10-25『彼らの日常』
今まで、雨森悠人を理解したつもりでいた作者ですが。
第二巻を執筆していて、しみじみ『理解が浅かった』と思いました……。
おそらく、皆さんも過去編を見る前と後では雨森への印象も大分変っているかと思います。
第二巻では、一年前よりちょっとだけ理解の深まった作者による『雨森悠人』をお届けできると思います。ぜひお楽しみに!
「すばらしい!!」
男は歓喜に叫んだ。
眼下の光景を見下ろして、その瞳には無邪気が揺れる。
誰がどう見たって男は悪だ。
そんな男が浮かべる無邪気。
傍から見れば、それは狂気にすら映るだろう。
「ああ、ああ! 何度見ても感動的だ! 私たちの研究! 子供たちと血と涙と犠牲の結晶! 下地が少々特殊だったのは否めないが、ついに私たちの実験はあの天守すら超越したッッ!」
屋敷の一角。
その男――八雲に与えられた自室で、彼は踊る。
歓喜のあまり声を上げながら、子供のように部屋中を跳ねた。
そしてすぐにまた窓へと張り付き、その少年を眼で舐り回す。
「最高だよ君は……志善君。生まれて初めて恋をしそうだ!」
肉体的にも社会的にも最底辺。
それが今では、あの天守の末娘を圧倒している。
なんという下克上。男は胸が張り裂けそうなほど興奮していた。
「なあ、素晴らしいと思わないかね、海老原!」
「ええ、まあ」
同じ室内で試合を見ていた海老原は返事する。
眼鏡の反射で彼の目線は窺えなかったが、おおよそ顔の向きからして庭の方を見つめているのだろう。八雲は海老原の肩へと手を回すと、楽しそうに言う。
「私の目的は『弱者による強者の否定』。才能なんてものに左右される現代社会を根底から叩き壊すのさ! そのための第一歩……圧倒的弱者だった志善悠人による、天守家の打倒! これほど素晴らしいストーリーはない!」
「そうなんですかね。私はそういうことよく分からなくて……」
眼鏡の位置を直し、海老原は言う。
そんな彼の様子に八雲は目を細めると、つまらなそうに口を開いた。
「……海老原。人間は夢を見る生き物だぞ。その夢がいかに現代社会と逆行していようとも、私たちは夢を叶えるために今を生きるのだ。お前だって何かしら想うことがあって今ここに居るのだろう?」
「……それは」
海老原は言葉を詰まらせる。
何か答えを探しているのか、彼の目は泳いでいた。
八雲は彼の肩を軽く叩くと、再び窓辺へと歩いていく。
「なんだっていいのだよ。幼稚だって構わない。ただ、燃え滾る情熱さえあれば、他の声なんて何にも聞こえなくなるからね」
現に、男は他の意見など聞かなかった。
全てを思うがままに、自分の意志だけを貫き通してきた。
時には回り道もあっただろうが、こうして今に偉業を成した。
異能実験の完成。
志善悠人という実物。
妄想から現実を生み出し、一個の答えに辿りついた。
しかし、それも彼にとってはゴールではない。
ただ、新たな目的へと乗り換えるだけの経由地だ。
「しかし『死者蘇生能力者の創造』……か。なかなか難しい命題だ。ただ闇雲に天能保持者を生み出すわけではなく、その能力を『指定』出来る域まで研究を加速せねばならない」
「その指定が難関ですね」
現に、彼らは天能を生み出すだけなら安定して可能になっていた。
事実、八雲と海老原は既に天能を保有している。
天守周旋本人から了承を得て採取した【天守の細胞】
周旋の腕の皮膚から摘出した細胞をもとに、オリジナルの薬を生成。
それを注射を用いて体内に埋め込むことで、本家には及ばないものの、ある程度の出力を持った天能は製造できた。
だが、その先が問題だった。
どうすれば目覚める天能を指定できるのか。
