2-7『悪虐』
黒月との訓練を行った金曜日。
そこから土日を挟み、週が開けた月曜日。
その日は【闘争要請】の解禁日となっていた。
多くの生徒は、あまり多用する機会のないであろう闘争要請。
僕もまた、きっと使う機会はほとんどないと見ている。
だからこそ、さして重要視はしていなかった。
今、この瞬間までは。
「【闘争要請】」
ホームルームの始まる前。
遅刻を恐れた全員がクラスへ集まっていた、始業十五分前。
以前と変わらぬ様子で現れた『熱原』は、当然のようにそう告げた。
「……えっと」
「聞こえなかったのか耳糞詰まり果て野郎共。喧嘩を売ってんだよ」
うひょー、まーたコイツ、倉敷さんにあんな態度取ってるぜ。
控えめに『……えっと』なんて返した倉敷さんは固まってる。触らぬ神に祟りなしって言葉知らないのかこの男。八つ当たりというか、愚痴を聞かされるのは僕なんだぞ? 理解してらっしゃる? そこんところ。
「……1年A組、熱原永志。……また来やがったのかよ。暇なヤツだな」
「あ? ……あぁー。そういや居たな、C組のお山の大将気取ってるモブ野郎が。霧道とかいう瞬殺雑魚の後釜になってる時点で程度が知れてんだよ。黙ってろよ」
「…………あぁ?」
皮肉を言った我らが大将、佐久間。
彼に対し、悪意100%で答えた熱原も熱原だが、その返事にカッチン来てる佐久間もヤバそうな気がする。一触即発ってこういう状態を言うんだな。初めて身に染みて理解しました。
「ちょ、佐久間ー! ちっと落ち着け! 相手の思うままになってんぞ」
「烏丸……チッ、んなこと分かってんだよ」
いや、絶対わかってなかっただろお前、とは言えなかった。
烏丸のナイスプレーで、何とか佐久間火山の噴火は免れた。
内心で冷や汗を拭いつつ前方へと視線を向けると、同じように熱原へと視線を向けた烏丸が笑いかけた。
「んで? どーいうつもりなんだ? 俺としちゃー、出直してきてくれたら非常に助かるんだけどな。だって、もーすぐホームルーム始まるぜ?」
「はっ、んなもんカンケーねぇよ。俺ァなぁ、入学初日にA組締めて、全員の『ポイント』って奴を貰ってんだよ。十万だろうが百万だろうが、俺の行動を縛るには足りてねぇな」
「あ、貴方……ッ!」
熱原の言葉に、朝比奈嬢が声を上げた。
この男……クラスメイトたちからポイント、所持金を奪っているとでも言うのか? だとしたら、仮に『一人につき20万』奪っていたとしても……所持金は脅威の【580万】になる。初期金額の十倍以上だ。
加えて自分の所持金まで加えると……600万を超えてきてもおかしくは無い。
たしかに、遅刻による10万円の罰金を気にしないのも頷ける。
「クラスメイトから……っ、何を考えているの! そんなことをすれば、多くの生徒たちの生活が……」
「知ったこっちゃねぇんだよ」
朝比奈の正論も、熱原には届かない。
「第一ィ、俺ぁクラスメイトたちから『貰った』んだよ。なーに、優しくお願いすりゃあ貰えたさ。なんせ……いや、止めとこうか。なーんか最初の話から論点がズレてきてんだよ」
うん、僕も思っていた。
彼がA組からどれだけの金額を奪おうと。
そのクラスにおいてどれだけの立場にあろうとも。
そんなことはどうだっていい、今は、熱原がこの場で口にした『その言葉』についてだ、そっちの方がずっと重要だろう。
「『闘争要請』……ったか? クソ頭」
