11-20『呪い』
『天能の習熟に終わりは無い』
そんなタイトルに目がいって、その男は本を手に取る。
それは、昔の人物が直筆で記した手記のようなもの。
本を開き、直の筆跡から『妄執』とも呼べる居心地の悪いモノを感じる。
その筆者はきっと、まるで何かに取り付かれたかのようにこの手記を書き殴ったのだろう。
曰く、我らが天能は神の力の一端に過ぎない――と。
偉大なる神、偉大なる祖先。
その力のただ一角のみを扱うことが許された。
其れこそが我ら……橘の一族なのだと語っている。
『彼らが太祖、原初なる神。
その神は雷であり、魔であり。
霊であり、虚であり、獣であり。
王であり、嘘であり。
盾であり、幻であり。
銃であり、星である。
おおよそこの世に存在する全ての根源。
概念の一切合切を司る力の集合体。
それこそが、かつて【天守】の屠った神であり。
その神から分かたれたのが天能、今、我らが扱うモノである。
であるならば、求めるべきは【力の完成】のみ。
我等に許されたのは、かつての神の力の一角。
ただそれだけだ。
しかし、神技の再現など人の身では不可能に近い。
どれだけ修行を重ねようとも。
どれだけの才能の下に生まれようとも。
その歩みに終わりは無いのだと、理解しなくてはならない。
そして、その終わりなき道を歩めと神に選ばれた一族こそ、橘だ。
我等は人よりも頑丈で。
我らは人よりも長くを生き。
我等は多くを知り、多くを重ね。
我等は世界の何者よりも天能を知ることができる。
その上で、だ。
その上で断言できる。終わりはないのだと。
であるならば、余所見をしている暇などは無い。
極めるべきは、たった一つだけなのだから』
「……これを書いたのが私の祖先とか……頭が痛くなってくるね」
十数年前。
橘の書庫で、橘一成はそう苦笑する。
名も失伝した古き先代。
彼の遺した古書を破り捨て、ゴミ箱へと放る。
「選民思想甚だしい。……たしかに原初の神は居た。けれど、その神とて人に敗れた程度の弱者。その弱者の子孫が、今更『先祖は凄かったんだ』と喚いてもみっともないだけだろう?」
「まぁ、こやつは神、と言うより橘の【特異性】に酔っておったようじゃがな」
彼の隣で、老人はカカッと笑い飛ばす。
「ですが、天能の捉え方自体は正しいようにも思えます。事実、歴代の橘、天守であっても天能を『極めた』と呼べる人物は一人も居ない」
老人の言葉を受けて、ため息混じりに一成は言う。
じろりと厳しい視線を向ければ、老人は気まずそうに視線を外した。
「中には、極めることより利便性に走った『中途半端』まで現れる始末。……誰の事とは言いませんがね、御古老?」
「……悪かったと思っとるわい。ワシの天能を見て月姫のヤツも中途半端に走り始めとるからな。今、色々と言い聞かせとる最中じゃ」
冗談ではなく、真面目に反省している様子の老人。
彼の姿を見て、本当に冗談になりませんよ、と内心でこぼしてため息を漏らす。
「いいですか、環さん。中途半端な利便性には目は眩む。けれど、利便に走れば果てに待つのは弱体化だけです」
隠して彼は、窓の外へと視線を投げる。
彼をして『怪物』と考える愛娘、橘月姫。
彼女が今後も、中途半端なまま成長を重ねていくのだとすれば。
「中途半端では、極めた一には絶対勝てない。どれほどの天才であっても例外ではありません」
何かを捨てねば、立ち行かぬ。
そこに才覚や努力など介入しない。
ただ、それが全てなのだから。
☆☆☆
久遠イツキ。
八雲選人の実験体。
ある理由から、自ら被験に臨んだ少年。
紛れもないーー悪意の被害者。
『君には、黒月奏を殺してもらいたい』
彼に求められたのは、それだけだった。
『か、奏を……?』
