11-21『天才』
振り返ること、数か月。
B組とC組の闘争要請――無人島での一件が終幕し。
黒月奏が、雨森悠人から【燦天の加護】なんていう嘘を吐かれた日の放課後。
「にしても、目が醒めたら新崎との戦いが終わってた……なんて、思いもしませんでしたよ」
夜宴の教室で苦笑交じりに呟く黒月。
彼の視線の先には、椅子に座って窓の外を眺める雨森と、べしべしと彼の頭をぶっ叩き続ける倉敷の姿があった。倉敷蛍の【精霊王の加護】はいくら複合型とは言えども身体能力系の加護。一撃一撃がそれなりの威力なので、ぶっ叩かれるたびに鈍い悲鳴が雨森の頭蓋から響いていた。
「はっ! だからってやっていい事と悪ィことがあるって話だろ! 私に何にも作戦伝えず? その上で新崎に成りすまして? しまいには『いや、倉敷が居たら都合悪いよな』なんて浅い考えで腹パンくらわして? その上でクラスメイト全員登校できないレベルで痛めつけて? その上本人は無傷たぁいい御身分だなァオイ?」
「別に全員を嬲ったわけじゃない。安心しろ、星奈さんは無事だ」
無表情で平然と言い放つ雨森。
彼の後頭部を、倉敷の全力のグーパンが貫いた。
「喧嘩売ってると見ていいな? ああ分かった、戦争しようぜ雨森悠人」
「やめておけ、今のお前じゃ勝負にならん」
ぴきり、と倉敷の額に青筋が浮かぶ。
錆びついたブリキ人形のように、なんとか黒月を振り返る倉敷。
彼女の目は雄弁に語っていた。
『こいつ二人で殺っちまおうぜ』と。
「ま、まぁまぁ……。落ち着いてくださいよ二人とも。それに倉敷も、雨森さんに勝てないってことくらい分かってるだろ? 今の一撃でも全然堪えてないんだから」
「……チッ、そんなんだから雑魚メンタル腰巾着なんて言われんだよ、テメェ」
「……いや、そんなの誰が言ってるんだよ」
「あ? 私に決まってんだろうが」
瞬間、黒月の掌から魔力の弾丸が放たれた。
倉敷は鼻で笑って弾丸を手で払う。
弾かれた弾丸は窓ガラスに着弾――する直前で、雨森が窓を開けたため遥か彼方の空へと消えていった。
「黒月……教室内で魔法を使うな」
「あっ、すいません雨森さん。ちょっとイラっとして……つい」
「あー? いまなんかあったのか? 弱すぎてそよ風かと思ったぜ」
椅子にだらしなく座り、煽る倉敷。
その表情に青筋を浮かべた黒月だったが、雨森から釘を刺されたため何とか深呼吸して怒りを鎮める。そんな彼を一瞥し、呆れた様子の雨森が言う。
「あまり煽るな倉敷、バカみたいだぞ」
「学力の話か? んなもん、お前らみたいな天才よりかは劣ってるだろうな」
事実、倉敷蛍の成績はさほど良くはない。
優等生と呼べるだけの成績は収めているが……常に橘月姫と並んでトップを走る雨森や、それに追従して3位を維持し続ける黒月には遠く及ばない。
そう恥じることなく語った倉敷だったが――雨森からは想定外の言葉が返ってきた。
「僕を黒月と一緒にするな。僕に失礼だろうが」
「……雨森さん、もしかして僕のこと煽ってますか?」
引き攣った笑みで問いかける黒月。
彼のことをガン無視し、雨森は倉敷へと語る。
「いいか、僕は凡人、こいつは天才だ」
「そうは言うがよ。テメェはあらゆる面で黒月以上のスペックだろうが。んな化け物を『天才』って何が悪ぃんだよ」
「大問題だろう。失礼極まりないからな、僕に対して」
どこまでも自分の事しか考えていない雨森。
そんな彼の反応にあきれた様子で肩を竦める倉敷。
彼女はまるで『こりゃお手上げだ』とでも言いたげな様子で、黒月が代わりに雨森へと問う。
「失礼と言うかなんというか……僕もおおむね倉敷と同意見ですよ。ありとあらゆる分野で雨森さんは言わば『黒月奏の上位互換』です。それを天才と呼べなかったら、むしろ世界中の才人全てに失礼だと思いますよ」
「……お前がそれを言うか」
ほとほと呆れた様子の雨森は、黒月を振り返る。
その時ばかりは、無表情も少し崩れていたように見えた。
それほどの、呆れが当時の彼を占めていたのだろう。
彼は大きなため息を漏らし、黒月へと向き直る。
「世界中の才人に失礼……か。史上一番の皮肉を吐かれたよ」
「ええ……そんなつもり無かったんですけど」
「そんなつもりが無かったから、失礼だと言ったんだ」
そして、雨森悠人は断言する。
「黒月、お前は天才だ」
過去を思い出し。
多くの怪物を振り返り。
数えきれないほどの天才を見た上で。
その上での――断言。
黒月奏には理解できない重みが、その一言には含まれていた。
当然、倉敷も彼の過去なんて知らない。
けれど、妙に説得力のある雨森の言葉に、一切の茶々は挟めなかった。
「……天才って」
