10-34『正義の味方③』
考えてもいなかった。
今の、君にとっての最後の敵が、僕になるなんて。
誰に操られるわけでもない。
誰に命令されるでもない。
純粋に自分の意志で――君の敵に回ること。
かつての僕に聞かせても、鼻で笑われるかもしれないね。
どうして世界は、こんなにも残酷なのか。
空を見上げて、ふと思う。
どうして?
どうして……?
なんで、彼らを傷つけるの?
僕は、いいんだよ。
僕が殺されるならよかったんだ。
彼らの代わりに。
弥人の代わりに。
僕が死ねたのなら、それでよかった。
でも、世界はそんな我が儘すら聞いてはくれない。
お前は弱いから。
誰かを守れる強さなんてないから。
自業自得でしょ。
弱いお前が悪いんでしょ。って。
弱者にすべての責任を押し付けて。
世界は自己肯定に浸り逃げる。
――許せない。
ふと湧いた僕の本音。
今までの幸せを全てぶち壊し。
大切な思い出も全て塗り潰し。
その上で、深く、心の底から――憎悪が零れた。
ふざけるな、ふざけるな。
弱者の責任だと?
弱い奴の自業自得だって?
酷いよ。
酷すぎるだろ。
弱者が強くなる暇も与えず。
いとも簡単に『乗り越えられない試練』を与えて。
乗り越えられなければ、自業自得で済ますとか。
ふざけんなって。
神は乗り越えられる試練しか与えない、って?
そりゃ、乗り越えられた強者のセリフだろ。
乗り越えられなかったら努力不足?
勝手に試練を与えておいて、出来なかったらお前のせいだ、って?
馬鹿にしてんのか。
反吐が出そうになる。
この世界は決して、弱者に寄り添ってはくれない。
返せよ。
試練なんていらねぇんだよ。
奪ったもの、全部返せよ。
世界の干渉なんて要らないんだって。
彼らは、ただ、この場所で生きていられたらそれで幸せだったんだ。
そうだ、それだけでよかったんだ。
なのに、なんで。
どうして――そんな、些細な幸せすらも認めてくれない。
僕の大切な人から……家族まで奪おうとするんだ。
「…………認め、ない」
世界が僕らの幸せを認めないというのなら。
僕も、この世界を認めない。
強者生存。
弱者衰退。
そんなふざけたことを続けるならば。
僕は、こんな世界なんて要らない。
世界が彼らを弱者とするなら。
弱者尊重こそ、僕の思い描く正義だ。
この世界の在り方こそ、悪だ。
たとえ、誰からも賛同を得られなくても。
この気持ちにだけは――もう、嘘はつきたくない。
誰もが胸を張って生きられる世界。
彼らが幸せに生きていける未来。
それこそが、僕の描く夢物語。
その夢の為に――その、正義のために。
正義の味方に殉ずる覚悟は、とっくにできている。
もしも、世界を書き換えられる力があったなら。
ふと、そんなことを思った。
もしも仮に、万が一に。
そんな力を、手にしたのなら。
僕はきっと、何の迷いもなく。
正義の味方として――こんな世界、ぶっ壊すと思うんだ。
☆☆☆
「あれっ、どうしたの、海老原さん」
その男――海老原選人。
彼が庭に出たとき、見たものは二つ。
血の池に沈み動かない天守弥人――の死体と。
その死体をじっと見つめたまま、振り返ることなく声をかけてきた実験体。
(……気配、なんざ無かったと思うが)
海老原選人。
今の彼は、戦闘能力が皆無と言っていい。
天守の細胞を取り込んだだけ。
多少なりとも身体能力は強化されていても、程度は知れる。
天能を扱う彼らからすれば、海老原は赤子も同然だった。
――それでも、得手不得手はあった。
海老原で言うところの、気配や本性の誤魔化し方。
男の隠密能力や猫のかぶり方は、魑魅魍魎の住まう天守にすら通用するものがあった。
隠密能力は天守周旋の知覚をも搔い潜り。
仮面の下に隠した本性は、セバスでさえも見抜けなかった。
……にも、関わらず。
完全に気配を絶った海老原を、その少年は一瞥もせずに認識した。
(……自然の加護。空気の流れでも読まれたか?)
