10-27『壊れる音』
家族と幸せに暮らすこと。
そんなささやかな願いすら、時に世界は撥ねつける。
さようなら、の言葉もなしに。
ある日、突然。何の前触れもなく。
幸せだった日常は、ただの地獄へと変わっていた。
その夜、天守弥人は執務室へと歩いていた。
「どーしたんだろ父上。こんな時間に……」
既に時刻は10時を回っている。
小学生であればもう寝る時間だ。
弥人もまた就寝しようと準備していたところを、少し様子のおかしいセバスが『周旋様がお呼びです』と声をかけてきたのだった。
「セバスは何にも聞いてない?」
「ええ。私は弥人様を呼んでくるよう仰せつかっただけですので」
前を歩くセバスは、振り返ることなくそう言った。
普段とさほど変わらないその返事。
会話するうえで一切の違和感はなかった。
――けれど。
(……セバスじゃないね、この男。いや、セバスの体を使っていても中身は別物、って感じかな)
天守弥人の知るセバスと言う男は、いつだって相手の目を見て話す男だった。
こんな、振り返りもせずに返事をするような男ではない。
誰よりも礼儀正しく天守へと忠誠を尽くす。それがあの男だ。
(助け……られるか? 今の僕で、今の【善】の能力で)
天守弥人。
あらゆる能力を司る全能。
無条件で最強にすら思える彼だが、彼の力には明確なデメリットが存在する。
それこそが、【善】なる能力で【善に反すること】ができない、と言うこと。
当然、正義の味方として弥人自身が【しない】と言うのもあるが。
仮に彼が折れたとしても、善たる力は決して善性から逸脱しない。
そして【善】は、死者の蘇生を【善性】とは捉えなかった。
そして目の前のセバスを見て。
天才、天守弥人は理解する。――もうセバスは手遅れなんだと。
(僕の力じゃ蘇生はできない。……せめて、父上だけでも生きていれば)
いくら研鑽を忘れたと言っても、彼こそは天守の当主だ。
並大抵のことでは天守周旋は死なない。
死んでさえいなければ、幾らでも善で治せる。
弥人はそう判断し、セバスの後ろを黙って歩いた。
けれど、それは弥人個人の願望。
正義の味方として。
次世代の王として。
彼の底に眠る潜在能力は、直感として真相を叩き出す。
「……」
いつも歩く廊下。
夜だから……というのもあるが、見える光景は全く別物。
セバスの持つランタンだけが唯一の光源で、光の届かない先は闇が広がる。
まるでその先に進んでしまえば『おしまいだ』とでも言うように。
弥人は残酷なまでに正確に、この先に進むのはまずいと直感した。
「……どうしました、弥人様」
気が付けば、弥人の足は止まっている。
少し離れたところで、セバスも足を止め声をかけてきた。
見れば、彼は相変わらず背を向けたままで。
その背中を見て、弥人は少し泣きそうになった。
「…………いや、ごめんね。いつもありがとう、セバス」
再び、天守弥人は歩き出す。
嫌な予感を抱いていながら。
真相に限りなく近い推理をしておきながら。
逃げるでも、喚くでも、怒るでもなく。
彼は真実へと向き合うことを選択する。
そして数分後。
たどり着いた執務室で――天守弥人は瞼を閉ざした。
「……そう、ですか」
天守周旋の執務室。
物心ついたころからほとんど変わらない場所。
――いや、でも最近になって少し、香水の匂いが強まった。
まるで何か隠したい匂いがあるような匂いの強さ。
加齢臭とか……そんな可愛らしいモノならどれだけよかったか。
点と点が繋がり、やがて推理は確信へと変わる。
天守弥人は瞼を開く。
執務室に座るその男――天守周旋、だったモノ。
その男の息子でなかった日などない。
その男を見なかった日などない。
どれだけ道を違えようと、必死に天守として生きた。
大好きな、父親……だった人。
その姿を見て、一目で察する。
ああ、自分はまた……守れなかったのだ、と。
そして理解した瞬間。
天守弥人は、自分の心が砕ける音を聞いた。
「来たか、弥人」
いつもと変わらぬ眼差し。
いつもと変わらぬ声色。
いつもと変わらぬ威圧感。
それでも察した、違うのだと。
「どうしましたか、父上」
それでも自分は息子である。
父上がどれだけ変わり果てようと。
その体が、その器が、天守周旋であることは変わらない。
だから、返す言葉には優しさと尊敬を込め。
温かな眼差しを父だったモノへ送る
「用と言うより質問かな。お前に、少し聞いてみたいことがあるのだが」
「そう、ですか」
違う、違う。
父上はそんな喋り方はしない。
もっと高圧的に、突き放すように。
嫌われたくないくせに反面教師の仮面を被る。
それが天守周旋だ。
そんな、人の顔色を窺うような言葉は使わない。
拒絶反応に吐きそうになる。
涙が出そうになる。
