11-24『黒』
才能と引き換えに得たもの。
されど、それが必ずしも誇らしい力とは限らない。
溢れるは闇。
失われるは未来。
呑まれるは才能。
――それは、公平とは呼べぬ取引だった。
足を縛り、腕を斬り。
目を潰して、鼻を埋め。
鼓膜を破いて停滞を許容する。
いわば、才覚を捨てるというのはソレに等しい。
黒月奏と言う【才覚】の全てを殺し。
足を、腕を、目を、耳を、
才ある全てに『無能』の烙印を押す。
これ以上、お前を先にはいかせない、と。
未来永劫解けることなき呪いを背負い。
その上で、たった数年分の未来を前借りする。
果たして、驚嘆すべきはいずれか。
それだけの犠牲を払わねば、先へと進ませぬ世界の残酷さか。
或いは――たったそれだけの犠牲で、世界を無視して見せた才覚か。
「待たせたね、イツキ」
青年は、闇の中で佇んでいる。
格上であったはずの久遠イツキは、一歩を踏み出せずにいた。
天才・黒月奏はもう死んだ。
圧倒的な万能性、全てに手が届くほどの全能性。
そんなものは、もう無い。
彼は凡人へと成り下がった。
今まで積み上げてきたものまで否定するわけではない。
彼の知性、彼の知識、その全てが消えたわけではない。
だが、敵ではないはずだ。
心底恐れた才能はもうない。
心底羨んだ親友はもう居ない。
今の黒月奏は、自分と同等――下手すればそれ以上の凡人だ。
そう、理性は叫ぶ。
――けれど本能が、黒月奏の間合いに入ることを拒んでいた。
今の青年から感じるのは、圧倒的な【虚無】。
彼を構成していた最も大きな大前提――『天才』の欠落。
それにより生じた伽藍洞。
ぽっかりと空いた大きな穴。
先の見えない、底の見えない真っ暗闇。
まるで深淵を覗き込んでいるような寒気が、全身を襲う。
「……っ」
じっと、闇の中で双眸が妖しく輝く。
久遠イツキは、踏み出せない。
(……なにが、起きやがった)
状況が理解できない。
黒月奏が、才能を捨てる――だなんて言ってから。
天才をやめると言ってから、何が起きたんだか理解が追い付いていかない。
(異能が……天能が、変質、しちまったのか?)
そこまでは、かろうじて理解が追い付く。
けれど、自分の思考がすぐに違うのだと再認識する。
「……いや、自力で天能を書き換えやがったのか」
神より分かたれし、原初の力。
それこそが天能。
故に、それが変わるだなんて滅多なことでは発生しない。
過去を振り返っても、変質した例は僅か数点。
にもかかわらず――この男は、平然とソレを自力で為した。
「……相変わらず、笑っちまうほどの天才っぷりだなァ、おい」
「残念ながら、もう、君に誇れるほどの天才ではないけどね」
彼は揺蕩う闇に触れ、そう苦笑する。
――そう、闇だ。
黒月奏は先ほどから、正体不明の『闇』を操っている。
光なき場所に在るべき闇が、こうして日の下に存在している。
誰の目にも映る異常。
であるならば、それこそが黒月奏の新しい天能。
「……失ってしみじみ思うよ。不便だね、万能ではないっていうのは」
天能変質。
それは基本的に、元のなった天能のグレードアップと同義である。
だが、それは原則として、基本的に、あくまでも『普通は』の話。
過去の数少ない事例の中には、変質したことで弱体化した力もある。
また、過去に存在した【開】という天能保持者が変質し、モノを『開く』用途から、モノに穴を『開ける』用途に本質が変わってしまう――という事例もあった。
つまり、変質の本質は『変わること』にある。
そして、黒月奏の天能変質。
人為的に引き起こされた、本来は『まだ』起こるはずのなかった奇跡。
未熟の上に才能だけで成り立った変質は――大いなる【異常】を引き起こしていた。
魔王の加護。
そんなモノの面影など欠片もない。
前例のない、まったく別種への天能変質。
用途の変更とか。
弱体化とか。
そんな可愛らしいモノでは断じて無い。
今まで彼が、異能を手にして積み上げてきた全て。
技術、経験、知識、そして積み重ねてきた魔力量。
それら全てを『不要』と切り捨て。
今までの努力、一切合切を否定して。
その【異質】は、当たり前のように彼の手の中へ与えられた。
本来、彼が手にしていたであろう天能は――【魔】であったろう。
それこそは天守弥人が用いた【善】に比肩……否、上回るほどの万能の塊。
完全無欠な全能の力。
最強になるべくして最高の天才へと与えられたはずの、最高位の天能。
――しかし、現実はそうではない。
本来在りえた力は、既に原型もなく。
どこまでも深く続く、【黒】一色に塗りつぶされた。
(雨森悠人の霧……と、似てはいるが、別物と見るべきか)
黒月奏が纏う闇。
それは、噂に聞く『黒霧』のように見えなくもない。
だが別なのだろうと結論付けて、久遠イツキは喉を鳴らす。
