11-28『愛の戦士』
その歩みは、亡霊のよう。
顔を俯かせ。
鈍色の刀を、力無く握り。
一歩、また一歩。
歩く度、刃こぼれのした刃が床を舐める。
ギリリと嫌な音が響く中。
されど、その不快音に顔を顰める者はいない。
その亡霊の歩んだ道に。
ただ一人として、無事な者はいない。
学園教師と、1年A組を含めた大勢の生徒たち。
彼ら彼女らは、皆一太刀で断ち切られ。
亡霊の背中へと、うめき声の合唱が向けられる。
その中で、意識のあった者の一人ーー熱原永志は、その背中を見て、思わず声を上げる。
「な、んだ、あの化け物は……ッ」
学園側の勢力では無い。
かといって、決して生徒の味方でもない。
其はまるで、徘徊する老人のような足取りで。
意識、正気などとうに消え失せた様子で。
敵味方関係なく、撫で斬りに。
命懸けで戦っていた教師、生徒たちの想いも決意もなにもかも。
知ったことかと全滅させて。
変わらず、ぽつり、ぽつりと歩んでゆく。
きっと、目的地などないのだろう。
ただ、その背中を見送って。
廊下の角へと消えた姿と。
徐々に遠ざかっていく、刃の奏でる不快音を聞いて。
ーーその歩みは、常に強者へ向かうのだと。
呆然と、そう直感していた。
☆☆☆
獣は、高揚していた。
この場に、かつて感じたほどの『恐怖』は無い。
かつて遭遇したほどの『死』は居ない。
だが、不思議と心は踊っていた。
もしや、弱いものイジメにでも目覚めたかと。
自分で自分が心配にはなったけれど。
こうして自身に挑む小童共を前にして、意識を変える。
彼ら単体で、アレ程の死は感じない。
新崎康仁も。
堂島忠も。
紅秋葉も。
そして、橘月姫も。
一対一で戦えば、天地が返ろうと負けはしない。
だが、数は暴力。
八雲選人の策を思えば、その言葉は間違いない。
一つ一つは小さくあれど。
確実にここで倒すのだと。
決意を胸に、覚悟を込めて。
拳を握り、迫る弱者の群れ。
それは、紛うことなき『脅威』である。
八雲選人が、弱者として雨森悠人を殺すように。
弱者が集えば、その牙はいずれエミリア・ハートダストの喉元にすら届き得る。
「く、ハハッ!」
笑う、嗤う。
この状況の愉快さに。
だが、笑みは余裕の表れでもあり。
歴戦無敗。
ただ一度の敗走を除き。
死地の女神として君臨し続けた怪物は、まだ揺れず。
「この程度ッ! いままで幾度と乗り越えた!」
腕を薙ぐ。
ただそれだけで、多くが弾け、吹き飛んで行く。
既に教室など跡形もなく。
戦地と定められ、獣の暴威に晒されて。
荒れ果てた一年C組にて、無傷なものは一人としていない。
「く、そが……ッ!」
その中で、新崎康仁は吐き捨てる。
「いくら攻撃しようと、底が見えねぇ! 何だこいつ、お前の親戚かァ!?」
「全力で否定させていただきましょうか。この人は、ちょっと私も理解できません」
生命力の化け物と称される橘。
その最高傑作たる、橘月姫がそう断言する。
「人の身。それに間違いはありません。出生、およびその血筋に何らかの秘密があれば……とも思うのですが、おそらくは違います。この女性は、こうあるべしと生きたからこそ、こうなのでしょう」
「ぬぅ……俺には難しい話は分からんが……」
「右に同じく、簡潔に言いなさいよ橘!」
堂島と紅から文句が飛ぶ。
それを受け、橘はとっても簡単に『エミリア・ハートダスト』を表現した。
「イカレた努力と狂喜の最果て。つまり、今の雨森さまをそのまま天才にしたのが彼女です」
加えて、雨森悠人とは積み重ねてきた年月が違う。
雨森悠人が積み重ねた、地獄の日々。
それは、天守家の崩壊から約十年のこと。
それに対し、エミリアの敗走から――既に二十年が経過している。
その道のりに、差異はあるだろう。
常に命を狙われ、執念で生きた雨森悠人。
常に命を危険に晒し、嬉々として生きたエミリア。
だが、その差異も、二十年という年月の前では無価値。
「瞬間的にでも、雨森悠人以上の『なにか』を出せなければ、勝ち目は皆無です」
「雨森悠人! ああ、そうか、ヤツも私と同じか! なら、あの依頼を断ったのは早計だった! 八雲に渡してやったのはもったいなかったな!」
そう叫び、エミリアは走り出す。