『そう、黒月奏。雨森悠人、橘月姫の次点で警戒するべき男だよ』
久遠イツキは、誰よりも黒月奏を知っていた。
だから、その評価には納得したけれど。
彼よりも警戒するべき怪物が二人も居るのか、と少しだけ恐ろしくなったのを今でも覚えている。
『け、けどよ……殺す必要までねぇんじゃねぇのか? ほら、止めるだけとか……せめて、脚を折るくらいで何とかならねぇかな?』
『ならない。あれほどの異分子は確実に息の根を止めて置く必要がある』
……その点、いつかの新崎康仁には期待したのだがね、と男は呟き、久遠イツキを振り返る。
『間違いなく、殺せ』
『……どう、してもかよ』
奥歯を噛み締め、血が滴るほど拳を握り。
絞り出した言葉に、悪魔はあっさりと返答する。
『どうしても、だ』
ーーなんてったって、彼は【本物】の天才だからね。
その言葉が、今になって彼の脳内に蘇る。
「ハァッ!」
一閃。
回し蹴りが空を蹴り裂く。
風圧が黒月らC組生徒を押し飛ばし、教室の窓ガラスが砕けて外へと落ちる。
悲鳴が聞こえる。
視界の端に血が見える。
それら全部『見えない』ことにして、ひたすらに前を向く。
蹴ること。
彼に与えられた力は、ただそれだけ。
(俺に出来るのは、俺が黒月奏に唯一張り合えるかもしれないのは、結局最後までこれだけだった)
何をしても彼には劣っていた。
けれど、サッカーだけならば。
劣れどその差は極わずか。
ならば、その差は【諦め】で埋め尽くせる。
「奏、お前は天才だ。なんだって出来る」
視線の先。
黒月奏は肩で息をしていた。
その周囲には、彼の味方をする生徒たち。
……いつだって、彼の周りには仲間がいる。
その光景に少し笑みを浮かべたけれど。
直ぐに無表情を貼り付け直し、言葉を重ねる。
「言い方を変えるぜ、なんだって出来ちまうんだよ、お前は」
なんでも出来る。
器用に、多彩に、異常なまでに。
彼は昔からなんだって出来た。
出来てしまえた。
それこそが、黒月奏の抱えた【呪い】だった。
「なんでも出来る、故に捨てられない」
手が届くもの。
それら全てが黒月奏にとっての武器になる。
その場の機転、誰かのモノマネ、その応用。
異次元の頭脳からはじき出された机上の空論を、彼の才能は手際よく気味悪く再現してしまえる。
つまりは【利便】だ。
万能性なんて捨てられるわけが無い。
「……なにが、言いたいんだ?」
「いんや。何が言いたいわけでもねぇんだ。ただ、思った通りだったな、って思っただけさ」
黒月奏を超えること。
かつて、一度は諦めた夢物語。
それに再び挑むにあたって。
久遠イツキは捨ててきた。
何もかもを、ドブの中へと捨ててきた。
「この力を得る代わりに、何かを捨てろと言われたんだ。だから、俺は迷わず【才能】を捨ててきた」
「……っ」
彼の濁った瞳を目の当たりにして。
黒月奏は、息を飲む。
「捨てたよ、全部。必死こいて頑張った勉強も、お前と張り合おうと思って頑張ったぜんぶ、なにもかも。才能ごと泥の中へと蹴落としてきた」
削って、削って。
骨になるまで身を削り落とした。
その果てに残ったのは、両の脚だけ。
荒び果てても強靭に煌めく、個の極み。
「元からわかってたんだ。お前の多様性には絶対に勝てない。だから、俺は一つを極めることでお前を超える。お前を殺す」
そして、久遠イツキは前傾となる。
踏み飛ばすは大地。
蹴り殺すは、唯一無二の大親友。
(思う存分、俺を恨め)
今はただ、殺すだけでいい。
それしか、久遠イツキに道は無いのだから。
☆☆☆
「『束縛』!」
黒月奏の掌から、無数の鎖が噴射する。
それは一直線にイツキの元へと殺到し、彼の全身を縛るべく展開する。ーーだが。
(……っ、速い!)
