11-37『朝比奈霞』
目標は、高く持つべきだ。
少なくとも私はそう思うし。
目指すべき先が高ければ高いほど、きっといいことだと思うし。
だからこそ、私は一番高い目標を定めたつもりだった。
――正義の味方。
それが、どれだけ難しいのかは分かってるつもり。
だって、それは絵本の中の存在だから。
人々が空想し、夢想し、憧れて。
でも、ただ一人として届かなかった。
そんな、英雄に私は憧れた。
きっかけは、些細な事。
ある人が、私を助けてくれた。
ある人が、私に手を差し伸べてくれた。
弱くて何もできなかった私を。
それがなんだと笑い飛ばして、助けてくれた。
この人たちのように、生きてみたい。
そう生きられたのなら、どんなに楽しいだろうか。
どんなに世界は輝いて見えるだろうか。
彼らの隣に、立てたのなら。
そこには、どんな景色が待っているのだろうか。
強くなりたい。
この人たちに並び立てるように。
私があの日、助けられたように。
私も、いつか誰かを助けられるように。
そう願い、突っ走った。
時に、忘れてしまうこともあったけれど。
挫けそうにもなったけれど。
何度も何度も、失敗したけれど。
それでも、こうして振り返ってみれば。
私は、最後まで一直線に駆け抜けてきたんだと分かる。
「……我ながら、嫌になるくらい一途よね」
少しくらい、余所見くらいしなさい、っての。
青春なんて知ったことかと。
ただ、憧れに邁進し、その半生を賭してきた。
そんな生き方を振り返って。
可哀想だと、素直に思った。
けれど同時に、後悔もなかった。
「さて、朝比奈霞、私に問うわ」
貴方は目標を、既に遂げたわ。
雨森悠人の隣に立つ。
正義の味方になって見せる。
それはもう叶えた。
「なら、貴方は次に何を目指すの?」
自分自身へと、そう問うた。
答えは、思いのほかあっさりと返ってきた。
☆☆☆
「あ、朝比奈……っ」
「烏丸君、ごめんなさいね。話はあとで聞くわ」
少女の声に、一切の余裕は感じられなかった。
絶望したような、暗い瞳で烏丸は俯く。
――烏丸冬至は、八雲所長の寄生を知っていたのか?
その答えは、否である。
当然、八雲選人は烏丸冬至を信用していない。
駒としては優秀だとは考える。
たしかに、雨森悠人を殺すうえでは重要な駒だ。
だが、彼程度ならば代用が効く。
烏丸がダメなら、小賀元で。
小賀元がダメなら、幾年で。
それでもダメなら、予備は腐るほど生き残っている。
あくまでも、烏丸冬至は『最も憎悪が深かったから』選ばれただけ。
言い換えるならば――『天守優人と最も仲が良かったから』。
だから、選ばれたに過ぎない。
……当然、そのような『部品』に真実を明かすことなど無い。
八雲選人は、無断で烏丸を利用した。
烏丸冬至に、朝比奈を刺す気は欠片もなかった。
彼は、朝比奈のことを敵とは認識していなかった。
だからこそ、正義の味方に油断が生まれた。
「けひひっ、どの時代も正義の味方ってのは脆くて助かるぜ! 意味不明、理解不明な言動晒して、果てに毒呑んで自滅した前任も! イキって人助けする自分に酔って油断晒した当代も! どいつもこいつも簡単に死んでくれそうで、先生感激に涙しちまうよ!」
大声で笑い、けらけらと涙を流す死体。
当然、八雲所長の意志ではない。
死体は涙など流さない。
生前の彼は、そのようなことでは笑わない。
嗤っているのは、八雲選人、彼の意志だ。
【屍】には戦闘能力はほぼ皆無。
だが、こういった【ずる】は数多く許されていた。
腐り果てても、概念使い。
史上最悪と呼ばれたソレは、戦闘以外には他の追随を許さぬほどの尖りを見せる。
「言っている意味が、よく分からないわね」
「ああ? 分かんねぇか。んじゃぁ、先生が教えてやるよ、クソ生徒」
八雲は、唾液を撒き散らし叫ぶ。
「ご愁傷様ァ! てめぇはここで死ぬってこった!」
瞬間、雷が八雲の全身を走る。
それは朝比奈の攻撃――などでは、なく。
彼が奪った【雷】の能力が、彼の身体能力を飛躍的に向上させる。
「ひゃは!」
