11-16『八咫烏』
今日は第3巻の発売日です!
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橘月姫、覚醒。
それと同時刻、朝比奈霞は焦り交じりに駆けていた。
運と根性で眠りの呪いを跳ね飛ばし。
尋常ならざる力を手に入れ。
それでも、冷や汗を全身から滲ませるほどの緊急事態。
そう、それこそは――。
(ちょっと! 雨森くんどこにもいないじゃないの!?)
大前提にして根本的な問題。
――雨森悠人が見つからない。
そこから朝比奈霞は躓いていた。
既に、学園中は探し回った。
起きている生徒とは一度も出会うことはなかった。
仮に、学園内で橘環、王聖克也、倉敷蛍らと出会っていれば彼女の方針も変わったかもしれない。
だが、目に見えぬ【豪運】が彼と彼女を遭わせることを拒絶した。
小賀元はじめは、最終的にはなんとかなるのだから。
朝比奈霞という大きな戦力は、他へ回した方が王聖克也にとって都合がいい。
それこそ……たとえば、雨森悠人への助力とか。
だから、奇跡的に朝比奈霞は『王聖克也の物語の登場人物』に関われなかった。
その上で、朝比奈霞は睡眠前、雨森悠人と同じチームを組んでいた橘月姫、小森茜の姿こそ発見できたものの、その場に探し人の姿は既に無く……玄関先で、額に大量の血を付着させた星奈蕾の姿を発見する。
その姿を見て、直感的に彼女は校舎外を目指した。
理由ならば後付けができる。
外へ向かう際に確認したところ、雨森悠人の外靴が上履きに変わっていたこと。
今の全速力でこれだけ校内を探しても見当たらなかったこと。
多くの理由はでっち上げられるが。
それでも、駆け出した理由は直感に他ならない。
しかし。
(い、いない……どこにもいないわ雨森くん!!)
外に出たところまではいい。
だが、追跡相手はあの雨森悠人だ。
あの日以来、刺客として追ってくる天守、海老原らの関係者を振り切り続けて10年近く。逃走者として雨森悠人の技量は尋常ではない域に達している。
普段、日常生活での『追いかけっこ』とは訳が違う。
本気になった雨森悠人を、素人に毛が生えた程度の朝比奈霞が追跡することなど不可能に近かった。
「はぁ、はぁっ」
息を切らして駆けていた彼女は、足を止める。
気づけば、学園の敷地境界ギリギリの場所まで来ていた。
その場には学園外へと生徒を逃がさぬように堅牢な壁がそびえ立っており、入学時は不思議でしかなかった光景も、今ではそれが『学園の悪意』なのだと察せられた。
(落ち着きなさい……時間は、まだあるはずよ)
深呼吸して慌てそうになる心を鎮める。
ただでさえ見つからない人だ。焦っていては手がかりすらも見落としてしまう。
だから、冷静に。
けれど、手早く、迅速に。
彼の痕跡を辿るんだ。
「……今の、私なら」
やや考えて、彼女は地面に手をつく。
原因に理解は及ばないものの。
朝比奈霞は、自身の力が以前よりも大きく向上していることを察していた。
であるならば、できることも増えているはず。
以前は考えもしなかった『机上の空論』、『馬鹿げた理想』すら、今の私なら届くかもしれない。
……なら、ダメで元々。
(片っ端から、試してやるわ!)
