11-40『覚醒』
完結まで、この話含めてあと5話(予定)です。
……それは、懐かしい感覚だった。
絶対に勝たねばならない戦い。
人生で、そういう岐路に立たされたのは、これで二度目だ。
細かな戦いまで含めれば、その限りではないが。
それでも、思い出す。
あの日の戦いを。
あの男と交わした死線を。
肌がひり付く。
空気が焼けたように唇を乾かし。
されど、喉を通る空気は、氷のように冷ややかで。
余計な思考は、かけらも浮かばず。
集中しているなぁ、と。
まるで、他人事のように自分を見据える。
何か、僕は変わったのだろうか?
自分へ問うて、否と返す。
なにも、新しい力に目覚めたわけではない。
力の使い方を知ったわけでもなければ。
なにか学びを得たようなこともない。
僕自身、何も変わっていないし。
何も、成長なんてしていない。
――ただ、大切なものを失っただけ。
「……ずいぶんと、体が軽いな」
眼前で、弥人に両腕を掴まれたまま、素直に思う。
今までは、身の丈に合わないモノを背負ってきた。
体は限界だと叫んでいたのに。
もう、そんなものは降ろせと言っていたのに。
聞かないふりをして。
無理をして、無茶を通した。
その果てに、こうして荷を下ろした。
……まあ、想定とは違う荷下ろし、ではあったけれど。
僕は、背後で蹲る親友を一瞥し。
改めて、眼前の兄へと視線を戻した。
「こ、殺せぇッ! 今すぐ! どんな手を使っても!!」
八雲の絶叫が響くと同時に、弥人の触手が始動する。
恋の斬撃と同程度の威力を誇るソレ。
先ほどまでは、かなり警戒していたはずなんだが。
不思議と、迫る二振りの斬撃を前に。
「……遅いな、それ」
抱いた感想は『驚き』だった。
さっきまで、こんな攻撃に一喜一憂してたのか。
そう思うと、よほど恥さらししてたんだろうなぁと思うと同時に。
弥人の両腕を払い飛ばして、触腕二本をそれぞれ掴む。
「――ッ!?」
「一回死んで鈍ったか? 随分と鈍いぞ、弥人」
固まる弥人へ、前蹴り一閃。
焦り、直前で両腕を防御に回したようだが。
それでも殺しきれぬ衝撃が全身を貫き、その身を吹き飛ばす。
弥人は勢いそのまま八雲の隣を吹き飛んでゆく。
「へぁ……?」
と、状況についていけぬ八雲。
小物の様子を一瞥し、気にするほどの脅威も覚えず。
僕は、吹き飛んでいった弥人のほうへと視線を戻す。
「……最後だ。もう、次はない。これが本当に、最後なんだよ弥人」
兄弟喧嘩は、これで最後。
手合わせする機会なんて、二度とない。
それこそ、僕が死んで、あの世に行ってから。
……いいや、僕は地獄に行くだろうから、周旋はいても、弥人はいない。
ああ、だから、本当に最後なんだな。
そう思うと、感慨深く思うと同時に。
気づけば、本音が口から飛び出していた。
「……本気でやろうよ、兄さん。僕の期待を裏切らないでくれ」
八雲に対する復讐とか。
あの日の絶望、憎悪とか。
今だけは、すべてを忘れる。
その上で、一人の弟として。
今まで背を追い続けた兄に、しっかりしろと。
腑抜けた今の兄さん相手じゃつまらないよ、と。
最後のわがままを、言ってみる。
「な、にを、ふざけたことを言ってやがる! 殺せ! 殺しちまえ弥人!!」
八雲が吼える。
されど、弥人は動かない。
吹き飛んでいった先で。
すでに態勢を整えていながら。
それでも、動かない。
まるで、驚いたように目を丸くして。
僕の言葉を前に、固まっていた。
そして……ふと、その口元が緩んだように見えた。
「……っ」
それは、僕の気のせいだったのかもしれない。
けれど、偶然か必然か。
僕の声をきっかけに――弥人の全身から放たれる『圧』が増す。
それは、生前に感じていた彼のものより、ずっと大きい。
それこそ、弥人が生きて、成長していたのなら。
きっと、これくらい強かっただろう――と。
僕が想定していた通り……いや、それ以上の【強さ】を感じ取る。
おそらくは、自滅を前提とした超過稼働。
死体としての寿命をも削った、わずか一時の超強化。
……あの弟にして、この兄か。
かつて、天守優人が行った『無茶』に近しいものを感じ。