少年の力であれば、それが出来る。
周辺の空気の流れを読むことなんて実に容易い。
人が動いていれば、その気配を察することも出来るだろう。
海老原は嫌な予感をそう言い包めて飲み込むと、隠密するのをやめた。
「志善君……! よ、よかったぁ……まだ君は無事だったんですね!」
隠密をやめて、猫をかぶった。
設定としては、何も知らない被害者の研究員、海老原。
気づかぬうちに実験場が壊されていた。
きっと、八雲所長の暴走だろう。
ここに来るまで、子供たちの死体を見てきた。
他の人が心配で館内を走り回っていた――とか。
そんな感じのバックストーリーを脳内に描く。
現に、走ってきたように息は弾ませ。
汗を袖で拭いながら、ぎょっとした表情を見せる。
「た、倒れているのは弥人君かい……? た、大変だ! 早く病院に連れてかないと!」
そう焦ったふりをして、動かなくなった死体に駆け寄る。
邪魔はなかった。
志善悠人は微動だにしなかった。
その姿を横目で見て、内心で笑う。
(こいつは素直だ、この非常事態……頭が回ってねぇなら騙し通せる!)
志善悠人は頭が悪い。
本人の申告通りだ。
他が特別製なのに対し、この少年だけは一般仕様。
この少年はどこまで行っても、大人ぶってるだけの小学生だ。
兄の死体を目の前に、正常でいられるはずがない。
海老原は血だまりの中に膝をつき、その体へと手を当てる。
冷たい。
これで確定だ。もう天守弥人は死んでいる。
間違いない、今までにいくつも死体を弄ってきたからわかる。
これは偽りではなく、本当に死んでいるヤツの感触だ。
「ほ、他に生存者がいないか見てきてくれないか! 彼のことは私が――」
ニヤリと内心笑みを深めて。
それでも仮面は崩さず、焦った風貌で振り返る。
―――目が、合った。
ぞっとするような、冷たい双眸。
人とは思えない、濁ったガラス玉のような青い瞳。
それが、黙って海老原の行動を監視していた。
「……っ!?」
恐怖。
最初に覚えたのはソレだった。
自信に溢れ返っていた脳内を、恐怖一色で塗りつぶされる。
全身に震えが伝播する。
その瞬間――彼は、在りもしない幻を垣間見た。
自分は、虫かごの中に入っている。
少年は、黙って自分を見下ろしていた。
虫かごを手に。
虫けらを見るような目で。
見られている。
ではなく。
視られている。
そこに、人間として『同種』に向ける感情はない。
得体の知れない昆虫を観察するような目で。
じっと。
身じろぎもせず。
『こいつはなにをすれば死ぬのかな』って。
蟻の巣に水を流す子供のように。
トンボに自分の尾を噛ませる子供のように。
バッタを頭から水に沈める子供のように。
されど、無邪気とは正反対の瞳のままで。
憎悪なんてこれっぽっちもない、殺意を垂れ流す。
気づけば、海老原は逃げだしていた。
(ふ、ふざ……ふざけるなッ、ふざけるな……ッ! なんだよこいつ!?)
かぶっていた猫は破り捨て。
外聞もへったくれもなく。
だらだらと汗を流し、よだれを撒き散らして逃げ出した。
死ぬ。
殺される。
ダメだ、これ以上関わるのは。
この男はもう――
(もう、人間として壊れてやがる……っ!)
理由は分からない。
研究者としてはあるまじき、直感、というやつだ。
この男は、ヤバいと思った。
これ以上近くに居たくない、そう思った。
事実、その判断は、極めて適切だった。
それでもただ一つ、海老原選人のミスを挙げるのならば。
「【天能臨界】」
逃げ出すのが、あまりに遅すぎた。
指一本を突き出して、少年が唱える。
その瞬間、海老原選人は絶命した。
死因は、圧死。
海老原の体のすぐ隣。
そこに生み出されたのは――極々小径のブラックホール。
すべてを吸い込む、虚ろな穴。
気づいた時には既に手遅れ。
庭にあったほとんどのモノを引き寄せて。
地盤を剥がし。
大気を巻き込み。
海老原の体ごと、たった数ミリ球に圧し潰す。
確実に殺した。
――殺した、はずだった。
「……あーあ、やっぱり優人の言う通りか。死なないじゃん」
その少年は、振り返り言う。
目と鼻の先には、先ほど死んだはずの海老原の姿。
彼は膝をつき、呆然と目の前の光景を見つめている。
その顔に、笑顔は張り付いていない。
今、目の前で殺された――という自覚があった。
自分の体が潰れる感覚があった。
覚えている。
死の感触を覚えている。
にもかかわらず、生かされている。
恐怖と不安と困惑と。
多くの感情に圧し潰されそうになる海老原。
彼の隣で、少年は空を見上げた。
「【奇跡開帳】。終わりの概念を否定する結界、かぁ」
驚き、海老原は空を見上げる。
天守弥人の天能臨界。
それは、死後であるにも関わらず、今も屋敷を包み込んでいた。
「いやいや、……ちょっと、度、超えすぎでしょ。死んでもまだ人助け……それも、こーんな屑を助けるだなんて。うん、やっぱり僕には理解できないよ。君は……君たちは、やっぱり僕とは違うんだね」
分かり切っていたように、少年は笑う。
風が吹く。
白かった髪が、黒く染まった。
実験で傷ついた体が再生する。
この家に来て変わったモノが。
この家に来る前に、逆行する。
「じ、時間の遡行……!? な、なにが……ど、どういうことだ!? テメェの能力は、ただ、環境を操るだけの――」
