2-4『来客』
「あら、おはよう雨森君! クラスメイトの朝比奈よ!」
「あぁ、おはよう浅川さん」
いつもの如く朝比奈嬢に挨拶をし、横を素通り席につく。
朝比奈嬢は、なにやら倉敷と一緒に話し込んでおり、「ま、また違う名前……。雨森くんのボギャブラリーに底は無いのかな」「……いえ、でも、挨拶を返してくれるだけで今は満足よ、蛍さん」とかいった会話が聞こえてくる。
……ふむ。毎度毎度テキトーにその場で思いついた名前を返してるわけだが……そうなると僕のボキャブラリーがいつか尽きそうで怖いな。『あ』から始まるそれっぽい名字でも調べておくか。
「おっ、おはよ、雨森!」
「あぁ、おはよう烏丸。今日もイケメンだな」
「そういうお前は今日も無表情だなー。そして、毎度ながら朝比奈さんの名前を間違えてるぜ? どういう耳をしてるんだ?」
「……あさ? 誰だそれは」
こういう耳をしております。
そう言わんばかりに問い返すと、烏丸は楽しそうに笑っていた。
まぁ、僕がわざと間違えてることはもう分かってるんだろう。その上で、それを会話の一部に盛り込み、さらにちょっとした笑いを取ろうと考えているのだからリア充は怖い、底知れない。
「ま、程々にしとけよー。朝比奈さんだって女子なんだから」
「なに、僕は男女平等主義者なだけだ」
なんせ、霧道を完全なる悪者に仕上げるため、倉敷に『自分で自分をぶん殴れ』と命令したくらいだからな。
僕はそう考えながら窓の外へと視線を向けると、烏丸は苦笑を浮かべて前へと向き直った。
チラリと時計を見ると、まだまだホームルームまでは時間がある。
さて、変に朝比奈嬢から絡まれても困るし……寝たフリでもしておくか。
そう考え、睡眠してるスタイルで机に伏した。
――次の、瞬間だった。
「やァやァ! 元気かなぁ、C組の屑ども諸君!」
聞き覚えのない声と共に足音が響く。
驚いて顔を上げる……なんてこともなく、別に興味もなかったため居眠りを続行していると、クラス内が先程とは別の意味合いでざわつき始める。
「……なんだ、あの野郎」
「……さ、さぁ? お、同じ一年生……だよね?」
「だとは思うけど……嫌な予感がするね」
近くから、烏丸たちカーストトップ連中の声が聞こえる。
そんな中、足音は教壇の前まで進みでると、挑発と侮蔑を隠そうともせず、大きな声を張り上げた。
「はじめまして……っても、お前らの過半に興味ねーから覚えなくてもいいんだけどよ。俺の名前は熱原。1年A組の委員長……とでも言っておこうか」
委員長、こんなに口悪くていいんだ。
そんなことを寝る体勢のまま考えるが、よく考えたらうちの委員長も口が悪かった。なるほど、委員長ってのは口が悪い奴がなれるのか。
そんなことを考えていると、ペしりと頭を叩かれ、嫌々ながら上体を起こす。
見れば……やはり倉敷か。彼女は起き上がった僕にちらりと視線を向けると、そのまま熱原とやらの前へと歩き出す。
「えっと……熱原くん、だっけ? いきなりどうしたのかな……?」
「あぁ? すっこんでろよ雑魚顔」
ぴきっ、と倉敷の顔が固まった気がした。
あぁ……こりゃ内心大激怒だなぁ。そんなことを考える僕を前に、熱原とやらは教壇へと両手をついた。
その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
そしてその瞳には確信にも近い何かがあった。
「単刀直入に聞く。霧道ってのを退学させた野郎はどいつだ?」
彼の言葉に、クラス内が沈黙した。
沈黙……というより、理解が及ばず静寂に包まれた。