僕は苦笑し、拳を固くを握りしめる。
「……悪いな、最後なのに無茶させて」
終始死体として見ていたその肉体を。
僕はその瞬間から、『天守弥人』として認識を改める。
そして、ゆったりと拳を構え直した。
――と同時に、戦況が動く。
弥人は触手をばねのように使い、一気に加速する。
助走などない。
ゼロから一瞬でトップスピードへ飛び乗った。
加えて、そこに雷の身体強化。
俗に、音を置き去りにする速度へ弥人は達する。
だが、それでも対応には困らない。
弥人の拳。
僕の拳。
それぞれが、超速の中で互いの肉体を抉る。
予想以上の速度。
想定外の衝撃、痛み。
それら全てを『些事』とねじ伏せ、腕を掴む。
「――ッ!?」
反応は許す。
ただし、対応は許さない。
弥人が動くより早く、僕は力業で彼の体をぶん投げる。
それは膂力にものを言わせた、ただの『投げ』。
彼の体はすさまじい勢いで吹き飛ばされてゆく。
だが、そこは天守弥人。
触手を地面へと突き刺し、勢いを殺す。
そして、顔を上げて僕を睨んだ。
――その顔面へと、僕の膝蹴りが直撃する。
みしりと、彼の首から嫌な音。
幾度目かの首への大打撃。
いい加減、折れてくれたっていいんだがな。
それでも構うものかと、天守弥人は僕を睨む。
「ぐ……っ」
「どうした弥人、透過は使わないのか?」
僕の言葉を受けて、彼の顔がわずかにゆがむ。
唯一面倒だった、弥人の透過。
その対処方法、いろいろと考えてみたんだがな。
結論としては、我ながら驚くほど脳筋策に落ち着いたよ。
『透過が間に合わない速度でぶっちぎる』
以上である。
そもそも、天守弥人は透過の技術に長けていない。
幾度も獲得し、幾度も練習し。
そういった積み重ねを経たのなら話は別だろう。
だが、八雲は恐らくこの局面で、初めて透過を取得させた。
ならば脅威であっても――使い慣れていない付け焼刃に過ぎない。
そして付け焼刃という話であれば、【銃】も同じこと。
銃を生み出し、握り、引き金を引き、放つ。
四動作も無駄な工程が入っている。
その【本物】を知っている身からすれば、未熟もいいところ。
召喚も握りも放ちもせず、気づいたころにはぶち抜かれている。
そういう【怪物】であれば話は別だが……弥人の技術はそんな狂気には達していない。
ならば、警戒するにあたわない。
「使えよ付け焼刃。今の僕相手に使う余裕があるならな」
生前より用いていた雷は使えるにしても。
戦闘がさらなる高次元に突入したことで、付け焼刃は用途を失う。
正確に言えば――少しでも手間取った瞬間に殺される。
だから使わない。使えない。
今の雨森悠人を前に、一瞬の『遅れ』は命取りと彼は知っている。
となれば、次の選択肢は絞られる。
スッと、弥人の片翼、その一つが灰色に染まる。
と同時に、周囲へと白い霧が漂い始めた。
「……霧とは、また厄介なものを……!」
僕が偽善として使っていたのは、生前の弥人が使っていた能力ばかり。
霧にしても、雷にしても。
彼の後追いで始めたものだ。
当然、僕が使えた以上に、弥人はうまく使う。
弥人は両の指を重ね、獣を呼び出す。
右手、四本。
左手、四本。
併せて八本――呼び出されるのは、裏八番。
「裏八番・カリュドーン」
警戒するのと、牙に押し飛ばされるのはほぼ同時のことだった。
すさまじい衝撃が全身を襲う。
空中に吹き飛ばされて、眼下を見下ろし。
君臨するのは、巨大な白き魔猪。
荒ぶる獣、カリュドーン。
手札の中で最も凶暴で、攻撃力が高く、制御の利かない暴れ猪。
僕が使っていたものより、性能はずっと高い、か。
ついぞ、最後まで『偽善の使い方』は勝てなかったみたいだな。
そう思うと同時に、拳を強く握り、固める。
「……そうじゃなくちゃ、超え甲斐がない!」
カリュドーンの顕現と共に周囲へはじけ飛んだ瓦礫。
それを足場に、空中で方向転換。
上空より、拳を固めて獣に迫る。
……技名などない。
ただ、全力で殴る。
それを、鎖の外れた今の身で行うだけ。
僕の接近に、カリュドーンが反応を示す。
しかし、対応までは至らない。