「僕は天才という言葉は嫌いだ。天才、天才と……その道程で積み上げてきた努力、経験、それら全てをまるっと無視して、その人をたったの二単語に収めてしまう」
雨森悠人は天才では無い。
血の滲むような努力。
その根底にある地獄と憎悪。
そして遺された復讐心が彼の原動力。
だから、自分の歩んできた道のりを【天才】と一言で表されることは苦手だし、他人にその嫌な気分を味わせたいとも思わない。
「だから、僕はあまり天才という言葉は使わない」
そう、しっかりと前置きした上で。
彼は、どこか疲れた顔を見せた。
「ただ、それでも。そう表さずには理解のできない奴らが居る」
そう言って、彼は誰を思い浮かべたのか。
全てを与えられ、全てを救うべく産まれ、その最後に無駄な死に落ちた偶像。
数千年の歴史において、若くしてその頂点に君臨することとなった隣家の主。
その偉人に仇敵と認知されておきながら、最後まで力を求めることはなく、意地の果てに散った男。
才能の優劣はあれど……実態がどうであれど、いずれも雨森悠人にとっては見上げるほどの才人に見えた。
「当然、彼らにも積み上げてきたものがあったのだろう。僕が忘れているだけで、彼らも僕と同様、ただの凡人だったのかもしれない」
「……忘れて?」
彼の使った言葉に違和感を覚え、黒月が首を傾げる。
雨森はまるで失言だったと言わんばかりに、窓の外へと視線を逸らす。
「そういう意味では、僕も倉敷同様……彼らに対して失礼な発言をしてきたんだろうが」
彼はそこまで言って、僅かに言葉に迷う。
その先を言ってもいいものか、と。
逡巡はわずか一瞬。
雨森悠人は、彼の方を振り返ることも無く。
ただ、その在り方を否定した。
「お前は違う、黒月奏」
「……なにを、言ってるんですか?」
「お前の『過去』は知らない。だから、失礼だったなら訂正してもらって構わない。だが、学園に入学して以降のお前を見てきて、僕の確信は深まるばかりだ」
使いたくなかった言葉。
限られた数名のみを指して認めた言葉。
それに、この男は悠々と土足で乗り上げてきた。
「お前を勧誘した時は……正直、天才と呼ぶには浅すぎると思っていた。あの面々と比べれば劣ると確信していた。だが、お前を知れば知るほどにその認識に亀裂が走る」
端的に言ってしまえば。
黒月奏は一切の努力を知らないのだ。
彼の『頑張った』は、怠け者の更に十分の一以下の労力に過ぎない。当然、常人の努力と比べれば雀の涙ほど……やってもやらなくても変わらない程度の【努力】だった。
にもかかわらず。
この男の成長速度は、あの朝比奈にすら匹敵する。
そう告げたところ、黒月は心外とばかりに頬をふくらませた。
「なにを……それこそ失礼ですよ雨森さん! これでも雨森さんの役に立とうと……色々と頑張ってるんですから!」
「その頑張りは、おそらく僕や倉敷の百分の一以下だろうな」
雨森の言葉に、倉敷が顔を顰めた。
それは、彼の意見に不満を抱いたからでは無い。
それが真実だと薄々彼女も察していたから、黒月奏に対する不快感に肩を震わせていた。
「……たしかに、そんなのに天才呼ばわりたァ、背が凍るぜ」
「僕が上位互換で居られるのは、きっと今だけだ。お前は近いうちに僕を超えるだろうと確信している」
だからこそ。
そうして雨森悠人は、本題へと足を踏み出す。
「その上でお前は、僕のようにはなるなよ」
「……? どういうことですか?」
「目指すべき相手を見誤るな、ということだ」
その言葉に含まれていた自嘲。
まるで、自分を見下げ果てているような侮蔑が、わずか一瞬だけ鼻先をくすぐる。しかしその顔には相も変わらず鉄仮面が張り付いていて、今のは気のせいだったのかと思えてしまう。
「……僕の知る限り、雨森悠人は最強です。そして、僕の異能なら雨森悠人の模倣ができる。……なら、最強を目指すことの何が間違ってるんですか?」
「全てだ。多様性では、極まった【技】には絶対に勝てない」
「雨森悠人は最強ではないんだよ」
だから、天守弥人は最強とは呼べないし。
彼の遺品を使い続ける限り、雨森悠人も最強では無い。
捨てねば、いずれ敗れるばかり。
……そんなことは分かっている。
分かり切っている。
だからこそ。
雨森悠人を目指すべきでは無い。
お前は、ちゃんとするべきだ。
「お前は、ちゃんと捨ててから先に行け」
ーーきっと僕は、捨てられないだろうから。
その言葉を。
今でも、黒月奏は明白に覚えている。
捨てねば、立ち行かぬ。
ならば、何を捨てるのか。
過去か、未来か。
あるいは現在か。
彼から贈られた言葉を振り返り。
黒月奏は、決断する。
次回【天才②】




