10-44『雨森悠人』
――そして、壊れた怪物は目を醒ます。
星が砕かれる。
凄まじい衝撃に、僕と恋は吹き飛ばされそうになる。
けれど、彼女が衝撃すらも切り裂いて。
僕らは、前に進むことができたんだ。
「……っ!? あ、兄上……っ!!」
その場所にたどり着いて。
僕たちが目にしたのは、倒れた二人の姿だった。
天守優人は、その体に大きな風穴を開け。
志善悠人は、頭を貫かれて倒れている。
その光景に、喉の奥から悲鳴が漏れそうになる。
恋が、二人へと駆けていく。
僕はなんとか体中に力を込めて、その後を追った。
「あ、ああぁ、あ、ああああああ、あああああああああああっ!」
恋の絶望が聞こえる。
彼女は二人の体を、一生懸命だきしめて。
何をして良いかも分からないのに。
必死に、全身で二人の傷跡をふさいでいた。
「あ、あに、あにっ、う、え……っ! だ、ダメであります……死んだら! だっ……ち、血が……! ど、どうして、どうしてどうして、どうして……っ!」
それでも流血は止まらない。
特に……優人の方はもう、死後それなりに経っているのだろう。
流血の速度はどんどん遅くなり、その体は冷たく変わり果てていく。
僕は二人の前に膝をつくと、大きく息を吐いて二人に言った。
「……本当に。随分と大げさな兄弟げんかだよ」
顔を上げれば、苦笑しか出てこない。
僕の視線の先。
地平線の彼方まで緑が広がっていたはずの地には。
見通せぬほど、大きな風穴が開いていた。
……きっと、大勢死んだだろう。
そう考えると、胸が苦しくなる。
少なくとも、今の僕では彼らを助けることはできない。
善は不幸を事前に防ぐ力であって。
一度起きた不幸を覆せるような、万能性はない。
天能臨界なら、あるいは――とも思うけれど。
今の僕には、天能臨界すら使えない。
使おうとすれば、展開することも出来ずに死ぬだろう。
……でも。
「……何人かは、救える……かな」
ふと呟いて、背後を見る。
おそらくは優人の天能臨界。
これが直撃した人たちは、もう絶対に助からない。
けれど、この余波を受けただけの人たちなら。
……今の僕でも、助けられるんじゃないか。
そう考えたときには、もう体が動いていた。
正義の味方。
多くを守る善の象徴。
どうせ、一度拾った命だ。
捨てたら恋には怒られそうだし。
父上、母上も悲しむだろうけれど。
誰かを守るためなら、惜しいとは思わないよ。
そして僕は、迷いなく歩き出す。
そうさ、僕が救うべき相手は――。
☆☆☆
少年は、夢を見ていた。
死んだ後、遺した臨界を発動し。
彼がその手で、多くの人を虐殺する夢。
(……いいや、夢じゃないんだろうな)
しかし、少年はそう結論付けた。
あれは夢じゃない。
きっと自分は、大勢を殺した。
自分が止めねば、志善悠人が殺すから。
彼を止めるには、全力の臨界を使うしかなかったから。
彼を守るため、彼の代わりに――多くの人間を殺害した。
「……それは言い訳だな」
考えていて、自分でそう思った。
そんな理由なんて重要じゃない。
被害者が犯人の動機なんて気にしないように。
今大切なのは――殺した、という事実だけ。
気が付けば、周囲は闇に包まれている。
背後から、強烈な意志を感じた。
振り返ってはいけない。
その意思を気にしてはいけない。
そう、直感した。
それに向き合えば、きっと自分は壊れるだろう。
天守優人なんて言う人物は壊れ果て。
大量の激情によって、跡形も残らなくなる。
そう知っていて。
それでも少年は――天守優人は振り返った。
人類60億から向けられる悪感情に向き合った。
★★★
『死ねよ』
『なんでこんなこと』
『ふざけるな!』
『お前なんていなければ……!』
『私、明日結婚する予定だったの』
『妻を返せ! この犯罪者が!』