不機嫌さを隠そうともしない佐久間に、熱原は余裕で返す。
「罵倒が意味を成してないぜ、アホ面。……っとと、そうだな。頭の悪ぃ猿ども相手に挑発なんざするから話が進まねぇんだ。最初の問いに答えるとしたら『その通りだ』」
彼の言葉に、クラスの中へと緊張が走った。
闘争要請、この学園において校則よりも強い影響力を持つ言葉だ。
その『戦い』においては両者の了承が必要。
相手が勝手に申し込んで来たからやばい、という話にはならない。
だが……熱原はチャラく見えるが馬鹿ではない。
ここに来たということは……それを受けさせるだけの『何か』があるということ。
「……なら、話は終わりね。私たちは貴方の要請に応じない。貴方のような礼儀の無い人物に、私たちから返す礼儀は何も無いわ」
「つれねぇこと言うんじゃねぇよ。朝比奈霞、とか言ったか? このクラスの中じゃ、霧道とか言うのを退学にした奴を除けば、てめぇを一番買ってやってるんだからな。嫁にしてぇくれぇだよ」
なんか、霧道みたいなこと言い出したな。
きっと全員が思った。
朝比奈は頭に手を当て、ため息を漏らす。
「まだそんなふざけた事を……。まぁいいわ。お帰り頂けるかしら。貴方と話すことはもう無さそうなの」
「親切心で言ってやろう、後悔するぜ?」
「どうもありがとう。後悔しないよう努めるわ」
朝比奈嬢は、そういうや否や瞼を閉ざし、興味も閉ざす。
その姿を見た熱原は困ったように頭をかいて、その光景にクラスメイトたちから失笑が漏れる。
……たしかに、これで終わるなら失笑ものだ。
あれだけ自信満々に出てきておいて、相手にもされずに撤退する。熱原への評価を下げるに足る。けれど……嘘を言っているようには見えなかった。
彼は、本気で後悔すると言っていた。
そしてその目には、狂気にも似た光が宿っている。
「仕方ねぇか。なら、せいぜい首洗って待っとけや」
そう言って、熱原は1年C組を後にした。
――事件が起こったのは、その翌日だった。
☆☆☆
翌日のホームルーム。
クラスの一席が、空席となっていた。
「間鍋のヤツが、昨日、何者かに襲われたらしい」
榊先生から告げられた言葉の『真意』を理解し、内心でため息を漏らした。
他の生徒たちは驚いたような、困惑したような表情を浮かべていたが、さすがに馬鹿でも理解ができる。――熱原のせいだ、と。
「……は、はぁ!? さ、榊先生! それって……というか、間鍋は無事なんですか!?」
「落ち着け烏丸。昨晩、付近のコンビニへと出た所を襲撃されたらしくてな。幸いにあまり重い怪我ではないが……軽くもない。私たち教員が『学校を休ませる』と判断するほど、と考えてくれ」
つまり、僕が霧道に殴られた時より酷い、ってことだろう。
間鍋くんと言えば、自己紹介の時に『僕は既婚者です。あぁ、三次元には興味がありません。二次元に嫁がいるのです』と、とんでもねぇ爆弾発言をぶっぱなしたことで有名な、自他ともに認めるオタク男子生徒だ。
……えっ? そんなの初耳だ、って?
いやぁ、自己紹介の時は僕の発言にみんな笑って、朝比奈嬢がブチ切れて――のくだりが印象的すぎたからさ。すっかり話題にも出なくなってたんだよ。
「間鍋くん……」
僕の『普通に友達になりたいランキング』では上位に入賞していたってのに。黒月の件がなければすぐにだって友達になりたいと思っていたのに……なんてこったい! 許さんぞ熱原! お前はぶっ潰す! 朝比奈嬢がな!