クラスの過半が呆然とする中、熱原は続けて声を上げる。
「入学から、一番最初に退学者を出すクラス……ってのは、今の二年、三年も注目されてきたそうだ。でもって、そういうクラスには一人か……二人か、あるいはそれ以上か。決まって【面白い奴】が居るらしい」
それは僕も知っていた。
というか、最近協力者から聞かされた。
一番最初に退学者を出したクラスには、決まって傑物が存在する。
ただし、必ずしもその傑物=善人では無いと言うがな。
三年生は、現生徒会長。
二年生は、現風紀委員長と、現生徒会副会長。
彼らは入学初日における『八時就寝』の校則に引っかかることなく、むしろ、その校則を試すようにしてクラスメイトを陥れた。
それも、これ以上なく上手く、だ。
決して自分が先導したと悟られぬよう。自然に、誰にも悟られることなく、自らのクラスメイトを実験として退学へと追いやった。
……まぁ、一部の生徒や、教師陣は知っていたみたいだけどな。
そして、熱原はその事をどこからか調べたのだろう。
僕は興味無さげに頬杖をつくと、倉敷の様子を眺める。朝比奈嬢は……まだ動かないか。なら、ここで動くのは委員長の役目だろう。
「霧道……君を? そんなの居るわけが……」
「おい雑魚、すっこんでろって言わなかったか? てめぇの耳には耳糞でも詰まり果ててんのか? ……あぁ、それとも。テメェか? 霧道を裏からぶっ潰したのはよォ」
半分正解だが、もちろん知らぬ振り。
倉敷は……と見てみると、彼女はショックを受けたように口を押えて崩れ落ち、それを見た倉敷ファンのクラスメイトたちが立ち上がる。
「てんめぇ! 倉敷ちゃんに何しやがる!」
「誰だか知らないけど、いきなり何言い出すのよ!」
「おぉおぉ、よく吠える。負け犬風情なら当然かァ」
そして煽る熱原。
その口調からして……二年も三年も、比較的優秀な奴がA組に、比較的成績の悪い奴がC組に配属されてる、ってことも知ってるんだろうな。
まぁ、今回に関していえば、あの朝比奈嬢に、倉敷蛍。そして黒月奏と、三人も加護異能保持者を配属してる訳だし、そういうカテゴリーには当てはまらないと思うけどな。
「でェ、誰だよ? 俺ァ楽しみにしてるんだぜ? 入学してから一番最初に、目立つと分かっていて、それでも情け容赦なくクラスメイトを退学に陥れたひとでなしィ! 俺と同じ匂いがするからなァ!」
僕は彼の言葉に目を細めた。
なるほどなぁ……。うん、同じ臭いしてる、って最後のくだりは気色悪かったが、それ以外はある程度評価に値する。言動も雰囲気もオラオラ感も、どことなく退学した霧道に似ている気もするが……あの馬鹿よりはずっと頭が回るようだ。
ただ、頭が回るだけじゃ届かない相手もいる。
熱原の放つ確信に、クラスメイトのうち数名が不安そうな表情を浮かべる。その顔に移るのは疑念。そして真っ先に疑われるとすれば、霧道走に虐められていた男……つまりは僕だ。
加えて僕は、クラスメイトと関わりがない。
たとえ疑ったとしても罪悪感が少ないからな。何人かの視線が僕の方へと自然と集まり出し、熱原の視線が僕を捉える。
「……あァ? もしかして、あの雑魚顔野郎が――」
熱原が、僕へと向けて一歩踏み出す。
対して、僕は微動だにせず頬杖をつき続けた。
だって、反応も反論も、する必要性がなかったから。
僕がせずとも……正義の味方は、そんな根拠の無い疑惑は許さない。
視線の先で、彼女はその場に立ち上がる。
スラリと伸びた背筋に、艶やかな黒髪。
このクラスにおける、誰もが認める最強の傑物。
――朝比奈霞。
彼女は熱原の前へと立ち塞がり、凛と声を響かせる。