そして、行使したのは疾く鋭い、微弱な電流。
一般人には気づくことも出来ないような。
それでいて、決して途絶えることの無い芯の通った電気の線。それが、蜘蛛の糸を散らす様に大地へと縦横無尽に駆け巡った。
「……『電査』」
彼女を中心として、電流が大地に走る。
それだけでは無い。
大地と接しているもの。
無機物、有機物。
生命、それ以外も平等に。
気づかれないほど微弱な電流が流れ走る。
その全てが知覚できると理解した瞬間、本当に今扱っている能力が『以前と同じモノ』なのか疑わしく思えてきた。
「……もしかして、新崎君が急激に強くなったように感じたのも……こういう異能の成長によるもの、だったのかしら」
思考が一瞬、逸れる。
けれどすぐに頭を振って、迸る電流へと意識を戻す。
……これなら、雨森悠人を捕捉できる。
大地に接する全てのカタチを電流を通して知覚できるというのなら、きっとーー
「……見つけた!」
探し始めて、僅か十秒足らず。
彼女は、遥か遠くに雨森悠人の姿を捉えた。
それだけでは無い。
彼に群がる、無数の『何か』。
見覚えのある級友の姿。
八雲学園長と思しき人物と。
ーーそして、もう一人。
「……ッ!?」
その姿を知覚した瞬間。
朝比奈は、有り得ないはずの【視線】を感じた。
雨森悠人ですら、戦闘中には気づけない程の僅かな電流。
当然、級友ーー烏丸冬至や、八雲選人でも気づけなかった程の弱々しい『探り』。
それを【ソレ】は認知し、朝比奈の居る方向へと確実に目を向けてきた。
「な、なん……なのよ、あれは」
見覚えがないーーとは、嘘でも言えなかった。
朝比奈霞は【ソレ】を……【彼】を知っている。
だからこそ、思考が追いつかなかった。
全てを思い出した今なら分かる。
きっとその人はもう死んでいるはずなんだ。
「……っ、あ、雨森くん!」
朝比奈霞は嫌でも理解する。
敵は学園長、八雲選人。
そして、【ソレ】こそは八雲選人が用意した雨森悠人を殺すための切り札であり、確殺の武器。
想像したくない……けれど。
考えたくもない……けれど。
【ソレ】が本当に動くのだとしたら。
雨森悠人は、間違いなく決定的な【隙】を生む。
その隙を逃さないよう、八雲選人の笑顔には背筋が凍るほどの『真剣さ』が滲んでいた。
あぁ、きっと。
あの人は全身全霊で……雨森悠人を殺す気なんだ。
そうと理解するが早いか、朝比奈霞は大地を踏み砕いて走り始める。
目指すべき場所は、既に見えた。
助けるべき相手の姿も確認した。
なら、あとは間に合わせるだけ。
助けたいと思った人を、助けるために。
もう迷わない。
一直線に、彼の元へーー。
……と、向かう、その刹那。
朝比奈霞の背筋に、悪寒が走る。
「ッ!?」
駆け出したはずの足が、止まる。
振り返った先は、学園の外。
朝比奈が飛ばした『電査』はまだ続いている。故に気づいた。……気づいてしまった。
雨森悠人の危機と同等か……それ以上に。
無視できないほど異常な『何か』が、この学園へと向かっている。
「……な、なんて速さよッ」
今の自分ほどでは無い……と思う。
けれど、おおよそ人間が出せるような速度では無い。
間違いなく、異能保持者。
それも、今の朝比奈と同等かそれ以上。
確実に『概念使い』だ。
それが、よりにもよって学園の外から向かってくる。
「く、来る……」
覚悟を決める時間なんてない。
ただ、無慈悲に。
黒き影がその場へと舞い降りる。
その姿を知っていた。
黒き衣に身を包み。
正体の見えない謎の怪物。
幾度か対する機会はあれど。
一度として、敵うことのなかった仇敵。
「……八咫烏!」
考えるより先に、朝比奈は攻撃を開始する。
知っていた。
八咫烏に話し合いは通じない。
相対すれば、敵対するのみ。
それ以上もそれ以下もない。