未だ、いき一つ切れぬ無尽蔵の体力。
そこから放たれる、銃弾の如き移動速度。
対する生徒は疲労が溜まり、既に長い。
最初の一歩が、ほんの数瞬だけ、遅れる。
それは誰しも例外ではなく。
その、一瞬の遅れを前に、エミリアが標的にしたのは――白髪の神子。
「一番はお前だな、橘の末裔!」
「が……ッ⁉」
勢いそのまま、飛び蹴りが着弾。
巨体から放たれた一撃。
咄嗟に両腕で防御を固めた橘月姫ではあったモノの。
その一撃は、いともたやすく防御を砕き、ろっ骨を粉砕。
今の彼女であれば、受けたその場で傷を幻に変えられる。
だが、エミリア・ハートダストは一切の奇跡を許さない。
天能を封じられた橘月姫が、傷を無かったことにはできない。
ごふり、と口から大量の鮮血を散らし、橘の体が吹き飛ぶ。
受け身も取れず、その体は窓の外へと消えてゆく。
「ま――じかよッ」
あの、橘月姫だ。
一度は雨森悠人にすら完勝した怪物。
いくら小賀元はじめとの戦闘で疲弊しているにせよ。
覚醒直後で、不安定な状態ではあるにせよ。
いくら、天能が封じられているにせよ。
それでも、あまりにもあっさりと最強の手札が落ちた。
その事実に、新崎は大きく目を見開く。
――その眼球へと、二本の指が迫った。
「……ッ!?」
咄嗟に頭を振って躱す。
しかし、完全に躱すことは出来なかった。
ずぶりと、躱した先でエミリアの指が新崎の頬を抉る。
鋭い痛みと、出血。
顔を顰める新崎を見下ろし、エミリアが笑みを深める。
「おや、目を開いて、潰してくださいとでも言っているのかと思ったが。私の勘違いか?」
「こんの……クソゴリラがッ!」
新崎に話しかけたその一瞬を、紅と堂島が背後から襲う。
だが、それより早くエミリアは新崎の腕を掴み、――フルスイング。
まるで、野球をするように。
新崎の体で、迫る二人を打ち返した。
鈍い返球音が、二つ。
人の身からはなってはいけない類の音だ。
その中でも、最も被害が甚大だったのは、新崎だ。
エミリアとの接敵後から、今の今まで。
戦い続けた彼の耐久力は、既に限界を通り越し。
今の連撃で、意識すらも断ち切られる。
ぐるり、と。
白目を剥いた新崎康仁。
その様子に、弾け飛んだ堂島と紅もすぐに気づく。
だが、それより早くエミリアも感づいていた。
「限界か。ふむ、思ったよりは楽しめたかな」
新崎の腕を離す。
よほどの握力で握り締めていたのか、彼の腕は折れていた。
修復が始まるそぶりなど無い。
彼の下に、王たる異能が戻ることは無い。
力なく横たわる新崎康仁。
彼を見下ろし――エミリアは、容赦なく拳を構えた。
「では殺す。私を前に渡り合ったのだ、誇り死ね」
「待ッ――」
躊躇う素振りもなく、拳を振り落としたエミリア。
それを前に、堂島忠の制止も意味をなさず。
彼女の拳は、寸分たがわず新崎の頭蓋を打ち抜いた。
――はず、だった。
「ちょっと待ちなさいッ!」
拳が着弾する、その直前。
エミリアにとっては聞き覚えのない声と同時に。
彼女の頭部へと、凄まじい勢いで『なにか』が飛来した。
「……ッ!」
完全な不意を突かれ、エミリアは防御も出来ずに攻撃を受ける。
それでも頭部を避けたあたりは、その反射速度の脅威が垣間見えるが。
彼女の頬には一文字に赤い傷跡が刻まれ、その頬から笑みは消えていた。
「……なんだ、今のは」
じろりと、先ほどの声の主へと視線が向かう。
――かくして、その先に立っていたのは、一人の金髪少女だった。
「情けないわね、ざまぁ新崎! 屈辱的だろうから助けに来たわよ!」
優越感たっぷりに、気絶した新崎へと吐き捨てて。
そのギャルは、単身、エミリア・ハートダストの前に立つ。
その光景に、多くの生徒――主に、文芸部の面々が驚きを隠せずにいた。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと!? な、なにやってんの!?」
「ひ、ひひひ火芥子氏! さ、さすがにまずいのではないですか!?」
火芥子と天道が騒ぐ中。
文芸部所属――四季いろはは、堂々と胸を張って立っていた。