「……ッ」
今まで、自分が振るっていた能力。
それが、そっくり敵へと寝返ったのだ。
朝比奈は迫る八雲に目を剥き、紙一重で拳を回避する。
しかし、長い髪がその手に触れる。
ほんのひと房。
僅か、数本。
されど、奪うには十分は『接触』だ。
「『強奪』」
触れていた時間は、コンマ一秒にも満たない。
それほどの刹那。
互いに雷を纏って交差した、ほんの一瞬。
それだけで、朝比奈の体から能力が溶け出してゆく。
「こ、れは……っ」
「ご都合主義って奴さ、ヒーロー!」
天能名――【強奪の加護】
八雲所長が生前より保有する天能。
その発動条件は、極めて容易にして単純。
【掌を介して触れる事】
ただ、掌で触れる。
あるいは、掌で握った物体を通して、相手に触れる。
それだけで、強奪は発動する。
蹴ろうが、触れようが、たとえ抱き着こうが。
他にどれだけ肉体的な接触があったにせよ、能力は発動しない。
故に、両掌を破壊された時点で、彼の天能は死ぬ。
どのような措置、義手、再生を施したところで。
彼の元来である『掌』を通さない以上、天能は扱えない。
それこそが、八雲所長の保有する【強奪の加護】の欠点。
その他にも、他の天能を奪った時点で天能の複数所持により死ぬ――等と言ったピーキーな部分はあるが、かの力は総じて多くの欠点を持ちながらも、相応の『強力さ』を含有する。
「そう。……そういう能力ね」
朝比奈霞は、刹那にそこまで思考が至る。
当然、詳細までは妄想に過ぎない。
あるいは、掌以外も強奪の対象なのかもしれない。
そういった警戒は、当然ある。
その上で、彼女の想定は八割がたが正当だった。
彼女は、全身へと雷を走らせる。
と同時に、八雲所長の体を衝撃が貫いた。
「が……ッ!?」
「なら、触らせなければいい話よね?」
雷速に乗った、肘打ち一閃。
咄嗟に反応が遅れ、直撃を受ける八雲。
彼の体はすさまじい速度で吹き飛んで行き、幾度も地面を跳ねて転がる。
「こ、の……ッ」
「あら、攻撃しても奪われないのね。……なら、全ての接触が強奪対象ではない、っていうのは正解かしら?」
瀕死の重傷を負いながら。
天能を過半奪われていながら。
――雷神、未だ衰えず。
世界が認めた特異点。
何ら揺るがず、敵を冷静に見据え続ける。
その姿に、八雲は思わず歯噛みする。
「てめぇ……なんで動ける! 胸の傷はどうした……!」
「質問に質問で返すけれど、ずいぶん遅いけれど、どうしたの?」
「……ッ!!」
くっきりと、八雲の額に青筋が浮かぶ。
死に体の相手。
どう足掻いても勝てるような相手だ。
天能など既に六割近くを強奪した。
朝比奈に残されたのは、残り四割。
二割も違えば、純粋な出力差で押しつぶせる。
――はず、なのに。
(み、見えなかった……反応できなかった!? な、なんでだよクソが!)
嘘だ、嘘だと言い聞かせ。
八雲は再び、大地を駆ける。
その速度は、自然界の雷速を優に上回る。
なにせ【雷】の出力六割。
その全開で、周囲の被害など構うことかと大地を巡る。
その速度は、既に雨森悠人、橘月姫の両名をも上回り。
純粋な『強さ』においては、世界最強に片手を伸ばす。
……けれど、届かない。
「がは……ッ」
全力で大地を駆ける。
当然、残る四割では追いつくことも叶わない。
はずなのに。
気づけば、朝比奈の姿を見失い。
その直後には、彼女の蹴りが側頭部を打ち抜いている。
「な、なんで……なんでだよ畜生が!」
「なんで? 私の方が速い。それだけの話でしょう?」
雷の六割を奪った八雲。
残る四割を扱う朝比奈。
前者が順当に勝つであろうその戦いは。
されど、順当を外れて後者に軍配が上がる。
「クソ、クソクソクソクソ……クソがぁ!」
信じてたまるものかと、八雲は叫び、駆ける。
殴り蹴り、掌を押し付けて。
奪うために、足掻く足掻く。
されど、当たらない。
触れない。
まるで、速度で劣っているように。
触れそうになるたびに。
まるで、霞に巻かれているように。
ふわりと、彼女の姿が消えて、見失う。
どうして?
