10-28『天守弥人』
過去を振り返り。
なんだか、僕の人生は失敗ばかりだったなぁ、と思う。
数年前に、母上が死んだ。
その原因は教えてもらえなかったけれど。
生まれたばかりの恋を抱いて泣く父を見て。
なんとなく、その理由を悟った。
『いい、弥人。あの人絶対バカやらかすんだから、ちゃんと見張ってなさいね!』
とは、死ぬ前に母が残した僕への遺言。
当然だよと、僕は返した。
僕にとっては家族に勝るものはない。
家族の為になるのなら……この『正義』にだって背いて見せる。
僕はそう決意した。
だから、その母上の死後。
父上がよく分からない研究者を連れてきた時も拒絶はしなかった。
目的はきっと……母上を蘇らせること、だろう。
現に母上の肉体は埋葬されることなく、今も冷凍保存されている。
だから、父上のやろうとしていることは容易く察せた。
……正直に告白するとね。
僕は少し、ほっとしたんだ。
母上が居なくなってから、荒び果てた父上。
どこか元気のない優人と、何も知らない恋。
みんな、母上さえ戻ってくれば元通りになる。
きっと、みんな元気になる。
……そう、思った。
――死者を蘇らせることが、正しくないと分かっていたはずなのに。
『被検体として、寿命のわずかな子供を使う』
父上がそう言いだした時。
僕は、否定するべきだとすぐに思った。
母上を蘇らせるのは……まだ、いい。
でも、まったく関係のない子供たちを利用するのは許せない。
そう言って、僕は反抗した。
……けれど、僕の意見は父上まで届かなかった。
父上を変えるまで至らなかった。
結局僕の意見なんて誰も聞かずに、実験は始まった。
優人は僕が意見を通したと思っているようだけれど……それは違うんだ。
僕は何もできてない。
なんにもできずに……犠牲を見送ってしまっている。
僕は心臓を押さえ、どうして? と自分に問う。
……反抗が弱すぎた?
もっと、徹底的に拒絶すればよかったのか?
幾度となく問うけれど、本能は『違う』と答えた。
……ああ、そうさ。違うんだ。
考えたくなかったから、考えないようにしてた。
僕の意見が通せなかった理由。
それは……天守弥人が真剣ではなかったからだ。
僕には……どうしても、心の底から拒絶することができなかった。
父の為、弟と妹の為。
父上の意見に反抗する度、そんな言葉が頭を過ぎる。
『赤の他人と家族の幸せ、お前はどっちが大切だ?』
心の中で、誰かが僕に問う。
その度に頭を振って、誰かの言葉を追い出した。
でも、逃げられない。選択からは逃れられない。
赤の他人を取れば母上は蘇らない。
家族をとれば赤の他人が大勢死ぬ。
要は、どちらの味方としてどちらを蹴るか。
結局明確な答えを出すことができないまま、僕は父上の意見を否定していた。
重みのない言葉では父上は動かせない。
父上もきっと僕の内心を察していたから、僕の話を聞こうとしなかった。
子供たちの犠牲は許せない――と語る傍ら。
家族の為なら――と甘えてしまっている自分がいる。
そんな男の言葉なんて……聞いているだけ時間の無駄だと……思ったんだろうね。
ようは、かつて抱いた決意が今も揺るがず健在だった、って話。
『家族の為なら正義にだって背いて見せる』
かつて吐いた言葉が、今になって自分の首を絞めていた。
その時に、痛いほど思い知る。
正義の味方を目指すのが、どれだけ難しいことなのか。
そして自分が今、どれだけ『憧れ』から離れた場所を歩いているのか。
知ってしまえば……もう、後戻りはできなかった。
『天守弥人は正義の味方として破綻している』――と。
いつか、優人が言っていた内容を思い出す。
あれはたしか、悠人が来た当日の話だったか。
二人の会話を隠れて聞いていた僕は、思わず笑ってしまったのを覚えている。
ああ、そうさ。
彼の言葉はおおむねが正しい。
でもね、ひとつだけ優人の言葉にも間違いがあったんだ。
それはとても、根本的な間違い。
――そもそも、天守弥人は正義の味方ではないのだ。
僕は憧れるだけの小さな子供で。
分不相応な能力を持って生まれたから、なまじ大きな夢を見てしまった愚か者だった。
自分には何を変える力もない。