『なに笑ってんだよ、さっさと死ねよ!』
『死ーね! 死ーね!』
『ねぇ歴史上最低最悪の犯罪者さん、いまどんな気持ち?』
『俺らを殺して楽しかった?』
『最悪だよお前、さっさと地獄に堕ちればいいのに』
『地獄にすら居場所ねぇだろ』
『誰もお前の味方なんざ居ねぇよクソ野郎』
膨大な負の感情。
数えるのも憚られる、一塊の罵声。
被害者が加害者へ向ける正当な暴言。
「……っ」
余裕なんて、一瞬で消え失せた。
覚悟なんて、あっという間に掻き消えた。
顔が苦痛に歪み、少年の様子に『僕ら』は歓喜した。
笑う、嗤う。
子供も大人も一緒になって、『僕ら』は唄う。
ざまぁみろ。
まだ足りないよ、絶望が足りないよ。
お前はあれだけ『僕ら』を殺したんだ。
お前はもっと苦しむべきだ、絶望するべきだ。
僕らが味わったのと同じだけ、傷つくべきだ。
もっと苦しめと、『僕ら』は合唱する。
『ざまぁみやがれ!』
『自分が何したか分かってる?』
『世間知らずのガキに殺された俺らの身になってみろよ!』
『私たちの気持ち、考えたことも無いんでしょ!』
『どうして……どうしてよッ』
『なんで僕を殺したの?』
『ごめんねお母さん……わたしが先に死んじゃったよ……』
『幸せだったのに……』
『殺す、殺してやる……!』
『なに今更苦しがってんだよ犯罪者!』
『テメェが殺したんだろ!』
『お前が悪い、お前が悪い!』
『殺しといて後悔してるワケ?』
『なにそれ。私たち、なんで殺されたの?』
『弟を守るためだってさ』
『は? そんなん勝手にやってろよ』
『なんで俺らまで殺すんだよ、犯罪者が!』
『家族を殺す時点で意味わかんねーし』
『どういう頭してんだよ、このクソ野郎!』
天守優人をかばう声なんて一つもない。
一つも聞こえない。
あるわけがない。
だって『僕ら』は被害者で、彼こそが加害者なんだ。
正義の味方が居たのなら、きっと彼もこちら側につく。
誰だって認めるだろう、悪いのはあの男だって。
殺人鬼に向ける同情など無い。
彼に贈るのは、ひたすらの憎悪だけ。
お前が死ねばよかったんだよ、と。
弁明する余地もなく。
ただ、被害者として憎悪を垂れ流し続ける。
ふと、少年の服が引っ張られる。
その先には、血だらけの子供が立っていた。
『ねぇ、お母さんは……どこにいったの?』
「……ぅ、っ」
心が壊れても尚。
現実は非情に、少年を責め立てる。
「そ、れは……っ」
『……おまえが、殺したの?』
「……っ、ぁ……っ」
自分よりも幼い子供が、血の涙を流す。
その光景に、『僕ら』の怒りは更に加速する。
『そんな子供まで殺したのか……ッ!』
『その子の気持ちになってみなさいよ!』
『最低、最悪……気持ち悪ぃよお前……』
『どういう神経してんだよ』
『他の犯罪者でもずっとマシだろうぜ』
『人の心なんて無いんだろ、だってこんなに殺したんだぜ?』
『みんなの今をぶっ壊し、幸せを叩き壊して……』
『そんなに私たちを苦しめて、何がしたいわけ?』
『人でなし』
『呪ってやるよ……テメェも、テメェが大切に思ってた奴らも!』
『家族を失えば、少しは私たちの気持ちもわかるでしょ!』
「な……っ」
それらを聞いて、奴は咄嗟に声を上げる。
遺された家族――天守恋。
彼女を呪うと告げる死者。
少年は顔を上げるが、至近距離から『僕ら』が囁く。
『あれだけ他人の大切なモノ壊して……自分だけ別、だなんて都合よすぎるだろ』
「……っ」
少年の顔が、苦痛と絶望で醜く歪む。
その表情に、誰もが歓喜した。
愉悦に肩を震わせ、大声で笑った。
『あは』
『ははは』
『あははは』
『はっ、ははは』
『あははははははは』
『あははははははははははははははっはは』
『ははははははははははははははははははははははははは!』
傑作だ!