声いっぱいに叫びたくなる。
この場で膝をついて、謝りたくなる。
でも、天守弥人にそれは許されないと知っている。
逃げることはしない。
父に対し、息子として。
最後まで自分を貫いたであろうその人へ。
背を向けるようなこと、出来るはずもない。
家族から嫌われようと。
妻の意志に歯向かおうと。
たった一つの愛を守ろうとしたその男。
優人も、恋も、そして悠人も。
誰も理解できないその男を。
せめて自分が理解してあげなければ。
……あまりにも、彼の人生は救われない。
――だから。
天守弥人は、その問いに悩むことはしなかった。
「弥人。私の為なら死んでくれるか?」
「当たり前でしょう。……家族なんですから」
☆☆☆
「ふっふふっふふーん♪」
僕は、スキップしながら夜の廊下を歩いていた。
向かう先は地下。
今では旧実験室と呼んでいる場所だ。
「やーっと手に入ったレアカード!」
僕は右手に持ったカードを見る。
地下の旧実験室には多くの子供たちが集められている。
その99%が不治の病に侵された子供たち。
弥人が延命をしていなければ、既に死んでいた子供たち。
そんなぎりぎりを生きている彼らだから、基本、体を動かして遊ぶことはできない。
というわけで、地下ではカードゲームが絶賛大流行していたのだ!
「このカードさえあれば……!」
連戦連敗、勝ち知らずの志善、とは僕のこと。
今まではカッコよさとロマンだけでカードを選んでいたから、地下の子供たちにはまったく勝てていなかった。……そんな折に、ついに僕にぴったりなカードが発売されたのだ!
それこそがこれ!
『銃皇鬼神合体・ディオスガルバンダ3号』
この間、月姫とコンビニでカードを一パックずつ買った時、奇跡的にあの女が二枚抜きしてみせた超絶ウルトラレアカードだ。名前からして強い予感しかしない。
そう、僕が毎度毎度月姫に挑んでいたのはこのカードが理由だったのだ!
勝ったらそのカード交換しよ、という提案の元、僕は幾度となくそのチャンスを狙ってきた。
…………まあ、ルールも知らない月姫相手に初戦で大人げなく勝って以降、一度も勝てなかったんだけど、今日になって月姫が憐れむような表情でこのカードを手渡してきた。非常に悔しいが背に腹は代えられぬ……気がついたらカードを受け取っていたよ。
「ふふふ……見てろガキンチョども……特に烏丸! お前は負かす!」
宿敵へ向けて意気込みながら、僕は地下への階段を下りる。
しかし、地下に入って間もなく。
僕は、懐かしくも嫌な臭いを感じ取った。
「…………嘘。これ、血の臭い?」
子供たちが日常的に実験されていた頃。
僕がこの家に来て間もない頃に……嗅いだような鉄臭。
しかも……勘違いじゃなければ、今までとは比べ物にならない程強い。
それこそ、あの子供たち全員の――っ。
「み、みんな!」
僕は咄嗟に駆け出した。
能力を全開にして、一気に飛び出した。
その場所に近づくにつれ、血の匂いが強まる。
嫌な予感が膨れ上がる。
その度に歯を食いしばって頭を振った。
そんなわけがない。
絶対違う、勘違いだ、大丈夫だ。
僕は頭がわるいんだ。
自分の直感なんて信じるな――って。
そう言い聞かせて、廊下を曲がる。
その先に広がっていた、ガラス張りの大きな部屋。
多くの子供たちが暮らす旧実験室。
「……あ、あぁ……っ」
思い出が蘇る。
なんにもできなかった僕に、笑いかけてくれた少年。
おんなじ仲間だと言って受け入れてくれた少女。
友達だって肩を組んでくれた少年。
何にも言わずにおもちゃを貸してくれた少女。
多くの友達ができた。
僕には……大切過ぎる思い出がその部屋には詰まっていた。
「あ、あああ……ああああああああ、ああッ」
思い出す。
思い出してしまう。
『今日からお前もおれらの仲間だな!』
『一緒にねるー? このまくら高性能だよー』
『そんな事よりボクシングやろーぜ! はげしく動いたらおこられるけど!』
『み、みんな……志善くんがこまってますよっ』
みんな優しかった。
悪い人なんていなかった。
皆が互いに手をつないで、頑張って生きようって。
そう、笑顔の絶えない空間だった。
「ああああああああああああああっああああああああああああああああああ、ああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
僕は走り出す。
ガラス張りの部屋には、もう動かない肉塊がいくつも転がっている。
部屋に入ると、ばちゃばちゃと、赤い液体が足元を跳ねた。
もう何を考えているのかも分からなくて。
頭の中、真っ白で。
とにかく部屋の中に走り出した。
「な、なんっ、な……なんでっ、なんで!! どうして!」
研究は……終わったはずじゃないのか!
