11-27『追憶』
始まりの絶望を、今も鮮明に覚えている。
それは、名も知らぬ死神。
いつの日か、一度だけ立ち寄った日ノ本で。
幼少の時分に味わった、恐怖ともつかぬ【死】の感覚だ。
☆☆☆
およそ20年前。
当時、私がまだ齢一桁だった頃。
戦場に出ては、その度に生き延びて。
そして、私が非常に調子に乗っていた頃。
何でもできると思っていた。
誰でも殺せると思っていた。
私に勝てるヤツなんていないと思ってた。
実際、私には才能が有ったのだろう。
あの歳で、傭兵としての腕は一流だった。
まあ、腕っぷし、という意味だが。
実績も経験も信頼も何もなかったが。
戦えば、私が勝つ。
そう確信たらしめるだけの強さがあった。
だから、あんな依頼を受けてしまった。
『エミリア・ハートダスト。依頼はとある男の抹殺だ』
『あぁ? 戦争じゃなく、ただの暗殺依頼かよ』
幼いながらも違和感を覚える私に対し。
巨額を払うと言った依頼主は、私の言葉を訂正した。
『暗殺、ではなく抹殺だよ。……あの怪物を殺せるものなら、手段は問わない』
怪物。
依頼主は、その男のことをそう言った。
その怯えようは常軌を逸していて。
私相手にすら余裕を見せる依頼主の、その言動に。
当時、恥ずかしいくらい自信満々だった私は興味が湧いた。
『いいぜ、どっちが本物の怪物か、教えてやるよ』
そんなことを言った覚えがある。
ターゲットの詳細は聞かなかった。
ただ、ヤツの首には多くの懸賞金が掛けられていること。
依頼報酬とその懸賞金だけで、一生遊んで暮らせるほどの大金であること。
そいつが、業界では【S】と呼ばれていること。
色々と、聞く気は無いが耳に入る情報はあった。
何もせずとも、当たり前のように情報が飛び交う。
【S】がそれだけ大物って証だ。
その男は日本という小さな島国に住んでいると聞き、私は故郷を旅立った。
一月もしないうちに、日本へと辿り着く。
その国は、私の故郷からすれば平和すぎた。
抗争はなく。
飢えもなく。
病気もない。
人々が笑顔で暮らせる国。
ーーなんて温い。
そう、かつての私は思うと同時に。
こんな国に居座る男が、いかほどのものかと。
まだ見ぬターゲット【S】に対する評価を下げていた。
争いこそ、全て。
強さこそ至上。
その考え自体は今も変わってはいない。
たとえ今の私だったとしても、日本に永住しろと言われれば嫌だと答えるだろう。
こういった『観光地』はたまに来るから良い。
常にこんな場所にいては、勘も鈍れば心身も衰える。
ーーようは、戦いこそ全て。
たとえ、どのように評価される人物であっても、そもそも温室育ちと戦場育ちでは、根っからの部分から隔絶している。
あぁ、何も変わっちゃいないんだ。
当時の思いは、未だにちっとも色褪せない。
けれど同時に、あの頃の私が知らないこともあった。
争いを好まない強者もいること。
何事にも【例外】は存在すること。
本物の怪物とは、牙を隠して潜むこと。
私は決して、最強ではないということ。
『………………は、はっ』
その男を見た瞬間。
私が積み上げてきた努力が、強さが、自信が、音を立てて崩れていくのが分かった。
ターゲット【S】
本名不明。
日本人としてありふれた黒髪。
少しだけ青みがかった瞳。
目の下にくっきりと浮かんだ隈。
事前に渡されていた写真の通り。
その男がターゲットで間違いは無い。
そう判断すると同時に。
【殺せるものなら手段は問わない】
依頼主の言葉の本当の意味を、理解する。
依頼主は知っていたのだ。
エミリア・ハートダストという規格外を見た上で。
その強さ、その異質さを知った上で。
