11-19『旧友』
「助けてあげようか?」
その声には、愉悦が滲み出していた。
きっと、その男は悪魔なのだろう。
けれど、助けてくれない人よりマシだと。
何もしてくれない奴らよりはまだ良いと。
そう、心の中で何度も唱えて。
溢れそうな反吐を飲み込み。
激情を押さえて。
昔日の俺は、その手を取った。
「私からの条件は、たったひとつだけさ」
悪魔は語る。
俺たちを助ける、その条件。
それは、聞けば聞くほど呆気なくて。
当時の俺は驚いたものだけれど。
今になって、つくづく思う。
「いつか、私を助けてくれたまえ」
そんな約束をするんじゃなかった。
あんな男と出会ってしまったから。
俺は、お前を殺す羽目になっちまったんだから。
☆☆☆
懐かしい顔。
懐かしい声。
その少年、本名を、久遠イツキ。
地元の中学校で、黒月奏の親友だった少年。
そして、今では敵に成り果てた青年。
「ーーッ!?」
慈悲は無い。
容赦など無い。
ただ、一閃。
瞬くような速度で、彼は始動する。
語る余地などなく。
問う言葉すら不要と言わんばかりに。
その【蹴り】は、黒月奏の眼前へと迫った。
その不意打ちに、黒月奏は反応できない。
かつての友。
失ってしまった関係。
そして、突きつけられる明確な殺意。
それらによって、ほんのわずか、けれど確かに止まった思考。その隙を突かれては敗北は必至。
けれど、それは彼が一人だった場合の話。
「黒月君!」
その場にいた中で、唯一反応した少年。
井篠真琴。
雨森悠人が『最終決戦』……つまり、この日のために着々と【武】を仕込んできた隠し兵器。
されど、雨森悠人の想定よりも更に早く来てしまった『今日』この日、井篠の【武】もまだまだ未完成。
その蹴りを僅かに逸らすのが精一杯。
逸らされた一撃は黒月の頬を深々と切り裂き、真っ赤な鮮血が吹き上がる。
「チッ!」
僅かに遅れて、佐久間が始動。
豪炎を撒き散らしてその青年へと迫る。
その姿に顔を顰め、敵対者の青年は距離を取り直した。
「……あぁーあ、奏を殺るなら、最初が一番のチャンスだと思ってたんだけどな。それを潰されちまったんなら、もう正々堂々しかねーじゃんか」
「っ、い、イツキ……イツキなのか?」
困惑。
満面に貼り付けたまま、黒月奏は言葉を絞り出す。
殺されそうになったことも。
頬から流れる鮮血も。
何も分からず、考えられず。
ただ、問うた。
対し、久遠イツキは目を丸くする。
心底驚いた様子だった。
けれど、その驚きはやがて、失望へと変わる。
「……マジかよ。殺されかけたんだぜ。血ィ流れてんだぜ? にも関わらずその質問って……遅すぎんだろ、俺は敵だぜ?」
既に、全員が久遠イツキに対して臨戦態勢を取っていた。
誰もが、その青年を敵と認識していた。
ただ、黒月奏ひとりを除いて。
「ま、待っ……て、くれ! みんな!」
「待てもクソもねぇだろうが! 意味不明な異常事態に、唐突に現れた意味わかんねぇけど命を狙ってくる相手! こいつが敵以外の何だってんだ!」
「そうだぜ奏。そいつの言う通りだ。……ったく、しっかりしてくれよ。そんな腑抜けを見せつけられて……そんなのに負けてたって突きつけられる俺の身にもなってくれ」
世間話に交ざるように、イツキは語る。
その姿から一切の緊張感は感じない。
まるで、思い出の中からそのまま飛び出してきたような。あの日から何も変わらない旧友が、ありのままでそこに立っていた。
だからこそ、黒月奏の心は荒ぶ。
(……井篠が反応してなかったら、僕は死んでた)
現実逃避なんて、出来っこない。
頬の痛みが、突きつけられる殺意が。
あの少年こそ敵なのだと、如実に語っている。
謝りたい気持ちと。
抱えきれない程の困惑と。
本物なのかという疑念と。
かつて突き放した彼へ、1歩踏み出す恐怖と。
様々な感情がごちゃ混ぜになって。
それでも、口をついて飛び出したのはーー
「どう、して……」
どうして?