ざまあみろ、ざまあみろ!
腹がねじ切れるほど『僕ら』は笑った。
死した者が生者に干渉することはできない。
だから呪うことはできても、壊すことはできない。
それを、天守優人は知るすべはなく。
心の底から後悔と絶望を滲ませる少年を、死者は爆笑で出迎える。
そんな顔を見せるなら、もっともっと、ずっとずっと。
さらなる暴言を、さらなる恨みを、さらなる憎悪を。
叩きつけないと。
叩き壊さないと。
『僕ら』はもう、満足なんてできやしない。
お前の不幸だけが、『僕ら』にとっての慰めだ。
まるでお前の絶望は蜜の味がするようで。
どうすればお前は苦しむのだろう?
どうすればお前を絶望させられるのだろう?
そんな事ばかりが頭を占めた。
もっと苦しめ、もっと喘げ。
お前の絶望をもっと見せてくれ。
じゃないと釣り合わないだろ。
『僕ら』に絶望を贈ったお前が。
もっと苦しまないとおかしいだろう。
『やっと努力が報われたんだ! 明日、明日になれば……』
『明日は子供の誕生日だったんだ。……なのに、それをお前が殺したんだ』
『私の子を返して! あの子はまだ生まれたばっかりなのよ!』
『苦しめよ、俺たちを苦しめた分だけお前も苦しめよ!』
『許されるわけねぇだろ』
『覚悟しとけば耐えられるとでも思った?』
『人をこんなに殺しておいて、自分だけ助かると思った?』
『現実見ろよ、犯罪者』
『お前はもう逃がさねぇよ』
『お前が死ぬまで……死んでも、地獄までついていって恨み続けてやる』
死者だけでなく。
家族を殺された生者までもが声を上げる。
多くが死んだ。
数え切れないくらい。
……結果として、少年は多くを殺した。
弟を救うため。
そう願い動いた少年。
果たして彼は悪だったろうか。
悪である。
誰もが指さしそう告げる。
誰もが指さしそう認める。
死者が呪う。
生者が恨む。
『まだ生きていたかった』
『もっと一緒にいたかった』
『死にたくなんてなかった』
『死んでほしくなんてなかった』
『お前のせいだ』
『お前のせいだ』
『志善悠人なんて見捨てれば』
『助けようとしなければ』
『最初っから殺していれば』
『お前が間違わなければ』
『余計な優しさなんて抱かなければ』
『犯罪者のくせに』
『さっさと弟を殺していれば』
『躊躇わなければ』
『僕らは』
『私たちは』
『まだ、死ななくてよかったのに』
ーーお前さえ居なければ。
死者が合唱する。
『僕ら』が睨み据える先で、少年が立ち尽くす。
気づけば、彼の手は血に濡れていた。
多くを殺した。
弟を救おうと動き、代わりに大勢を殺した。
『お前が死ねばよかったのに』
『お前なんて、生まれて来なければよかったのに』
★★★
「あ……、あ、ぁ……あ、ああああ……っ」
殺した。
殺した。
多くを殺した。
たった一つの弾丸で、多くを殺した。
けれど、弾の数なんて問題では無い。
大切なのは、殺した数だ。
それだけは、どう足掻いても変わらない。
「あ、あぁ、あぁあああああ、ぁ……ッ」
ありえない光景が頭に浮かぶ。
幸せに笑う赤の他人へと、鉛弾を打ち込む。
眉間に穴が開き、血と脳漿が溢れ出す。
幸せだった笑顔は消えて。
被害者は彼に対して「どうして」と問う。
何度も、何度もその繰り返し。
殺して、殺して。
数えるのも億劫になるほど殺し尽くして。
最後に残ったのは、人とは思えぬ鬼の姿。
なんの躊躇いもなく人を殺して。
弟を守ったーーだなんて見当外れな悦に入る怪物。
『あぁ、お前はそんなことはしていない』
死者は嗤い、『けれど』と告げる。
『お前がやったのは、そういうことだろ』
ーー醜悪、極まりない大罪だ。
天守優人は歯を食いしばる。
自分の行ったこと。
その結果。
全てを理解し、正当性など燃え尽きた。
殺した数だけ、彼らの憎悪を叩きつけられた。