――駆け出したのは、それとほぼ同時のこと。
大地を踏みしめ、踏み砕く。
【蹴】に許されたのは、ただそれだけ。
大地を蹴ること。
相手を、蹴り殺すこと。
「……慣れる前に、叩き潰す!」
イツキも、ただ一つ断言できることがある。
それは、今が黒月奏を仕留める最高のチャンスということだ。
天能変質したての今。
才能を失い、勝手の掴めぬ今、この瞬間。
歯車がまだ嚙み合っていないこの状況こそ、最大の好機。
恐怖はある。
得体が知れないから。
まだ、情報を探っていたい気持ちはある。
けれど、今しかない。
相手は黒月奏だ。
今は凡人に落ちたとしても。
才能を捨てたのは、天才・黒月奏が最後に下した判断。
当然、それは勝つための策。
なら、相手に時間を使わせるわけにはいかない。
勇気を振り絞り――相手が戦い慣れる前に叩き潰す。
そう考え、振り抜いた脚。
油断なく狙う先は、黒月の頭部。
確実に倒す。
イツキにも、負けられない理由があるから。
だから――。
「――呑め、黒渦」
黒月の左手が、イツキの蹴りを受け止めた。
その光景に、背筋が凍り……気づけば大きく距離を取っていた。
「な……っ、なにが……!」
「なにも不思議なことは無いよ。ただ、僕の力はあらゆる特別と相性がいいみたいだ」
概念使いの、渾身の蹴り。
蹴ることを極め、それだけに天能の全てのスペックを費やして。
その果てに繰り出された一撃必殺。
……それを、片腕で簡単に受け止めておきながら。
『相性がいいみたいだ』で済ませる異常。
「……ッ!」
認めてたまるか。
沸いたのは、自分の努力を否定されたような強い怒りだった。
再び距離を詰め、一閃。
目視も難しい、不可視で不可避の一撃必殺。
それをまた、黒月奏は平然と受け止める。
その掌には、黒い渦が湧いていた。
「なん……でッ!」
再び大地を蹴り飛ばし、黒月を攻める。
何度も、何度も。
何度も何度も何度も蹴った。
容赦なんてない。
手加減なんてしなかった。
一撃一撃が、人間を殺すには余りある威力だった。
――けれど、一撃たりとも彼には届かなかった。
全て、黒い渦が呑んでしまう。
威力も、衝撃も、風圧も、何もかも。
その渦を発生させる掌を躱そうとしても、無駄だった。
全ての攻撃が、彼の掌へと吸われてしまう。
黒月の動き自体は、ハエが止まるような弱者のモノ。
強化魔法も何もない。
才能だって欠落した。
ただ運動音痴な一般生徒と変わらない。
当然、今の黒月ではイツキの動きについてこれない。
全てを自力で防ぐことなんてできるわけがない。
にもかかわらず、全てを防げる理由がソレだった。
まるで、引力だ。
ブラックホールのように。
近づけば近づくほどに、掌が攻撃の方に吸われ、近づいていく。
そして、吸われ、捕らえられたが最後。
威力も何も真っ暗闇に吞み込まれ。
努力も才能も特殊な異能も。
全て、彼の【黒】一色で塗り潰される。
「ま、さか……お前の、その能力は!」
嫌な予感に背筋が凍る。
されど、その予感を黒月は否定した。
「いやいや、全てを飲み込むブラックホール……みたいな、そんな反則じゃないよ。僕が前借りしたのは、もっと弱くて、浅はかで、馬鹿馬鹿しくて……これっぽっちも誇らしくない。ただの意地悪さ」
そう言う黒月から、イツキは距離を取ることは無い。
拳を振るえば、いつだって届く距離にいる。
少し押せば、倒れてしまいそうなほど黒月奏は弱く見える。
けれど、このわずかな距離が届かない。
黒い渦が、今も黒月の掌から離れていない。
「僕の新しい異能……雨森さん風に言うなら天能だけど、名前は【黒】」
それは、万物吸引のブラックホール……などではなく。
すべての攻撃を塗りつぶして無力化する最強の盾……などでもなく。
全てを無に帰し切り裂く最強の矛……でも、当然なくて。
彼の力は――ただの【意地悪の強要】。
自分がそうなんだから。
お前もそうであれよ、と。
自身の状態を他人へ強制させるだけの、クズみたいな力。
「能力は、【自分と他人を強制的に平凡にする】ってだけさ」
「……………………はぁ?」
想定だにしなかった答えに、イツキから唖然と声が出た。
「まあ、飲み込む……ってのは正解なのかな。ただ、僕の【黒】が飲み込むのは物質じゃない。その人が持つ『特別』……例えばそうだね、天能を始めとして、才能、技術、積み重ねた努力、運まで含めて全てを吸い込み、飲み込み――戦いの場において互いに【平凡】を強要する」
黒月は、そう言って拳を握って、開いて。
「イツキはさ。自分がまだ早く動けてる、と思ってた?」
「……ッ!?」
その問いに、久遠イツキは息を呑んだ。
先ほどまで、自分の全ての攻撃が、黒月の掌で防がれた。
掌が、丸で拳に吸い付くように。
一撃たりとも届かなかった。
――本当に、そうか?