一年たった今でも、八雲ら研究者はその壁を突破できずにいた。
「そろそろ閣下も我慢の限界、かな」
最近になって、荒んできた周旋を思い出す。
一年前のあの日、一年以内に結果を出せと彼は言った。
にもかかわらず、未だに天能の指定開花には研究が及んでいない。
そろそろ雷が落ちるかもしれないな。
そんなことを八雲は思いながら、頭を掻いた。
「ま、話は逸れたが夢を持ちなさい、海老原。人は目的を持つべきだ」
「目的」
八雲は、部屋の外へと向かって歩いていく。
おおよそ、暴君の機嫌取りでもしてくるのだろう。
彼は疲れた顔をしながらも、海老原へ空っぽな思想を流す。
「君は、この世界に名を残したいと思わないかね」
そう言い残して、彼は部屋の外へと姿を消した。
部屋に残されたのは、海老原一人だけ。
彼は窓の外へと視線を戻すと、八雲の野望を口にする。
「『弱者による強者の打倒』……ですか」
窓の外で楽し気にする少年らを見下ろし。
彼は、ふと思った。
いいなぁ、それ。
☆☆☆
「でね、その時、僕は言ってやったわけさ!」
小学校、僕らは二年生になった。
クラスは変わったけれど、優人と僕と霞ちゃんは同じクラスだった。
時は放課後、まだクラスのほぼ全員が残っている中。
目を輝かせて僕の話を聞いている霞ちゃんへ、僕はキメ顔でこう言った。
「『失せろ年増が。お前の時代は終わったん――ぶへっ!?」
「悪口が聞こえました」
言ってる途中で、背後から拳骨が落ちる。
僕は涙目で振り返ると、橘月姫。
僕は叫んだ。
「とっ、年増だああああああああああ!?」
「うふふ。元気ですね。腕。三、四本ほど折れば大人しくなりますかね?」
彼女は青筋を浮かべてそう言うため、僕はふざけるのをやめた。
この一年で学んだこと。
それは、橘月姫へと向かって『ふざけすぎ』はよくない、ってことだ。
大切なのは引くタイミング、掌をくるっと裏返す見極めだ。
本音を通せば殴られる。なら嘘をつくしかない。
僕はこの一年で、相手に合わせて嘘をつくことを学んでいた!
「やっだなぁ、橘さん。冗談に決まってるでしょー?」
「気持ち悪いので敬語止めてもらえますか? 鳥肌が立つのですが」
言いながら関節技を仕掛けられる。
ぐうっ、痛いし相変わらずいい匂いだし……離れろ年増がァ!
僕は無言で彼女の腕をタップする。こういう時は則、降参に限るね。
……と、そんなことをやっていると優人と霞ちゃんがこっちを見ていた。
「な、仲が、わるいんですか……ね?」
「逆だろ。喧嘩するほど仲がいいって奴だ。あまり関わってやるな朝比奈」
優人がそんなことを言うので、僕は思わず反論する。
「ふざけないでよ! 誰がこんな年増と――」
「ふざけないでください。誰がこんな生意気――」
しかし、声が重なって僕は月姫を見る。
彼女は驚いたように僕を見たが、すぐにニッコリと嗤った。
僕は察した。あ、終わった、って。
次の瞬間、目に見えて締め技の殺意が増大。
ホントに息も出来なくなって、僕は死を垣間見る。
「羨ましいな志善。女の子にそんなに構ってもらえて」
優人はそう言って鼻で笑った。
目に見えて嘘だった。
「嫉妬ですか天守様。……構ってさし上げてもかまいませんよ?」
「遠慮する。異性に触れると緊張しちゃう思春期なんでな」
「あらいけず」
優人と月姫で、内容の詰まってない空っぽな会話が行き交う。
ひどいよ優人!! そんなこと言ってないで助けてよ!
そう心の中で叫んでいると、弱々しい助け船がやってくる。
「あ、あの。志善くんが……く、くるしんでますっ」
「え? ああ、苦しめてますからね」
出動、霞ちゃん!