なんで君がここにいるのか。
なぜ自分の命を狙っているのか。
そういった、全てに対しての疑問だった。
されど。
「教えねぇ」
真っ向からの、拒絶が返る。
「言いたくねぇ。言ったらお前はーー……いや、話せば話すほど駄目になるな、これ。うん、もうお前とは話したくねぇ。ただ、殺すことにするわ」
言えば終いと言わんばかりに。
これ以上は不要とばかりに。
久遠イツキは、構えを取る。
その構えは、見たこともない独特なもの。
まるで上半身を使うことを考えていない。
ただ、蹴ることに重きを置いたような構え。
くわえて、先程の蹴撃。
その、速度。
黒月奏の脳裏に嫌な『予想』が走った。
『概念使いというものは、……まぁ、基本的に何らか【一個】の技術の到達点だ』
ふと、雨森悠人との会話が蘇る。
『中には橘や僕、新崎のように、一つの異能で複数の使い方をする……いわば中途半端も居るが、それは本来の使い方では無い』
数多の能力を持つ彼は、断言していた。
まるで……過去、ひとつの技術を極限まで極めた『誰か』を見てきたように。遠くを眺めて断言した。
『異能を突き詰めて行った先には【一個の技術】としての完成がある。そして、異能の最上位が概念使いだと言うのなら、いつだって彼らはその技術の最先端を往く者だ』
そして。
記憶の中で、雨森悠人は黒月奏を振り返り言う。
『ないとは思うが、本物の概念使いとは戦うな。今のお前じゃ1分と持たん』
「ーー皆、避けろッ!」
そう叫び、直感で体を捻る。
と同時に、先程まで黒月のいた場所を久遠イツキの飛び蹴りが貫いて行った。
「うっお、今の避けられるかよ」
少し離れた場所に着地して。
少しショックを受けた様子でイツキは苦笑する。
その光景に冷や汗を流しながら、黒月は拳を握りしめた。
5秒と持たない。
……あぁ、確かに。
ただの偶然で今の一撃を避けられていなければ。
最初の一撃を、仲間が防いでくれていなければ。
とっくのとうに、自分は負けて死んでいた。
(神にでも嫌われてるのか……? なんで、よりにもよってイツキが、雨森さんの言ってた『本物』になってるんだよ……!)
久遠イツキ。
異能名【蹴】。
ただ、蹴ることに特化した力。
大地を蹴り飛ばし、距離を詰め。
尽くを蹴り壊し、蹴り殺す。
他に何も出来ないが故に、ただ【蹴る】ことに関して並ぶ者無き一個の極点。
相性は、恐らく悪い。
遠距離~中距離戦が得意な黒月と。
瞬く間に懐へと潜り込む脚力を持つイツキ。
黒月も近接戦闘が全くできない訳では無い。
むしろ、身体能力は相応に高い方だ。
けれど、才能や向き不向きなど極まった【個】の前では塵芥も同然。なんの憂いもなく蹴散らされるだけだ。
(……たぶん、蹴りに関する概念使い。なら、蹴りに関して言えば一撃の威力は雨森さんレベル。そして、速度に至っては朝比奈さんと同等か……下手すればアレ以上も有り得る)
考えていてつくづく思う。
なんだそれは、と。
どうやったらそんな化け物が生まれるのか。
そう考える度、雨森の言葉が頭に浮かぶ。
【本物】と。
概念使い。
異能の頂点に君臨する力。
雨森悠人のように出し惜しんだり。
橘月姫のように中途半端に走ったり。
ーーしない。
そんなことはしない。
彼らは正当に、正しく力を引き出し使う。
他のことなんて出来なくたっていい。
不便だって構わない。
ただ、蹴る。
その一念にのみ生きる覚悟で力を使う。
(……そりゃ、雨森さんが言うわけだ)
格が違う。
蹴るだけ、なんていう控えめな能力も。
極めた先には、ここまで凶悪無比が広がっている。
奥歯を噛み締め、前を向く。
「……話し合い、は、望んでないんだよな」
「おう。今から死ぬやつと話すことなんてなんもねぇだろ」
あっさりと返した旧友に。
黒月は、腹の底に覚悟を据えた。
「……うん、わかったよ」
彼の全身から、黒い魔力が溢れ出す。
逃げろと言われた。
1分も持たないと断言された。
けれど、黒月奏とて成長の真っ只中。
その成長曲線は、未だ果てなく続いている。
拳を構え、長く息を吐く。
魔力を乗せた拳は、陽炎のように揺らめき。
その光景に、久遠イツキは眉を寄せる。
「ぶん殴って黙らせてから、話を聞く」
「はっ、お前が俺に勝てるかよ、奏」
そして、戦いの幕が切って落とされるーー。