「うるせぇなぁ。お前、黙ってろよ」
吐かれる言葉は、以前とは一変している。
そして変わったのは風貌や言動だけではない。
その力の本質もまた――大いに変質していた。
「【進星転】」
片手をかざす。
それだけで、変化は起きた。
指定先は、海老原選人の肉体。
変化は唐突で、あり得ない違和感が全身を襲う。
体が鉛のように重くなる。
息をするのが辛くなった。
まるで、背中に強烈な重しを乗せられたように。
体中に眼に見えない鎖が絡みついているように。
無視してはいけない類の『なにか』が起きていた。
「な、なに……を、なにをした、志善悠人!?」
それは、自分の発した声……だったはず。
にもかかわらず、聞こえた声は聞き覚えのない『老人』のものだった。
驚き、目を見開く。
自分の両手を目の前に広げる。
普段から見慣れているはずの自分の両手は。
信じられるはずもないほどに、しわくちゃに老いていた。
「な、なに、なに……が、ど、どうして……っ」
「簡単な話だろ、自然に戻すのを逆行させた。まあ、テキトーに設定したけど、たぶん、半世紀くらいお前の時間は進んでるはずだ」
半世紀――つまりは、50年。
海老原は20代半ばの年齢だった。
ならば、今の肉体は……70代半ば、とでもいうつもりか。
「ふ、ふざけるな……ッ! 戻せ! 俺の体を元に――」
老いた海老原は激昂する。
しかし、唾を飛ばす勢いで叫ぶも――その目を見た瞬間に消火する。
「戻さない。僕が死んでも進んだ時はそのままだ。……殺されないだけ、良かっただろ? お前が貶した弥人の温情だ。泣いて震えて嚙みしめて老い死ね」
少年は、至近距離で海老原の目を覗き込む。
どこまでも濁り切った瞳。
その奥には、先も見えない絶望が揺蕩っていた。
「……っ、こ、この……っ」
「うーん。思ったよりつまらないな、お前の絶望。あれだけ散々多くのモノを傷つけて、殺して。いろんな絶望をばら撒いて……さぞかし、他人の絶望ってのは面白いんだと思っていたけど、やっぱだめだわ。お前とは感性が合わないみたいだ。……それに、さぁ」
ふっと、その少年は海老原から身を離す。
鼻をつまみ、その顔は顰められていた。
「加齢臭、酷いぜ爺さん。ちゃんと風呂入ってんのかよ?」
「こ、の……っ、クソガキがぁあああああああああ!!」
海老原は、四肢に力を込めて立ち上がる。
必死に歯を食いしばり。
憎悪を瞳に宿し、目の前の子供を睨み据える。
「オイオイ、小学生の戯言だぜ? ガキ相手にマジになるなよ」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ! お前は確実に消すッ! 殺すッ!!」
上空から、何かが庭へと落ちてくる。
凄まじい衝撃と、砂埃。
「けほ、けほっ」と、少年は目を細める。
「マジになるなって言ってんじゃん。いきなり切り札投入かよ」
砂埃が止む。
そこに立っていたのは――黒い服を着た一人の男。
全身から死臭を撒き散らし。
冒涜の限りを尽くされた、天守当主の亡霊。
「は、はは、ははっはあはははははは! 勝てるか、テメェが、こいつに!」
――天守周旋。
生前の性能はそのままに。
痛覚のない殺戮兵器へと変貌した男。
海老原は、楽しそうに笑っている。
その姿を一瞥し、少年はかつての父親へと視線を向ける。
「能力で知ってはいたけど……そうか。……ますます、この世界が嫌いになった。切ろうと思ってた未練、今なら切れそうな気がするよ」
少年は、両手を広げる。
まるで、世界を感じるように。
この星の脈動に、身をゆだねるように。
自然体の、ありのままで。
ゆったりと、天守周旋へと体を向ける。
「天能臨界を前提とした力」
その言葉を聞くのと、ほぼ同時に。
ぴくりと、海老原が反応する。
「弥人から言われたときは『なんのこっちゃ』と思ってたけど……使ってみて色々と理解したよ。僕の臨界は父上とも、弥人とも……なるほどね。優人とも異なるみたいだ」
その言葉に感じた、強烈な違和感。
それの正体を、海老原は思わず口に出していた。
「……テメェ、どうして――天守優人の天能臨界を知っている?」
海老原は、操っている死体と視界を共有できる。
故に、誰より先に知ることができた。
つい、数秒前。
セバスが天守優人に敗北した。
脳天を打ち抜かれて、一撃で戦闘不能に。
既に支配力は霧散して、セバスの体から海老原の能力は消えている。
それでも、最後にセバスが見た光景。
天守優人の手の中にあった、見たこともない銃。
アレだけは、しっかりと頭に刻み込んでいた。
「数秒前だ! セバスと俺しか認知できなかったはずだ……俺たち以外は知らないはずだ! そもそも、テメェが知っているのなら! アレが事前に確立された技術だったのなら! 天守優人はあんな土壇場になるずっと前から使っていた……そうに決まってるッ!」
「そうだな。優人は、あの土壇場で臨界を初めて使った。……まあ、中途半端だったけど、初めて扱った臨界なんだし、逆にあれだけ出来ていただけすごいと思うよ」
海老原は、喉を鳴らす。
それを何故お前が知っている。
ふと、先ほど聞いた『能力で知っていた』という単語を思い出す。
研究者として、海老原は頭を回す。
天能が……なんらかの外的要因で、変質した?