それでも殺せるわけが無いと知っていた。
そして、藁にもすがる思いで抹殺依頼を出した。
倒せるとは思えない。
殺せるだなんて思っちゃいない。
だが、【S】に一度でも敵対した過去があるのなら。
あの怪物が今も生きている。
そう考えただけで、震えが止まらなくなる。
【S】にとっては、自分など路上の石ころと変わらないことなんて分かっている。
けれど、不安は尽きない。
今、この瞬間に【S】が自分のことを思い出してしまったら。路上の石ころが気になってしまったら。ずっと昔に敵対しただけの小悪党の存在が気になってしまったら。
そう考えると、たとえ日本国外へと逃亡しようとも、夜も眠れぬ日が続く。
だから、殺してくれと願わずにはいられない。
多くの者がそう願い。
それでも、その命に手が届くものは一人としておらず。
やがては馬鹿げた懸賞金の独り歩き。
誰も手を出さない禁忌の相手として。
その男ーー【S】と呼ばれる日本人は恐れられていた。
依頼主から押し付けられた狙撃銃。
ソレを持つ手が、怯える赤子のように震えていた。
その震えを何とか収めようと、深呼吸する。
私は高層ビルの屋上に立ち。
遙か下方の道を歩く、学生服姿の男を見た。
先程まで、黒髪の女、白髪の男と歩いていた怪物は。
ふと、なにか気になった様子で。
真っ直ぐに、私の方向へと視線を向けた。
『ーーッ!?』
偶然かもしれない。
何かが気になって、こちらを見ただけかもしれない。
現に、その場にいた他のふたりは気づいていない。
黒髪の、どこにでもいる一般少女と。
橘の最高傑作と呼ばれた赤目の少年。
二人は、エミリアの視線に気づかない。
ただ一人、その男だけがこちらを見ていた。
目を、逸らせなかった。
男が見ているのは、私では無いかもしれない。
私の目でもやっと見通せる程の、遠距離で。
ただ一筋の視線を感じ取るなど、馬鹿げている。
そう、理性は言っていた。
けれど、本能が視線を逸らすなと叫んでいた。
気が遠くなるような、わずか一瞬の硬直。
男の連れ二人が、不思議に思って彼を振り返ったのと、ほぼ同時に……その男は、何か言ったように思えた。
この距離だ。
当然、声なんて聴こえない。
聞こえるはずがない。
なのに、私の鼓膜にはしっかりと。
その一言が、焼き付いていた。
【失せろ】
それは、我が生涯で唯一の【逃走】だった。
男が、興味を失った様子で視線を外し。
その瞬間、私は銃も装備も投げ捨てて、逃げ出した。
勝てない、勝てない、勝てない。
なんだアレは、なんなんだアレは。
同じ人間か?
いいや違う。
まるで潜り抜けてきた死線が違う。
私なんかよりも、ずっと濃い。
たった一瞥。
それから感じとった濃厚な死の匂い。
戦わずとも察してしまった。
戦えば、私は死ぬ。
なんの抵抗もできずに、殺される。
『は、はは、ははははは……ッ!』
そして、私は知ったのだ。
アレが、本物だと。
アレこそが、死神だと、
アレが恐怖なんだと、骨身に染みる。
私の居た戦場が、故郷が。
如何に生温い環境だったのかを理解し。
私は依頼を達成することも出来ず。
故郷へと帰ることもせず。
そのまま、とある戦場へ向かった。
それは、傭兵であれば誰もが忌避する絶望の地。
見上げれば空を覆う程の硝煙に、足元には地雷原が果てしなく広がる。投入された戦車は人を殺すか、地雷で吹き飛ばされるか、二択に一つ。
核が投入されると噂されても、誰一人として逃げず、逃げられずーー逃げる場所もない。
日の死亡率は優に八割を超えていた。
十人のうち、二人しか翌日の朝日を眺められない。
その日を生き延びるだけでも奇跡と呼ばれ。