一人一人殺す映像を垣間見た。
消えることは無い。
それらの記憶が薄れることは無い。
そして今一度。
自分こそが悪なのだと、思い知る。
どれだけの想いを背負おうと。
どれだけの覚悟で臨もうと。
器ではなかった。
少年は、特別ではなかった。
――少年は最初から、正義の味方ではなかったのだ。
「あああああああああああああああおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
どこまで大人びて見えようと。
どれだけ精神的な成長が早くとも。
天守優人は――どこにでもいる小学生だった。
齢一桁の少年が背負うには、それらの憎悪は重すぎた。
心なんて、あっという間にへし折れて。
再起不能な程に壊れ果て。
何も出来ず、現実逃避は『彼ら』が許さず。
真正面から受けた人類の憎悪は、いとも簡単に少年を叩き壊した。
否定、拒絶。
延々続くそれらの繰り返し。
彼の存在すら否定する、それら激情。
「……ごめん、なさい」
意志も、意地も。
いつの間にか消えていた。
天守優人を形成していた自我は消え。
自信も何もかも消失し。
最後に残ったのは、自分に対する後悔。
自分なんていなければ良かった。
生まれてくるべきではなかったのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
生まれてきたことが間違っていた。
自分さえ居なければ。
きっと、また違う未来があったのだ。
それは、自分だけが居ない未来。
間違いのなかった仮定の未来。
大切な人たちが、幸せに暮らす未来を頭に浮かべて。
少年は、涙を流す。
『優人……っ!』
どこからか、聞き覚えのある声がした。
声の方向を見る。
無数の憎悪。
多量の激情の中。
たった一つ、鈍く輝く死者が見えた。
『優人! ぼ、僕が悪いんだ! 僕が全部悪いんだよ、優人!』
少年の弟だった死者は、必死に手を伸ばす。
しかし、天守優人の瞳に力はない。
彼はもう、弟の名前を覚えてはいなかった。
無理やり引出し続けた天能。
その代価として彼が支払ったのは、魂の一部。
記憶や感情、その他多くの人間性を支払った。
その中には……弟と過ごした日常の多くが含まれていた。
天守優人は、手を伸ばす弟を見て苦笑する。
もう、生きる意味なんて見いだせない。
自分は死ぬべきだと、心の底から思った上で。
天守優人だった少年は、弱音を吐いた。
「……お前だったら、失敗しなかったのかな」
『……っ!?』
彼とは思えない言葉に、弟は驚きを隠せない。
「僕は……もう、駄目だ。生きられない、これ以上生きていけない。……もう、生きてちゃいけないんだよ……。僕は、ここで死ぬ。その代わり、お前が生きろ」
『な、なに言ってるんだよ、優人!』
手を伸ばす。
けれど少年には届かない。
今も少年は多くの憎悪を受け止めながら。
……いいや、受け止められずに壊され続ける。
その光景に涙を流し。
弟は――志善悠人は必死に声を上げる。
手を伸ばす。
けれど、少年が手を握り返してくれることはない。
「僕がお前を止めていなければ。僕が素直に死んでいれば。抵抗なんてしなければ。優しくなんてなければ。……天守優人では無ければ。きっとうまくいったんだろう。彼らは一度死んだにしても、きっと、お前なら『続き』を用意できたはずなんだから」
声が遠のいていく。
必死に足掻いても、死者の群れに押し戻される。
そして最後に耳に届いたのは、天守優人だった少年の『後悔』だった。
「天守優人なんて、生まれてこなければよかったんだ」
『違う、違うよ、優人っ!』
声を上げる。
けれど、届くことはない。
自分は、天守優人に救われた。
君に救われた人は、自分だけじゃない。
君こそが生きるべき人間だ。
僕こそが不要な人間だった。
