11-3『王聖克也の後悔』
「ふむ、こんなもんかのぉ」
幼女――の皮をかぶった化け物は呟く。
金髪をご機嫌に揺らし、校舎の方を振り向いた。
彼女の後方には、死屍累々が広がっている。
当然、一切の流血はないし、一切の死傷もない。
ただ、その場にいる敵性全てが声もなく、その場に倒れ伏していた。
「……っ、……、っ!」
「声も出んじゃろ。そういう風にしておいたからの」
橘環。天能は【繰】。
彼女の指先からは無数の糸が伸び、それらがまるで人形を操るように倒れ伏した者たちの四肢へ伸びている。たったそれだけで彼らは体の自由を奪われ、戦闘不能に追い込まれた。
現に、彼らは驚愕のさなかにあった。
自分たちは、個々が加護の使い手だった。
総勢は、100名以上。
それが一斉に、橘環へと襲い掛かった。
けれど、傷一つも付けられなかった。
(……こ、れが……橘か!)
橘家の万魔殿、【お歴々】の中でも最上位に君臨し。
誰より長く生きて、それだけの時間を技の向上に費やしてきた変人。
技量は強さに直結する。
生きてきた時間と努力の量は――それだけ差となって如実に現れた。
「言っておくがの。おぬしらの前に居る『これ』はただの傀儡。命なきただの躯じゃ。この程度で驚いているようであれば……うむ。わしの本体と出会わなかったのは幸運じゃったな」
事実、彼らを圧倒したのはそんな人形の一体に備わっていた【からくり】に過ぎない。
橘環の【本体】は、こんなものではない。
――と、彼女はそこまで考えたところで何かを思い出す。
そして気まずげに頬を掻き、空を見上げる。
「ま、そんな全力のわしでも、雨森の小童には一度負けておるんじゃがなぁ」
橘家で行われた、雨森悠人の強化訓練。
その最後に【お歴々に勝利すること】という条件を課された彼は。
一度、この橘環にすら勝利している。
残念ながら、ついぞ橘一成には勝てなかったようだが――それは偽善に頼り切った雨森悠人の話。本来の能力を解禁すれば……おそらく、橘一成でも危ういだろう。
(それに、負けず嫌いな月姫も、小童に負けた以上、近いうちに追いつくじゃろうて)
彼女は思う、ここ数十年の『天守と橘』は恵まれすぎている、と。
当時、学生の頃から橘最強として君臨していた、橘一成。
そんな最強をして『殺されるかもしれない』と恐れた、天守周旋。
あれら怪物がふっと湧いて出た時点で警戒はしていた。
だが、それらの『子』として、さらにヤバいのが生まれてきた。
天守弥人。
天守優人。
天守恋。
そして、橘月姫。
少なくともあれら四者は、生きてさえいれば確実に最強の座を更新していただろう。天守もとい、雨森恋は……ここしばらく、兄の姿を追うばかりで実力が伸び悩んでいた様子だが、それも今回の一件で解決すると確信している。兄はやはり強かったと再認識できれば、もう、彼女が伸び悩むことは一切ない。
「ま、若人の成長は速い、ということじゃ。わしらの時代がなんじゃったんじゃ、と思えるくらい才人ばかりが生まれおって……。ちょっとおかしいんじゃないかの」
そして同時に、才に恵まれなかった者も多く居る。
事実、橘の末の弟も、歴代の中では最底辺の才能だろう。
だが、そんな弟よりもずっと才能に恵まれなかった男がいる。
「さて、わしの方は片付いたぞ、克也」
雨森悠人は、既に八雲選人の下へと向かった。
である以上、この眠りを解除するのは彼らの役目だ。
間違いなく、その術者を守るために多くの敵が立ちふさがるだろう。
彼らはそれを倒し、術者の下へと辿り着き、今眠っている全てを助ける必要がある。
なにせ、眠っている中には新崎康仁、橘月姫、雨森恋が存在する。
彼らが一斉に目を醒ませば――間違いなく、戦況はこちらに傾くだろう。
「わしも、学生の物語にあまり関与するのは褒められんからな」
そもそも、関与せずとも上手くいく。