世界を背負って立つには僕の心は小さすぎる。
正義の味方を名乗るには――大切なモノが増え過ぎた。
いっそ、心の無い機械にでもなってしまえば。
兄であることも、息子であることも放り投げて。
信念を貫くだけの正義になってしまえば。
幾度、そう思ったか分からない。
けれど、自分を兄と慕ってくれる弟妹を見る度。
なんやかんや僕を信頼してくれる父上を見る度。
ああ、生きててよかったと思うから、また泣きそうになる。
僕の幸せのためには。
やっぱり、正義の味方は諦めなきゃいけない。
そう突きつけられているようで、心が軋んだ。
でも、これも家族のためだから。
たとえ自分の信念を貫けなくなったとしても。
こうして、みんなが笑って暮らせるのなら。
誰も欠けることなく、今まで通り生きていけるなら。
僕は喜んで、正義の味方を諦め――
『これを飲め。そうすればお前は死ぬ』
父上だったものが、僕へと小瓶を差し出した。
僕は震える手で、その小瓶を受け取った。
「こ、れは……」
『私の【臨界】を弱めたモノだ。広範囲殺戮ではなく、単体を殺すだけの毒だな』
僕に死ねという父上に、涙が零れそうだった。
家族の為に。
それだけを掲げて生きてきた。
自分の心に嘘をつき。
信念も憧れも曲げて。
みんなの為に。
幸せのためになればいい――って。
そう思って生きた僕の人生が……真っ向から否定されているようだった。
「これを飲めば……僕は――」
『お前は死に、八雲らによって実験の礎となる。……親心を分かってくれ弥人。生きたままお前を渡せば、それこそ生きたまま解剖され、生き地獄を味わうに決まっている。それならいっそのこと――』
死ねばいい、と。
そこまでは言わなかったが、そういうことだろう、きっと。
僕は大きく深呼吸して、絶望に振れる思考を制御しようとする。
けれど……自分でも驚くくらいに。
父親の死を目の前に出されて、制御の効かなくなっている自分がいた。
ぴきり、と。
心が痛んだ。
正義の味方を諦めて、家族のために生きようと決めた。
それでも僕はこうして守れず、大切なモノすら掌から零してしまった。
一度零れた命は、何があろうと戻らない。
奇跡でも起こさない限り、その残酷な現実は変わらない。
既に訪れた結果は、人の手では変えられない。
だから、僕はこの現実を認め……ふと思う。
正義も失い。
大切な家族も失い。
そうしたら、天守弥人は……何のために生きればいいんだろう?
天を仰いで僕は笑った。
我ながら、実に乾いた一笑だった。
「……そうだね。僕自身、僕の体はきっと研究の助けになると確信してる。だから、貴方の言うことも一理あると思うよ。僕さえ犠牲になれば、きっと母上の蘇生は実現する」
僕さえ死ねば、母上は蘇る。
そんなことはずっと前から察していた。
だから、幾度となく父上へと提案し――その度に断られ続けてきた。
『お前が死んで何になる』と。
『また、悲しむ人間が増えるだけだ』と。
今になって思う。その中には父上も含まれていたのかな……って。
僕は父上を見る。
貴方が僕をどう思っていたかは分からない。
信じてもいたけど、その分、恨んでもいたのかな。
僕の【臨界】なら母上の蘇生だって叶うかもしれないのに。
意地でもあの力を使わない僕を、憎んでいたって不思議じゃない。
けれどね、父上。
僕は、貴方が死んで……とても悲しいよ。
もう会えないと思うと涙が出る。
願いも叶えられず、赤の他人に夢を踏みにじられ。
何の救いもなく死んだと思うと……。
死んだ後も、こうして死体を弄ばれて、いると思うと。
僕は生まれて初めて――【憎悪】を抱きそうだ。
「でもそれは、君を信じられる場合さ、海老原選人」
僕の言葉に、父上の動きが停止した。
まだまだ甘いなぁ。ちゃんとそこは制御しないと。
どういう理屈で操っているのか……まあ、おおよそ死体を操る系の能力なんだろうけれど、自分の名前を言い当てられたからって驚きすぎでしょ。
『……なにを』
「まず、父上は既に死んでいる。なら、今話しているのは父上の向こうに居る何者かだ。……そうなると、一番最初に八雲さんが浮かぶわけだけど……あの人、こんなまどろっこしいことしないでしょ?」