自分の動きは、本当にいつも通りだったか?
黒月の動きがハエが止まるほど遅く見えたのに対し。
自分の動きも、黒月から見ればハエが止まるほど遅々と見えたんじゃないか?
「ま、さか……」
「うん。僕の前では――全ての奇跡は許さない」
黒月奏は、腕を振るう。
周囲へと、大量の闇があふれ出す。
それは黒月奏、久遠イツキを飲み込んで。
彼ら二人から、あらゆる特別を吸い尽くし、飲み込む。
この、戦いの間だけだから、と。
異能も、才能も、技術も、努力も――運さえも。
全てを除外し、平等に、平凡として、泥仕合を強要する。
エミリアの【封】すら可愛らしく思えてくるほどの、強制弱体化。
加えて術者にすら等しくソレが下りてくるという……。
控えめに言って、意味不明なクソみたいな天能だ。
黒月奏は、拳を構える。
持たざる者として。
凡人として。
全てを排し――残ったのは意地と執念。
ようは、彼の異能は【諦めの悪い奴が最後に勝つ場を整える】力だ。
「さぁ、殴り合おうかイツキ。凡人同士、泥臭くやろう」
「……く、そが……ッ!」
かくして、頑固二人は殴り合う。
努力も才能も、全て捨て去り。
残ったのは、ただ、意地と意地のぶつかり合いだ。
【嘘ナシ豆知識】
〇天能【黒】
作中で最もクソみたいな天能。
自身の発生させる『黒』に触れた者から全てを吸い尽くし、呑み込む。
ただし、物理的に傷を負わせる力ではない。
呑むのは才能、技術、努力、運――その他『特別』なもの全て。
残るのは、生まれつき平等に与えられた『平凡』のみ。
赤子の頃から積み上げてきたものを全て壊し。
与えらえた才能も、全てをひっくり返す豪運も。
ただ、この『黒』は不要と切り捨てる。
平等に、公平に、残されるのは一部たりとも違わぬ同性能。
何もかもが同等。技も思考も体力、体重さえも全てが同じ。
そんな中で、殴り合いを――泥仕合を強制させる。
才能に頼った人間。
死に物狂いで努力した人間。
豪運の上に胡坐をかく人間。
そういった人間にこそ、最も深く突き刺さる。
つまり、月姫、雨森、克也からすれば最も相手にしたくない能力である。
次回【泥仕合】
特別なことなんて、何もない。
さあ、決着をつけよう、イツキ。
僕は負けないよ。
君たちをを助けるんだ。
この想いだけなら、僕は誰にだって負けはしないさ。
☆☆☆
※全く別の宣伝ですが。
たぶん近々、新連載開始します。
最初の一か月くらいは毎日投稿予定です。
重要なので二回言いますが【毎日投稿予定です】。
擦り切れろ作者の指の皮! 焼き切れろ設定を考える脳!
この作品と同時進行とかいう極限連載!
まあ、この作品もあとちょっとで完結しそうなので、次の長期連載候補です。
とりあえず、60話くらい書いて評判良ければ続けます。
本作と違いかるーい気持ちで読める作品ですので、続報をお待ちください。




