2-5『靴紐』
「んだよ、あのクソッタレがぁぁぁあああああ!!」
倉敷蛍は荒れていた。
触らぬ神に祟りなし。
僕は無視して読書に耽っていると、あら不思議。触ってもいないのに、何故か神がこっちにやってきた。
「おいコラ! てめぇ……あんだけ言われてなんとも思わねぇのかよ!」
「少し落ち着け……。不満なら必ず機会は作るから」
場所は僕の借りた教室。
【協力者】の能力により、この部屋は盗聴やらの対策は完璧だ。だからこそ、こうしてなんの憂いもなく本音を話せる。
「しかし、すぐに暴力に頼ろうとするタイプは総じて面倒くさい。突き抜けた暴力は結局暴力でしか制せないからな」
「……出来ない、とは言わねぇんだな」
「……?」
倉敷の言葉が理解出来ずに首を傾げる。
食器を洗う。
その行為は面倒臭くとも、簡単だ。
今回の熱原を制すのも、前の霧道を潰したのも、感覚としては似たようなもの。
面倒臭くはあれど、どうにもならない程じゃない。
「……ちなみに、熱原を最も簡単に潰す方法は?」
「残念ながら、その手段は取らないぞ。僕は極力動きたくない」
「てめぇが動けば瞬殺、ってわけかよ……」
呆れたと言わんばかりの倉敷。
彼女は大きく息を吐いて椅子に座り直すと、腕を組んで僕を見上げた。
「で、どーすんだよ。あーゆー輩はとっとと潰しちまうに限るぜ?」
「まぁ……それもあるだろうな。向こうの動きによってはもっと面倒くさいことにもなりかねない。けれど……」
僕は、倉敷へ視線を返す。
彼女は不思議そうに首を傾げており、僕は語る。
「最初に言った通り、基本は朝比奈に一任する。……霧道は度が過ぎるから潰したが、何からなにまで僕らが動けば、朝比奈が今後積み重ねる実績が薄くなる」
「あー……、そういう考え方もあんのか」
僕の言葉に、倉敷は感心した様子を見せた。
言ってみれば、積極的か他願的か。
倉敷は『面倒なやつはさっさと【自分で】潰す』タイプ。
対する僕は『面倒事を解決【させる】ことで他者を成長させ、その成長を利用する』ってタイプ。
最終的に【潰す】ということに変わりはない。
ただ、僕はその先をどこに繋げるかを考えているだけ。
「確かに……言われてみりゃ、せっかく潰すんだし、なんかの役に立ってもらわなきゃ困るよな。無償退場ってのはもったいねぇ」
そうだな。
せっかく潰れるなら、朝比奈霞に潰されて欲しい。そしてそれを実績にして朝比奈の知名度を上げていきたい。
しかし……その朝比奈嬢にも問題はある。
正直、今の彼女は弱すぎる。
速いだけで脅威がない。
もっと成長してもらわないと、この先の『戦い』には耐えられない。
そんな気がする。
「ま、そういうことだ。分かったら、朝比奈嬢をけしかける作戦でも考えておくんだな。表の先導進行はお前の役だ」
「ったく、面倒臭ぇ役回りをくれたもんだぜ」
そう言いながらも、彼女の目は爛々と輝いていた。
きっと、熱原に対する嫌がらせでも考えているんだろう。
彼女の姿を一瞥し、僕は文庫本へと視線を戻す。
さて、熱原は朝比奈嬢と倉敷に任せるとして。
僕は『もう一つの案件』について、何とかせねばなるまいさ。
☆☆☆
黒月奏は天才である。
それが、ここしばらくの調査で分かった。
彼は、正真正銘の天才だ。
努力している素振りなど一切ない。
授業もまともに聞いてはいない。
体育も明らかに手を抜いている。
それでも、確実に好成績を収めている。
もちろん、入試の時のような馬鹿げた成績は残していない。
だが、手を抜いてなおC組最上位の成績を誇っているのもまた事実。
「さて、その『理由』も気になってくるが……」
問題は彼を説き伏せる方法だ。
大前提として、まずクラスメイトの一人としてではなく、雨森悠人という個人として認識してもらう。
その上で、説得できるだけの何かを持っていかなきゃいけない。理論武装であったり、なんなら賄賂でもな。
そうしないと、まず話にならない。
だが、それ以前に。
――黒月奏は、本当に、相応しい人間なのか?