人の命を軽く弄び、ただ無為に散らすだけの場。
誰も得をせず、誰も何を成すことも出来ず。
上が『続けろ』と叫ぶためだけに、続けられるただの人殺場。国民赤子から老人まで、敵を殺せと命じられて投入されて、誰も彼もが何もなせずに命を散らす。
国力を低迷させる以外に何も出来ない、国主が始めてもう十年以上になるクソッタレた戦場。
通称【死地】。
故郷とは比べ物にならないほどの、死の匂い。
私ですら、気を抜けば即座に死にかねないほどの悪辣な環境。致死率八割を超える中で、それでも生き延びた【怪物】共が居座る死地。
そこで、私は戦い続けた。
何度も、何度も、何度も傷を負いながら。
それでもまだ、生温い、と。
本物の『死』はこんなものでは無いと。
もっと、恐怖とは鋭いものだと叫びを上げて。
いつの日か、私もあの頂きへと届くように。
私は死地で、【私】を磨く。
そして、20年が経ち。
国主の暗殺と同時に幕を引いた戦場で。
私はいつの日かと、似た依頼を耳にする。
「……雨森悠人?」
その男を殺せと、依頼主の男は言っていた。
……偶然、かもしれないが。
その名を聞いて、かつての恐怖が蘇る。
同じ日本に住んでいると聞き。
かつて、死神から受けた『一瞥』が頭を過ぎる。
私は依頼を断った。
嫌な予感がしたからだ。
戦いこそ全て。
その考えに嘘は無い。
だが、無駄に命を散らすのはご法度さ。
それに、依頼主の態度も悪かった。
自分たちの方が優れているに決まってるーーだなんて。そんな優越感に浸って上から目線で言われたため、イラッときて『自分で殺れ』と殴り飛ばした。
なにやら魔法のようなものを使ってきた奇っ怪な輩ではあったが、私の敵ではない。
今にして思えば、あれも【天能】であったのだろうが、温い、温すぎる。判断も技術もなにもかもが、中途半端。私は拳ひとつで叩きのめして、黙らせた後に日本への旅費だけを強奪した。
そして、私は20年ぶりに日本へと発つ。
まだ、【S】に勝てるだけのビジョンは湧かない。
だが、20年だ。
これ以上ともなれば、衰えが見えるかもしれない。
あれから多くを積み重ねた。
より強く。
それだけを目標に生きてきた。
であるならば。
ここらで、一度【S】との差を明確にしておくのも一興だろう。そういう考えで日本へと向かった私、エミリア・ハートダスト。
そんな私を待ち構えていたのは。
かつての【S】程の脅威も感じない。
されど、その目の奥に執念を燃やした、一人の亡霊だった。
「エミリア・ハートダスト。君に、私の【殺し】を手伝ってもらいたい」
かつての【S】を死神と呼ぶならば。
私はその男ーー八雲選人を、『悪魔』と呼ぶかな。
【嘘なし豆知識】
〇死神
橘の最高傑作
そう呼ばれた男がいた。
強力な天能ではない。
だが、そんなハンデをものともせず、圧倒的な才能でお歴々の全てに自分という存在を認めさせた怪物がいた。
世界最強。
そう呼ばれるためだけに生まれてきた男がいた。
そんな彼には、どうしても勝てない男がいた。
男はまるで、死神のよう。
死臭を身に纏い。
泥のような瞳を持つ。
絶望を形にしたような男だった。
橘の最高傑作は、幾度と挑み。
その度に何度も何度も敗北をした。
勝利するまでに重ねた敗北は千を超え。
最初に勝利したのも、『死神』が愛する人と籍を入れ、浮かれに浮かれていた日だったという。
かつて、橘の最高傑作と呼ばれ。
今では世界最強と呼ばれる怪物は、独白する。
「アイツが愛を知らなければ、世界最強は私ではなかったんだよ。あの時、殺されていたのは私だったんだ」
また、その死神の【死】を、エミリアは知らない。