皆には内緒だったけど、僕は八雲さんを結構評価してたんだ。
この男は絶対なにか、悪いことをする、ってね。
だから僕は警戒していた。
彼の行動理念、思考回路くらいは頭の中に叩き込んでる。
そろそろ彼が『天守弥人が欲しい』と言い出すだろう……程度には考えていたけれど、今回の手段は間違っても八雲さんの考えたものじゃない。
彼は色々と頭がわるいから、真っ直ぐに父上へと直訴するだろう。
そして反対され逆切れ。でも父上が怖いから何も言えずに退散――って感じかな。
実に読みやすい『小物』な反応。
でも、今回のコレはそうじゃない。
どちらかっていうと――典型的な『小悪党』のやり口だ。
「父上、セバスも逝ってるってなると、八雲さんも殺されたのかな。……つくづく救えない。人を殺すことに何も感じない心も……そして、僕を一番最初に狙う、なんていう愚策も」
『……愚策、だって? 何言ってんだお前』
ふと、父上の口調が変わる。
やっと取り繕うのを止めたみたいだね。
僕としても、そうやって話してもらったほうがずっとやりやすい。
「当たり前だろ。僕の自慢の弟妹たちだ。僕なんかよりずっと強いに決まってるだろ?」
『頭沸いてんのかてめぇ。どう考えたってお前の方が――いや、やっぱいいわ。正義の味方なんて名乗る輩だ。頭なんて最初っから沸いてるに決まってたわ』
その言葉に苦笑し、僕は小瓶を揺らす。
飲めば確実に死ぬ、父上の猛毒。
それを一瞥し、僕は言う。
「なら、賭けるかい?」
『……あァ?』
海老原は困惑気味に声を上げる。
けど、僕の提案は至ってシンプルだよ。
僕は、瓶の栓を抜くと、父上を一瞥した。
……ごめんね、一年前のあの日、父上のこと助けられなくて。
それに今まで、ずっと気づいてあげられなくて、ごめん。
誰にも気づかれないまま、死体として僕らと生きること。
……どれだけ辛かったか。
どれだけ寂しかったか。
どれだけ哀しかったか。
想像するだけで、僕は泣きそうになる。
でも、安心して。
もう二度と、寂しい思いはさせない。
今度からは、生きる時も死ぬときも、僕が一緒だ。
そう、僕は笑って。
猛毒を一気に飲み干した。
『は、はァ!?』
「げほっ、こほ……うっわ苦っ! 父上、なんてもの作ってんのさ!」
口元を拭い、苦笑する。
毒は僕の喉から胃へと下り、体中の細胞が触れた端から死滅していく。
うーん。善で耐えきれればいいけれど……相手は天守周旋の臨界だ。
いくら弱めたとはいえ、神をも殺せるほどに高めた毒性。
僕みたいな若造とは、そもそも天能の年季が違う。
おそらく、僕はこの毒で死ぬだろう。
『は、はは、ははははははは! ば、バカかてめぇはよォ! お前を殺すために作った毒を、全部知っておきながら自分から飲み干すとか……自殺願望でもあるみてぇだなァ! 馬鹿な死因だ、無駄死にだ! ここまで無意味に死ぬとは思ってなかったぜ天守弥人!』
無意味な死……だって?
僕は彼の言葉に首を傾げた。
本当に、何を言っているのか分からなかったから。
「変なことを言うんだね。君は」
父上越しに笑う男へ。
僕は、大きな勘違いを訂正する。
「家族のために死ねるなら、そんなに誇らしいことはないだろう」
『……っ』
心の底からの本音に、海老原が息をのむ気配があった。
「父上が死んだ時期……おそらく一年前かな。一成さんと戦った時。あの時死んだって言うなら、きっと父上は天国に行ったはずだ。……まあ、地獄だったとしても、母上が無理やり天国に引っ張っていってるはずさ。で、みっちり怒られ続けてるはずだよ。一年くらいじゃ母上の説教は終わらないんじゃないかな」
僕は近くの机に、空になった毒瓶を置く。
そして、父上に向き直る。
「そろそろ、誰かが母上を止めてあげないと、父上が可哀想でしょ?」
「……イカれてんのか、てめぇは」
ふと、背後から声がした。
僕は振り返ると、執務室の入り口に海老原が立っている。
「酷いこと言うね。ただの愛だよ」
「あの父にしてこの息子……ってワケか。やっぱり中身は要らねぇな。天守弥人。お前はガワだけ優れた欠陥品だ。だって気持ち悪ィもん」
男の罵倒に、僕は噴き出す。
父上に僕が似てるって?