次の瞬間、久遠イツキの姿が掻き消える。
残ったのは、床にくっきりと刻まれた足跡のみ。
そして直後に、真横から強烈な殺気が叩きつけられた。
「させないよ……ッ!」
迫り来るは、一撃必殺の蹴撃。
控えていた井篠が咄嗟に攻撃を受け流すが……抑えきれなかった衝撃が教室内を荒れ狂い、風圧だけで体が浮かび上がる。
「ぃ、っ……ぅ!」
「すげぇなお前! ここまで流されるのは初めてだぜ!」
受け流した腕にも尋常ではない痺れが走る。
痛みに顔を歪める井篠へ、更なる連撃。
その全てを躱し、いなして受け流すが、それは嵐の中に素手で立ち入るような暴挙。耐えきれずに後退した井篠はボロボロになった両手を見て苦笑する。
「こ、これでも……最近は雨森くんから『守る技術』も教わり始めてるからね。自信はそれなりにあったんだけど……」
「十分だ井篠!」
井篠が後退するのと同時に、業火が走る。
佐久間の放った紅蓮の炎はイツキごと周囲の空間を焼き尽くす。その熱発は周囲の温度を著しく上昇させ、あまりの威力に黒月の表情が僅かに歪む。
友の窮地。
それだけで心が軋む。
戦いたくない、傷つけたくない。
覚悟は決めたはずなのに、本音が零れそうになる。
けれど、こんなもので終わる相手でもないと分かってもいた。
「はッ! 生ぬるい温風だなぁ、おい!」
蹴り、一閃。
たったそれだけで炎は掻き消え、無傷のイツキが姿を現す。その光景に佐久間が目に見えて舌打ちを漏らした。
「チィ……ッ! どうなってんだ黒月! アイツ本当に人間か!? 知り合いなんだろ!!」
「あぁ、親友さ。だけど……」
後者の問いには即答できた。
けれど、前者には答えられない。
どうなっているのか。
そんなもの、黒月だって聞きたかった。
(どうしてイツキがこんなところに……って、前提は置いておくにしても、あまりにも強すぎる)
当然、あの二人には劣るだろう。
底知れない人。
相手にしたくない人。
そういった対象として、雨森悠人と橘月姫を上回る相手を、未だ黒月奏は見たこともない。
けれど、純粋な【異能の強さ】だけ見れば、あの二人よりも久遠イツキの方が上回っているようにさえ思えた。
(……雨森さんに、橘さん。あの二人の【底】を知っているかと聞かれれば……それは違うんだろうけれど)
それでも、彼には確信があった。
(これならまだ、雨森さんと戦った方が勝ち目がある)
彼は異能を複数所有している。
その事実を、黒月奏はとうの昔に暴いていた。
ただ、言わなかっただけ。
触れてほしくなさそうだったから。
雨森悠人が、大切そうに抱えていたから。
何も言わず、見なかったことにしていた。
当然、異能の複数所持は驚異に思った。
けれどそれを、脅威に思ったことは一度も無い。
彼は一つ一つの異能をそれなりに高位の水準で扱っていた。その技術だけとっても黒月奏を大きく上回るだろう。
しかし、脅威ではなかったんだ。
だって彼は、霧も雷も、極めてはいなかったから。
だから、彼の雷、彼の霧、それら『単体』で見た時、強力だとは思えども……「勝負にもならない」とは思ったことはなかった。
ーーただ、彼の場合は違う。
「……勝負に、ならないな」
雨森悠人と戦った場合。
あるいは、橘月姫と戦った場合。
勝つことは難しくとも、勝負にはなるのだ。
多彩な技一つ一つを丁寧に対応していけば、それなりの形にはなるだろうと思う。
けれど、久遠イツキの技には一切の対応ができない。
こちらの対処なんて知ったことかと、圧倒的な技量で真正面からねじ伏せられる。
「どうする黒月! 援軍……っても、朝比奈が来た程度でどうこうできるレベルじゃねぇぞ!」
独力では敵わない。
既に戦力差を見切った佐久間がそう叫ぶ。
勝てない。
敵わない。
このままでは、負ける。
目の前に現実が突きつけられる。
(僕じゃ、イツキにはーー)
勝てない。
たった四文字。
ソレが、頭を過ぎりかけた。
ちょうど、その時。
『お前は、僕のようにはなるなよ』
不思議と、頭の中に浮かんだ情景。
それは、かつて雨森が自分へと語った一幕だった。
僕は、本物を知っている。
だから、お前を初めて目にした時。
僕は、お前を確実に仲間にすると決めたんだ。
次回【天才】
かつての雨森悠人は、斯く語った。