そんな事例は初めてだが、仮に、そうだとして。
どういった変質だ。
この男には、今、何ができて何ができない。
知覚能力の特化?
なら、先ほどのブラックホールはどう説明する。
この老いや、少年の時間遡行にはどう理由をつける。
どちらも、周旋の【終の雫】と比べても遜色ない脅威。
……おそらく、そのいずれかがこの少年の【天能臨界】だ。
ならば、どれが臨界だ?
分からない、分からない。
情報が全く足りていない。
必死に情報をつなぎ合わせて答えを探すけれど。
どれだけ足掻こうと答えは出ない。
それになにより。
海老原選人は、その根底に疑問を抱いた。
――この男は、本当にあの志善悠人だったのか。
「でも、どーでもいいんだ。この世界は――もう要らないから」
思考の中に、聞き逃せない声が飛び込む。
思わず大きく目を見開くと、少年は空を見ていた。
夜空に浮かぶ、満月を見上げていた。
いつの間にか、空は晴れている。
天守家の頭上だけ、不自然に快晴が広がっている。
「この力なら……全部正せる。新しい、正しい世界を造り直せる。誰もが笑って、誰も何かを失うことなんてない、理想の世界。――ただし、その世界は今のモノじゃない。作り替えるのは表層じゃない。根底からだ」
目に見えて、周旋の警戒度が上がる。
彼を前に、少年は笑顔を見せる。
目は異常なほど濁り果て。
その笑顔は、見ているだけで精神を蝕んでくる。
ソレは人として浮かべてはいけない、壊れ狂った歓喜の情。
「弥人。君が終わりを拒絶するなら――僕は、この世界を拒絶する」
詳しいことは、分からない。
けれど、海老原は理解した。
理解してしまった。
今、この世界において。
もっとも殺すべき悪は、自分ではなくなっている。
――この男だ。
志善悠人を、止めなくてはならない。
でないと、何もかもが終わってしまう。
「許してくれとは言わないよ優人。僕は新しい世界を、君たちの幸せを作り直すために……一度この手で、君を含めたすべてを殺す。今回の世界のすべてを壊す」
今までの人の歴史。
積み重ねてきた研鑽も。
何もかもを、この男は拒絶するだろう。
そして、自分勝手に。
完全に新しいなにかを始めようとするはずだ。
「正義執行。……さあ世界、ぜんぶ最初っからやり直そうか」
この男は、人類の敵として。
独りよがりな正義の味方として。
身勝手に、この世界を終わらせるつもりだ。
いつも、隣を歩いてきた。
どこに行くにも、二人一緒に。
それが僕にとっての幸せだった。
彼が兄妹と笑っていることは、もっと幸せだった。
けれど、彼の哀しそうな顔を見て。
彼の浮かべた絶望を見て。
そして、自分を助けるために兄を殺した彼を見て。
……ふざけるな、と。
心の底から――【世界】に対して怒りを覚えた。
その時に、僕らの道は分かたれた。
正しい道を行く君と。
間違った道を選んだ僕と。
もう二度と、一緒に歩くことはない。
もう二度と、心から笑い合うことなんてない。
でもね。
最初から……僕の願いは変わらないんだ。
僕はいつだって、君たちの幸福のために生きている。
そして同時に、この道が君に祝福されないモノだと知っている。
「言っただろ優人。僕を殺しておくべきだって」
ありがとう、さようなら。
君の知ってる志善悠人は、ここで死ぬよ。
だから、ここから先の道を歩くのは――もう、僕だとは思わないでくれ。
【嘘なし豆知識】
〇??????
体内の天能を体の外に放出し、具現化する天能臨界。
ただし、それは天守家だからこそ出来た技術。
……もし、万が一に。
天守の純血以外が天能臨界を模倣したのなら。
それは、既存とは全く異なる【なにか】になるかもしれない。