橘環はそう確信していた。
雨森悠人は言わずもがな。
眠りを解除する役割は、あの克也が担っている。
どれだけ才能がなかろうと。
本気で臨み、あの男が失敗するわけがない。
なにせ、あの橘月姫の兄なのだから。
そう苦笑し、幼女は通信機を取り出した。
ある番号へと連絡を入れる。
相手はすぐに出たため、その相手へと口を開く。
「こっちは順調じゃ。お前も急げよ、間に合わんくなる」
今、大急ぎで学園へと向かっているその男。
その姿を思い浮かべて笑みを深め、文句が返ってくる前に通信を切った。
☆☆☆
「……あのぉ。なにしてるんでしょうか」
雨森悠人が目覚める、少し前。
頬を引き攣らせた倉敷蛍は、目の前の男へそう問うた。
男はティーカップを片手に彼女を一瞥すると、興味なさげに視線を外す。
その男――王聖克也は瞼を閉ざす。
「今の時刻くらい確認できないのか?」
「……3時ですね、午後の」
倉敷の笑顔は既に崩壊しかけている。
噂には聞いていた。
傍若無人な自由人。
いくら良く言っても『マイペース過ぎる』という言葉になる男。
倉敷調べ、絶対に友達になりたくないランキング、選英学園で堂々の第一位。
この男に合わせられる人間なんて存在するのか、とでも聞きたくなる超生物。
それこそがこの男――王聖克也。
また、学内イケメンランキングではあの黒月奏すら押さえてぶっちぎりの堂々一位に君臨しているのだから、なおタチが悪い。
「15:00より、私はティータイムを欠かさないことにしている」
だから何だよ。
倉敷は内心で吐き捨てた。
数分前、彼はそこら辺の教室へと入っていくと、そそくさと紅茶とクッキーをどこからか取り出し、今では勝手に一人でティータイムと洒落込んでいる。
『王聖克也……? ああ、絶対に関わりたくないな』
とは、雨森悠人の談。
あの男は純粋な強さにおいて比肩する者は滅多に居ないが、社交性で言えば素人に毛が生えた程度の雑魚である――と言うのが倉敷の考え。故に、雨森からそんな話を聞かされたところで『そりゃお前の社交性がねぇだけだろ』と笑って返していた。
……そんな当時の自分を、今、猛烈に殴りたい気分だった。
(ここまでぶっ飛んでイカレてるのは、テメェ以来だぜ、雨森)
教室の中も外も、死んだように眠っている生徒で溢れている。
王聖、そして謎の金髪幼女と出くわすまで、目が醒めている人間とは一人も出くわさなかった。学園全土にわたってこの能力が展開されているのだとすれば、間違いなく過去最大級の大事件だ。
……当然、星が壊れた一件に比べれば些事にも映る、が。
倉敷蛍は直感で、これは一歩間違えれば命取りになる難事だと察していた。
にもかかわらず、これである。
『おう、お主らちょうどよかった。二人でこの【夢】を壊してくるのじゃ。どうやって壊すかはお主らに任せるが……ま、殺すのが一番手っ取り早いと思うぞ』
とは、謎の金髪幼女の意見。
王聖が最高に嫌な顔をしながら素直に従ったのを見て、これは逆らってはいけない相手だと思ったため倉敷も従ったが――先ほどから、王聖克也に一切のやる気が感じられない。
まるで大切な何かを失って、生きる価値も見失った廃人のように。
哀愁の色を瞳に灯したまま、静かに茶を飲んでいる。
(この状況も雨森の想定内……じゃぁ、ねぇだろうな。さすがに)
探したが、雨森の姿はついぞ見つけられなかった。
なら、あの男も起きている――あるいは、じきに起きるだろうと倉敷は考える。自分が耐えられているのだから、雨森悠人だって必ず目を醒ます。あの男のことは一切信用していないが、あの男の強さだけは信頼している。
そして今、この状況。
そんな雨森悠人をして『想定外』と思われる今、こんな場所でのんびりと茶を飲んでいる暇などあろうはずもない。
「お、王聖先輩! そんな事してる場合じゃ――」