間違いない、僕が一番悪いんだ――と。
そう、少年は心の底から思っている。
なのに、現実は非情を突きつける。
今も、この先も、ずっと。
天守優人は憎悪を背負い続け、壊され続けるだろう。
そう考えると、後悔してもし足りない。
志善悠人の起こした行動が。
結果として、兄のすべてを破壊したのだから。
『僕なんて……必要、なかったんだよ……!』
自分さえいなければ。
自分さえ生まれてこなければ。
きっと、もっと違う未来があったはずなんだ。
天守優人なら、きっとうまくやれたはずなんだ。
だから、悪いのは自分なんだ。
『僕さえ、生まれてこなければ……っ』
もう、兄の声は聞こえない。
亡者の憎悪にかき消され。
生者の怨念に覆われて。
彼の姿は、もう見えない。
志善悠人は、それでも兄へと手を伸ばした。
もう、何もかも手遅れだとしても。
たとえ、大嫌いな神に祈ることになったとしても。
それでも、大好きな兄の『救済』を、心から願った。
『誰か……お願いだから、優人を助けてよ……っ!』
「――うん、任せておいてよ」
そして――最後の奇跡が訪れる。
☆☆☆
――どうして、僕なんかを助けたのか。
目を醒まして、最初に覚えたのがそんな疑問。
蘇生した僕を見て、恋が涙を浮かべて抱き着いてくる。
彼女の背中に手を回そうとして。
……そんな権利なんて、僕には無いと感じて。
僕は、伸ばしかけた手を引っ込める。
結論から言えば。
天守弥人は自身の天能を僕に譲渡した。
奇跡的な生還を果たし。
それでも天能臨界を使えぬほど消耗していた弥人。
彼は自身の天能に付与された【不死性】を渡すことで、僕の蘇生を実現した。
ただし、そんなことをすれば弥人はただでは済まない。
一時的な貸し出しではなく、完全な譲渡だ。
天能と魂に強い結びつきがあるのなら、それを譲渡した時点で弥人は廃人と化すだろう。
……おおよそ、翼の1枚を使って【天能を譲渡する天能】とか、そんなもんを作っての力技だろう。
無理をすればするほど、弥人は再起不能に死に果てる。
加えて彼が救おうと手を伸ばした相手は、二人。
それぞれを救うため、彼は自分の天能を二分割した。
追加で【天能を切り裂く天能】を生成し、魂を切り裂いた。
……その片方を僕に譲渡し、僕の蘇生に成功した。
そしてもう片方を、もう一つの死体に譲渡する――つもりだった。
偶然か、それとも必然か。
弥人がもう一つの死体へと天能を与えるより先に。
屋敷が崩れ、その死体は地球に空いた風穴へと落ちて行ったらしい。
そして、天守弥人は恋が止める間もなくその後を追った。
『……恋、お兄ちゃんのこと、支えてあげてね』
なんて、言葉を残して。
天守弥人ともう一つの死体は、穴の下へと消えていった。
……ああ、そうさ。
最後の最後に、彼は【兄】として、弟を守るために命を使った。
正義の味方を脱ぎ捨てて、ただ、一人の少年として僕を助けた。
弟を救うために正義の味方を諦めたのだ。
……なんで、僕なんかのために命を使ったんだ。
どうして、正義の味方を諦めたんだ。
どうしてあの少年を先に蘇生しなかったのか。
どうして僕が選ばれたのか。
どうして僕なんかが……生き残ってしまったのか。
考えるほどに手が震える。
死んでおくべきだった人間が生きていて。
生きるべきだった人間二人が、死んでいった。
あの二人の命を背負って生きていくと考えると、足が動かなくなった。
責任を果たせるほど、僕の心は強くなんてなくて。
だから僕は、そんな『自分』に蓋をした。
今までの自分に別れを告げて。
彼らの想いを引き継いで。
責任を、最後まで果たせるように、って。
嘘と言う名の【仮面】を用意した。
――やがて、橘一成が屋敷へと現着する。
彼の後方には多くの橘が揃っていて。
橘一成は、妹を抱える僕を見つけ、足を止めた。