それより早く、僕の拳がその身を直撃。
――そして当然のように、一撃必殺。
追撃など不要。
ただ一撃のもとに、その身を穿つ。
振るった拳は、大きく獣の身を陥没させ。
原型すら保てず、その時点で獣の体は霧と帰す。
当然、そうなれば視界は削られ。
白き霧の中から、すさまじい引力を感じ取る。
「次は、重力か!」
背後から感じ取った、異様な引力。
思わず振り返る――と同時に、背筋に嫌な予感。
引力に逆らわず身をひるがえすと、同時に弥人の拳が僕のいた場所を直撃した。
その光景に、僕は笑みを深める。
「……ああ、いいな、天能はやっぱり自由だ」
カリュドーンという大きな戦力。
それを捨て駒にした視界の封鎖。
そこから重力を使っての警戒誘導。
それら脅威的な天能の先に、拳でとどめを持ってくる。
やはり、使い方がこれ以上ないくらい上手い。
この学園に入って以降、一度として感じたことのない『巧妙さ』に唸ると同時に、感動する。
ああ、そうさ。
天能は、やっぱり自由だ。
この人と戦う度。
幾度も、自分の無知を思い知らされる。
引力の先。
発生していた重力の黒球を、手刀で破壊。
改めて振り返ると、残り白翼を二枚残した弥人が霧の中から姿を現す。
威風堂々。
姿かたちは少々変われど。
依然として、僕が憧れた兄のまま。
こうして僕の未熟を突き付けてくる。
無表情が、壊れていく。
口角が、自然と上がってしまう。
全身全霊。
おおよそ、誰一人ついてこれぬ、この戦いに。
平然と対応し、応戦し。
まだまだ未熟、と突き付けてくる。
「……強い、なぁ」
ああ、強い。
本当に強い。
こんな人を目指していたのか。
そりゃ、苦しいし、辛いだろうし。
先なんて見えないに決まってる。
けれど、超えねばならない。
弥人は期待に応えてくれた。
自分はまだまだ強いんだぞ、と。
こうして、弟のわがままに応えてくれた。
なら、今度は僕が応じる番だ。
大きく息を吐き、目を細める。
姿勢は大きく前傾に。
両足へと力を込めて。
右の指先で、軽く地面を触れる。
目に見えて、弥人が警戒を見せる。
その姿を、見据えて。
少し、息を吸うと同時に。
一気に、両足に溜めた力を爆発させる。
一閃。
踏みしめた地面が爆散すると同時に。
体は、先の攻防を超えて加速する。
視線の先で、弥人は大きく目を見開いて。
同時に、翼の一つが灰色に染まる。
「――ッ!」
勢いそのまま、飛び蹴りへ。
寸分たがわず弥人の顔面を直撃。
――したかのように思えた一撃は、されど感触を覚えずに終わる。
透過された。
そう気が付くのと、どうやって、という疑念は同時に来た。
しかし、直前に翼が灰色になったのを思い出し、一つの能力に思考が至る。
「『目をよくする』能力……!」
堂島の能力が、まさにソレだった。
確かに、動体視力さえ増強できれば、思考が追いつく。
そうなれば、天守弥人は相手の攻撃に合わせて『透かす』くらいできるはずだ。
もちろん、視力増強だけで透過を使いこなせる、というわけではないにせよ。
翼を一枚消費することにより、必要最低限の『下地』は作れる。
――だが。
「なら、その目でも追いつけなかったら?」
視力増強。
それは結構。
だが、それで作れたのは必要最低限の下地だけ、だろ?
僕の体は、まだまだ目覚めたばかり。
寝覚めの体に鞭を打ち。
妙に軽く感じる中、調整を整えて。
やっと、本調子に片足を突っ込み始めたところ。
動けば動くほど、血が巡る。
死んでいた細胞が、喜び叫び躍動する。
今まで眠っていたものが、一つ、また一つと開いていく。
過去、あの日感じていたものよりも、はるかに大きな全能感。
……僕も、こんなのは初めての経験だ。
多くは語れない。
けれど、一つだけ間違いなく言えることがある。
「――今の僕は、あの日より強いよ」
そう言うが早いか、再度の加速。
一瞬で、弥人の視界から僕の姿が消失する。
弥人の焦り。
と同時に、彼は全身へと透過を回し。
一瞬遅れて、僕の回し蹴りが弥人の頭部を透かす。
「!」
「惜しいな。だが、次はどうだ?」
もうすぐ、透過時間は終わるはず。
なら、そのあとは?