その一点について、再度確認せねばなるまい。
強く、才能もあり、条件も満たしている。
だが、その『程度』は?
どれだけ強い?
どれだけの才能がある?
全く分からない、情報だけじゃ理解が及ばない。
だからこそ、この場は心の底から望ましい。
「さて。今日は『闘争要請』の模擬戦を行う」
榊先生の言葉にクラスの中へと緊張が走った。
「以前語ったように、間もなく闘争要請が解放される。学内において純粋な『強さ』が重要になってくる時期だ。今日からは本格的に戦い、経験を積んでもらう」
そして、と。
続けた榊は、人差し指をピンと立てた。
「ここで重要なのは、手を抜かないこと」
倉敷がこっちを見る。おいこら、やめんさい、こっち見んな。
頑なに視線を合わさず黒板を見つめていると、彼女はため息とともに視線を逸らした。
ちらりと榊先生を見ると目が合う。
……榊先生は僕の本当の能力を知ってるわけだし、今の言葉は僕に向けていたのかもしれない。
だけど、僕個人としては、黒月奏へ向かって欲しい。
「んー? なんでですか、先生――」
前の席から声が飛ぶ。イケメンリア充の烏丸だ。
彼の質問に対し、榊は少し微笑んだ。
「そうだな。この先、個々人ではなく『クラス一丸となって』戦う機会もあるだろう。例えば【代表数名によるクラス対抗戦】とかな。その時に、誰が強くて誰が弱いか、しっかりと理解しておいた方がいいだろう?」
「……なるほどー。確かにそうですね」
榊先生は具体例を示してそう言った。
……ってことは、あるんだろうなぁ、そういうことも。
あぁ、やだやだ。そういうイベント絡みで僕の弱さが露見すると、まーた朝比奈嬢が近寄ってくる気がする。
……やっぱり『最弱』ってのがいけないんだろうか?
程々に、弱くもないけど強くもない。そんな平凡を攻めていくべきなんだろうか?
「というわけで、貴様ら、体育着に着替えてグラウンドへ集合しろ。擬似的な訓練を行い、誰が強くて誰が弱いか、白黒ハッキリつけてもらうぞ」
かくして、榊先生は笑顔をうかべた。
僕もまた、やっと黒月の実力が見れるだろうと内心微笑み。
――そして、二十分後。
「…………嘘だと言ってくれ」
僕の目の前には、『対戦相手として』黒月奏が立っていた。
☆☆☆
えっ、なにこの悪質な冗談。
僕は対面に立つ黒月に、内心頬を引き攣らせた。
彼はポケットに手を突っ込み、涼し気な顔をして立っている。こうして立っているだけで絵になるんだからイケメンはすごい。
「さて、公正で平等な独断と偏見で決めた第1回戦、黒月と雨森だ」
「せ、先生! どこが公正で平等なのでしょうか!?」
さすが朝比奈嬢! いいこと言った!
そうだよ、こっちは黒月の本気が見たいんだ!
他の生徒の戦闘訓練もあるんだし、黒月が戦うのはこれ一回限りだろう。
それを……相手が僕だって? 冗談きついぜ榊先生。
僕が戦ったって瞬殺されて終わりだろ。
考えるまでもなく僕の瞬殺だろ。
魔法ぶっぱなされて直撃して即死まで想像できたわ。
「平等で公正というのであれば、彼にはもっと相応しい相手がいるはずです!」
朝比奈嬢は叫ぶ。
その言葉にクラスメイトが湧き、僕は拳を握りしめた。
よしっ、よく言った朝比奈嬢!
