞野郎か」
彼の言葉に、倉敷、佐久間、烏丸の表情が僅かに揺らぐ。
されど、事前にこう言われることは想像が着いていた。
だからこそ、特に言い返すことも無く、本題について口を開いた。
「……んで、潰し合う、ってどういう意味だ」
「おうおう、猿は頭が悪くて困るねぇ。これだから――」
「――熱原永志。見苦しい挑発は止めなさい。私たちは真面目な話をしているはずよ。茶々を挟まないで頂戴」
いつものように挑発をしようとした熱原を、朝比奈が制す。
その言葉には、熱原も口笛を鳴らして感心を見せる。
「おぉーう、イイねぇ。そっちがその気なら、こちらも本気で話し合おうか。闘争要請の内容としては単純明快。【600万を賭けて潰し合う】だ」
600万。
つまり、一人頭 20万以上のポイントだ。
初日、ほぼ全員の生徒へ10万の罰金が課された。残るポイントは『40万』。生活費を差し引いて『35万』だとしても、敗北してしまえば『15万』まで減額されることになる。
そうなれば……生徒たちの生活はかなり厳しいものになる。
この厳しすぎる校則地獄の中で、たった二度校則を破った時点で退学処分にされる。それは、生徒たちにとってはこの上ないプレッシャーだから。
「貴方は……」
「朝は全員退学って言ったが……よく考えたら優しすぎたと思ってよォ」
その瞳は、狂気に歪んでいる。
朝比奈は大きく歯を食いしばるが、彼はその表情すらも楽しんでいた。
「ただ潰すんじゃねぇ! いつ自分が潰されるのか、退学処分を受けちまうのか。気が気でなくて夜も眠れなくて、心労重なり精神病んで、心身ともにぶっ潰されて! そういうのが見てぇんだ!」
その言葉に、A組の生徒たちは体を震わせる。
そこにあったのは、純然たる恐怖だ。
たった一人へ向けられた、死よりも大きな恐怖。
正しく、尋常ではない状態だった。
「だが、それは『他人の手を使って』じゃねぇ。この俺が、自らの手で破滅させる。それが楽しい、面白ぇ。他者を蹴り飛ばし踏みにじり、上位に立ってこそ『生』を感じられる! これだから人生ってのは止められねぇ!」
「……この、下衆が」
朝比奈の瞳に敵対心が宿る。
この男は、霧道と同類……いや、下手をすればそれ以上の害悪だ。
倒さねばならない、誰かを守るために。
これ以上、被害者を出さないために。
「そうだな……。六人ずつ出しての勝ち抜け戦にしようや。勝った方が600万! 堪らねぇなぁ! 人の人生を賭けてやるゲームってのは!」
「……問題外ね。仮に貴方が負けたとして、払うポイントは『クラスメイトから巻き上げたポイント』……ということになる。そのようなモノは要らないわ」
朝比奈の言葉に、佐久間が頷き、烏丸が苦笑した。
たしかに大きなポイントだ。
それがあれば、この先、有利に働くこともあるだろう。
だが、大前提として朝比奈霞は正義の味方だ。
どんな不正すらも許さない。
弱きを助けて悪を滅する。
そんな彼女が、そのルールに乗ることは決して無い。
「こちらから貴方に求めるのは、『今後、永久的に他者へ暴力を振るうことの禁止。及び、直接、間接とわず他者へ危害を加えることの禁止』」
「おいおい……こっちから出す条件は600万以外に有り得ねぇぜ?」
「理解しているわ。故に、そうしましょう。貴方が勝てば、600万の支払い。私たちが勝てば、貴方の不正は全て正される」
その言葉を受け、熱原は笑った。
まるで、狙い通りとでも言いたげな表情で。
その表情を見た倉敷は、咄嗟に制止の声を上げる。
「か、霞ちゃん! それは――」
「ごめんなさい、蛍さん。でも、安心して頂戴。絶対に勝つから」
それは、正義の化身としての自負、自信、覚悟だった。
されど、倉敷は大きな不安を感じていた。
この世界には、覚悟だけじゃ勝てない相手も存在する。
正義じゃ勝てない、ぶっ飛んだ巨悪が存在する。
例えば……そう、雨森悠人のような化け物が。
熱原が、彼と同類だとは思っていない。
されど、倉敷は直感していた。
きっとこの男も、魑魅魍魎の類なのだと。
「へぇ、じゃあ決定だ! やろうぜ、人生賭けた潰し合いを!」
【嘘ナシの本編補足】
賞金がなぜ600万という半端な数字だったのか。
仮に、賞金を900万にすると、一人頭30万円。
最初に全員が罰金を受け、さらに霧道が抜けていることを鑑みると、かなり厳しいペナルティとなったでしょう。
ただ、そこまでやってしまうと、初日以降に1度でも罰金を食らった生徒は即時退学になってしまうため、『苦しむ様を見たい』熱原としては、600万(1人頭20万と少し)がベストな選択でした。
次回【正義を潰す策】
悪はいつだって、狡猾な闇に棲む。