加えて今は『些事』に取れる時間はない。
最初から、全力で。
一撃で終わらせるつもりで、雷を放つ。
「【極雷】」
穹より、雷が迸る。
世界に光が溢れ、おおよそ人間では耐え切れるはずもない熱量がただ一点……対象を撃ち貫くべく堕ちる。
回避は不可能。
防御とて、間に合うかどうか。
なにせ雷速。
人知の及ばぬ瞬く間。
その間に繰り出される雷神の一投。
ソレを前に、八咫烏は頭上を見上げた。
それだけしか反応を示さなかった。
「……?」
違和感を感じつつも、攻撃は止まらない。
雷の槍が対象ごと大地を貫く。
凄まじい衝撃。
砂塵が舞い、大地が波打つ。
……されど、不思議と『手応え』は感じなかった。
「……防がれた、わね」
そう確信するまで時間は要らなかった。
避けられた、訳では無い。
確実に何かを撃った感覚があった。
けれど、貫いた感覚は無かった。
である以上、真正面から今の雷を防いだのだ。
その考えは、砂煙が止むに連れて確信に変わる。
八咫烏は、無傷でその場に在った。
一歩として動くことなく。
焼き尽くされた大地の中、彼を中心として数メートルの範囲だけは傷一つなく残っており……舞う砂塵が、見えるはずのない『ソレ』を浮き彫りにする。
「透明な『盾』……?」
八咫烏は、新崎の姿を模倣し【盾の創造】を行っていた。だから、こうして透明な盾を召喚するのも無理では無い……と思う。
けれど、今の朝比奈霞の一撃を、こうも容易く防げるだけの盾……そう簡単に生み出せるものだろうか。
そして、なにより。
学園外から飛来した、この八咫烏。
「……貴方、何者かしら? 本物じゃないわよね?」
八咫烏の偽物は答えない。
ただ、ある方向を指差し、示す。
その方向を確認し、朝比奈霞は顔を歪めた。
(偶然……じゃ、ないわよね。雨森くんの居る方向を寸分違わず指し示してるだなんて)
八咫烏が来なければ、向かっていた先。
そこを示し、八咫烏は肩を竦めた。
まるで『邪魔したね。君はやるべきことをやりなさい』とでも言いたげな雰囲気で。
戦意など欠片も見せずに、偽物は動かない。
「答える気……は、無いわよね」
問い詰めたい気持ちはあった。
けれど、対して分かった。
この偽物は……少なくとも敵では無い。
ならば、優先すべきはこの男ではなく、雨森悠人。
彼を助ける。
そのためなら、偽物の烏など二の次だ。
「余計なことはしない事ね。詳しい話は、全てが終わったあとに聞かせてもらうわ」
そう言い捨てて、彼女は走り出す。
瞬く間にその姿は視界から消える。
尋常ではない速度に、偽物の八咫烏は安堵の息を吐いた。
「……全く、運がいいのか、悪いのか」
男はそう苦笑し、電話をかける。
『ん? なんじゃ。今忙しいんじゃが?』
「……はぁ。環さん? 今着いたよ」
相手は、橘環。
暇そうな声で忙しいと宣う老人にため息を漏らし、学園内に到着したことを告げる。
『なんじゃ、随分急いだの。雨森悠人がそんなに心配だったか?』
「まぁね」
短く返し、偽の烏は仮面を外す。
風が頬を撫で、髪を揺らす。
コートを外し、少女の駆けて行った方向を見据える。
そして、その先に居る青年を想い。
やがて、一歩を踏み出した。
「僕も僕の、できることを尽くすとするよ」
ただ、少なくとも。
雨森悠人への助太刀は不必要だろう。
相手は悪い。
けれど、それ以上に頼もしい『正義の味方』が向かったんだから。
雨森悠人を正義の味方が支えてくれるなら。
きっと彼は、もう誰にも負けはしないだろう。
雨森悠人を殺す策。
彼を貶める最悪の切り札。
あぁ、そうさ。
お前を殺すのに強さは要らない。
ただ、思考が止まるほどの悪意だけで十分さ。
次回【再会】
こんな形で、会いたくはなかった。
そして、あの人の【死】を知りたくはなかった。