僕達はな、お前ら二人のガチバトルが見たいんですよ。
誰も『黒月に雨森が瞬殺される画』なんて興味無いんですよ。
強いていえば倉敷が笑い話にするつもり100%で見るくらいなんですよ。
だから、僕なんか放っておいて、さっさと二人で始めてくれ。
クラス最強の実力者、朝比奈霞。
孤高にして天才の一匹狼、黒月奏。
二人の激戦を僕らは想像し。
そして、朝比奈霞は叫んだ!
「雨森君とは、この私が戦いたいです!」
「黒月君、どうぞお手柔らかにお願いします」
僕は誠心誠意、頭を下げてお願いした。
いやー、黒月さん、さっきまでなんか乗り気じゃなくてすいませんっした。
さすがにアレと戦うよりはマシですよ。いやマジで。
朝比奈嬢はショックを受けたように崩れ落ち、榊はくつくつと笑みを浮かべている。
どーせ『手を抜いているもの同士潰しあえ』とでも思っているんだろう。なんという鬼畜。性格悪いなぁ。
「そ、そんな……あ、雨森くん! わ、私と訓練しましょう! 私なら、上手い具合に雨森くんの訓練にもなると思うの!」
「……えっと。どなた様でしょうか? 他クラスの生徒?」
「くぅうう!?」
追い討ちの口撃に、遂に朝比奈が倒れ伏す。
大袈裟に倉敷が駆け寄っていく中、僕は黒月へと向き直る。
彼は静かに僕のことを見ていた。
されど……その瞳は、どこか僕ではない遠くを見ているようにも思える。
「……降参、するなら今しかないぞ」
ここに来て初めて、黒月が声を発する。
その雰囲気に相応しいイケメンボイス。
女子たちの間から黄色い悲鳴が上がり、黒月は鬱陶しそうに顔を歪める。
「降参したいのは山々なんだけど……出来そうな雰囲気じゃないんでね。できれば、手加減してもらいたいところだ」
「……了承した。一撃で決めてやろう」
興味なさげにそう返した黒月は、右手を僕の方へ掲げる。
黒いエネルギー(魔力ってヤツだろうか)が右手に集い、それを見た榊が合図を放つ。
「それでは! 戦闘訓練、開始!」
「穿て『ブラックボール』」
榊の合図とほぼ同時に、黒月の一撃が放たれた。
それは、ほぼ視認不可能の超速の一撃。
威力こそ控えめだが、直撃すれば失神は必至。
黒月は興味を失ったように僕から視線を切って。
朝比奈嬢が、焦ったように僕へと手を伸ばす。
――敗北。
誰もが思った、僕も思った。
絶対負けると思った。
うし、直撃しようと心に決めた。
けれど、気がついた。気がついてしまった。
……あっ、靴紐解けてるじゃん、と。
「おっと」
しゃがみこみ、靴紐を結び直す。
その、僕の頭上を『ブラックボール』とやらが通過していく。
「………………はぁ?」
黒月から放たれた、微妙な声。
靴紐を結び直して視線をあげると、彼は困惑に染まった目を向けてくる。
どうしたんだろう? と首を傾げ、背後を振り返る。
ブラックボールは、地面に突き刺さって消えていた。
おやっ、どうやら偶然、たまたま、奇跡的に躱してしまったらしい。
こりゃいかんな。瞬殺されようと思ってたんだが……。
……まぁ、この際だ。
ある程度、調べられる限りは調べておこう。
この男が、どれだけ強いのか。
――僕の隣に立つだけの、器を持った人間なのか。
僕は拳を鳴らすと、彼を見据えた。
「さぁ、勝負だ、黒月奏」
かくして、僕と黒月の対戦が幕を開けた。