長いクールタイムを、透過なしで耐えられるか?
あるいは、残る翼一枚で、何とかしてみるか?
そう問う僕に、弥人の表情に苦悩が浮かぶ。
――そして、バチリと雷が跳ねた。
頭上を見上げれば、巨大な雷の槍が天に浮かぶ。
先ほども見たな。
朝比奈の……極雷、だったか。
尋常ではない威力の、ソレ。
当然、朝比奈のオリジナルには比肩しないだろう。
だが、弥人の生み出した雷神の一投。
まともに食らえば、と考えると背筋が震える。
「……まぁ、まともに食らえば、な」
その技は、何度か見たよ。
なら、対処法くらい思いつくさ。
足元に転がる、小さな石を拾い上げ。
その腕へと、力を籠める。
「一つ、速射ができないこと。二つ、弱点の核が中心にあること」
それがわかれば、対処は容易い。
僕は、握りしめた石を極雷へと放つ。
ただの投石。
対するは、神の一投。
当然、威力は歴然だ。
だが、準備途中の雷に対し。
軽く雷速を超え、尋常ではない威力の伴った、ただの投石。
その火力は、いとも簡単に極雷の核を穿ち。
――そして、貫く。
黄色い花火が、頭上で弾ける。
完成を待たずして、奥義は散った。
投げることさえできていたら、石ころ一つではどうにもならなかっただろう。
だが、それは過程の話。
奥義の完成を、首を長くして僕が待っていた場合の話だ。
「今のは……弥人の意思ではないな。よほど、自分の思い通りにならないのが嫌と見える」
ちらりと、八雲を見る。
彼は激怒に歯噛みし、青筋を浮かべて僕を睨んでいた。
まさか、朝比奈の未完成技をわざわざ引っ張ってくるだなんてな。
アレは朝比奈が使うからこそ輝く技であって、オリジナルの雷を持たない第三者が使ったところで、隙は大きいし、威力もオリジナルよりは劣るしで……劣化版以外にはなりえない。
……と、わずかに思考を逸らした刹那。
弥人の指が、五本+五本、計十本を組み上げていた。
――指し示すは、【裏十番】。
「【偽神】」
それは、霧生物における最上級。
生み出されるのは、白一色に染まった、人型の何か。
それはかつて生きた神の写身。
当然、性能は神本体には遠く及ばない。
だが――少なくとも、僕では十全に扱えなかった『ナニカ』であった。
「……平然と使いやがって」
僕には使えなかったもの。
当然、知識としては不十分。
目の前に君臨した、人型の偽神。
「……」
その圧を受け、笑みが零れる。
……ああ、いいよ、好きに足掻いて。
偽神だろうと何だろうと持ってこい。
僕は、その一切合切を踏みつぶして、先に行く。
あんたを超える。
幼少期から、ついぞ一回もかなわなかったその願い。
今こそ、叶えさせてもらうよ、兄さん。
☆☆☆
その光景に、八雲選人は歯噛みしていた。
雨森悠人が、戻りつつある。
いいや、もう、戻っていても不思議ではない。
なにせ、今の弥人を相手に、それでも優勢を保っているんだ。
今の天守弥人は、八雲の想定以上の性能を引き出している。
……おそらくは、後先考えずの『超過稼働』。
少なくとも、それは八雲の指示ではなく。
――その肉体、その天能に紐づいた、天守弥人個人の暴走。
当然、その性能は桁外れに強化されている。
なにせ、死体としての寿命を削っての暴走だ。
偽善を焼き切れるほどに使いまわして。
筋肉などはじけ飛ぶほど酷使して。
おそらく、この果てに天守弥人の肉体は塵も残らないだろう。
だが、だが。
そんなことはどうだっていい。
問題は、そんなことじゃない。
そんな怪物を超えた、今の天守弥人を前にして。
調整中、などと抜かして遊んでいる今の雨森悠人が問題なのだ。
危機感など、あの男は感じていない。
眠りから覚めた肉体を、どう扱うか。
どう戦えばより楽しめるのか。
勝つか負けるか。
復讐できるか否か。
そういった大切な部分を、度外視して。
子供みたいに。
まるで、あの日の悪夢のように。
戦うことを、楽しみ始めている。
天能を一度も使っていないことが、何よりの証拠だ。