「……して。襲ったのは……熱原君で間違いありませんか?」
いつになく鋭い朝比奈嬢の声に、榊は呻く。
「……まぁ、だろうとは思っている。しかし、防犯カメラもなく、襲ったという『確実な証拠』が何も無い。唯一、間鍋本人から『熱原に襲われた』との証言はあるが……」
「チッ、あの野郎だ。どーせ『自分がやったって証拠がねぇ。むしろ、C組が自分を陥れようとしている』だのなんだの言ってんだろうよ」
佐久間の言葉に、榊は大きく頷いた。
「その通りだ。私は間違いなく熱原の犯行だとみているが……あまりにも証拠が無さすぎる。防犯カメラの位置を把握し、計画的に行われたものだとみて間違いない」
「……ってことは」
「証拠もねぇのに、罰せられるわけねェよなぁ?」
響いた声に、僕らの視線が一斉に出入口へと向かった。
そこには薄ら笑いを浮かべた熱原が立っている。
ホームルーム中だ……というのは、注意にもならないんだろうな。
だってこいつは、僕らを挑発するためだけに校則すら破ってここに居るのだろうから。
「俺からの贈り物、楽しんでいただけたかな?」
「て、てめぇ……!」
熱原の言葉に佐久間が激昂する。
しかしそれを、榊は片手で制して見せた。
「さ、榊……先生。だけど――」
「分かっている。……熱原と言ったな。どういう意味だ」
榊先生の表情は、珍しく怒りに染っていた。
楽観主義、享楽主義の彼女とて、自分のクラスに手を出されるのは心外極まるということか。
「えぇー? 朝、佐久間クゥンに、プレゼント渡したと思ったんですけどぉー、俺の勘違いだったかなぁ? ハハハッ!」
「真面目に答えろ、退学にするぞ」
「んな事したら、A組の教師を敵に回しますよォ?」
榊の脅しにも、熱原は引いた様子すら見せない。
榊なら、熱原を問答無用で退学にできる。
だが、そうした場合、理由もなく自分の生徒を退学に追いやられたA組担任教師が面白くない。下手をすれば似たような理由からC組の生徒を退学へ追い込むだろう。そうなりゃ永遠続く復讐合戦の完成だ。……最悪のシナリオだな。
眉根を寄せる榊先生と、悔しさを噛み締めるクラスメイト
それらを前に、熱原は余裕を崩さない。
「でェ、昨日言ってた件、考えてくれましたァ?」
「……『闘争要請』の件だったかしら、熱原くん」
朝比奈嬢の声は、誰が聞いても怒っていた。
怒りに沸いて、悔しさを噛み締め、眼前の相手を敵と認識した。
背中から、彼女の表情が容易に想像出来る。それほどまでの怒気。
「受けない、と言ったら?」
「はっ、そりゃ重畳。明日、また出直すことにしようか。その間、暇つぶしに『ゲーム』でもって遊んじまうかもしれねぇがな?」
「……ッ」
ゲームが何を意味するか、そんなことは分かってる。
つまるところ、僕ら『C組の生徒を闇討ちする』って遊びだ。
……きっと、この男なら本気でやるだろう。現に間鍋くんがやられている訳だし。男女問わず、暴力が止まることはないと思う。
仮に、一日二日、警備を完全にして襲撃を防いだとしても、この先三年間、延々と続けていく訳にはいかない。いつか、彼らからの襲撃を受ける日が来る。
そして、それを防ぐには、彼の提案を受ける他無くなってくる。
しかも、たった一日で『僕らの立場』は一転している。
「しかぁし? 俺としちゃあ、別に受けて貰わなくたって、良くなってきたんだよなぁ? 最近、そのゲームにハマっちまってよォ。気を抜いて歩いてる猿を後ろから襲撃するっつーゲームなんだが、これがまた楽しくて楽しくて……止められるわけ、ねぇよなぁ?」
「……つまり、こちらが不利な条件で、C組がA組に申し込まなければならない……ということかしら」
朝比奈嬢の言葉に熱原は笑い、僕は感心した。
なるほどなるほど……良い考えだ。
証拠が掴めない以上、僕達は熱原へ『A組がC組に手を出さないこと』を条件に闘争要請を申し込まなければならない。
つまり、C組が下手に出なければならないということ。
ならば、A組はその条件に対する『リターン』を、法外なものにだってできるはず。
熱原は大きく笑う。
そして、己が願いを口にする。
「受けてやってもいいぜ? ただし、負けたらお前らは退学な」
それは、最低最悪の条件だった。
性格悪いなぁ。
 