その瞳に映るのは、大きな動揺。
彼は何かを言いかけて、それを飲み込んで。
そういったことを何度か繰り返し。
最後に、僕に対して一つの問いを投げかける。
「君は、誰なんだ?」
変わり果てた僕を見ての、その問いに。
自分の名前を言いかけて、すぐに口を閉ざす。
……その名前は、もう捨てる。
今まで通りの自分では、大切なモノは守れない。
もっと強く、もっと冷静に、もっと残酷に。
大切なモノの為に、不必要なものを切り捨てられる。
そういった男を『設定』し、堅固な仮面をかぶった。
……生憎と、前例には覚えがあった。
かつて、天守周旋がそうしたように。
僕も自分に嘘を被せて、本当の自分を抹消する。
ぽつりと、雨が降り始めた。
血も涙も、何もかも。
大粒の雨が洗い流す中。
僕は一緒に、過去の自分も流し捨てた。
「【雨森悠人】」
理由はない。
意味もない。
そういう名前を、あえて選んだ。
僕の人生に、なんの意味も無いように。
僕が生まれてきたことに、なんの価値も無いように。
僕の歩みに、なんの必要性も無いように。
僕は生きるべきではないのだと。
戒めになるよう、名前を付けた。
ただ、雨が降っていたから。
そんな、その場の気分でしかなかったんだ。
あの日から、僕は感情というモノがよく分からなくなった。
笑顔なんて、どう浮かべていたのか。
喜びなんて、どう感じていたのか。
どうすれば、あれ以上の悲しみを覚えるのか。
なにも、何も分からない。
自分がどうして生きているのか。
そんなことも分からないのに――ただ、強さを求めた。
二度と後悔しないように。
二度と、負けたりしないように。
血反吐を吐くほど努力して、積み上げて。
いつしか僕は、過去の弥人や周旋をも超えていた。
そうして、壊れた怪物は誕生したんだ。
過去に生きた少年は、もういない。
雨森悠人と天守恋は、橘家へと引き取られ、今に至る。
もう一つの死体は、ついぞ見つかることはなかったけれど。
その代わり、奇跡的に天守弥人の『死体』は発見された。
当然、弥人がまた生き返ることなんて奇跡はなくて。
――数日後。
その死体が、何者かによって盗み出されたと知らされた。
【進行度成果】
〇天守弥人 - 死亡
【嘘無し豆知識①】
〇天能【偽善】
天守弥人が、死した弟に授けた天能の片割れ。
善を二分割したため、性能はオリジナルから半減している。
不死性も少年の蘇生時に大半を使い切り、今ではわずかな回復能力しか持たない。
14から分かたれた7つの片翼は、かつての光を失い黒く染まり果てている。
また、オリジナルでは不可能だった【悪の行使】にも天能は使用可能。
ある者はこの力を呪いと称し。
ある者はこの力を背負うべきものと断じた。
されど、かつて少年の命を救うために授けられた権能は。
今は、少年の命を削りながら存在している。
【嘘無し豆知識②】
〇壊れた怪物、雨森悠人
雨森悠人は既に壊れている。
彼が志善悠人にしろ、天守優人にしろ。
彼は過去に、魂、記憶、感情、それらを使って力を振るった。
その結果として彼は『表情』を失い。
そして、生きる意味を見失った。
瞼を閉ざせば、『少年』に向けられた60億の憎悪が焼き付いていて。
本来の天能を使おうとすれば、体が拒絶反応を起こすようになった。
彼は【星/銃】を使おうとするたび、全身が震えて吐き気に頽れる。
その手に遺ったのは、兄から託された善の片割れ。
オリジナルには遠く及ばぬ、未完成な完成品。
「……見本なら、たくさん知っている」
かつて脳内に溢れた星の記憶を頼りにして、彼は七つの翼を顕現させる。
――その力に頼ることが、自身の死に直結すると知っていながら。
☆☆☆
次回【八雲選人】
過去編、ついに完結。
面白ければ、下の☆欄から高評価よろしくお願いします。
作者が喜びます。