「悪いけれど……これ以上は認められないわ。熱原君」
「……へぇ。これは、中々……だが。てめぇじゃあ、無さそうだな」
朝比奈の前に、さしもの熱原も足を止める。
が、すぐに『朝比奈は非情にならない』と直感したんだろう。彼は興味をなくしたように歩き出す。そんな彼の前へと、朝比奈嬢は身を割り込ませた。
「……何だてめぇ? 邪魔すんのか」
「ええ、邪魔をさせてもらうわ。何を言いたいのか聞いていたけれど……大方、退学者を出した事実を切っ掛けに、このクラスの自壊を狙っているのでしょう」
多分、朝比奈嬢の考えは外れてる。
というか、彼女自身もそれは分かっていたはずだ。
ただ、外れていたとしても……仮に熱原の言葉が正しいにしても、疑念の溢れたこのクラスで彼女さえも疑いを見せれば、クラス中の疑念は一斉に僕へと向かう。
そして待っているのは、弱者の居ない世界。
つまりは、僕の退学だ。
「――雨森君。安心……させられるような事は、今まで出来ていないけれど。あえて言うわ。安心して頂戴。貴方はただの被害者……。そんな、根拠もない濡れ衣を着せられるようなこと、絶対に私が許さない」
朝比奈嬢が鋭い視線で僕を射抜く。
いつも通り『誰だお前』と返してもいいんだが……ここは少しだけ背を押そう。
「そう……だな。今……なんで自分が疑われてるのか、驚いて……固まってたんだが。僕は……皆の目には、そんな事出来る人間に見えたのだろうか」
「見えねぇな。おいテメェら、いくらなんでも雨森を疑うのはやりすぎだ。空気に流されんのも大概にしろよ」
僕の声に、カースト頂点に君臨する男子生徒が続けた。
黒髪短髪の、鋭い目付きをしたその少年。
名前は――佐久間純也。
あのリア充……烏丸さえも押し退いて、霧道のいた位置を完全に奪い去った男。黙って俺の後についてこい、とでも言いたげな男気の塊。野球部所属。
それが彼……佐久間というクラスメイトであった。
彼は入学してから一週間と少し、高熱で学校を休んでいた訳だが……おそらく、佐久間が入学初日から居ればあそこまで霧道が幅を利かせることもなかったろう。
彼の一言で、クラス中の僕に対する疑念が薄れた。
それを前に熱原は苛立たしげに舌打ちを漏らすと、なおもこちらへ歩いてくる……かと、思いきや。
「……やめだ。萎えちまったぜクソ雑魚共がよぉ。犯人探しなんざ、こんな慣れねぇことするんじゃなかったぜ」
そう言って彼は頭をかくと、大人しく出入口の方へと歩き出す。
……その際、ちらりと熱原と視線があった。
その瞳に映っていたのは失望……だったろうか。『さすがにお前じゃないよな』という根拠の無い仮定。僕は彼から視線を逸らす。
すると、完全に僕から興味を失ったらしい奴は大きく息を吸うと、クラス中へと聞こえるようにこういった。
「俺ァ、どっちかっつーと、犯人探しなんかよりも、クラスまとめてブッ潰す方がしょうに合ってるからなぁ」
何人かが、彼の目を見て肩を跳ねさせた。
なにせ、その瞳に宿っていたのは飛びっきりの狂気だったから。
根拠なく、理由なく、それでも確かな自信があった。
失敗なんてするはずもない、自分が負けるはずもない。
そんな、何の後ろ盾もない盲目の自信。すなわち狂気。
それが不気味で。
クラスの大半は恐れを抱いた。
「と、言うわけでー。お前ら、もしも犯人が分かったら俺んとこまで知らせに来いよ? そーしたらクラス……最低でもそいつだけは助けてやるさ! はははははははははは!」
かくして、男は去っていく。
僕はその背中を、ただ無言で見つめていた。