「大前提――私は他の意見に流されるほど軟じゃない。それに安心したまえ、あの害虫から雨森悠人の排除を命じられている以上、私は今、八雲から『自らの駒』と思われている状態だ。であれば、今私たちが狙われることはない。……危険が無い上に、こいつらはただ眠っているだけ。であれば、ティータイムくらいの余裕はあるだろう、倉敷蛍」
全く話が通じない。
最後まで話すことすら許されない。
自らの意志は歪めない――という前提のもと、ありとあらゆる場所から理由を引っ張ってきて、あれよあれよと理論防壁が完成している。しかも、それがそれなりの強度であるから手に負えない。
確かに眠っているだけ。
王聖の告げたことが本当であれば、確かに危険はない。
――だけど、そうじゃないだろう。
今がどういう状況なのか、自分たちは何も知らない。
ただ眠っているだけなのか。
それとも、何らかの害がある眠りなのか。
そして本当に、自分たちは安全なのか。
100%、確実な保証なんて何もない。
であれば、ここで足踏みしていちゃダメだろう。
憶測に頼って最悪の可能性を見逃すなんて……絶対に嫌だ。
倉敷は考える。
どうすればこの男は、考えを改めるのか。
この男を動かすには、どうすればいいのか。
考えて、考えて。
必死に頭を悩ませて。
……出てきた名前は、かつて、夏休みに盗み聞きしたモノだった。
「――天守弥人」
「……………………」
ここに来て初めて、王聖克也の動きが止まる。
視線が、彼女を射据える。
その鋭さに、少し気圧されて。
それでも、倉敷蛍は引かなかった。
「……どこで聞いた、その名を」
「夏休み。最上生徒会長と雨森くんが話しているところを、少し」
あれは偶然だった。
早朝、誰も起きていないような時間帯。
ほんの気まぐれで散歩していた倉敷は、二人の対談を目撃していた。
詳しい話までは聞こえなかったし。
その名前が、何なのかは分からない。
けれど、雨森悠人と似た苗字を持ち。
その上、天守の名を冠する人物であり。
おそらく――最上や、王聖克也と同世代であろう人物。
ここから先は、ただの憶測。
雨森悠人と最上生徒会長が知り合いで。
雨森悠人と王聖克也が知り合いならば。
最上生徒会長が告げた『天守弥人』という名前。
それを、王聖克也も知っているんじゃないか。
ほんの、それしきの浅い考えで放った名前。
王聖克也の反応を前に、彼女は【当たり】を引いたのだと確信する。
この男を説得するのに、表も裏も関係ない。
王聖克也は、たとえ倉敷が本性を出そうとも興味すら抱かないだろう。
だから、表だ裏だと気にする必要は、ない。
関心を抱くきっかけがあればそれでいい。
少しでもこちらに気が向けば、会話の糸口さえ見つけてしまえば。
コミュニケーションの達人、倉敷蛍。
彼女の前に、解けない人間関係など存在しない。
「すいません、弥人と言う人物については何も知りませんが……王聖先輩。貴方が雨森くんを相応に買っているのはよく分かります。……そして、今、雨森くんはきっと困ってるはずなんです」
「ほう、あの男が」
最初っから『雨森悠人』という最大のジョーカーカードを切る倉敷。
あの男が困っているかは、正直知らない。興味もない。
けれど、王聖の興味を引き付けられるのであれば嘘も喜んで吐き並べよう。
そして、ほんのヒトカケラ。
絶対に無視の出来ない、真実を混ぜ込む。
「――あの雨森悠人に貸しが作れますよ」
ぴくりと、彼の肩が跳ねる。
「雨森悠人です。純粋な強さにおいて、橘月姫をも超えるかもしれない怪物。そんな雨森くんを、無条件でたった一度だけ、好きに動かすことのできる強制権。それが『貸し』です」
「友人、ではなかったのか?」
友を売るのか、と王聖は少女を見据える。
その視線を真正面から受け止めて。
もはや、表も裏も偽る必要が無いとばかりに、少女は笑う。