しかし相手は年上の月姫。
僕らは小学二年生で、相手は小学四年生。
大分話せるようになってきた霞ちゃんも、さすがに上級生には気後れする。
加えて相手が相手だ。こいつは人を苦しめることに罪悪感も抱かない極悪非道。
この悪魔! 年増! ほんとは四年生じゃなく中身ババァなんじゃないのか!
僕が心の中で呪っていると、ふっと、首を絞める力が弱まった。
驚いてみれば、月姫も驚いて目を丸くしていて。
その先を見れば……霞ちゃんが、月姫の腕を力いっぱい引っ張っていた。
「だ、だめです! そんなのみとめません!!」
「……認める。……認められる? 私が、貴女に? なんのために?」
スッと、月姫の視線が鋭くなる。
ふわりと怒気が僕の方まで流れてくる。
比較的笑えないレベルの『怒気』に、ちょっと背筋がひゅんとなる。
見れば、霞ちゃんはプルプルと膝が震えていた。
だが、そんな霞ちゃんへと今度は立派は助け舟がやってくる。
「そこらでやめておけ月姫。上級生がみっともない」
「…………あなたがそれを言いますか」
ふと、廊下の方から聞こえてきた声。
振り返ると、彼女の実兄、橘克也が教室の外に立っていた。
……だけじゃないな。なんか見覚えのある兄の姿まである。
「やっほー! なんか面白いことやってるね! お兄ちゃんも混ぜてよ!」
「引っ込んでろ正義中毒者」
「うっはー、学校でも変わらないか優人の毒舌ゥ!」
そう言いながら、教室に入ってきたのは弥人だった。
一緒に克也も教室へと入ってきて、その背後には弥人の友人が何人か居る。
「どうしたんだい、弥人」
「そういえば優には紹介してなかったっけ。この子たち、前に言ってた僕の弟!」
「……ああ! 例のめちゃくちゃすごい子!」
めちゃくちゃすごい子……優人のことだろうか。
見れば優人はものすごく嫌そうな顔をしていたが、対する弥人は満面の笑みだ。
「そうなんだよぉ! もう目に入れても痛くないくらい自慢の弟たちさ!」
「この野郎……本当に試してやろうか……」
そう言って青筋を浮かべる優人。
相変わらず……優人は弥人に褒められるのが苦手みたいだ。
そりゃ、圧倒的に優れる他人に褒められたところで嫌味にしか感じない。
ただ、そこは弥人だ。彼が『心の底からそう言っている』と家族全員知っているから、優人も怒るに怒れない。出来るのはせいぜい文句を言うことくらいだ。
「……というか、大丈夫なの弥人。あの子、関節技とチョークスリーパーの同時攻めされてるけど」
「ああ、彼は大丈夫! 女の子と触れ合えて満足そうだし!」
弥人の友人が僕を指してそう聞き、弥人は即答した。
おいこら、どっからどう見ても大丈夫じゃないでしょ。
目でも腐ったのかなこの兄は。
そう考えた瞬間、月姫が関節技を解除した。
……珍しい、いつもなら僕が失神するまで続けるのに。
そう驚いていると、なにやら月姫の様子がおかしいことに気づく。
「そうですか……志善様。私に暴言を吐くのもこうして触れ合うための口実……だったと。申し訳ありません。志善様の純粋な恋心に気付くことができず……」
「は?」
意味不明な発言に頭がフリーズする。
しかし、意味を理解するにつれて怒りがふつふつと湧いてきた。
そんな僕の前で、月姫は悲しそうに目を伏せた。
「そしてごめんなさい。貴方のお気持ちには応えられ――」
「ふざけんなよオイこら年増ァ! 僕のタイプは物静かな文学少女だ!」
「あら、私のことではありませんか。……新手の告白でしょうか?」
「ぶっ潰す……今日こそはお前をぶっ潰す! 来いオラ決着つけてやんよ!!」
キレちまったよ……。
完全にキレちまったよッ! この年増クソババァがよォ!