「あら、四人とも。ごきげんよう? ところで悠人は居ないのかしら? さっきからずっと探しているのだけれど、全然見つからない上に、なんか新崎負けてるし。あ、写真撮っとかないとアレよね。あとで無様な姿を本人に見せて、思いっきりマウント取れないわよね」
「……二度は言わん。なんだ、今のは?」
この窮地にて、四季、いつも通り。
なんたる強メンタル。
彼女は恐怖を知らないのだろうか。
青筋を浮かべ、エミリアは問う。
されど、愛の戦士は揺るがない。
「は? なによあんた。なんか悠人って聞こえてきてみたはいいけれど、全然違うじゃないの。アンタなんて悠人と比べたら雑魚よ。可愛い可愛い、そこら辺のお魚よ。……あ、そういえば、悠人ってお魚好きなのかしら? 今度のデートにお寿司屋さんとかど――」
平然と、次のデートに妄想を膨らませ始めた少女を前に。
エミリア・ハートダストは、容赦なく拳を振り抜いた。
一撃で、殺す。
先ほどの意味不明な攻撃など、出させる暇もなく。
そう考えて振るった拳は。
されど、視界の端で捉えた『煌めき』を受け、制止する。
「く……ッ!」
今度こそ、彼女は見た。
先ほど、自分の頬を抉った飛来物。
アレは、この少女から放たれていたモノではない。
咄嗟に身を捻り、此度の攻撃を回避する。
回避した上で、今の『鋼鉄の針』が飛んできた先を睨んだ。
☆☆☆
「……なにあれ。もう、見破ってきた。やば」
「ちょっと、大丈夫なんでしょうね、小森さん!」
一年C組の在する本校舎を離れ。
本校舎とは中庭を挟んで対面に位置する、選英高校の部室棟。
その、夜宴教室と呼ばれる部屋で。
小森茜。そして、真備佳奈が騒いでいた。
「ん、問題は無い……はず。ただ、居場所がバレた」
「大丈夫じゃないわよそれ! ややや、ヤバいじゃないの!」
「……いや、問題ない。足止めだけなら、四季が行った」
そう断言して、小森茜は獣の四肢に力を込める。
エミリアを襲っていた飛来物の正体。
それは、小森と真備の合作によるもの。
真備佳奈が、【機翼の王】によって鋼鉄の針を作り。
小森茜が、【百獣の加護】を使って投擲する。
この距離は、エミリア・ハートダストの【封印】の範囲外だ。
問題なく異能は使える。
「し、四季って……あの、雨森に色気使ってるB組の子でしょ? 大丈夫なのソレ?」
「大丈夫も何も……」
小森は、再び鋼鉄の針を構え、遠くの四季いろはを見据える。
「四季は、雨森のお気に入り。だから、誰より近くでアイツを見てきた。動き方、その癖、思考回路まで、何から何まで特等席から観察、記録できた。その過程に一切のサボりはない。だって、あの女は頭がおかしくなってるから」
「……えっと、つまり、どういうことなわけ?」
微妙そうな顔で、そう問う真備へ。
小森茜は、心底嫌そうな顔をして、吐き捨てた。
「今の四季は、雨森悠人の動きを寸分たがわず複製できる」
☆☆☆
愛。
それも狂愛。
常軌を逸した、ただ一人への無償の愛。
彼が幸せになってくれるように。
それだけを願い、それ以外の願いを捨てた少女。
そのためだけなら、この身を捨てても構わない。
彼のために生きるのではない。
彼のために殉じるのだ。
そう考え、そう願い。
ただ、その為だけに青春を費やした若き才人。
倉敷蛍。
黒月奏。
二人に続き、三番目の夜宴のメンバー。
そして同時に。
あの二人と並んで、雨森悠人が【有能である】と認めた一人。
誰より、雨森悠人を見つめ。
誰より、彼のことを考え続けた。
愛の戦士は、獣を前に仁王立ち。
「なんか飛んできてるけど、ま、別に関係ないわよね!」
獣は、動けずにいた。
今すぐにでも、あの援護射撃を潰すべきだ。
理性は言った。
だが、本能が目の前の強敵を求めていた。
口角が上がる。
やがて、歯茎はむき出しに。
獰猛な笑みを浮かべ、エミリア・ハートダストは拳を構える。
「飽きんな、この学校は! まったくもって大好きだ!!」
そして、第二幕が始まる。
【嘘ナシ豆知識】
〇四季いろは
雨森悠人に恋する少女。
彼が事前に調べた際。
この少女のことを、こう言い表した。
「全体的に高スペック。やればなんでもできるだろ、こいつ」
愛に埋もれた、もう一つの才。
さあ、今こそ御覧じろ。
次回【獣VS愛】