――全力の弥人に対して、雨森悠人は本気を出してはいない。
「この……っ、化け物がぁ……っ!」
絶対に勝てない。
そう断言して止まなかった悪夢を前にして。
八雲は泣きそうな声で、怨嗟を絞り出す。
「なんで……負ける? 俺が!? なんで……なんでだよッ!?」
絶対にありえない。そう断言していた死体の暴走。
そのきっかけもわからず、理解ができず。
加えて、止められなかった雨森悠人の覚醒。
「ありえねぇだろうが! どうして、烏丸の野郎が裏切ってやがる! 仲違いしてただろうがよ! 偽善は捨てられねぇんじゃなかったのかよ! 糞……ッ! どっからどこまで嘘で塗り固められてやがる、雨森悠人!!」
あり得るはずのなかった想定外。
勝利の確信から急転直下。
その連続により、八雲の思考は崩壊していた。
今の彼に残されたのは。
雨森悠人に対する逆恨み――憎悪と。
何としてでも生きねばならぬ、という生存本能だけだった。
「こ、殺さねぇと……ダメだ! 雨森が勝っちまったら、もう、逃げられねぇ!」
偽善を捨てた以上、雨森悠人には【星】がある。
今までは負荷やら何やらで使えなかった能力――【記憶盤】がある。
アレを使われれば、どんな切り札があろうとすべて見透かされる。
どこに逃げようと、どんな逃走手段を用意しようと。
あの男は、何の苦労もなく八雲選人を追いつめられる。
――それだけは、絶対に避けなければならない。
殺す、殺す。
ここで、確実に雨森を殺す。
濃厚な殺意。
死を目前に控えた、常軌を逸した集中力。
そして――一欠けらの【運】が、彼に味方する。
いつだって、八雲選人は恵まれていた。
天に愛され、神に救われ、何度も命を拾ってきた。
それは、今回とて例外ではない。
死にたくない。
まだ、生きねばならない。
殺さねば、生きられない。
雨森悠人を殺す他、道はない。
そう考え。
そう執着し。
足掻く男もまた――この土壇場で【覚醒】を始める。
凡人から、天才へ。
花開く瞬間は、いつだって唐突だ。
神は、人の善悪など気にはせず。
誰にだって平等に微笑み、祝福を与える。
――八雲選人は、他人より少し、その恩恵が大きいだけだ。
「最後に笑うのは、いつだってこの俺なんだよ!!」
目を血走らせ。
生きるためにと、殺しに走る、八雲選人。
――されど、彼は気づかない。
その姿を、一人の少女が見据えていることを。
「……させて、たまるもんですか」
それは、明確な過去との差異。
過去、命を拾った海老原選人。
あの時は、正義の味方はもういなかった。
――でも、今回は違う。
正義の味方は、いまだ健在。
その力を失おうが。
傷だらけで膝を屈しようが。
その在り方には、一縷の揺らぎもない。
そして、偶然か必然か。
神は、その少女にも等しく微笑みかける。
男は神に愛されている。
天に恵まれ、運に味方され。
いつだって最後に笑ってきた。
けれど、それは『いままで』の話。
今日、この瞬間だけはそうはいかない。
一人の少女に集約するすべてが、彼の歯車を狂わせる。
自分より恵まれている少女がいるなど、考えもしなかった。
雨森悠人より、少女の殺害を優先しなかった。
最後まで、【正義の味方】を軽視してしまった。
それらすべてが彼の失敗、彼の敗因。
いわば、その少女の存在こそが、彼の誤算。
『仮にうまく逃げたとしても……』
『僕らはどこまでも君を追いかけ、絶対に償わせる』
在りし日の正義の味方が宣言した、償い。
その時はもう、目前に。
悪は悪として朽ちるのみ。
『君に【次】なんてないんだよ』
死者は微笑み、その背へと手を伸ばす。
次回【ありがとう】
雨森悠人。
八雲選人。
天守弥人。
烏丸冬至。
そして、朝比奈霞。
多くの思惑が交差し、やがて物語は結末へ至る。
「ありがとう。お前のおかげで、ここまで来れた」
※次の話は個人的に作者史上最高傑作です。
第一話から今までの超絶集大成。
懐かしさと複線回収の大嵐、ぜひお楽しみに。