「28戦28勝……今回で29勝目になりそうですね」
「はっ、脳でも溶けたか老害が! 諦めてない以上僕は一度も負けてない!」
「相変わらず頑固ですねぇ……」
そういうと、月姫はどこからか通学バッグを取り出した。
「では、一緒に帰りましょうか。場所は橘宅でもよろしかったでしょうか?」
「当然! お前のホームグラウンドで大恥かかせてやるから見とけ!」
そういって、僕らは二人並んで帰途に就く。
僕の腹の底には、どこまでも真っ直ぐに橘月姫への嫌悪感だけが据わっていた。
うん、やっぱりこの女ァ嫌いだ!!
☆☆☆
橘月姫と並んで帰っていく志善。
その背中を頬杖をついて見送っていると、弥人が近くにやってくる。
「もしかして嫉妬かい? 悠人、ツッキーにとられちゃったねぇ?」
「磨り潰すぞ。それとお前、紛らわしいから志善と呼べと何度言えば……」
「あー、きこえなーい! 志善くんってなんか他人行儀だからもうよびたくなーい!」
聞こえてんじゃねーか……。
僕はため息をつくと、近くに居た朝比奈へと声をかける。
「悪いな朝比奈。志善を助けようとしてくれたのに」
「い、いえ……。その、なんだか仲よさそうだったので……」
恥ずかしそうに彼女はそう言う。
一年前から比べるとだいぶ喋れるようになってきたが……まだ橘の相手は早すぎたな。
「気にするな。ああいった特殊な友人関係もある」
「む、難しいんですね……」
まあ、あんなのは滅多にない関係だと思うけどな。
そう考えていると、僕らへと近づく気配があった。
「あ、優人くん! 志善くん帰っちゃったの?」
振り返ると、クラスメイトの少女が立っている。
僕は肩をすくめて返事した。
「ああ、いつものやつだ。また橘と喧嘩だよ」
「志善くんもこりないねー! そーだ優人くん! 放課後一緒にあそばない?」
遊び……遊びかぁ。
ふと弥人を見ると……空気を読むのも上手いのか、いつの間にか克也や級友たちと廊下の方へと退散している。ちらっと僕を見てサムズアップするおまけつきだ。
僕は逆向きのサムズアップで『地獄に堕ちろ』と叩きつけた。
「そうだな。たまには遊びに行くか」
「えっ、本当に!? みんなー! 優人くん来るって!!」
「まじで!? やったー!!」
僕の答えを聞いて、クラスメイトが大量に集まってくる。
想像以上の賑わいに思わず驚いていると、朝比奈が笑う。
「天守くん……やっぱりクラスの人気者ですねっ」
「んなわけあるか。自己紹介の時あんだけ暴言吐いたんだぞ」
二年生になってクラスは変わった。
けど、こちとら一年生の最初の自己紹介で大失敗してるんだ。
根が生えているなら噂も立つ。今更人気者なんてなれるかよ。
「でもっ、本で見ました! か、カリスマのある人は、そんなの関係ないって!」
「……カリスマ、ねぇ」
僕は頬杖をつくと、廊下へと視線を向ける。
既に兄の姿は無い。どうやらおとなしく地獄へ堕ちたようだ。
……なんて、テキトーなことを考えつつも。
真っ先にその背中を探した理由を察して、苦笑する。
……ああ、そうさ。
カリスマっていうのは、ああいう奴にこそ備わってるもんだ。
間違っても、僕はクラスの中心人物なんかになる器じゃない。
僕は、周りに集まるクラスメイト達を見渡して。
再び、深いため息を漏らすのだった。
……器じゃない、はずなんだけどなぁ。
以上、過去編、前編でした。
次回【エゴイスト】
これより始まるは、たった一日に詰まった地獄。
悪は目覚め、正義は堕ちる。
ただ、それだけの物語。