なんだいそりゃあ。最高の誉め言葉じゃないか。
彼と同じくらい愛に生きられたというのなら、僕はうっかり満足しちゃいそうだよ。
「……で、何を賭けるって?」
「あ、話聞いてくれるんだ。優しいね君」
僕は目の前の小悪党にそう笑うと。
確実に僕が勝つであろう、分かり切った賭けに出る。
「賭けは単純さ。君が、笑って朝を迎えられるかどうか」
僕の言葉に、海老原の眉が動く。
「この夜が明けた時。君がまだ笑えていたら僕の負けでいい。この体を好きに使うといいさ。……ああ、君が負けた時は気にしなくていいよ。その時も好きにしたらいい」
「……あァ? それ、賭けになって――」
言いかけた海老原の言葉に重ねて。
僕は目を細め、呆れを吐いた。
「君さぁ、天守を敵に回す意味……よく分かってないでしょ」
「敵に回す……意味だって?」
「はっきり言おうか。君に次なんてないんだよ。仮にうまく逃げたとしても……僕らはどこまでも君を追いかけ、絶対に償わせる」
僕の言葉を、彼は鼻で笑う。
「オイオイ、お前は今から死ぬんだぜ? 未来に夢見んなよ」
「だからさ。君は君がバカにした僕の弟妹に敗北する」
僕は彼の隣を通り、廊下へと向かう。
「素敵な妄想だ、走馬灯でもバグったか?」
「さぁね。ただ、君はちょっとやり過ぎたみたいだ」
そう言って、僕は執務室を後にした。
☆☆☆
昏くなった道を歩く。
既に死ぬと確定した生を歩む。
先ほどまで泣きそうになるほど恐ろしかった道は。
今ではただの闇に代わり、窓から月明かりが優しく僕を照らしていた。
「……でも、あの子たちにそんなことやらせたくもないんだよね」
ふと、足を止める。
随分と歩いた。
けれど、今から戻って海老原を僕が倒しておくべきかな。
そうすれば弟妹に要らぬ『雑用』を任せなくてもよくなる。
どうせ死ぬのなら、最後にあの男を殺――
……って、こんな簡単なことに気づけなかったなんて、僕も、父上とセバスが死んだって出されて、だいぶ精神が参っていたらしい。
僕は思わず苦笑して。
――その直後、凄まじい眩暈が僕を襲った。
廊下の壁に体を預け、頭を押さえる。
「ちょっと……父上殺意マシマシすぎるでしょ」
これを相手に向けるって……どれだけ家族のこと好きだったんだあの人。
僕は苦笑しながら、深呼吸して歩き出す。
向かう先は……執務室とは反対側。
父上の毒を飲んだ以上……もう、引き返せる場所に僕は居ない。
そうだな。まずは優人か悠人のどちらかを見つけよう。
恋は、まだちょっと最期に立ち会うのは早すぎる。
「けほっ」
僕は口元を押さえ、咳き込む。
掌を見ると、真っ赤な鮮血で濡れていた。
これはかなりヤバいかなぁ……なんて。
そんなことをぼんやりと思っていた――その時だった。
「………おい。弥人……お前なにやってる」
目の前から聞こえた声に、僕は驚いて掌を隠した。
声の方を見上げれば、限界まで目を見開いた優人が立っていて。
今にも泣きそうな顔をする彼を見て。
僕は、出来る限り優しい笑顔を作ったつもりだ。
「ねぇ優人。ちょっと話をしないかい?」
正義の味方を志す。
そんな少年の在り方は、とうに砕けて粉々に。
頭の中はごちゃごちゃで。
割れそうになる心を必死に留める。
正義に反すること。それは少年にとっての拷問で。
それでも家族への愛が、麻薬のように痛みをかき消した。
「僕は、家族のために生きるんだ」
正義を捨て、少年は言い聞かせる。
張り裂けるような痛みが心を襲う。
それも勘違いだとまた言い聞かせ、彼は前を向く。
ただ、それでも彼は年若い少年で。
彼の歩みに『間違いなんてない』と断ずるのは。
少々、残酷すぎやしないだろうか。
次回【兄と弟】