八雲の脳内を疑問が埋めつくす。
対して、朝比奈の脳内には過去の教訓だけが残っていた。
「生憎と、私より速い相手は初めてじゃないの」
八雲所長は今、世界の誰より速いだろう。
その事実は、何があろうと揺るがない。
そう、朝比奈霞もそうだった。
そう思っていた。
あの日、あの瞬間。
手酷い敗北を味わうまでは。
自分より速い相手。
どう足掻いても届かない相手。
朝比奈の脳裏に、黒衣の怪人が過ぎる。
もう、その正体は察しが付いているけれど。
文句の一つや二つでも言ってやりたくなるけれど。
姿を隠してまで導いてくれた友を思い。
今はただ、感謝を送る。
「確かにあなたの方が速いわ。けどね、積み重ねた挫折の数も、積み上げた努力の量も、今まで真摯に異能に向き合ってきた時間も、何一つとして貴方に劣っているとは思わないわ!」
それこそが、二人の差異。
たった二割、されど二割もの出力差。
それを、朝比奈霞は【技術】で埋めた。
(不思議よね、雨森くん。あの日の八咫烏と、あの日の私の異能の差、たぶん、現状とそっくりだったと思うの)
あの日、八咫烏が用いた【黒雷】
あの日、未完成だった【雷神の加護】
その間に存在していた性能差。
それは、朝比奈の直感していた通り――現状とぴたりと合致する。
言わば、かつて敗した条件下と同一。
あの日は勝てる気はしなかった。
けれど、今は違う。
負けるつもりなど毛頭ない。
『その責任感は、思考放棄では無いのか?』
ふと、脳内に声が響く。
全ての可能性を考えろ。
全てを読み切り、勝利しろ。
負けることなど許されない。
失敗したでは、済まされない。
そう、かつても聞いた金言に思わず苦笑し。
彼女は迷うことなく否定した。
「ええ、当たり前に私が勝つ。どう考えたにしても、この人が私に勝つ未来は存在しないわ」
世界が認めた特異点。
雷神、朝比奈霞。
瀕死の重傷を負い。
異能の過半を奪われて。
それでも、彼女はかつてなく好調だった。
「なにを、言ってんだ糞ガキがぁぁぁあああ!!」
八雲は叫ぶ。
怒り、焦り、緊張。
多くがあっただろう。
そして多くの悪意が、その下にはあるのだろう。
まだ、油断はできない。
そう思考していながらも。
思い出すのは、かつての【授業風景】だった。
『雷を常に纏うのは間違いではない。が、必要なのは、瞬間瞬間の最高電圧。長くは要らん。短くていい、最大値を上げろ。相手が自分と同じ速さで動くなら、一瞬で回り込み、一瞬で硬直させればいい。それで勝てる』
「ええ、分かってるわ」
八雲が、常に最大出力を保っているのに対し。
朝比奈は、雷を常時使っていない。
それは、雷速を前には自殺行為にも思える。
一歩間違えれば、通常時の肉体性能で雷速を迎えることになる。そうなれば反応も叶わず敗れるだろう。
だが、そうはならない。
過去の敗北が、過去の努力が。
多くの過程が、『直感』として彼女を導き。
その上で、かつてない頭の冴えがその『直感』をより高位の次元へと導いてゆく。
八雲の攻撃など、掠りもしない。
どれだけ速く動こうと。
どれだけ雷を伸ばそうと。
もう、ほとんど【雷】を切っている生身の少女を捉えられない。まるで、先読みされているかのように、攻撃する時点で彼女はその『先』から外れている。
そして、隙を貫くカウンターが走る。
「ぐ……ッ!?」
眉間、喉、鳩尾。
人体の急所を、ほぼ同時に拳が貫く。
死体と言えど、衝撃は変わらない。
八雲の肉体はたたらを踏み、それを息一つ荒げぬ朝比奈が見据えていた。
その目に浮かぶのは、敵意ではなかった。
朝比奈霞は、ひたすらに同情していた。
「哀れね貴方は。貴方は勝てないし、救われない。幸せになんてなれない。だって……貴方は少々やりすぎたのだから」
自分を哀れむような目で見ながら。
自分の目の前で、毒を飲み散った男がいた。
お前はきっと後悔するよと。
そう断言して、死んだ男がいた。
その男と、朝比奈霞の姿が重なる。
「後悔しても遅いわよ。貴方を私は救わない」
「こ、殺す……ッ!!」
激情が、雷の性能を限界超えて引きずり出す。
それは、朝比奈霞が扱っていた【極雷】。
彼女が十割十全に異能が揃っていた頃に、放った一撃。
それを、八雲選人は怒りと執念のみで『六割』の出力から抽出、再現してみせる。
期せずして、それはかつて天守優人が、自らを犠牲にして出力を増した技術に似通っていた。
当然、それを四割の出力で相殺などできるはずも無い。
――はず、なのに。
「不思議よね、全然負ける気がしないわ」
頭上に展開された致死の一撃。
背後には守るべき相手がいる。
雨森くん、そして烏丸君。
二人を守った上で。
この一撃を防いで。
さらに、八雲所長を打ち倒す。
確かに難題。
けれど、出来ないとは思わない。
彼女は大きく深呼吸して。
正義の味方らしく、笑顔を見せた。
「さぁ、正義執行と行きましょうか」
彼女は、残された【雷】を胸に抱き。
雷神として、最期の攻防に臨む。
僅か一時。
されど、最強の座は伊達では無い。
世界最強、何ら揺るがず。
その力燃え尽きるその時まで。
彼女の道行に、敗北など有り得ない。
次回【朝比奈霞②】