「もしかして、友人も売り飛ばせないような甘ちゃんに見えました?」
倉敷蛍は、間違いなく悪性寄りの人物である。
それは今の雨森悠人と半年以上にもわたって並び歩いた時点で、明白。
どれだけ『上には上がいる』としても、悪性には変わりない。
そんな小悪魔からの、甘い提案。
王聖克也はしばし悩むそぶりを見せて。
――結局、再びティーポットを手に取った。
「……っ」
「興味深い話だ。だが、足りんな倉敷。お前にも貸し一つだ」
言いながら、再び紅茶を注ぐ王聖。
その姿に呆然としていると――どこからか、耳障りな声が響いた。
『ケヒヒヒヒヒ! 嬢ちゃん、随分トまぁ勘違い拗らせたモンだなァ!』
「……っ、こ、この声は……?」
その声に、王聖の顔が歪む。
そしてその陰から、にゅるりと黒い人形が浮かび上がった。
ピエロの面を被った異形。
今喋ったのはコレなのだと、倉敷は即座に理解する。
『ああ、説明すると長くなるからオレっちに関しては聞かないでくれよ? ただ、アンタは強烈な勘違いをしてるっテ説明してやりたくてなァ!』
「執行官」
責めるような王聖を無視し、執行官と呼ばれた異形は口を開く。
『ダージリン。王聖克也がガチで勝つつもりの時に飲む紅茶だぜ』
「だ、だーじ……」
紅茶の種類なんて、倉敷には分からない。
だが、それは自分でも聞き覚えのある『高級茶葉』。
王聖克也はため息一つ、ティーカップの紅茶を一気に飲み干す。
『王聖克也が勝負飯喰ってんだ。言われんでも最初っからやる気全開ヨォ!』
王聖の瞳に、強い炎が灯る。
その色は【憎悪】、そして【決意】だろうか。
決して尽きることのない、轟々と燃え盛る焔。
先ほどとは比べ物にならない【圧】に、倉敷は喉を鳴らす。
「最優先は【雨森悠人を死なせないこと】、次点で【それ以外の犠牲をなくすこと】、そして【八雲選人を殺すこと】。……本来であれば、雨森に同行してやりたいところだが……あの老獪に言われては従う他あるまい」
ダージリンの香りを纏い、男は立ち上がる。
「倉敷。お前への貸しは『雨森悠人を生徒会に入れる手伝い』で清算してもらう。だが、そこら辺の話は今は止そう。時間が無いのだろう?」
「は、はい…………はい!? せ、生徒会……あの雨森くんを!?」
聞き流す直前で、それが無理難題だと気づいた倉敷。
愕然と目を見開き固まるが、動き始めれば王聖克也の行動は速い。
「執行官。時に問題だ、私はどう動くと思う?」
『勘。だろォ? 運に任せてぶらり歩けば、知らん間に目的地だトモ』
大正解にニヤリと笑い、豪運の男は動き出す。
どうすればいいか――分からない。
目的地――分からない。
術者の詳細――分からない。
敵の人数――分からない。
敵の実力――分からない。
何も分からず、何も知らず。
それでも、その男はただの直感で、全ての正解を引き当てる。
その理由なら、たった一言で説明がつく。
――だって男は【王聖克也だから】。
当たり前に、男は勝利する。
敗北することなど決してなく。
なんの努力も才能もなく。
彼であるから。
たった一つの無根拠だけで、男は勝利する。
「もう二度と、私の手の届かん場所で死なせるものか」
呟き、男は歩き出す。
もう二度と、蚊帳の外になど出てやるものか、と心に決めて。
男はかつて、友を失った。
生まれて最初で最後の、後悔だった。
何故、自分はその場にいなかったのか。
どうして、あの男は自分を頼ってくれなかったのか。
なんで、自分には正義の味方を助けられる力が無いのか。
その人生における、最初で最後の挫折だ。
それはもう悩んで悩んで、血反吐を吐くほど悩みぬいて。
それでも、失った者は戻らない。
彼に出来るのは、今もまだ生きている男を守ることだけだった。
「死ぬなよ、雨森悠人。お前にはまだ、生きて為すべきことがある」
次回【倉敷蛍が失ったヒト】