僕さえ犠牲になれば、みんなは助かるんじゃ……なかったのか!
どうして、なんで、どうして……ッ!
どうしてみんなが倒れてる、どうして、こんなに、血が……!
「お、起きてよ……か、烏丸! ほら、新しいカード持ってきたんだ!」
咄嗟に、一番近くで倒れていた少年に駆け寄る。
僕は無理やり笑って、少年の体を抱き上げた。
その時、強烈な違和感があった。
この感覚を……僕はどこかで知っている。
……ああ、そうだ。あの日だ。
僕が弥人に出逢う少し前。
死んだ父と母を見下ろして……最後に、その体に触った。
なんであんなことをしたのかは分からない。
まだ生きていると思ったのかも。
でも、二人の体はぞっとするほど冷たくて……硬くて。
まるで人形を触っているような感覚に、背筋が凍ったのを覚えている。
「うっ……、げほっ、がほっ……っ」
胃液が逆流し、思わず烏丸の体を手放す。
彼の体は再び血の池に沈む。
少し開いた瞼の隙間から、彼の瞳が僕を覗き込む。
……まるで、その瞳は濁ったビー玉みたいで。
もうとっくに死んでいる、と。
残酷な現実を突きつけられているようだった。
「ひっ……」
その目が、その虚ろが、僕はどうしようもなく恐ろしかった。
思わずその姿勢のまま後ずさる。
そして、背中に何かが当たった感触があって振り返った。
「……っ!?」
死体。
死体、死体、死体、死体。
見渡す限り、いっぱいの死んだ子供たち。
誰も生きてない。
僕の呼気以外、空気の流れが一切ない。
誰も呼吸してない、心臓もきっと動いてない。
「はっ、はっ、はあっ、はあ……っ」
息が浅く、荒くなる。
壊れてく。
幸せだった思い出。
共に笑い合った記憶。
皆の笑顔。
何もかもが、壊れていく。
ぴきり、と。
なにか、壊れたような音がして。
僕は、自分の両手を見下ろした。
真っ赤に濡れた自分の両手。
これを戻せば……みんな、生き返るのか?
失った血さえ戻れば、みんな蘇るのか?
でもこれは、誰の血液なんだろう?
烏丸のもの?
いいや、違う。
床一面を埋め尽くすような血の海。
もう、どれが誰の血なんてわかるはずも――
「だ、だめだ……だめだだめだだめだ、だめだ!」
嫌な方向に思考が揺れる。
僕は頭を振って思考を追い出すと、必死に頭を回転させる。
「そ、そうだ! 弥人! 弥人なら!!」
僕が知る限り、何でもできる少年。
全能と呼ぶにふさわしいあの少年なら、きっと。
誰かを蘇らせることだって……きっと、できるはずだ。
できるに……きまってるんだ。
「だ、誰か……、や、弥人! どこだよ弥人!!」
僕は叫ぶけど、反応はない。
ここにあるのは死体だけ。
……動けるのは、僕しかいない。
「……っ、ご、ごめんみんな! すぐ、絶対に戻るから!!」
『もう、聞こえちゃいないよ。死んでんだから』
頭の中で誰かが囁く。
その声を聞こえないふりをして、僕は立ち上がる。
血で何度も滑りながら、体中血塗れになりながら。
真っ白な髪を赤く染めて、僕は走り出す。
僕は地下を抜け、地上へ戻る。
能力を全開にして気配を探る。
真っ先に反応があったのは――庭の方だった。
僕は、息を切らせながら走る。
障子を蹴破り、庭に飛び出す。
そこで待っていたのは二人。
驚いた様子の天守優人と。
優しげに笑う、天守弥人だった。
「やあ、待ってたよ。悠人」
その笑顔を見て、顔がこわばる。
また、ぴきりと音がした。
その音の正体を、まだ僕は知らない。
【進行度成果】
〇烏丸、幾年、小賀本 他
被検体の少年少女 ー 全員死亡
※海老原の養子となった『少女H』のみ、生存。
☆☆☆
――その少年こそは、星が生み出した最高傑作。
かつての先祖に勝るよう、世界が作り出した特異点。
完全無欠の体現者。
誰もが望んだ奇跡の子。
しかし、それらの『願い』を背負うには。
その子は少し……【大切なモノ】を知り過ぎた。
大切なもの。
曲げたくないもの。
守り通したいもの。
それらを見渡し。
少年は、最期へと歩き出す。
次回【天守弥人】
正義の味方として。
兄として、息子として。
信念を貫くか。
あるいは――愛に逃げるか。
最後の選択は、もう、まもなく――。




